佇む猫 (2) Dr.ロミと助手のアオの物語

気位の高いロシアンブルー(Dr.ロミ)と、野良出身で粗野な茶白(助手のアオ)の日常。主に擬人化日記。

変化の渦の中で 【近況報告】

2020年04月03日 | 手記・のり丸
大変ご無沙汰をしております。

ロミ氏と私は今年の1月末、尼崎市から神戸市に移りました。
3LDKからワンルームになり、部屋の広さも1/3になりました。

友人とシェアする為に3LDKを借りたのですが、シェア解消後もひとりで割高な家賃を(約2年間)払いながら暮らしていました。
(引越しが面倒くさかったからです)

3LDKで広がっていた荷物をワンルームに合わせて減らしていくのは、(片付けられない私にとって)想像以上に大変な作業でした。

これ以上の先延ばしはやめよう、コスパの悪い生活を変えよう…と、重い腰を上げ、なんとか奇跡的に引っ越すことができてホッとしているところです。

ロミ氏は移動中は鳴き叫び、動揺していましたが、意外にも新しい部屋にはあっさりと(3時間ぐらいで)馴染みました。


さて私事ですが、昨年後半ぐらいから視神経萎縮が進み、PCやスマートフォンの画面がハッキリと見えなくなりました。
生活視力はあるので、日常生活の方はほとんど支障をきたしていません。

作業の最初の頃は画面が見えているのですが、途中から目が疲労してしまい文字が見えにくくなり「もうアカンわ」状態になり…つまり目の体力のようなもの(?)がなくなったようです。

PCに音声入力読み上げソフトも入れていますが、ブラインドタッチをしながら耳だけで入力してみると、「ああああオォお、マル、マル、ピリオド、ました、ビックリマーク」などと読み上げがうるさい上に(かなり)まどろっこしく、時間がかかります。

ブログを書き始めると、1日がかりになっています。
もともと遅筆の上、書いた文章の間違いが多いので訂正に時間を取られるからです。

そんな訳で、こんなに時間がかかるのなら、いっそのことブログはやめようかなぁ、と考えたりもしました。


ブログを公開するということは、同時にそれを読む「他者」という背景を意識することだと感じています。

思うままに書き殴る「秘密の日記」ならば、わざわざ公開する必要はないのです。
ですから私は常に読み手を意識して書いています。


そしてブログは強制的なものでもなければノルマがあるものでもないし、こうしなければならない(べきである)という法則もない…やり方は全く個人の自由であり、ブログに対する捉え方も各人各様です。

もしも自分がブログに追い詰められたり、何かしらの縛りみたいなものを感じることがあるのなら、それは他者のせいではなく、明らかに自分自身の問題だと私は捉えています。

…そんな自由なブログなので、のうのうと放置していましたが、放置している間も「他者」のことを考えていました。

「他者」への言葉を考えているということは、私にはまだ書きたいことがあるのかもしれません。

結局、その間は一行も書けませんでしたが…。

これからも果たして文字がちゃんとUPできるかわからないし、ロミ氏の画像もピンボケかもしれませんが(iPhoneのカメラ機能を信じて)
ブログ存続の方向で進んで行きたいと考えています。

なお、全く使いこなせていない「足あと機能」などの設定は(現時点までは)やめています。
いいねボタンも押したか押していないかハッキリ確認できないのと、自分の中でボタンを意識していない部分があり、触らないことも多いです。

それは皆様のブログにアクセスしてないということではありません。
深く感銘を受けることもあるし、シミジミすることもあるし、癒しをいただくこともあります。

今後はそういう合図を使いこなせないことが多くなると予想していますが、ご理解していただけたら嬉しいです。


亀のように速度の遅いブログですが、これからもよろしくお願いします。

治療師か詐欺師か(9)治療院のゴリラ

2019年10月10日 | 手記・のり丸

 
小・中学校でイジメによる生徒の自殺などがあると、校長がニュースで謝罪するシーンを見ることがある。
 
父が校長だった時は幸運なことに公の前で謝罪をすることはなかった。

教員というのは我の強い人が多く、校長の指示に皆が皆、素直に従うとは限らない。

学校というのは閉鎖的な空間であるから、イジメも起こる。

民間企業からきた人が校長をすることがあるが、民間企業とは違い「教員」は上司の命令に従わないことがあるので、苦戦することも多いようだ。
民間から校長に就任した人が、うつ病になり自殺したこともあった。
 
父は正義感は強いが、権謀術数を使うところがある。
そして負けず嫌いのタイプだから、出世したのだと思う。



父と私の人間のタイプは違うが、(ああ、こういう時にこういう対応するのは父の血だ)と半分血が入っていることをヒシヒシと感じることはある。
  
 
私はイジメられた経験はない。
社会に出てから、イジメられかけたことは何度かある。
 
今回書くことは、そのことである。
 
 
私の顔は柔和で、穏やかな性格に見えるらしい。
サービス業や療術業においては、得な雰囲気だといわれる。
 
人を格下にしたいタイプからすると「こいつ怒んなそう」「チョロ」と一瞬「餌食」に見えるらしい。
 
相手が自分をなめようが、なめまいが、そんなことは私には(かなり)どうでもいい。

けれども、何かが自分に危害を加えてきたり、陰湿なものに巻き込まれそうな時はしかたなく喧嘩をする。
生き残るためである。
だから私は計算高く喧嘩をするし、勝算がない場合は喧嘩を避ける傾向がある。
 
そもそも私は喧嘩(戦闘)自体が大嫌いである。
勝っても後味が悪いからだ。
相手に対して「ざまあみろ」という気持ちにはなれないし、自分が正しいから勝ったとは微塵も思えない。
 
相手も正しくないけれど、自分も到底正しくない。
お互い平面的に切り取った一部の現象を見ているだけだ。
 
イジメが起こるのはたいてい「閉鎖空間」にいる時である。
「閉鎖空間」から移動できない集団は、スケープゴートを作ることでガス抜きをすることがある。
 
 
私が国家資格を取った後、初めて有資格者として入った治療院での話である。

そこは昭和の初めから代々受け継がれてきた伝統的な治療院で、地域で生き残っている唯一の治療院でもあった。
全盲の按摩さんも働いていた。
 
鍼灸あん摩マッサージ指圧は昭和20年に作られた法規に縛られている。
看板に料金を書けない、腰痛、肩凝りを治します、というような宣伝は書いてはならない、などである。
(インターネットでは宣伝できる。昭和20年にはインターネットがなかったから関係法規にも記載されていないからだ。)
 
逆に料金と効能をデカデカと看板にアピールしているのは、整体やリラクゼーションである。
 
それまでは資金力のある現代的なリラクゼーションで働いていた私は、昔ながらの昭和な治療院での毎日が驚きの連続だった。
 
従業員の待機室は1階と2階にあるのだが、ほぼ全員(16名ぐらい)がなぜか1階の10畳の間で待機していた。

そこでは「お茶をひく」「客が金を落とさなくなった」「チップが少なくなった」「あいつに客を取られた」などの愚痴が飛び交っていた。
そして誰かが部屋からいなくなると、いなくなった人間の悪口がはじまった。
 
