佇む猫 (2) Dr.ロミと助手のアオの物語

気位の高いロシアンブルー(Dr.ロミ)と、野良出身で粗野な茶白(助手のアオ)の日常。主に擬人化日記。

これまでの記録19 Somebody To Love

2019年05月31日 | 主に画像(ロミ)

 【日々の出来事1】

他の方のブログを見ているだけで、結構充足した日々を送っているのり丸じゃ。
素晴らしい写真が多く…時に息をのむほどだが、その感覚をうまく表現する言葉は出てこない…
「自分が見ることのない世界」を拝見することは、この上なく楽しいことじゃ。
 
…で、ウチの記録は?
ウチはのり丸の顔を見る。
 
 
最初にウチの喋り言葉を「広島弁」に設定してしまったことも、ブログ停滞?の一因じゃ。
 
のり丸の耳にはウチの声が
「もぅ、なんねぇ~」
「ね~なにしとんよ~」
などと聞こえるらしい。
ウチの精悍な顔をじっと見ていると、性格のキツい(広島弁の) 女の子を思い出すらしい。
 
そんな訳でウチの言葉は「広島弁」に設定されたが、書き始めてみると「広島弁」に苦戦しとるようじゃの。
(完全な言い訳じゃ…)
 
 
 
【日々の出来事2】
 
のり丸が立った隙に椅子を陣取る。
「ロミ氏、どいてくれ」
と言われても、動く訳なかろうが。
 
そんなウチじゃが、よくのり丸にくっついて部屋を移動する。
のり丸の顔をチラチラと見上げながら「んでな~、んでな~」と言いながら廊下を一緒に歩く。
「なんて?」
とのり丸に聞かれるけど、
「んでな~、んでな~」
と答える。
ま、会話は成立しとらんが和気あいあいとしとる。
 
 
風呂に入っているように、足がピーンと伸びる。
 
 
 
見下ろすのって最高じゃ。
 
 
 
この先に行きたい。
 
 
 
この先に何があるのか…。
 
 
  
【日々の出来事3】
 
最近、のり丸はYouTubeでしょっちゅう音楽を聴いているのじゃ。
「青い影」(プロコルハルム)の映像はのり丸のお気に入りじゃ。
同級生に話すと「それ何?誰?」と言われることが多いそうじゃが…。
 
クラシックがベースにあるロックはのり丸の好み。
映像なども70年代は面白い。
 
映画「ボヘミアン・ラプソディ」でクイーンを知った人も多いみたいじゃが。
今、ちょうど流れてきとるから、今日の日記の題名にしたんじゃ。
 
 …
 
毎朝少しずつ自分が死んでいく
足で立つのもやっとのこと
鏡を見ると、泣いてしまう
神よ、僕に何をしたんだ?
あなたを信じることに全人生をかけてきた
でも神よ、もう安心できないんだ

誰か、ああ…誰か
僕が愛する人を
見つけてくれるかい?

この人生、僕は毎日働いている
骨が痛むほどに
一日の終わりまで働いて
その日の給料を手に取る
ひざまずき、祈る
目から涙が流れ落ちるまで
 
誰か、ああ…誰か
僕が愛する人を
見つけてくれるかい?
 
彼はよく働く
頑張って、努力するけど
みんな押し潰そうとしてくる
みんなは言う、僕はイカれたって
頭に水が溜まって腐っているって
感覚が普通とは違うって
信頼できる人なんて現れないって
 
誰か、ああ…誰か
僕が愛する人を
見つけてくれるかい?
 
感覚がない、何も聞こえない
ビートも刻めない
大丈夫さ、きっと大丈夫
僕はどんなことでも乗り越えみせるさ
いつかこの独房から抜け出して
かならず自由になるんだ
自由になるんだ、神よ
 
愛する人を見つけてくれるかい?

