佇む猫 (2) Dr.ロミと助手のアオの物語

気位の高いロシアンブルー(Dr.ロミ)と、野良出身で粗野な茶白(助手のアオ)の日常。主に擬人化日記。

これまでの画像27 コレクション

2019年10月18日 | 主に画像(ロミ)

【のり丸と11年一緒にいる植物】
猫が食べたらいけない植物ばかりじゃけど、ウチは観葉植物はかじらないからセーフじゃの。

「場所を取るなぁ」と何度か誰かに託そうとしたらしいが…そんな自分勝手なのり丸をよそに、ますます元気な植物たちじゃ。

植物をジッと見ていると「植物は自分が死ぬと思ってない」ようにウチは感じるのじゃ。

そして植物は動物よりもずっと寛容じゃ。
エネルギーを無償で分け与えることができる大きな存在じゃ。

 
 
 
【ウチの画像がたった3枚しかない】
 
どういうこと?……まぁ、悪戯好きのウチがお茶目な3枚じゃ。
 
 
 【わざと輪ゴムを噛んでいる】
のり丸が見とる時だけにする。
 
 【チロっと舌を出している】
ウチって妖艶じゃの。
 
 
 
のり丸は「庶民的」な場所が好きじゃ。
例えば尼崎や大阪の下町などの…。
 
しかし最近、西宮や芦屋の方面に仕事で行っており、いつも最終電車で帰ってくるのじゃ。
 
おかげでウチもすっかり夜型になり(猫は本来夜型じゃが)、夜中の3時ぐらいにスイッチオンになりダッシュしてしまう。
 
 
余談じゃが、子供の頃からのり丸は国語が苦手で、漢字のレベルは今でもずっと低いままじゃ。
そんな人間が「何でライターをやっていたのか?」という疑問が出ると思うのじゃが、それに関しては「縁」としか言いようがない。
 
ダメ出しされて、書き直したものに校閲が入り、なんとかなっていたのじゃ。
(残念なことに、ブログはなんとかならんけどの)
 
 
先日、のり丸がとある上品街を歩いていた時に、要塞のような門構えの屋敷を見つけた。
その時、「広川(仮名)の家を思い出すな…」と思ったそうじゃ。

広川君というのは、のり丸の小学生時代のクラスメートで、完璧な「陰キャ」だったらしい。
小柄で痩せており顔色が悪く(色黒で青ざめている)、無口で底光りする目をしていたそうじゃ。
 
ある日、のり丸は彼と目が合った時に聞いてみた。
「広川って、もしかしてみんなより2歳ぐらい年上?」
広川君はちょっと驚いたような顔をしながら、
「…初めて言われたわ。戸籍上は同級生だけど?」
と答えた。
「戸籍上は?ということは、2歳上というのは当たっとるん?…まぁ、事実ならここでは答えられへんよな…」
と、のり丸が言うと、広川君は「クックッ」と笑った。
広川君からはミステリーの匂いがした。(…と、当時のり丸は勝手に思ったようじゃ)
 
 
広川君が裕福な家の息子であることは、のり丸以外の誰もが知らなかった。
広川君には、のり丸の他に友人がいなかったからじゃ。
 
広川家の地下には防音完備の「音楽室」があった。
 
1階には図書室みたいな部屋があり、そこにはありとあらゆるマンガがそろっていた。
 
3階の広川君の部屋には、顕微鏡と天体望遠鏡があった。
「宇宙の知的生命体」「反物質の世界」「四次元の謎」「並行宇宙」などの宇宙の謎に関する本も揃っていた。
 
のり丸は広川家に入り浸るようになった。
未知でワクワクするものがあり過ぎたからじゃ。
 
国語嫌いであったのり丸が「活字」に親しむようになったのは、広川君の家に行ったことがきっかけかもしれないの。
 
もしも広川家に行くことがなければ、つげ先生の作品に触れることなく人生を過ごした可能性もあるのじゃ。
 
大人になって読む機会があったかもしれないが、読む時期、読むタイミングで人格形成に与える影響が変わるからの。
 
 
 
『やなぎや主人 / つげ義春』
こういう世界観に、のり丸はついつい引き込まれるようじゃ。
  
 
『男たちの風景 / 諸星大二郎』
世界観の構築がすばらしい。諸星先生は天才じゃ。
 
 
『おろち「姉妹」/ 楳図かずお』
いうまでもなく、恐怖マンガの巨匠、楳図先生。
 
 
広川君のことは「富豪の友人」という題名でいつか書こうと思っているらしいが…。
今回は広川君が裕福だという話ではなく、コレクションは無駄ではない、ということを言いたいのじゃ。
 