その治療院は不景気だったのだ。
バブル期がピークで、その後は衰退していき、私が入った頃は時代の流れで淘汰される寸前で、まさに生命の火が消えかかっていた。
 
(どこかでみた風景だな…)
妙に、デジャブ感があった。
 
(…思い出した)
その治療院の待機室は、私が風俗ライターとして取材に行っていた風俗店の待機室の雰囲気と酷似していたのだ。
 
唯一違うところは、メンバーに20代から70代の老若男女が入り乱れているところだけだった。
 
 
私は入店3日目から、連続して指名客につくようになった。
 
「なんであいつに指名がつくんだ?店側のつけ指名ではないのか?」
「あいつ目が良いくせにマッサージの資格取ったんだぜ。見えるんなら別の仕事があろうもんに」
という私に対する悪口も時々聞こえてきた。
そんな会話も風俗っぽかった。
 
彼らにしてみれば何十年も働いているのに、新人が稼いでいるのは面白くない。
 
今考えると、私の場合はビギナーズラックというものだったのかもしれない。
当時の私は明らかに経験不足だった。
 
長くやっている人はそれなりの「場数」を踏んでいる。
その先輩の経験を飛び越えることは決してできないのに、未熟だった私はそこに敬意を払えなかった。
 
 
私が1階の控室に入ると、ゴリ田という男が「おい、ゴミが入ってきたぞ」とつぶやいた。
「ん?」と思ったが、明らかに私のことを堂々とゴミ呼わばりしていた。
 
ゴリ田は30代の半ばぐらいで、185cm110㎏ぐらいの巨漢だった。
動物として、明らかにゴリ田の方が私よりも優位な体格だった。
「手足細い」族の私は、ゴリ田の熊のような素手であっさりと殺されるだろう。
 
ゴリ田はキレやすく、「自分の指名客をだれかが取った、取らない」の喧嘩が多いタイプだった。
皆がゴリ田に気を使って持ち上げていた。
 
ゴリ田と付き合っている女も一緒に働いていた。
控室で、ゴリ田は人目もはばからず自分の膝の上に女を乗せてイチャイチャしていた。
 
ある時、ゴリ田はいつものように女を膝の上に乗せていたが、女の肩越しからいやな目つきで私を睨んできた。
そして「ゴミが…バリ目障りじゃ。部屋の空気がゴミに汚染されとーわ」と笑うような口調で言った。
 
==
「あの2人どう思う?イチャイチャして気持ち悪うない?入ったばかりの人はどう感じるん?」
ある日、コソコソと噂好きの女に耳打ちされた時、私は答えた。
「…興味ないです」
それがどういう訳かゴリ田に「のり丸があなた達のことを気持ち悪いと言っていたわよ」と伝わっていたのだ。
==
 
その後、数日間はゴリ田の視界に私が入るたびに、「目が汚れた」だとか、「あんガキきゃあ生意気なんじゃ、わやくそにしちゃる(シメる)」という、つぶやきが聞こえてきた。
 
「あいつ気に入らん」というだけで無茶苦茶をするタイプには、「話合って誤解を解いてもらおう」という接し方は逆効果である。
話し合いができるのは相手が「理知的」なタイプの時だけである。
 

ある日治療院に行ったら、私の白衣がなくなっていた。
 
ゴミ箱に捨てられているのはすぐにわかったのだが、
「すいませ~ん、クリーニング済みの白衣がなくなっているんですが、誰か知りませんか?」
と、とりあえず全員をぐるりと見まわしながら言ってみた。
 
(その時は『戦う』ことを選択した)
 
すると皆がスッと目をそらして私を見ようとはしない中、ゴリ田が言った。
「ゴミのものはゴミ箱の中にきまっ…」
 
ゴリ田が言い終わらないうちに、私はゴリ田の顔面を往復ビンタした。
そしてあぐらを組んで座っていたゴリ田の胸を蹴りあげ、仰向けに倒れたゴリ田の上に馬乗りになって側にあった棒(ホウキ)をゴリ田の目に向けた。
「わりゃあ大切な恩師からもらった大切な白衣をゴミ箱に捨てたんかぁ?かばちたれとると目ぇつぶすどコラァアーーっ!
この時も鼓膜が破れるぐらい大きな声で言う事が肝心である。
 
ゴリ田のようなタイプは不意打ちで、ビックリさせなければ勝てない。
 
ただ、どんな喧嘩の時にも禁句なのは「お前の脳はゴリラ並みだな」というような相手の人格を否定する言葉である。

あくまでも「大切な白衣のことでキレているヤバい奴」に徹しなければならない。
本当は「白衣」はどうでもいいことを相手に決して悟られてはならない。
 
……捨てたんは、俺じゃない…
ゴリ田が小さな声で言った。
(…勝った)
 
私はすばやくゴリ田から離れると、
大切な白衣を捨てたんはだれじゃー?あああ?コラぁワレかぁーーっ
と誰でもいいので、近くにいる人間を睨んで脅す。
 
そんな大きな声を出していると、オーナーが飛んできた。
「まぁまぁまぁ」
 
そこで、「即クビ」を私に言い渡してもいいのに、なぜか仲裁しようとするオーナーだった。
 
「たまたまね、ウチに新しい白衣があるからね、今日はのり丸さんはそっちを使ってね。
ゴミ箱に入っている方はね、僕がね、うん、責任持ってね、クリーニングに出しておくから、うん」

ゴリ田には確かに勝った。
 
それ以来、誰一人、その治療院では私に気軽に話しかけてこなくなった。

それから私は一人で2階の大部屋で待機するようになった。
「…あのぅ、のり丸さん、予約が入っています…」
とドアの外でだれかがボソボソと伝達しに来ることはあっても、2階の待機室の中に入って来るものはいなかった。
 
本は読み放題だし、寝転がってくつろげるし、快適な空間だった。
…けれども、ゴリ田以上に腫れ物に触るような扱いを受けていた。
 
 
歩合制の場合、指名などの競争に巻き込まれることがある。
 
けれども、治療はそもそも人と競うものではない。
競うというのは、自分のことしか考えておらず、目の前にいる顧客を無視している状態だ。

承認欲求も同じことだ。
それに囚われているうちは腕は上達しない。
そもそも心のどこかで実力がないと自覚しているから、人からの承認を必要とするのだ。

 
治療とは、自分の目の前に横たわっている人に、ただ集中して取り組むことなのだ。
 
治療師が自分自身のコンプレックスに囚われていると、怖いことに瞬時にそれが相手に伝わってしまう。
 
顧客から不満が出たら、自分の施術や接客が悪かったからだ私は思う。
(相手が酔っ払いやジャンキー、重度の精神疾患の場合は除く)

目の前にいる相手の身体をつかめなかった私が100%悪いと思う。
(言い方をかえると、自分にはわかっていない未知の領域がまだたくさんあるということだ)
 
手が合うとか合わないとかは確かにあるのだが、自分が金を払って人の施術を受けてみたらよくわかる。
 
目の前にいる自分に、施術者が真剣に取り組んでいるかどうかは。

いつも、シンプルなことなのだ。
 
 
(それにしても、広島弁は汚すぎる。…そして書きながら、自分の性格の悪さも自覚している。)
 
 
 

治療師か詐欺師か(8)川田家の犬

2019年09月26日 | 手記・のり丸
庭の生垣に沿って金木犀が植えられていた。
季節は秋で、裏口に進んで行くと甘い香りが押し寄せてきた。
四方八方に伸びた剪定されていない金木犀の枝をかき分けながら進むと、白衣の肩にオレンジ色の小さな花がパラパラとついた。
 
裏口のすぐ横に犬小屋があった。
塗装のしていない木製の犬小屋は湿気で木の一部が腐り、苔の生えた屋根は抜けていた。
犬小屋の中にはバケツやホースなどが入れてあり、犬はいないようだった。
 
