小・中学校でイジメによる生徒の自殺などがあると、校長がニュースで謝罪するシーンを見ることがある。
父が校長だった時は幸運なことに公の前で謝罪をすることはなかった。
教員というのは我の強い人が多く、校長の指示に皆が皆、素直に従うとは限らない。
学校というのは閉鎖的な空間であるから、イジメも起こる。
民間企業からきた人が校長をすることがあるが、民間企業とは違い「教員」は上司の命令に従わないことがあるので、苦戦することも多いようだ。
民間から校長に就任した人が、うつ病になり自殺したこともあった。
父は正義感は強いが、権謀術数を使うところがある。
そして負けず嫌いのタイプだから、出世したのだと思う。
父と私の人間のタイプは違うが、(ああ、こういう時にこういう対応するのは父の血だ)と半分血が入っていることをヒシヒシと感じることはある。
私はイジメられた経験はない。
社会に出てから、イジメられかけたことは何度かある。
今回書くことは、そのことである。
私の顔は柔和で、穏やかな性格に見えるらしい。
サービス業や療術業においては、得な雰囲気だといわれる。
人を格下にしたいタイプからすると「こいつ怒んなそう」「チョロ」と一瞬「餌食」に見えるらしい。
相手が自分をなめようが、なめまいが、そんなことは私には(かなり)どうでもいい。
けれども、何かが自分に危害を加えてきたり、陰湿なものに巻き込まれそうな時はしかたなく喧嘩をする。
生き残るためである。
だから私は計算高く喧嘩をするし、勝算がない場合は喧嘩を避ける傾向がある。
そもそも私は喧嘩(戦闘)自体が大嫌いである。
勝っても後味が悪いからだ。
相手に対して「ざまあみろ」という気持ちにはなれないし、自分が正しいから勝ったとは微塵も思えない。
相手も正しくないけれど、自分も到底正しくない。
お互い平面的に切り取った一部の現象を見ているだけだ。
イジメが起こるのはたいてい「閉鎖空間」にいる時である。
「閉鎖空間」から移動できない集団は、スケープゴートを作ることでガス抜きをすることがある。
私が国家資格を取った後、初めて有資格者として入った治療院での話である。
そこは昭和の初めから代々受け継がれてきた伝統的な治療院で、地域で生き残っている唯一の治療院でもあった。
全盲の按摩さんも働いていた。
鍼灸あん摩マッサージ指圧は昭和20年に作られた法規に縛られている。
看板に料金を書けない、腰痛、肩凝りを治します、というような宣伝は書いてはならない、などである。
(インターネットでは宣伝できる。昭和20年にはインターネットがなかったから関係法規にも記載されていないからだ。)
逆に料金と効能をデカデカと看板にアピールしているのは、整体やリラクゼーションである。
それまでは資金力のある現代的なリラクゼーションで働いていた私は、昔ながらの昭和な治療院での毎日が驚きの連続だった。
従業員の待機室は1階と2階にあるのだが、ほぼ全員(16名ぐらい)がなぜか1階の10畳の間で待機していた。
そこでは「お茶をひく」「客が金を落とさなくなった」「チップが少なくなった」「あいつに客を取られた」などの愚痴が飛び交っていた。
そして誰かが部屋からいなくなると、いなくなった人間の悪口がはじまった。
その治療院は不景気だったのだ。
バブル期がピークで、その後は衰退していき、私が入った頃は時代の流れで淘汰される寸前で、まさに生命の火が消えかかっていた。
(どこかでみた風景だな…)
妙に、デジャブ感があった。
(…思い出した)
その治療院の待機室は、私が風俗ライターとして取材に行っていた風俗店の待機室の雰囲気と酷似していたのだ。
唯一違うところは、メンバーに20代から70代の老若男女が入り乱れているところだけだった。
私は入店3日目から、連続して指名客につくようになった。
「なんであいつに指名がつくんだ?店側のつけ指名ではないのか?」
「あいつ目が良いくせにマッサージの資格取ったんだぜ。見えるんなら別の仕事があろうもんに」
という私に対する悪口も時々聞こえてきた。
そんな会話も風俗っぽかった。
彼らにしてみれば何十年も働いているのに、新人が稼いでいるのは面白くない。
今考えると、私の場合はビギナーズラックというものだったのかもしれない。
当時の私は明らかに経験不足だった。
長くやっている人はそれなりの「場数」を踏んでいる。
その先輩の経験を飛び越えることは決してできないのに、未熟だった私はそこに敬意を払えなかった。
私が1階の控室に入ると、ゴリ田という男が「おい、ゴミが入ってきたぞ」とつぶやいた。
「ん?」と思ったが、明らかに私のことを堂々とゴミ呼わばりしていた。
ゴリ田は30代の半ばぐらいで、185cm110㎏ぐらいの巨漢だった。
動物として、明らかにゴリ田の方が私よりも優位な体格だった。
「手足細い」族の私は、ゴリ田の熊のような素手であっさりと殺されるだろう。
ゴリ田はキレやすく、「自分の指名客をだれかが取った、取らない」の喧嘩が多いタイプだった。
皆がゴリ田に気を使って持ち上げていた。