コレクションを保存できる環境にある人たちには、保存しておいて欲しいとウチは思うのじゃ。
なぜなら、のり丸は広川君のお父さんの「マンガ」コレクションで人生の方向がガラリと変わったからの。
もともと非現実的な世界が好きなのり丸に、好奇心の火がついてしまったというのはあるけどの。
 
確かに、物に縛られて圧迫されることもある。
のり丸も沢山の物を捨ててきた。
毎日ネジを巻いている腕時計は使わず、普段は便利なアップルウォッチを使っている。
けれども、のり丸が手巻き腕時計を捨てることはないじゃろう。
 
本は全部電子書籍にして、必要最低限で暮らすのも「移動の多い生活」をしている人には良いのじゃ。
 
けれども、日常のすべてを合理的にしてしまうと、遊びがなくなって、きっとつまらないの。
 
無駄と回り道はアイデアの宝庫じゃ。

ファッションも隙なく決めるよりも、どこかに抜け感がある方が楽しめるの。
 
ある人には無駄に思える何かが、ある人には電撃を与えるかもしれないのじゃ。

そもそも日常における小説的な風景は、あらゆる無駄から生まれるような気がするの。
 
記憶の中にある風景は、無駄な物が彩を持って語りかけてくるのじゃ。
 
壊れかけたバケツや、夕闇の中に吸収されずにひときわ鮮やかに光を放っていた水色の傘や…。
 
 
「猫買うなんて何考えてるの?自分の事だけで精一杯の癖して!いつも無駄なことばかりして!」
と、のり丸もとある人物(オカン)に言われたことがあるが、何を言うとるのかの。
 
ウチはのり丸の人生における最優先事項だというのに…。
 
 
 
『レベルE / 富樫義博』
 
 
 『宇宙兄弟 / 小山宙哉』
 
 
これからも、のり丸がいろんなマンガが読めますように!
まだ見ぬ未知のものに、たくさん巡り会えますように!
 
 

治療師か詐欺師か(9)治療院のゴリラ

2019年10月10日 | 手記・のり丸

 
小・中学校でイジメによる生徒の自殺などがあると、校長がニュースで謝罪するシーンを見ることがある。
 
父が校長だった時は幸運なことに公の前で謝罪をすることはなかった。

教員というのは我の強い人が多く、校長の指示に皆が皆、素直に従うとは限らない。

学校というのは閉鎖的な空間であるから、イジメも起こる。

民間企業からきた人が校長をすることがあるが、民間企業とは違い「教員」は上司の命令に従わないことがあるので、苦戦することも多いようだ。
民間から校長に就任した人が、うつ病になり自殺したこともあった。
 
父は正義感は強いが、権謀術数を使うところがある。
そして負けず嫌いのタイプだから、出世したのだと思う。



父と私の人間のタイプは違うが、(ああ、こういう時にこういう対応するのは父の血だ)と半分血が入っていることをヒシヒシと感じることはある。
  
 
私はイジメられた経験はない。
社会に出てから、イジメられかけたことは何度かある。
 
今回書くことは、そのことである。
 
 
私の顔は柔和で、穏やかな性格に見えるらしい。
サービス業や療術業においては、得な雰囲気だといわれる。
 
人を格下にしたいタイプからすると「こいつ怒んなそう」「チョロ」と一瞬「餌食」に見えるらしい。
 
相手が自分をなめようが、なめまいが、そんなことは私には(かなり)どうでもいい。

けれども、何かが自分に危害を加えてきたり、陰湿なものに巻き込まれそうな時はしかたなく喧嘩をする。
生き残るためである。
だから私は計算高く喧嘩をするし、勝算がない場合は喧嘩を避ける傾向がある。
 
そもそも私は喧嘩(戦闘)自体が大嫌いである。
勝っても後味が悪いからだ。
相手に対して「ざまあみろ」という気持ちにはなれないし、自分が正しいから勝ったとは微塵も思えない。
 