「失礼いたします」
といいながら裏口を開けたが、足の踏み場がないぐらい靴が散乱していた。
靴の上に靴を乗せる訳にはいかないので、自分の靴は外に出すことにした。
 
「お邪魔します」
びっしりと敷き詰めた靴の山をまたいで薄暗い台所に入った。
 
川田愛子さん(82歳)は専業主婦だった。
夫亡き後は共働きの息子夫婦を支え、孫たち二人の世話もしてきた。
二人の孫たちも成人し、早期退職した息子さん以外の三人は働いている。
愛子さんは昨年脳出血で倒れ、右半身に麻痺が残った。
 
川田家には毎週木曜日に訪問することになった。
 
 
しばらくたってから、廊下の方から息子さんらしい男性がのそのそと歩いてきた。
 
「今日から川田さんのマッサージをさせていただくことになりました、『愛・ピンポンサービス』の、のり丸と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
と私は頭を下げた。
 
「あ、ああ…部屋はココ…」
と男性は廊下の右側を無造作に指さすと、またのそのそと奥に戻っていった。
 
 
「失礼しま……」
愛子さんの部屋に一歩入った私はひるんだ。
 
部屋は三畳ぐらいの物置のようなスペースで、そこにベットが無理やり入れられていた。
カーテンはボロボロに破れており、破れた隙間から西日が差し込んでいた。
換気はないようで、部屋中に鼻をつく異臭が漂っていた。
 
ベットの両脇には物が積み上げられており、ベットの上にも衣類や雑誌などが積み上げられていた。
愛子さんはシングルベットの半分のスペースに両足を屈曲して小さくなって寝ていた。
 
私が挨拶をしている間、愛子さんはしばらく私の顔をジッと見つめていたが、急に叫び始めた。
「右が痛い!右が痛い!ああ、もう痛い!痛いから死にたい!死にたいよーっ!」
 
愛子さんの枕カバーは真っ黒に変色していたし、シーツも染みだらけだった。
 
「今からマッサージをするので、ベットの上の物を下におろしますね」
と私は言いながら、ベットの上にあるものを全部下におろした。
 
私は愛子さんの手首をそっと握って動かしてみた。
「こうすると痛いですか?」
そんな感じで、各関節を動かしながらチェックしていった。
 
どうやら痛みの原因は関節や筋肉から来ているのではなく「脳」からの可能性が高いような気がした。
脳の体性感覚の異常伝導が痛みの原因を作っている「視床痛」というものだったら(…かなり厄介だな)と私はひそかに思った。
 
 
2回目の木曜日に訪問した時は、もう息子さんは出てこなかった。
愛子さんは以前と同じように私の顔を見ると、すぐに「右が痛い!」と訴えた。
ベットの上には再び物が積み重ねてあり、私はそれらを全部おろした。
 
「痛いことはしないですからね。手の関節をちょと触らせてください」
と言いながら手を握っていると、愛子さんがぽつりぽつりと話し始めた。
 
「今、カラスが鳴いているよ。今鳴いているのは一番変な声のカラスだよ。…カラスによって鳴き方が全部違うんだよ…」
「そうですか、初めて知りました」
 
当時の私は(まだ)カラスに興味がなく、心の中で(ふ~ん)と思っただけだった。
 
 
3回目の木曜日に訪問した時も、愛子さんは私の顔を見ると「右が痛い!」と同じように叫んだ。
「痛い!痛い!はよ死ねばいいのに!痛い!痛い!痛いよー!なかなかお迎えが来てくれないよ!」
 
私は愛子さんの手を握りながら話しかけた。
「そういえば裏に犬小屋がありましたが、犬がいるんですか?」
愛子さんは初めてにこっと笑った。
「そうだよ、黒柴がいるんだよ。ゴンというんだよ」
 
ゴンは優しい犬でね…と話し始めていると、急に思い出したように
「ひろしーっ、ひろしやーっ、ひろし、ひろし、ひろし、ひろし、ちょっと来てーっ」
と息子さんを呼び始めた。
 
その声があまりにも甲高くて、年齢と共に低くなっているはずの老女の声がおそろしく通ることに私は驚いた。
すると何かを蹴散らかしながら突進してくる足音がした。
 
「じゃかましーわ、ばばあ!叫ぶなや!」
ひろしは目をむき出して怒号した。
 
「ひろしや、どうかゴンに餌をやってくれ。ドックフードが置いてあるから、ボールいっぱいやっとくれ」
愛子さんはひろしに哀願した。
 
「うっせーばばあ!犬はもうおらんのや、ボケやがって!ボケばばあが!二度とじゃますんな!クソばばあ!」
ひろしは愛子さんの部屋に積み上げてあった衣類を力いっぱい蹴った。
そして「あーくっそ、くっそ腹立つ、クソばばあが!ばばあマジしね!マジしね!さっさとしね!」と悪罵しながら戻っていった。
 
ひろしは部屋でサバイバル系のオンラインゲームをしている最中のようだった。
 
 
4回目の木曜日に訪問した時は、台所に険しい顔をした中年の女性が立っていた。
 
その女性は私を見ると顔をしかめながら、
「…おたくは?おたくはいったい何?」
と言った。
私が挨拶をしかけたら、女性は聞きもせずに、すぐに玄関の方に行ってしまった。
 
愛子さんの部屋をのぞくと、愛子さんはベットにいなかった。
玄関の方から、「今、おばあちゃんが病院から戻られました」という大きな声が聞こえた。
 
(愛子さんは病院に行っていたのか)
 
私は反射的に玄関の方を見た。
 
玄関のドアが大きく開け放たれ、白い棺を抱えた人たちが入ってきた。
 
一瞬で私は状況を察した。
なんの連絡も受けてなかった私は、場違いな白衣でいつものように入ってきてしまったのだ。
 
すぐに裏口から出て靴を履きながら、私は頭を整理していた。
 
 
 
クンクン…一匹の痩せた犬が鼻を鳴らしながら近寄っていた。
 
「…ゴン?ゴンか?」
と名前を呼ぶと、鼻をすりよせてきた。
「ゴン、今までどこにいたんだ?」
ゴンは尻尾を振りながら全身を押し付けてきた。
 
(なんだ、ゴンはちゃんと生きているじゃないか)
 
裏口のドアの脇にはステンレスのボールが置いてあり、中にドックフードが入っていた。
ゴンはドックフードに全く口をつけていないようだった。
 
「クー、クー」
ゴンは寂しそうな声で鳴いた。
ゴンはなんともいえない目で私を見つめていた。
 
 
金木犀の枝をかき分けて道路に出ると、すぐに『愛・ピンポンサービス』に電話をした。
 
「のり丸先生、すみませーん。川田さん、一昨日、病院でお亡くなりになったそうです…えーと、ケアマネさんからの連絡が遅くて、先生にはご足労おかけしましたー。」
 
私は住宅街をもくもく歩いた。
その日に限ってたくさんのカラスが電線にとまって、にぎやかに鳴いていた。
 
カァッカァッカァッ
グァッグァッグァッ
アーッアーッアーッ
クェックェックェッ
 
 
なんだよ、本当だった。
愛子さんの言う通り、鳴き声がカラスによって全部違う。
愛子さんはいつもあの部屋で、カラスの鳴き声に耳を澄ませていたのだ。
 
バス停でバスを待っている間も私は呆然としていた。
 
(なんか、もう…)
 
私は回想していた。
 
「『視床痛』についてお聞きしたいんですが」
私は知り合いの医師に電話で相談した。
「あぁ、それ無理無理。だって『視床痛』はマッサージなんかでなんとかできるもんじゃないから。まぁ…ん〜おばあちゃんの気晴らしになってあげるようにしてたらいいんじゃない?」
医師はそう言った。
 
