ウチら室内猫は楽をしとるように見えるらしいが、とんでもない。
のり丸という人間の元へ来たのも、まぁゆうたらウチが選んだ訳でもないしの。
のり丸という人間の元へ来たのも、まぁゆうたらウチが選んだ訳でもないしの。
この人間(のり丸)、ルーティンや秩序が元々苦手じゃ。
苦手というより、秩序恐怖症に近いかもしれんの。
その上、今は決められた時間帯に連続して働ける体力もない。(自分のペースで動くことはできる)
だから、のり丸は自らの責任において自営業を選択しておるのじゃ。
しかし…こんな調子で、本当に将来どうなるのか?とウチは正直思う。
そもそものり丸の世代は年金はもらえるのか?…そうじゃの、もしいつかもらえたとしても自営業だから雀の涙じゃろうて。
いずれにしても生きていく道を、常に柔軟な思考で模索しなければならないの。
…ほらの。
こんな訳のわからん変人と一緒に生きとるじゃろ、ウチ。
だけどウチはのり丸に期待していない。
もともとのり丸に全く期待していないから、失望もしないのじゃが。
人に失望するのは、自分が相手に勝手な期待をかけていたからじゃないかの。
相手はただ「そのまま」の自分でいるだけじゃ。
そもそも相手は、考え方や価値観、物事のとらえ方が根本から全く違う人間じゃ。
そんな相手に、自分の期待どおりに振舞ってくれることを願うのは、ずいぶんと都合の良い話かもしれないの。
自分だって決して相手の思い通りにはならないじゃろ?
そういえば、ウチは一度ものり丸に媚びたことはないのぅ。
…今、のり丸が働き詰めで、全然ブログが書けないのじゃ。
風邪で熱が出る→回復後は働き詰め。(このパターン)
休んだら休んだ分、仕事をしなければならない。
不労所得がないから、当然といえば当然の生活なんじゃけどの。
以前のり丸には不労所得があったけれど今はない。
そう、人生には思いがけない変化が起こるのじゃ。
何かをアテにしていると、足元をすくわれる。
自分自身の肉体すらアテにならない。
この世にはアテにできるものはないということを前提に、一歩一歩、自分のペースで着実に歩いていくしかないのじゃ。
【鶴を折った記憶のないのり丸が、ネットを参考に折ってみたが…こ、これは…進化型鶴じゃった。】
【なんか遊びたくないんじゃが…】
【はいはい『バシッ』っと。…仕方なく遊んでやるの。】
のり丸はブログを書いている時はすごく楽しいそうじゃ。
本名や年齢や性別をさらしている仕事用のHPにはウチは登場しないけれど、ここでは自由に出てこれるじゃろ。
それに普段とは違う自分が出せるのは大切な時間じゃしの。(重要)
【ここはベランダに移動したケージの中じゃ。】
規約で猫はベランダに自由に出入りしたらいけないので、ベランダに出るときはこんな感じじゃ。
どうあがいても、ウチはこの生活を続けるしかできないの。
有料老人ホームで、「籠の鳥」を歌い続けていたお爺さんがおったそうじゃ。
♪籠の鳥でも 知恵ある鳥は 人目忍んで逢いに来る♪
このフレーズばかり繰り返して歌うそうじゃ。
ウチもケージから出たい。
けれどもどこか遠くに行きたいとは思わん。
自分探しの旅?
ウチは自分を探す必要はないのじゃ。
落とし物、なくしたものは自分の通った道、自分がいた場所にしかみつからん。
はるか彼方の地にいって、なんで落とし物やなくし物が見つかるのじゃ?
この場所にウチはおる。
【やっぱりここが好き】
ケージから出たら、一瞬気持ちが楽になった気がするの。
苦を避くるは苦の因
楽を求むるは苦の因
楽のみならば
楽すでに楽ならず
楽すでに楽ならず
苦中に感ずる楽こそ
真の楽なり
真の楽なり
楽は自然に来るもの
苦は自ら迎え求むるもの
苦は自ら迎え求むるもの
世に苦なし
されど人 楽を求めて苦しむ
されど人 楽を求めて苦しむ
苦楽一なり
離れて存在すべからざるものなり
離れて存在すべからざるものなり
==野口晴哉(10代の頃の語録)/「回想の野口晴哉」野口昭子より==
【そしていつものようにぐっすりと、夢も見ずに眠るのじゃ。】
「心なき言葉は、要するに空気の振動也。
心動けば、空気動かずとも、言葉として心は伝わる也、汝を愛するという言葉を発せずとも心は伝わる也。
その心、伝わらざる相手は鈍き也。
鈍きを相手にすべからず、同じに心動く相手こそ愛す可きなり。
拈華微笑(ねんげみしょう)という古人の言葉は、空気の振動を経ずとも、直接心から心に伝わるもののあることをいう也。
不思議なことなれどこの方に真実ある也」
==「回想の野口晴哉」野口昭子より==
心は伝わる也……だから、のり丸はウチいると心が和むのじゃろうの。
ウチ?…ウチはただこの場所に居るのみ。
ウチはいつも「我ここに佇む」だけかもしれんの。
じゃあ、またの。