相手も正しくないけれど、自分も到底正しくない。
お互い平面的に切り取った一部の現象を見ているだけだ。
 
イジメが起こるのはたいてい「閉鎖空間」にいる時である。
「閉鎖空間」から移動できない集団は、スケープゴートを作ることでガス抜きをすることがある。
 
 
私が国家資格を取った後、初めて有資格者として入った治療院での話である。

そこは昭和の初めから代々受け継がれてきた伝統的な治療院で、地域で生き残っている唯一の治療院でもあった。
全盲の按摩さんも働いていた。
 
鍼灸あん摩マッサージ指圧は昭和20年に作られた法規に縛られている。
看板に料金を書けない、腰痛、肩凝りを治します、というような宣伝は書いてはならない、などである。
(インターネットでは宣伝できる。昭和20年にはインターネットがなかったから関係法規にも記載されていないからだ。)
 
逆に料金と効能をデカデカと看板にアピールしているのは、整体やリラクゼーションである。
 
それまでは資金力のある現代的なリラクゼーションで働いていた私は、昔ながらの昭和な治療院での毎日が驚きの連続だった。
 
従業員の待機室は1階と2階にあるのだが、ほぼ全員(16名ぐらい)がなぜか1階の10畳の間で待機していた。

そこでは「お茶をひく」「客が金を落とさなくなった」「チップが少なくなった」「あいつに客を取られた」などの愚痴が飛び交っていた。
そして誰かが部屋からいなくなると、いなくなった人間の悪口がはじまった。
 
その治療院は不景気だったのだ。
バブル期がピークで、その後は衰退していき、私が入った頃は時代の流れで淘汰される寸前で、まさに生命の火が消えかかっていた。
 
(どこかでみた風景だな…)
妙に、デジャブ感があった。
 
(…思い出した)
その治療院の待機室は、私が風俗ライターとして取材に行っていた風俗店の待機室の雰囲気と酷似していたのだ。
 
唯一違うところは、メンバーに20代から70代の老若男女が入り乱れているところだけだった。
 
 
私は入店3日目から、連続して指名客につくようになった。
 
「なんであいつに指名がつくんだ?店側のつけ指名ではないのか?」
「あいつ目が良いくせにマッサージの資格取ったんだぜ。見えるんなら別の仕事があろうもんに」
という私に対する悪口も時々聞こえてきた。
そんな会話も風俗っぽかった。
 
彼らにしてみれば何十年も働いているのに、新人が稼いでいるのは面白くない。
 
今考えると、私の場合はビギナーズラックというものだったのかもしれない。
当時の私は明らかに経験不足だった。
 
長くやっている人はそれなりの「場数」を踏んでいる。
その先輩の経験を飛び越えることは決してできないのに、未熟だった私はそこに敬意を払えなかった。
 
 
私が1階の控室に入ると、ゴリ田という男が「おい、ゴミが入ってきたぞ」とつぶやいた。
「ん?」と思ったが、明らかに私のことを堂々とゴミ呼わばりしていた。
 
ゴリ田は30代の半ばぐらいで、185cm110㎏ぐらいの巨漢だった。
動物として、明らかにゴリ田の方が私よりも優位な体格だった。
「手足細い」族の私は、ゴリ田の熊のような素手であっさりと殺されるだろう。
 
ゴリ田はキレやすく、「自分の指名客をだれかが取った、取らない」の喧嘩が多いタイプだった。
皆がゴリ田に気を使って持ち上げていた。
 
ゴリ田と付き合っている女も一緒に働いていた。
控室で、ゴリ田は人目もはばからず自分の膝の上に女を乗せてイチャイチャしていた。
 
ある時、ゴリ田はいつものように女を膝の上に乗せていたが、女の肩越しからいやな目つきで私を睨んできた。
そして「ゴミが…バリ目障りじゃ。部屋の空気がゴミに汚染されとーわ」と笑うような口調で言った。
 
==
「あの2人どう思う?イチャイチャして気持ち悪うない?入ったばかりの人はどう感じるん?」
ある日、コソコソと噂好きの女に耳打ちされた時、私は答えた。
「…興味ないです」
それがどういう訳かゴリ田に「のり丸があなた達のことを気持ち悪いと言っていたわよ」と伝わっていたのだ。
==
 
その後、数日間はゴリ田の視界に私が入るたびに、「目が汚れた」だとか、「あんガキきゃあ生意気なんじゃ、わやくそにしちゃる(シメる)」という、つぶやきが聞こえてきた。
 