(…自分は、本当に無力だな)
 
バスが来たのでバスに乗った。
バスの中は愛子さんと同じ年齢ぐらいの老人だらけだった。
二人席の通路側が開いていたので、私は座った。
 
私は目を閉じていた。
(バッカヤロー、バッカヤロー、ちくしょーっ、ちくしょーっ)
目を閉じたまま、自分のやっている仕事にひたすらむなしさを感じていた。
 
隣の席に座っている老人がふいに私の両手をギュッと握ってきた。
私が落ち込んでいるように見えたのだろうか。
それにしても、なぜ他人がこんなに私の手を握っているのだろうか?
手はポカポカと温かかった。
 
私は目を開けた。
しかし、だれも私の手を握っていなかった。
 
隣の老人は本を読んでいるし、私の手は自分の膝の上に置かれたままだった。
 
(気のせい…)
 
けれども手はまだしっかりと握られている感触を感じていた。
やがて手のひらがぼうっと明るく輝き、かすかに感触を残したまま、スーッと光が抜けていった。
 
 
 
 
 
 
 

治療師か詐欺師か(7)そして川田家へ

2019年09月20日 | 手記・のり丸
 
 
 【怒ったけん、PCから動かんど!】
 
 
【…はぁ。怒り疲れたの】
 
 
もともとエネルギーが溜まりにくい私は、自分のエネルギーが減る方に向かっては行動しない。
だから一緒にいると疲れるような人とは友人にもならない。
 
友人の社会的なステータスなどはどうでもいいし、「自分の為に何かしてくれる、してくれない」なども関係ない。
また友人の性格が良くても悪くても、ネガティブであろうがポジティブであろうがどちらでもいい。
 
一番重要なことは「一緒にいる時にお互い疲れない」ことだと思っている。
 
一緒にいて私のエネルギーが減らないこと(相手のエネルギーも減らないこと)が、私にとっての基準である。
(…ずいぶん勝手な話だが。)
 
 
 
エネルギーのチャージの方法は人それぞれである。
スポーツをしたり、人と大騒ぎすることでチャージする人もいるだろう。
 
私の場合はひとりでボーっとしていることで、エネルギーが溜まっていくタイプである。
 
思うに、自分のエネルギーが減る…というのは相手のせいではなく「場と組み合わせ」の問題なのだ。
 
分かりやすい例えが思い浮かばないが、例えば自分が巨人ファンだと仮定する。
 
ある事情で、東京ドーム(阪神戦)で外野ビジターチーム応援席に座ることになったとする。
周囲には阪神ファンばかりいる。
(逆もしかり。阪神ファンなのに、レフト側巨人応援席に座っている場合)
 
そういう時、自分がファンのチームに点が入っても大っぴらに喜べないものである。
たとえ観戦という「好きなこと」をしていても、妙な疲れ方をするのだ。
場の「気」との組み合わせが悪くて「合わない」のだ。
 
 
プライベートでは「疲れる」ものから遠ざかっている私だが、仕事では「疲れている」ものに向かっている。
自分が接していて「疲れる人」という意味ではなく、相手が「疲れている人」なのである。
常に日常的に「エネルギーが枯渇しかかっている人」に接しているということだ。
 
私は目が悪くなってから、主治医から東洋医学の道に進むように強く勧められていた。
 
情報系の国家資格を持っていても、その世界から何年も離れていると、あっという間に化石になってしまう。
資格名が変わることもあるし、何よりも猛スピードで変化している世界だからだ。
情報系から遠ざかったら二度とその世界には「戻れない」気がしていた。
けれどもディスプレイの光をずっと見つめていることに困難を感じていた。
 
そして、とうとう鍼灸あん摩マッサージ指圧の学校に3年間行く決心をした。
もちろん、リラクゼーションや整体などで働きながらである。
 
私が勉強している間に「下垂体腺腫」の仲間たちは次々と死んでいった。
飼っていた猫も死んだ。
 
人は病気を抱えているから早く死ぬとは限らないのだ。
病気とは生きている人間が生きる為にするものである。
病気でも人は寿命まで死ねない。
 
ヒマがあれば学校の図書館で借りた東洋医学の本を読みふけった。
その時の私の心境は『朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり』である。
 
この道に答えはあるのか?…まぁ答えなど見つからないから、目の前のことに取り組むしかないのだが。
 
 
私は鍼・灸・あん摩マッサージ指圧師(通称、あはき、という)の国家資格を取得した。
 
国家資格の中では比較的難易度の低い方だが、それでも解剖・生理・病理・リハビリ医学・東洋医学・関係法規…覚えることはたくさんある。
(死体の解剖という「実習」もあった)
今でも最後の力を振り絞って必死で取った資格という感が拭えない。
 
 
資格取得後は、病院(整形外科・精神科)、治療院、接骨院、デイサービス、ホスピス(ターミナルケア)などで働いた。
 
つまり私が以前書いていた「ブラック企業」というのは、ブラック企業化した病院、或いはブラック化したチェーン展開企業型接骨院のことである。
(そんなのがゴロゴロあるみたいなので、そろそろ書くことにした。)
 
 
私がゴリラのいる治療院で働いていた頃のことだ。
(ゴリラの話は後日書く予定)
今から、約10年前の話である。
 
『愛・ピンポンサービス(仮名)』という訪問マッサージ会社の営業が治療院に訪ねてきた。
 
訪問マッサージとは、病気などで身体介護が必要な人が(医師の同意書があれば)健康保険の自己負担割合のみで利用できるサービスである。
 
「どうか、先生方(※1)、空いているお時間を利用して(業務委託で)お仕事をされてみませんか」
 
営業の小林さんは、どこまでも食らいついてくるタイプだった。
門前払いの場数は山のように踏んでいるようで、すごく押しが強かった。
(アクが強くマイペースな人間の多い)この業界の「先生」方を確保することも、小林さんの重要な業務の一つのようである。
 
当時、治療院の誰もが乗り気ではなかった。
 
「やってみたいです。治療院との兼業になるので多くの方を担当することはできませんが」
私だけがそう言った。
 
「いや~、先生!是非ともお願いします。ちょうどお一人待っている方がいるんですよ。
無料体験なしで、すぐにでもお願いしたいとおっしゃっているんで…」
小林さんは、10回ぐらい「先生」を連発した。
 
(※1)「先生」とは呼ばれることもあるが、本当に「先生」だと思って使っている人はほぼいない。
 
 
その時の私は「訪問マッサージ」の経験が全くなかったので、やってみたかったのだ。
 
訪問場所は、個人宅だったり、施設だったりする。
顧客は資産家から生活保護まで様々である。
顧客の確保や、医師の同意書や、保険の手続きや、その他の面倒な「計算」は、「愛・ピンポンサービス」がやってくれる。
(ただし、手数料として施術収入から4割取られる)
 
「愛・ピンポンサービス」から初めて紹介された人が川田愛子(仮名)さんだった。
 
「息子さんが早期退職されて、ずっと介護されているみたいですよ。
裏庭側のドアのカギはいつも開けているので、そこから入ってくださいとのことです。
ヘルパーさんや、ケアマネさんも、いつもそこから入っているんで」
 
門を開く暗証番号を教えるから勝手に入ってください、という家もあれば、インターフォンを鳴らしてもなかなか開けてくれない家もある。
 
川田さんの家は裏口開けっ放しタイプだった。
 
 
 
 
 