『Somebody To Love』より
 
 
 
フレディ・マーキュリーの孤独が聴こえてくるようじゃ。
 
 
じゃあ、またの。
 

これまでの画像18 美女とカラス

2019年05月23日 | 主に画像(ロミ)

【駅前の家で保護されていた飛べないカラス】
カラスの姿が消えてから数カ月経つ。
のり丸が尼崎に来てから5年間、毎日のように接していたカラスじゃった。
 
カラスといえば、ゴミをあさるとか、ズル賢いとか……一般的には害鳥のイメージが強いようじゃの。
 

【特にハシブトはこんなイメージ↑】

 

けれども、世の中にはカラスが大好きな人達がいる。

 

「カラス友の会」 吉野かぁこ さん
http://karasu.petit.cc/banana//

(余談じゃが…)のり丸は全冊持っており、『CROW'S』第4号も先ほど注文したばかりじゃ!

 
 
のり丸は新神戸で暮らしている頃にカラス好きになったらしい。
 
 【布引ハーブ園】
神戸市は南が海、北が山、とハッキリ目印があって方向がわかりやすい。
 
 
新神戸はカラスやイノシシがしょっちゅう出没していた場所。
 
のり丸が出会ったのは山に住んでいるハシボソカラス。
クチバシが細いタイプのカラスじゃ。
 
 
https://www.torinozukan.net/hashibosogarasu.php
【出典:鳥の図鑑】
 

新神戸でカラスと仲良くなったいきさつは(やたら長くなる為)ここでは省略するが…。
 
そのハシボソカラスは上空からのり丸の姿を見つけると急降下してきた。
のり丸が歩いている傍らの塀に着地して、真っ黒いまん丸の目をクリクリ動かしながらのり丸を見つめていたそうじゃ。
 
最初は「何か食べ物でもねだっているのだろうか?」と思ったのり丸だが、回数を重ねるうちに(どうやらカラスはただのり丸に挨拶をしているだけという)驚愕の事実が分かってきた。
カラスは毎回好奇心いっぱいの目でのり丸を見つめた後、飛び去っていった。
 
それまでカラスに対して何の感情もなかったのり丸じゃったが、それを契機にカラスに興味を持つようになったのじゃ。
熱心に観察しているうちに次第に惹かれていった…という、まぁよくあるパターンじゃの。
 
 
尼崎のカラスは猛暑の日も極寒の日も、日中は外の檻にいた。
檻の中で過ごすことがカラスにとって幸せだったのかは誰にもわからない。
そもそも幸せという概念自体が「人間的」なものじゃ。
 
あの環境の中で、あのカラスは何か楽しみを見つけることができたのだろうか…とのり丸は時々考えていた。
ウチに言わせると、それもひどく人間的な捉え方じゃ。
 
人間はあのカラスを見て「かわいい」と言ったり「かわいそう」と言ったり「面白い」と言ったり「うわっ」と言ったり、普通に無視したり…まぁ、いろんな反応をしておった。
 
のり丸が檻をのぞき込んだ時、新神戸で会ったハシボソカラスと同じように好奇心溢れる目をしていた。
その目を見たのり丸は、その「恐竜の子孫」に敬意を払わずにはいられなかったのじゃ。
 
 
 
 
「ウチはカラスを狙う、だって本能じゃからの」
と、言ってはみたが……ウチはたぶんカラスは怖い。
 
 ウチはこのオモチャの毛虫でいいかもしれん…
 
人間は孤独じゃが、猫だって孤独じゃ。
けど、動物は「孤独だから」とは考えない。
 
自分を分析するのは人間という種だけ。
猫はずっとシンプルじゃ。
 
 
さて今回も、「題名」と内容が違うような気がするのじゃが…。
 
 
じゃあ、またの。

これまでの画像17 過去からの囁き

2019年05月15日 | 主に画像(ロミ)