「あいつ気に入らん」というだけで無茶苦茶をするタイプには、「話合って誤解を解いてもらおう」という接し方は逆効果である。
話し合いができるのは相手が「理知的」なタイプの時だけである。
 

ある日治療院に行ったら、私の白衣がなくなっていた。
 
ゴミ箱に捨てられているのはすぐにわかったのだが、
「すいませ~ん、クリーニング済みの白衣がなくなっているんですが、誰か知りませんか?」
と、とりあえず全員をぐるりと見まわしながら言ってみた。
 
(その時は『戦う』ことを選択した)
 
すると皆がスッと目をそらして私を見ようとはしない中、ゴリ田が言った。
「ゴミのものはゴミ箱の中にきまっ…」
 
ゴリ田が言い終わらないうちに、私はゴリ田の顔面を往復ビンタした。
そしてあぐらを組んで座っていたゴリ田の胸を蹴りあげ、仰向けに倒れたゴリ田の上に馬乗りになって側にあった棒(ホウキ)をゴリ田の目に向けた。
「わりゃあ大切な恩師からもらった大切な白衣をゴミ箱に捨てたんかぁ?かばちたれとると目ぇつぶすどコラァアーーっ!
この時も鼓膜が破れるぐらい大きな声で言う事が肝心である。
 
ゴリ田のようなタイプは不意打ちで、ビックリさせなければ勝てない。
 
ただ、どんな喧嘩の時にも禁句なのは「お前の脳はゴリラ並みだな」というような相手の人格を否定する言葉である。

あくまでも「大切な白衣のことでキレているヤバい奴」に徹しなければならない。
本当は「白衣」はどうでもいいことを相手に決して悟られてはならない。
 
……捨てたんは、俺じゃない…
ゴリ田が小さな声で言った。
(…勝った)
 
私はすばやくゴリ田から離れると、
大切な白衣を捨てたんはだれじゃー?あああ?コラぁワレかぁーーっ
と誰でもいいので、近くにいる人間を睨んで脅す。
 
そんな大きな声を出していると、オーナーが飛んできた。
「まぁまぁまぁ」
 
そこで、「即クビ」を私に言い渡してもいいのに、なぜか仲裁しようとするオーナーだった。
 
「たまたまね、ウチに新しい白衣があるからね、今日はのり丸さんはそっちを使ってね。
ゴミ箱に入っている方はね、僕がね、うん、責任持ってね、クリーニングに出しておくから、うん」

ゴリ田には確かに勝った。
 
それ以来、誰一人、その治療院では私に気軽に話しかけてこなくなった。

それから私は一人で2階の大部屋で待機するようになった。
「…あのぅ、のり丸さん、予約が入っています…」
とドアの外でだれかがボソボソと伝達しに来ることはあっても、2階の待機室の中に入って来るものはいなかった。
 
本は読み放題だし、寝転がってくつろげるし、快適な空間だった。
…けれども、ゴリ田以上に腫れ物に触るような扱いを受けていた。
 
 
歩合制の場合、指名などの競争に巻き込まれることがある。
 
けれども、治療はそもそも人と競うものではない。
競うというのは、自分のことしか考えておらず、目の前にいる顧客を無視している状態だ。

承認欲求も同じことだ。
それに囚われているうちは腕は上達しない。
そもそも心のどこかで実力がないと自覚しているから、人からの承認を必要とするのだ。

 
治療とは、自分の目の前に横たわっている人に、ただ集中して取り組むことなのだ。
 
治療師が自分自身のコンプレックスに囚われていると、怖いことに瞬時にそれが相手に伝わってしまう。
 
顧客から不満が出たら、自分の施術や接客が悪かったからだ私は思う。
(相手が酔っ払いやジャンキー、重度の精神疾患の場合は除く)

目の前にいる相手の身体をつかめなかった私が100%悪いと思う。
(言い方をかえると、自分にはわかっていない未知の領域がまだたくさんあるということだ)
 
手が合うとか合わないとかは確かにあるのだが、自分が金を払って人の施術を受けてみたらよくわかる。
 
目の前にいる自分に、施術者が真剣に取り組んでいるかどうかは。

いつも、シンプルなことなのだ。
 
 
(それにしても、広島弁は汚すぎる。…そして書きながら、自分の性格の悪さも自覚している。)
 
 
 

依存症と3メートルの男(2)

2019年10月07日 | 猫・擬人化日記
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」
=ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』=

 
 

お客様は太古から「地球」で暮らしており、いわば人類の「もう一つの種」だそうじゃ。
これまで、のり丸は3メートルもある人間なんて見たこともなかったしの。
 
スピリチュアルな世界では「周波数が違う存在」「高次元の存在」というような表現がよく使われておる。
 
「周波数や次元」が違うということは、つまり「認知できない存在で、理解不可能な存在」ということじゃ。
 
それは、そうなのじゃ、ただのぅ…人間は未知のものを探求したいじゃろ?