治療師か詐欺師か(6)エロスか愛か、二択

2019年09月14日 | 手記・のり丸

ノエルさんとラッキーさんは、雰囲気が対照的だった。

私は2回手術をしたが、左右の内頚動脈という血管に巻き付いている腫瘍は取り残しになった。
その部分にはガンマーナイフという放射線をかけた。
そのことにより「下垂体前葉機能低下症」になった。
 
ノエルさんとラッキーさんの病状は、あるところまでは私とそっくりだった。
私は自分の病気に対する情報収集をしたくて、ネットでふたりに接触した。
 

愛妻家。病気がわかってから、(男性不妊治療を開始し)子供を作ろうとする。

 

病気がわかってから、すぐに恋人と入籍する。妻に財産を残す方法を考えまくる。

 

ついでに私。付き合っているパリピがいたが、病気がわかってから、速攻で振られる。(瞬殺)

 

下垂体前葉機能低下症により主に分泌ができなくなるもの。(一部~全部)

・副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)

・甲状腺刺激ホルモン(TSH)

・成長ホルモン(GH)

・性ホルモン(LH、FSH)

3人とも大部分のホルモンが機能不全になった。

私は「性ホルモン」の補充はしなかったが、不妊治療のために補充を受けていたノエルさんの精神状態は悪かった。
 
人間から「性ホルモン」がシャットアウトされると何が起こるか?
エロスの部分がなくなるのだ。(…私の場合だが)
 
「一目惚れ」というのはエロスだと(科学的に)解明されているそうだ。
その動物的なエロスがそぎ落とされた場合、愛だと思っていた感情は残るのだろうか。
 
つまり自分が愛だと思っていたものは、ただの「動物としての好き」だったのか?
そこが試されるのだ。(…私の場合)
 
 
結果、私は「仙人」になり、全く恋愛に興味がなくなった。(100%エロスだったようだ)
「性ホルモン」が出なくなってから、ずっと無味乾燥な世界が広がっている。(ドキドキがなくなる)
動物としての「好み」が消えて、人間として「好きか、嫌いか」で人と付き合うようになった。(はずである)

当時のメールは残っていないし、正確に記憶している訳ではないのだが、以下のような雰囲気だった。(誇張もあり)

 

ノエル
『視力低下のせいで妻とギクシャクしている。
アイコンタクトが出来なくなったからかな?
寒い、寒い、体温が35度までしか上がらない。
T4(甲状腺)が異常に低いのに主治医はその数値で良しとしている。
この病気、クソだぜ!!!』
 
 
ラッキー
『良性腫瘍という事で、ちゃっちゃと手術して、釣りにでもいこうと思っていたら~~
なんと!まさかの悪性診断!
ワーイゞ( ̄∇ ̄;) ワーイ 宝くじ並みの確率でした~~
んで、化学治療開始の前に悪あがきで難病治療の「玉川温泉」行ってみた~
強力酸性泉で肌がイタイイタイ~~』
 
 
のり丸
『セカンドオピニオンで、東京の虎の門病院に今月の18日に行くことになりました。
他に病院情報をご存知でしたら、教えていただけないでしょうか?
T4の数値は具体的に現在どのぐらいですか?
できれば、ACTHの数値も教えていただけたら、と思います。』
 
 
虎の門病院で診察待ちの時に「ノエル」に声を掛けられる。
 
「のり丸…さん、ですよね?」
 (えぇ?誰?見たことのない人だが?)
 
「ノエルです(笑)、すぐピンときたわ、のり丸さんかなぁって。メールの雰囲気からブレないわ」
 (直観?メールの雰囲気って?…普通、あり得ないだろう。)
 
「いや、だって今日受診するってメールに書いていたし、覗いたらいるかな、と思って。
あ、俺は『ラッキー』の見舞いに来たんですよ。ラッキーはここに入院しているんです」
 
そんな感じの出会いだったけど、ふたりとも現実では(私より)はるかに状態が悪かった。
私は「悪性」にならなかったが、ふたりの腫瘍は「悪性」になっており深刻な状態だった。
 
 
ふたりは本当に働けない状態だった。
私は現実を受け入れる覚悟がなく、ただ自分に「言い訳」をしているだけだった。
だるいだるい、と愚痴をいいながらも、私は働ける。
だから、私にはまだ「することがある」かもしれないと思ったのだ。
 
 
私はまた挑戦することにした。
 
 

 


治療師か詐欺師か(5)新しい波が来る

2019年09月12日 | 手記・のり丸
日テレに苦情が殺到している。
「あなたの番です」の最終話に対する苦情である。
 
私は最終回にそれほど期待をしていなかった。
ただ、最後は変化球(せめてナックル)ぐらいは投げてくれてもよかったのになぁ、とは思ったが…。
 
上からのコンプライアンスがうるさいテレビ界は(たとえ製作者側が良いものを作りたくても)、結果「つまらないもの」になることが多いようだ。
19話までに期待が膨らんでいた視聴者にとって、20話の「出来栄え」は納得できるものではなかったのだろう。
 
今回のことで、テレビから5Gに移行していく予感はますます強まった。
 
 
(ラジオ→テレビ→5Gへと。)

【『ラジオ・スターの悲劇』を歌う「バグルス」のトレヴァー・ホーン】

ニュー・ウェーブの先駆けらしいが、不思議な雰囲気で新鮮。歌詞は、テレビの出現により仕事がなくなったラジオスターの話。

 

【現在のトレヴァー・ホーン、70歳】

プロデューサーに転向してから大成功したらしい。

静的な歌い方から、動的な歌い方に変化している。衰えない音楽への熱意を感じる。

 

 
勤労学生だった頃は、アルバイトをやりまくっていた。
鳥肉を焼いたり、シェーカーを振ったり…大抵の人がそうだが、私も自分の労働力を「対価」に変えてきた。
すべての仕事が勉強になった。
 
ただ、私という人間は怠惰なので、「時給」や「固定給」で働くと「退屈する」ことに気付いた。
退屈のあまり、人にわからないように仕事のショートカットをするようになる。
(要領よく手を抜く)
 
心の方はだんだんと腐敗しているのに、雇い主には褒められて「ずっといてくれ」と重宝されることもある。
 
そのままでいいのではないか、仕事があるのに贅沢な悩み、という意見もあるが、内部に生まれた「何か」に自分自身が耐えられなくなっていくのだ。
 
自分を果物に例えると、中に一匹の虫が入り込み、その虫が増えていくという感覚である。
つまり早いうちに虫が入った部分を切り取れば、果実全体が腐らずに済むのだ。
 
それで私は、なるべく歩合制のアルバイトをするようになった。
出来高だから当然だが、収入が少ないと「食費がなくなる」という新たな発見もあった。
 
 
ヒルティの「幸福論」に
『ひとを幸福にするのは仕事の種類だけではなく、創造と成功のよろこびである。
この世の最大の不幸は、仕事を持たず、したがって一生の終わりにその成果を見ることのない生活である。』
という文章がある。
 
ヒルティのいた時代は19世紀だが、21世紀で暮らす人にも「自分がしたことの成果を確認したい」という欲求はあると思う。
 
きっと人は自分が手掛けたことが発展していき、「次はもっと良くなる」「次は何ができるだろう」と思うことで、何かをやり続けられるのである。
 
逆に、全く成果が見えず、やればやるほど精神と肉体が疲労し、いつでも自分の代替えが効き、かつ賃金の低い仕事はモチベーションが上がらないのだ。
 
 
そして金とは「手段」であると思う。
金があれば速やかに動けることでも、金がないことで身動きが取れないことがある。
交通費すら捻出できなかったら、「手段」が少なくなり、できることの範囲は非常に狭まる。
 