ゴリ田と付き合っている女も一緒に働いていた。
控室で、ゴリ田は人目もはばからず自分の膝の上に女を乗せてイチャイチャしていた。
ある時、ゴリ田はいつものように女を膝の上に乗せていたが、女の肩越しからいやな目つきで私を睨んできた。
そして「ゴミが…バリ目障りじゃ。部屋の空気がゴミに汚染されとーわ」と笑うような口調で言った。
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「あの2人どう思う?イチャイチャして気持ち悪うない?入ったばかりの人はどう感じるん?」
ある日、コソコソと噂好きの女に耳打ちされた時、私は答えた。
「…興味ないです」
それがどういう訳かゴリ田に「のり丸があなた達のことを気持ち悪いと言っていたわよ」と伝わっていたのだ。
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その後、数日間はゴリ田の視界に私が入るたびに、「目が汚れた」だとか、「あんガキきゃあ生意気なんじゃ、わやくそにしちゃる(シメる)」という、つぶやきが聞こえてきた。
「あいつ気に入らん」というだけで無茶苦茶をするタイプには、「話合って誤解を解いてもらおう」という接し方は逆効果である。
話し合いができるのは相手が「理知的」なタイプの時だけである。
ある日治療院に行ったら、私の白衣がなくなっていた。
ゴミ箱に捨てられているのはすぐにわかったのだが、
「すいませ~ん、クリーニング済みの白衣がなくなっているんですが、誰か知りませんか?」
と、とりあえず全員をぐるりと見まわしながら言ってみた。
(その時は『戦う』ことを選択した)
すると皆がスッと目をそらして私を見ようとはしない中、ゴリ田が言った。
「ゴミのものはゴミ箱の中にきまっ…」
ゴリ田が言い終わらないうちに、私はゴリ田の顔面を往復ビンタした。
そしてあぐらを組んで座っていたゴリ田の胸を蹴りあげ、仰向けに倒れたゴリ田の上に馬乗りになって側にあった棒(ホウキ)をゴリ田の目に向けた。
「わりゃあ大切な恩師からもらった大切な白衣をゴミ箱に捨てたんかぁ?かばちたれとると目ぇつぶすどコラァアーーっ!」
この時も鼓膜が破れるぐらい大きな声で言う事が肝心である。
ゴリ田のようなタイプは不意打ちで、ビックリさせなければ勝てない。
ただ、どんな喧嘩の時にも禁句なのは「お前の脳はゴリラ並みだな」というような相手の人格を否定する言葉である。
あくまでも「大切な白衣のことでキレているヤバい奴」に徹しなければならない。
本当は「白衣」はどうでもいいことを相手に決して悟られてはならない。
「……捨てたんは、俺じゃない…」
ゴリ田が小さな声で言った。
(…勝った)
私はすばやくゴリ田から離れると、
「大切な白衣を捨てたんはだれじゃー?あああ?コラぁワレかぁーーっ?」
と誰でもいいので、近くにいる人間を睨んで脅す。
そんな大きな声を出していると、オーナーが飛んできた。
「まぁまぁまぁ」
そこで、「即クビ」を私に言い渡してもいいのに、なぜか仲裁しようとするオーナーだった。
「たまたまね、ウチに新しい白衣があるからね、今日はのり丸さんはそっちを使ってね。
ゴミ箱に入っている方はね、僕がね、うん、責任持ってね、クリーニングに出しておくから、うん」
ゴリ田には確かに勝った。
それ以来、誰一人、その治療院では私に気軽に話しかけてこなくなった。
それから私は一人で2階の大部屋で待機するようになった。
「…あのぅ、のり丸さん、予約が入っています…」
とドアの外でだれかがボソボソと伝達しに来ることはあっても、2階の待機室の中に入って来るものはいなかった。
本は読み放題だし、寝転がってくつろげるし、快適な空間だった。
…けれども、ゴリ田以上に腫れ物に触るような扱いを受けていた。
歩合制の場合、指名などの競争に巻き込まれることがある。
けれども、治療はそもそも人と競うものではない。
競うというのは、自分のことしか考えておらず、目の前にいる顧客を無視している状態だ。
承認欲求も同じことだ。
それに囚われているうちは腕は上達しない。
そもそも心のどこかで実力がないと自覚しているから、人からの承認を必要とするのだ。
治療とは、自分の目の前に横たわっている人に、ただ集中して取り組むことなのだ。
治療師が自分自身のコンプレックスに囚われていると、怖いことに瞬時にそれが相手に伝わってしまう。
顧客から不満が出たら、自分の施術や接客が悪かったからだ私は思う。
(相手が酔っ払いやジャンキー、重度の精神疾患の場合は除く)
目の前にいる相手の身体をつかめなかった私が100%悪いと思う。
(言い方をかえると、自分にはわかっていない未知の領域がまだたくさんあるということだ)
手が合うとか合わないとかは確かにあるのだが、自分が金を払って人の施術を受けてみたらよくわかる。
目の前にいる自分に、施術者が真剣に取り組んでいるかどうかは。
いつも、シンプルなことなのだ。
(それにしても、広島弁は汚すぎる。…そして書きながら、自分の性格の悪さも自覚している。)