海の向こうから来る舟はマストの頂点が最初に見える→なぜ?→[地球は丸い]
リンゴが木から落ちた→なぜ?→[万有引力の法則]
なぜ?から発展してきた世界に住んどる人間。
 
つまり、のり丸に見えているものは、のり丸に理解できるものでなければ、のり丸のモヤモヤ感はいつまでも晴れないじゃろう。


例えば、 
3メートルの人間はどういう進化の過程をたどってきたのか?
彼らが「古代から地球にいた」ということを証明するものはどこにあるのか?
なぜ「人類」に見つからずに生息することができたのか?
何をエネルギーにしているのか?
何千年もの長い睡眠はなんの為に必要なのか?
 
…形而下の質問ばかりじゃが、ふつふつと湧いてくる疑問を解明したくなるのは人間として当然のことじゃの。
 
 
「お客様のような…3メートルぐらいの身長の人間を…私の時代では見かけないのはなぜでしょうか?」
つい、のり丸は不毛な質問をした。
「あなた方に見つからないように隠れていたからですよ」
お客様の答えも不毛だった。
 
(どこに?どうやって隠れていたのか?…インナーアースと呼ばれている場所か?)
などと疑問をぶつけても不可知論に陥るだけだと悟り、のり丸は質問を変えた。
 
「現代の人間は、なぜ全員が『依存症』なんでしょうか?つまり私も何かの依存症なのでしょうか?」
 
のり丸には自分は「依存症」ではないという自負があったのじゃ。
自分には普段の生活を脅かすようなアディクション(嗜癖)があるだろうか?
いや、何もない、全く思いつかない…と、のり丸は自分で結論づけておったようじゃ。
 
 
「のり丸さんは『お金を捨てる癖がある』と自覚されていませんか?
言い方を変えますが、過去に商品券で買い物をしたことはありますか?」
お客様はいきなり豪速球を投げてきて、受け止めたのり丸は少しのけぞった。
 
「…商品券で買い物をしたことは…思い出す限り…ありません」
のり丸は、かなりうろたえながら答えた。
「それはなぜでしょうか?」
「商品券を無意識に捨ててしまう癖があるからです」
 
「子供の頃にもらった『おとし玉』も中身が入ったまま袋ごと捨てたことがありましたね?」
「…あったと思います」
 
「最近も、ある人からお礼として商品券をもらいましたね、それはどうされましたか?」
「…おそらく無意識のうちに『燃えるゴミ』に出してしまいました」
(ウチをはじめ、ほとんどの人がドン引きする答えじゃ)
 
のり丸は「商品券」=「お金と同じ価値」ということを(もらった時は)理解しているのだが、気を抜くと商品券と広告紙(紙全般)の区別がつかなくなる(失認症がある)そうじゃが…
(とても人に信じてもらえない話なので、一部の寛容な友人にしか話しとらんそうじゃ)
 
 
 
人間界における「依存症」については以下の図のような感じである。
 

大石クリニックのHPより (図を作るのがめんどくさくなり、お借りしました)
 
 
 
 「確かに私はついうっかり商品券などを捨ててしまうことはあります。
けれども、そのことは依存症とは異なる問題だと思いますが…」
 
 
お客様は話しはじめた。
 
ある日ベーシックインカムが導入されて、例えば毎月12万円が個人の口座に振り込まれるようになったと仮定します。
(仕事がなくなる、給料が下がる、物価が上がる、などの事態は起こらず【生活は今まで通り】とにかく20歳以上の国民が、+12万円貰えると無理やり仮定)
 
それでも、大抵の人には新たな悩みが出てきます。
借金が多すぎて12万支給されたぐらいでは足りないからもっと上げて欲しいとか、誰々は自分よりも12万を有効的に使っているから羨ましい、などです。
 
 
人間は「真理」から目を逸らすことによって、常に悩みを生み出しています。
まるで「真理」の方が、自分の(作りだした)条件に合せるべきだと思っているようです。
真理を求めながら、真理を突きつけられるのを嫌っているのです。
 