 
 
 
 
 
私は情報系の勉強をして、主にCGの作成をしていた。
おそらく私に合っていたと思う。
 
何十時間作業しても集中力は途切れなかったし、飽きることがなかったからだ。
そして、時代の波に乗っている感覚もあった。
 
「いけるぞ!」という手ごたえがあった。
 
 
そんなある日のことである。
PCの画面がおかしくなった。
虫食い状に色が抜けて中央部分だけに色が見える。
 
作業を中断して、外に出ると外の風景もおかしい。
 
 
こういう風景が、
 
 
こんな感じに見える。
 
 
夜になると、
 
この風景が、
 
 
こんな感じに見えて、ますます見えにくくなる。
 
夜盲というような状態に似ている。
この見え方だと、車やバイクの運転していたら、サイドから飛び出してきたものに、すぐ気付けない。
  
 
結局、「下垂体腺腫」という脳腫瘍が発見されたのだ。
「みつかってもうた」と巨大に成長した腫瘍がMRIにくっきりと映し出されていた。
 
視神経の真下に腫瘍ができると、両耳側から視野狭窄が起こる。
しかし「教科書通り」の両耳側半盲ではなく、私の場合は最初は虫食い状態であった。
視界の一部はカラーだが、モノクロに見える部分もある(現在でもそうである)。
 
(以来、「光の感じ方が少しでもおかしかったら、すぐ病院へ行け」と人に忠告するようになった。)
 
 
その後私はネットでみつけた「下垂体友の会」で知り合った、(HN)ノエルさんと(HN)ラッキーさんとメールのやり取りをすることになる。
 
その上、偶然?にも東京の「虎の門病院」でリアルにふたりと出会ってしまったのだ。
 
 

治療師か詐欺師か(4)有害な人格(反社会的人格障害)

2019年09月08日 | 手記・のり丸
私のストレス解消方法はSF小説やミステリー小説を読むことである。
束の間、日常生活とは離れた世界に自分を置けるからだ。
 
ミステリーの場合、大抵「なぜ、そんなことで殺人を?」と犯人の動機に対して思うことが多い。
しかしミステリーで重要なのは「謎解き」の部分である。
私は紙に図を描きながらコツコツと謎解きをしたいので、できればノックスの十戒を破っていないものを読みたいと思う。
 
さて、huluでも公開されている「あなたの番です」の考察を重ねてきた私だが、そのドラマもあと1回で終わってしまう。
現代では(良くも悪くも)短時間のうちに「数多くの意見」を聞くことができる。
単に好き嫌いで推理している人、製作者側の意図から考える人、ディティールを見逃さない人(ミスリードを検証する人)、心理学的観点から推測していく人、過去の(実際にあった)犯罪の事例と重ね合わせて分析する人、現実の撮影場所に行ってみた人…それぞれである。
 
YouTubeを通していろいろな意見を交わしているうちに、「え?そのシーンってそうだったっけ?…確か自分の記憶では」と映像を何度か見返したこともあった。
正確に映像を記憶していたつもりだったが、自分のバイアスが掛かった記憶だったこともある。
今回はその事実に気付けてよかったと思う。
 
「あなたの番です」にも出てくるが、「AI」にはバイアスが掛からない。
その点において、AIは論理的考察には優れているのである。
 
これからの時代はAIとIoTが融合した時代になるといわれている。
 
 大昔の人は本を手書きで写して残してきた…そのように昔に遡るほど情報の伝達に手間がかかっていた。
人類が「調べもの」に費やしてきた時間が大幅に短縮されていき、「瞬時にして情報が入手できる」時代になっていくだろう。
(市役所に行くと、わざわざ紙に書いて印鑑を押すという旧式な手順はそのままだし、職員もダラダラ動いているように見える。
全部のシステムが融合するまで時間はかかりそうだが、AIが活躍する未来では市役所の職員が減っていくことは想像できる。)
 
人間は創造的な生き物であるから、ずっと先の未来では創造に費やす(本来の姿で創造に取り組める)時間が増えていくだろう。
 
私は本来すべての人間が「創造的」であると思う。
ひとり一人の人生が一つの作品であり、存在が芸術である、という捉え方があってもいいのではないだろうか。
人間がAIと違うのはその部分である。
 
世の中には「創造力」が突出しているように見える人がいるが、人間それぞれの「創造性」を比較することは無意味だと思っている。
定義などないし、感性は自由であるのだから。
 
 
癌とアルツハイマーを例にあげる。
細胞にはアポトーシス(プログラムされた細胞死)というものが組み込まれていて、役割を終えると自死するようになっている。
自死しなかった細胞が異常な姿になってどんどん増えていくのが癌、自滅的になった細胞がどんどん自死していくのがアルツハイマーである。(簡単にしすぎてしまったが)
 
癌の患者はアルツハイマーを発症するリスクが低いと発表している研究者もいる。
これは確定されている訳ではないが、逆相関があるのかもしれない。
癌細胞の研究をしていくうちに、アルツハイマーを防止するものが発見される可能性もある。
 
何がいいたいかというと、時代の流れの中ですべての出来事、すべての創造性が関連し合っているということである。
 
昔では考えられなかったドラマの鑑賞方法もそうである。
リアルタイムで数多くの人の考察を聞きながら、自分も推理に参加する、ということは「新しい形」である。
多くの意見に惑わされるのではなく、多くの人と共に考える、ということが未来型なのである。
 
未来では、他者と自分の比較、他者からの承認欲求、他者よりも自分がすぐれている部分を見せたい…そういう欲求が人間から徐々に消えていくような気がする。
個々がそれぞれ創造的なことをして、人との出会いで化学反応を起こしながら発展していく…ふとそんな感覚を覚えたのだ。
(私の希望かもしれないが…)
 
 
 
 
私は平和な時代に生まれ、両親は真面目な性格だった。
幼少期に日々の食べ物に困ることはなかった。
 
ある日私は父に言った。
「いつもなぜ疑うの?自分の子供なのに信じられないの?」
 
父はこう答えた。
「それはできないんだ。おまえを信じられない。親というのは子供がかわいくて仕方がない。不安で子供を信じられないんだ」
 
両親の気持ちは今ではわかる。
子供のうちは両親が自分自身のことより「家族を守る」ということを考えて行動していることがわからない。
 
 
小学生の頃、私は毎晩のように父に殴られながら勉強させられていた。
 
父は典型的な捻じれ体癖で(野口晴哉体癖」による)、手がすぐ出るタイプである。
いう通りに勉強しないと、椅子は蹴り倒されるし、ノートは鼻血まみれになるし…で、私は父の帰宅がいやでしかたがなかったのだ。
 
母は事実の追求をしないタイプだった。
例えば子供が何も悪い事をしていなくても、相手が「お宅のお子さんがこんなことをして…」と言うと、すぐ鵜呑みにして「申し訳ありません、ウチの子がすみません」というタイプだ。
私が事実についての説明を論理的に始めると、「やめて、わたしを責めないで!」と耳を塞ぐだけである。
父の暴力に対しても「お父さんの言うとおりに勉強して」と、念仏のように繰り返すだけだった。
 
親には親のエゴがあるが、子供にも子供のエゴがある。
 
「あなたの番です」にも出てくるが、世の中にある殺人事件の9割は身近な人(身内、知人)の間で起こっているそうだ。
家族の組み合わせによっては、激しく争うことがある。
 