【ウチに友達が…】

と言いたいところじゃが、このロシアンブルーはウチではない。

今、のり丸は実家から持ってきたネガフィルムをデジタル化してデータ保存する作業をコツコツと(先延ばしながらダラダラと)しておる。

つまり、これらの猫達は古いネガフィルムからポジ画像に変換された「過去の猫」の一部じゃ。

(よその家の猫も複数交じっている)

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
猫だけでなく、犬や鳥の写真も多い(…多すぎる)。
のり丸は、子供の頃から動物と過ごしてきたようじゃ。
 
「わっ、こんなに猫がいたのか?」
何よりものり丸自身が一番驚いたようじゃ。
 
 
過去を思い出している時は過去に戻っているのではなく、現在の自分の脳が「過去」を再現している。
それらは都合よく着色されていることも多い。
 
時に写真はあいまいな記憶を強固な記憶に蘇らせることがある。
「やっぱりこれらのことはまぎれもなく『あった事』だったのだ」と再確認させられるのじゃ。
 
思い出を共有していない赤の他人が「ネガフィルムの写真」を見ても、それはどこにでもある他人の「スナップ写真」にすぎないのじゃ。
誰でも赤の他人のスナップ写真を見た時、印象に残るものは少なく、感情が湧き出てくることもないじゃろう。
たぶん、のり丸(及びその関係者)がこの世から消えると、これらの写真の役割も終わるかもしれん。
それでいいのじゃ。
 
 
 
【今日のウチ】
今日もPCの前で機嫌が悪くなりかかっておる…
 
【相変わらず、風呂場で】
なぜ、こんなに風呂場が好きなんじゃろうか…。
 
 
 
じゃあ、またの!

これまでの記録16 ほぼ画像ばかり…

2019年05月10日 | 主に画像(ロミ)

【こういう写真を一枚撮るだけで、毎日UPできるような気がするのじゃが…】

実際はそう簡単にはいかないのじゃ。

のり丸の場合、ほとんどの写真が…

 

【ブレにブレまくっているものばかり】

のり丸はいつも作業の合間に片手スマホで写すことが多い。

なぜなら「おっ!」という一瞬は本当に一瞬。しかもウチは高速移動中…。

 

【よくて、こんな感じ】

 

【これなんかは、ウチの決めポーズが写っとるかの?】

ピンボケの画像から、かろうじてハッキリしているものを選別しているらしい。

 

それにウチも猫のはしくれ、カメラは嫌いなんじゃ。

【またカメラを向けおってからに。チラッと見るだけ…】

 

【フン、と背を向ける】

ウチが逃げるから「瞬間をとらえられない」と、のり丸は言い訳する。

 

【こんな風に撮れたとしても…】

 

【イカ耳になる】

 

【すぐにこんな顔】

 

【しゃくれた顎が写っている画像】

 

【フレーメン現象になりかかって、顎が伸びている画像】

のり丸は意地悪なので、こんな画像も多いんじゃ…。

なんとなく…おかしな顔ばかり狙って可愛く撮ろうとしていない気がするの。(女子に嫌われるタイプじゃの)

 

ウチも負けておらん。

 

【靴を落として何が悪いんじゃ】

挑戦的なウチの目つき。

 

そんなのり丸に対して、ウチはいつも親切じゃ。

 

【毛づくろいをしてやっている】

のり丸のくせ毛剛毛にひるまない。

 

【それもわざわざ肩に乗って…】

おせっかいと言う人もおるかもしれんの。

【時々は、カカカ…と噛むこともあるけれど】

これは背中に乗って背後から攻めておる。

 

【のり丸の頭が鳥の巣に思えてきた…】

ウチがなめるせいか、のり丸はワックスやムースを付けるのをやめたらしい…。

 

 

【もう、キリないわ。…はぁ~疲れた】

人間の頭はなんてやりづらいんじゃ。

 (…本当に世話が焼けるの)

 

【ウチはもう眠たいんじゃけど】

 

【目もトロンとしてきたし】

 

【そして寝る…】

 

毎日、こんな感じで過ごしている。

これがウチの一週間分の画像である。

 

じゃあ、またの!