悩む人々は、火事(=真実)が起こっている建物の「近所に住んでいる人々」に例えることができます。
 
ある人は言いました。
「我が家が火事になることはないさ。消防車も来ているし、消防隊に任せておけば何も心配することはない」

 またある人はこう言いました。
「わたしは『正しいもの』を信仰をしているから必ず守ってもらえる。信仰していない人の家は燃えるかもしれないけど、わたしの家が燃えることはないわ」
 
こういう人もいました。
「私は動物虐待に対して問題意識を持っている。こうしている間も、虐待されている動物のために一刻も早く戦う準備をしなくてはならない。火事の心配をしている余裕などない」
 
そして、こういう雰囲気の人もいました。
「僕はラグビーの観戦中だ。は?火事?話しかけないでくれよ。…おぉ、行けーッ!…チッ!クソッ!…あ、ああ!よーしいいぞ!」
 
 
近所にいる人達は皆、自分の家が火事になる可能性があることは知っているのです。
しかし火の手がすぐそこまで迫っているのに、誰かが火を消してくれると楽観したり、火事を無視したり、バカ騒ぎしたりしているのです。
 
火事の時は、まずは火の近くから離れなければならないのです。
その場を離れない限り、何をやっても心が落ち着くことはありません。
 
極端な例え方をしましたが、このような逃避方法で人間は「不安に対する対処」をしてきました。
 
毎月あと12万円あれば助かるな、と思っていた人達が実際に12万支給されたとしても、また新たな不安が襲ってくるのはこういうことです。
もちろん12万で満足して幸福感を感じる人たちもいますけどね。
 
 
「わかるような、わからないような…。
つまり人間は分裂した自己を持っているんですね。
右を見ながら左に進んでいるような行動をしているから、常に不安が尽きないということでしょうか?
不安の本当の原因、真理を知ろうとしない故に、何かに依存して不安を紛らわしているということでしょうか?」
 
お客様は微笑しながら聞いていた。
 
「のり丸さんはお金を捨てることで『過去』とのバランスを取ろうとしていますね。
本当は自覚されていますね」
 
私はお金を捨てたりなどしません、
そんなことする理由がどこにあるというのでしょうか、

…のり丸の口調から丁寧語が消えていく…

なんで俺がわざわざ金を捨てるんや、
過去とのバランスってなんや、
金を捨ててバランスをとる必要がある過去なんて覚えとらんわ、

そもそも金を捨てるなんてないわ〜、
ないわ〜、
ないわ~、
(ないわ~、とでかい声で寝言を言って、自分の声で目を覚ます、のり丸)
 
 
 
のり丸の夢はいつもクリアすぎて、夢か現実かわからないぐらいなので、目覚めたらいつも混乱しとるようじゃ。
「そういうタイプの脳は認知症になりやすい」と、のり丸の知り合いの医師が言うとったらしいが…。
その話はいったん脇に置いて、と。
 
……のり丸は金を捨てる癖があるんかの?
のり丸が真理から目を逸らしているうちは「商品券を捨てる原因」が見つからんのかの?
 
商品券って売ることもできるはずじゃな。
ウチのフードだって買えるじゃろ。

その前に、のり丸にわざわざ「商品券」を贈ってくださった方に非常に失礼じゃろが。
 
 
 
 
ウチの大好きな「純缶」がどれだけ買えたか?(怒)
バカなのか?(怒)
 
 
…じゃあ、またの。
 
 
※話のつじつまのあわない部分は、のり丸のしょーもない「夢の話」ということで、ご了承ください。
 

依存症と3メートルの男(1)

2019年10月01日 | 猫・擬人化日記

生まれて初めてウチは河原に行った。

つまり、のり丸に強制的に連れていかれた、ということじゃ。

「蚊もおらんし、思い切って外の空気を吸うか」

と、出不精なのり丸が重い腰を上げてしぶしぶ河原に。(って、別に行かんでもいいのに)

 

【…なんと、瞬間移動カバンから出てみたら】

 

 

【そこは、いつも窓から見ている河原じゃった】
 
ハーネスと首輪の二点セットって大袈裟じゃなかろうか…。
(ウチがあまりにも細すぎてXSでも抜けることがあるからじゃが。)
 