話し合いができない時、攻撃をしかけるか、黙って耐えるか…私の場合は逃げることばかり考えていた。
 
(どうすればこの環境から逃げられるだろう…。)
虎視眈々と「逃げる作戦」ばかり立てていたのだ。
 
私は両親から「有害な人格(反社会的人格障害)」だと言われていた。
「私たち善人から、どうしてこんな悪人が…」とハッキリ言われていた。
平然と嘘をつき、頻繁に泥棒し、葬式などの場で笑うような「人の心を思いやれない人間」…そう言われていた。
 
けれども、私は家庭内暴力をしたり、搾取したり、殺人を犯したり、そういう方向には進まなかった。
昔から人と争うことが嫌いだったし、人を利用する気もなかった。
(人に期待してないだけではなく、人とできるだけ関わりたくなかったのだ。)
 
 
 
 
15歳の時に最初の家出をした。
1回目の家出は失敗したが、またすぐ家出をした。
そして、直面対決を経て自活して暮らすことになった。
 
 
 私は(故)堀文子さんという画家をとても尊敬しているが、堀さんのように生きることがどれだけ難しいか、今でも身に染みて感じている。
 
『完全に自由であることは不可能ですけれど、私は自由であることに命を懸けようと思ったことは確かです。
自由というのは、人の法則に頼らず、しかしワガママ勝手に生きることでもなく、自分の欲望を犠牲にしないと、本当の自由はやってきません。
ですから、命と取り換えっこぐらいに大変なことなのです。』
堀文子「ひとりで生きる」より
 
 
だらだら、伏線?を書いてしまったが、次回から仕事の話に移ろうと思う。
 

治療師か詐欺師か(3)職業選択の自由

2019年09月02日 | 手記・のり丸

出典:USA TODAY

 

 

【ロシアの動物園にいるヤマネコの元に毎日通う三毛猫】

出典:LoveMeow 

 

妹は口癖のように私に言っていた。
「あんたは『美容師』になるか、『ファッション業界』に進んだらいいと思う」
 
私は美容師になりたいと思ったこともないし、ファッション業界に進むことを考えたことはない。
ただ、妹が私にそう言ったのには理由がある。
 
 
私の両親はファッションセンスがゼロだった。
 
中学生時代、私は家で陸上部のユニホームを着て過ごしていたが、妹は母のお古の洋服を着ていた。
「私服」という無駄なものに対してお金を掛ける必要がないと考えていた両親なので、「子供の洋服を買う」ということも無駄だと考えていたからだ。
 
その上、母は妹がオシャレをしてモテることを警戒していた。
若い頃の自分と同じような過ちを犯さないように、と考えていたのかもしれない。
 
 
私は生まれつき癖毛で、子供の頃はどういう訳か額とサイドの一部の毛が金髪だった。
(成長するにつれ、ブラウンに変化していったが)
 
よく教師に「パーマとメッシュだろ」と言われたものだった。
そう言われることには慣れていたが、印象的だったのはその時の教師の目つきだった。
憎悪のようなものが浮かんだ目は血走っており、声の中に怒りがあった。
 (仮に、故意的にパーマをかけてメッシュを入れていたとしても)
真剣に怒る部分はそこ?なんかズレてない?という感覚が拭いきれなかった。
 
私が卑怯な手を使って人を陥れたり、人を傷つけたのなら、そういう顔で教師が怒るのもわかるのだが…。
ウェーブとメッシュに対する過剰な反応…まるで私が犯罪を犯したかのように接してくるのはなぜだろう。
本当になぜだろう?…そのことが不思議でならなかったのだ。
 
父も同じタイプの教師だった。
 
そしてファッションに関する話題を嫌悪していた。
ファッション(特に流行のファッション)を自意識過剰や虚栄心と結びつけては「精神の堕落」につながると断定して切り捨てていた。
 
 
【現在の父の出身校のHPより】
 
ちなみに父が卒業した高等学校は「父の先輩たち」が、校則と戦って「私服」を勝ち取った学校だ。
制服に抗議する為に校舎から飛び降りた人がいたらしい…(又聞きなので真相はわからない)。
 
 
私の学生時代は、女子だけではなく男子の一部までもがメイクをしていた。
 
(いつの時代もそうかもしれないが)
どういう姿形がみんなから好まれるのか、自分をどういう風に装えば良く見てもらえるか、大抵の学生がそんなことばかり考えていた。
思春期の人間にとってファッションは「最重要項目」に含まれていたかもしれない。
(…かもしれない、というのは私にとっては「最重要」ではなかったからだ。)
 
ダサいと言われるだけで致命的な時代に、ファッションを憎む両親の元で過ごした妹の精神的ダメージは計り知れない。
 
 
 
 
BLT【幼少時に一緒に育ったライオンと熊とトラ】
 
 
動物は毛皮を着ている。
持って生まれた毛皮のまま、一生を送る。
 
猛獣といわれるこの三種類も、幼少時の環境によって奇跡的に仲良しになった。
 
 
人間は裸で生きられない。
服や髪型を変えることによって、別人のように見せることもできる。
幼少時の環境の影響は大きいが、後に乗り越える人もいる。
大人になってからも新たに「育った環境の違う人」と仲良くなることもできる。 
 
もし今、全世界の人間の着衣が一瞬にして消えたら、裸族以外の人間は困るだろう。
その瞬間に、人間は裸で堂々と歩けるだろうか。
 …ということは、衣類は人間にとって「もう一枚の皮」のようなものである。
知性の歴史で作られた第二の皮である。
 
どんな「皮」をまとっているか、ということがその人自身を表しているからこそ、「規制」が入ると少なからず不自由さを感じるのだ。
 
どんな「皮」を着るのも自由だと本心では思っているが、社会的な生き物なのでそうもいかない。
「皮」を利用して自分を魅力的に見せることが人間社会でどれだけ有利になるかわかっているが、それとは別に自己表現や美学もある。
 
何よりも、強制的に着る「皮」を押し付けられるのは「何かが違う」と思う…それが人間だ。
 
 
 
【この毛皮で一生過ごす】
 
 
ある日友達と街に行くことが許された妹は、私服がダサいことを悩んでいた。
 
初挑戦だが、私は母の古いワンピースを思い切ってリメイクすることにした。
もちろん私の最初のリメイクはひどかった。
 
それを契機に私は独学で洋服をリフォームするようになった。
父の古いスーツを解体して、ツギハギだらけのジャケットを作ろうとしたこともあった(失敗した)。
 
妹の部屋のクローゼットの天板は電気の配線工事の為に押し上げると開くようになっている。
私たちは天板を開けて屋根裏にたくさんの本を隠した。
両親に禁止されていたマンガと雑誌である。
雑誌のほとんどは、人からもらったメンズとレディースのヘアカタログとファッション誌である。
どの雑誌にも付箋がたくさん貼り付けてあり、書き込みだらけであった。
 
妹の洋服をスタイリングしていた私は、ある事に気が付いた。
「…まだかなりダサい、何かが足りない」
私は妹のシルエットを見ながら考えた。
「髪型だ…」
  
試行錯誤しながら、結局私は妹の髪でコーンロウに挑戦してみた。
「え?編み込みをしてくれているの?」
と妹は驚いた。
 
そんな出来事があったので、妹は私が美容やファッション業界に行けばいいと考えたのかもしれない。
 
 
つまり親が「禁止」したものに子供は興味を持ちやすい。
そして親が激しく「強制」したことからは外れやすい。
 
子供を医学部に入れようとして、子供が反抗しておかしくなることがあるという話を聞くことがある。
医者ではなくても、音楽家や野球選手にしようとすることでもいい。
子供が真摯に取り組み、親がひいたレールをしっかりと進んで行くこともある。
 
ただ親が子供を科学者にしようとしても、元素記号が一つも頭に入らない子供の場合は明らかに向いてないのだ。
 
単に怠けているだけということもあるけれど、「できない事」というのは「進むのはその道ではない」という重要なシグナルのこともある。
 
視野が狭く選択肢が少ない環境にいると、差し出された複数の手の中で、間違った手をつかみやすいのだ。
 
道を進んでいるとその先は崖で、深い谷底が見える。
「進め」という言葉に従うと落ちるしかないし、引き返して別の道を進むのは意志力がいる。
 
だけど、だれにでも引き返す権利はある。
 

治療師か詐欺師か(2)それぞれのバイアス

2019年08月23日 | 手記・のり丸
 
「川田さんの犬」の話をすぐに書きたいが、今「川田さんの犬」の話を書いても、(背景がわからなすぎて)読んだ人の混乱を招くだろう。
私がどんな視点(立ち位置)から見ているのか、ということを明らかにしていないからである。
(3~6回遠回りした後で、自分の立ち位置を明らかにして、ちゃんと書くことができれば、と思うが…)
 
 
私の場合、文を書く時に「男」感性、「女」感性のバイアスが掛からない方が自分らしく書きやすい。
だから主に「私」を使って書いている。
 
私は性別に違和感を持って育ってきたわけではないし、ジェンダーレスを強く望んでいる人間でもない。
ただ自分の内部にはどちらの感性も存在しているし、それらが融合されたものもあると感じている。
自分だけではなく、人間はだれしもそうかもしれないと考えている。
(猫のロミも「ウチ」じゃなくて、本当は「おいら」「あちき」「小生」などと言っているかもしれないが…)
 
世界には約37億の男と、約37億の女がおり、同じ人間はひとりもいない。
私は性差より個人差の方が大きいと考えている。
むろん男女の違いを大切に考えている人の価値観を否定する気はない。
 
《もし、だれかが「あなた」をバカにしたり蔑視したとしても、あなた自身は「あなた」をバカにしたり蔑視してはならない。
「あなた」は、世界にたったひとりしかいないユニークな存在なのだから。》
私はひとりひとりの人間にそう伝えたいと思っている。
 
  
「人生は帳尻が合うようにできている」という言葉を聞くことがある。
 
だが、だれかがある人の人生に対して「人生の帳尻が合っている」と判断するのは間違いだ。
決して「その人の人生を経験することができない」他者が、その人の人生に対してジャッジメントすることは、単なる未熟さの表れであると私は思う。
 (補足すると、どんな人間も他者から自分の人生をジャッジメントされたくないのである。)
 
人間関係はお互いの誤解の上に成り立っている。
認知バイアス、ジェンダーバイアス…それぞれが自分のバイアスを通して他者を認識しているのだ。
 
そして人間同士は「出会う」ことによって化学反応をおこし、更に「変化」していくのである。
20年前の「あの人」と今の「あの人」は別人であり、「こんな人だと思わなかった」とかっがりしたとしても、もはや別人だからしかたがない。
 
東洋医学ではこう捉えている。
「変化」とは、事物がその質を変えずに発展することを「変」、質の異なる新しい事物に生まれ変わることを「化」としている。
 
「陰」が極まると「陽」に転化する。
ずっと陰ではなく、ずっと陽でもない。
物は極まれば「反す」のだ。
そして新しい事物が生成されるときは、消滅する要素を内包しているのだ。
 
そう、私はずっと陽へ陽へ極まっていき、ある日突然、陰にひっくり返った。
そして川田さんに出会った。
それらすべてが想像もしていなかったことだ。
 
 
 
(今日のロミ)
 
 

治療師か詐欺師か(1)犬の目

2019年08月21日 | 手記・のり丸
変な夢を見た。
 
留守番を頼まれて実家にいた。
私は何もせずに家の中で怠惰に過ごしている。
なぜか応接間が気になっているが、ドアを開けて中を確認することすら面倒だった。
 
実家に滞在して3日経過した頃、私はやっと応接間のドアを開けた。
応接間には庭に面したガラス戸がある。
そのガラス戸の向こうで何かがチラチラと動いている。
私はガラス戸に近づいて庭を覗いた。
 
すると茶色の犬がしっぽを振りながら私に近寄ってきた。
「クマ!」
とっくの昔に死んだはずの犬である。
「犬がいるなんて聞いてないよ…」
 
庭の物置の上にドックフードの袋が置いてあり、袋には紙が貼ってあった。
[朝夕、2回餌を与えてください]
紙にはそう書いてあった。
私の背中にサーっと冷たい汗が流れた。
「クマごめん、本当にごめん」
私は慌てて器にドックフードを入れて、犬に与えた。
 
しかし犬はドックフードに口をつけず、ジッと私をみつめていた。
 
その目は無機質で、感情のようなものは全く伝わってこない。
犬の目にがっしり捉えられたまま、私は身動きができなくなった。
 
(この犬…もしかしてクマじゃなくて、川田さんの家のゴンでは?)
ふと気づいた。
すると犬の目が黒色から緑色に変わっていった。
目が2つの緑色の光になっても、私は捉えられたままだった。
 
目覚めた後、しばらく私は天井を見つめて呆けていた。
(あの犬の目はいったい何なんだ…)
 
 
 【イメージ】
 
 
 
私の両親は教育者だった。
母の方は私が小学3年の時に仕事を辞めて、その後は専業主婦になった。
父と母は若く(学生結婚のようなもの)、はじめての子育てに戸惑っていた。
 
小学2年の時、父が私に言った。
「おい。おまえは近所で『嘘つき』だと言われているそうじゃないか?」
「嘘はついていない」
と、私が力を込めて答えると、父は激怒した。
 
「嘘を言ったじゃないか。前世で戦争に行ったとかヒロト君に言っただろう。おまえはインチキ霊能者か!」
ちょっとあなた、あなた声が大きいですよ、と言いながら母が飛んできた。
「ご近所に聞こえたらどんな噂を立てられるか…しーっ、しーっ(声を小さく)」
 
母が介入してきたことによって、父の声はますます大きくなった。
「どこの部隊や?戦争でどこの島に行ったんや?台湾か?ガダルカナルか?当時の自分の名前は?」
「前世の記憶の中に言語などの『左脳記憶』は残らないんだよ。使いまわしはできないんだ」
私がそう答えると、父は興味をかきたてられたように「ほう、そうか」と言いながら、スーハースーハーと何度か深呼吸をした。
一発殴りたいのを理性で押さえているようだった。
 
「…お父さんが言いたいのはな、証拠がないことを人に言うな、ということだ。だいたい証拠がないものを誰が信じるんだ?」
父は悲しそうな目をしていた。
 
「あなた、のり丸は『オウムかインコ』のような記憶力なのよ。言葉の意味は理解していないの。耳で記憶した言葉を意味もわからずに使っているのよ、怒ったらだめよ」
と母が言うと、父は眉間にしわを寄せた。
 
「そういうことじゃあないんだ、おまえはすぐ『トンチンカン』な方向に話をもっていくな。
すでに、のり丸は嘘つきなんだよ。
突拍子もない嘘はつく、勉強は怠ける、楽な方へ楽な方へと流れていく。
このままだと将来どんな人間になるんだ、今のうちに性根を叩きなおさないといけない。
鉄は熱いうちに打て、だよ…」
 
 
 
 
【今日のロミ】