【散歩の写真はこの3枚のみ】
 
ほとんどカバンの中に潜んでいたからの。
いくら好奇心旺盛だといっても、初めての場所で猫が楽しめるわけなかろうが…。
のり丸はウチを犬と間違えとるんじゃなかろうか。
 
 
 
 
さて、今回のテーマじゃが。
 
 
【のり丸とウチ】
 
ところで写真を撮ったらイラストに自動的にチェンジされる機能はすばらしいの。
「最近、お互い顔が似てきたな」とウキウキしながらウチに言うのり丸。
どこがじゃ(怒)。
 
…で、ウチが何が言いたいかというと、のり丸が確実に「猫(ウチ)依存症」ということじゃ。
 
 
毎晩毎晩、のり丸は大きな声で寝言を言い、ウチは「ハッ」と目を開けてしまう。
のり丸が見た夢の話を書いたところで「しょーもないこと書いてすんません」なのじゃが、今回も懲りずに書くことにするの。
 
 
3メートルの男☆
 
のり丸は四方を透明な壁で囲まれた部屋で施術をしていた。
のり丸のいる治療室に、お客様はエレベーターでやって来る。
 
いつの時代なのかわからないが、明石海峡大橋はとっくになくなっており、人々は横移動のエレベーターで本州(らしきもの)と四国(らしきもの)を移動している。
そして四国(らしきもの)は大部分が海洋都市になっているようじゃ。
 
 
本日のお客様の身長は3メートルぐらいあり、縦にベットを二つ繋いでうつ伏せで寝てもらっていた。
お客様は今まで触ったことのない感触の身体をしていた。
 
(え?え?え?…何だ?この身体。この身体、さっぱりわからん)
そのお客様は未知の存在だった。
 
「お客様のお身体は…なんというか私にとっては初めての感触です。私にはお客様のお身体がわかりません。
お客様はいったい何をされている方ですか?」
のり丸はお客様に正直に話した。
「そうでしょうね。実は私、あと5千年は寝ている予定でした。ところが5百年しか寝ていないのに起こされてしまったのです」
お客様は気さくに答えてくれた。
 
「それで不思議なお身体をされているのですね。(と、スッと納得できるものでもないのじゃが)
どうかお客様、特にお疲れの場所などのご要望ございましたら教えてください」
とのり丸がたずねると、お客様はまた気さくな感じで返答してくれた。
「疲れてはないし、コリもありませんが、お願いがあるのです」
 
お客様は「力は入れなくてもいいから」筋肉にそって全身を触ってもらいたい、と言った。
のり丸の手から出るエネルギーが全身に行き渡るように、とのことだった。
(そもそも、のり丸にそんなハンドパワーみたいなものがあったかの?)
 
その後で、「天」の名前のつくツボに鍼を打って欲しい、とお客様は言った。
 
「まず最初は『天泉(てんせん)』から始めてください。次が『天池(てんち)』です。順番は私が伝えていきます」
 
お客様が伝える「ツボ」の順番は変わっていた。
のり丸は言われた通りの順番で打っていった。
 
『天窓(てんそう)』を打った頃、突如お客様の全身に緑色の光が走った。
「お客様、この光の筋は…もしかして『経絡』というものでしょうか?」
と思わずのり丸がたずねると、お客様はクスクスと笑った。
 
「違います。東洋医学の経絡は良い線までいっていますが、間違って伝えられた部分があります。それは故意的にです」
とお客様は答えた。
「正確に伝えて、古代人の身体の鍵を全部開けられたら大変だからです。だから、わざと間違ったことを混ぜて伝えたのです」
 
(猿に鍵のかかった冷蔵庫の開け方を教えてはならないように…みたいな?)
と心の中でのり丸は思ったそうじゃが。
 
天容(てんよう)を打った時、お客様の身体に水色の光が走った。
天枢(てんすう)を打つとピンク色の光が走ったり、天府(てんぷ)を打つとオレンジ色の光が走ったり、…鍼を打つたびに、次から次へといろんなことが起こった。
 
「…ということは、今日お客様から教えていただいた順番で他の人には打ってはならないという事ですね」
のり丸が言うと、
「ああ、いいですよ。どんどん使ってください。のり丸さんの時代の人は全員依存症にかかっていますから。この順番で打つと、依存症にはとてもよく効きますよ」
とお客様は軽い感じでOKしてくれた。
 
(続く)
 
 
 
 
さて、疲れたので、寝ることにしようかの。
 
 
じゃあ、またの。