 

 


案内人 アナザー祖母

2019年05月03日 | 手記・のり丸
(母方の)祖母は日本人だが、女優のジョーン・ヒクソンのような雰囲気があった。
 

【映画の中でミス・マープル(アガサ・クリスティー/原作)を演じるジョーン・ヒクソン】
 
 
両親はしきたりを厳守していたので、親戚の集まりには家族そろって主席しなければならなかった。
そこは旧態依然としており、因習的で閉鎖的な空間だった。
その中で唯一話せる人物が(母方の)祖母だった。
考えに柔軟性があり心根が優しく、分け隔てなく孫を可愛がる人だった。
しかし私はそんな祖母が発する言葉に反発を覚えることもあった。
 
「自分より下の人を見なさい。自分より恵まれていない人を見なさい。そして今の自分に感謝しなさい」
それが祖母の口癖だった。
私はその言葉に納得することができなかった。
 
 
祖母が亡くなってから何年か経った頃、私は夢を見た。
夢の中で私は知らない町をさまよっていた。
その時、祖母が道案内人として夢に登場した。
 
夢の中で祖母は帽子をかぶり、ジョーン・ヒクソンのような姿をしていた。
「生前の私は語彙が乏しくて、自分の思うところを正確な言葉で人に伝えることができなかった。だから今、案内人という仕事(修行)をしているんだよ…」
祖母はそう言った。
 
祖母と私は多くのことを語り合った。
言葉で話しているというよりも、祖母の想念がテレパシーのようにダイレクトに流れ込んできた。
同時に自分の中で「身動きできないぐらい自分を縛っている観念」がどんどん外れていった。
 
「ばーちゃん、今までたくさん誤解していて、ごめん」
私は夢の中で祖母に頭を下げた。
 
祖母と私は握手をして別れた。
月光でほのかに光る黒々とした海の傍にある寂れた町へと祖母は戻っていった。
 
 
 
昨晩、私は祖母の夢を見た。
祖母は意外な姿になっていた。


【マンガ「斉木楠雄のΨ難」(麻生周一/作)の実写化で、斉木楠雄に扮した山崎賢人】
 
祖母が俳優の山崎賢人が扮する「斉木楠雄」に見えてしかたがなかった。
もはや「ばーちゃん」とは呼べない。
 
「…で、なんでその姿なん?」
私は疑問をぶつけた。
「以前の姿にはいいかげん飽きたし…アバターもいろいろ変えたいっしょ。…えっ?え?ちょっと待って、その疑問ってのり丸の偏見じゃない?」
と、祖母は言った。
「…偏見って、飛躍しすぎるよ。そのルックスと言葉使いに戸惑わないほうがおかしいと思うが」
と、私は言い返した。
 
私は常日頃から「顔なんて単なる感覚器の集まり」だと言っていた。
その感覚器の配列(デザイン)にギャーギャー言っている人間のことを「なんて独特な捉え方をする生物なんだろう」と思うようにしていた。
 
もともと私は(相貌失認とまではいかないが)人の顔を捉えるのが非常に苦手だ。
例えばある人がバルタン星人に見えると、その人と似た特徴を持った人達が全員バルタン星人に見える。
その上視力もかなり悪いので、普段からよく人の顔を間違える。
 
そんな私だが、あまりにも以前の祖母と違いすぎることに動揺していることを自覚した。
以前、夢で交流した時の祖母は「私のイメージ通りの祖母」だった。
肉体を失った祖母が別人で登場した場合、「祖母を構成しているもの」を私はどう認識すればいいのだろう。

「のり丸も夢の中だから、好きにアバター変えればいいっしょ」
祖母にそう言われて、「明晰夢」だからそれが可能であることに気付いた。
私は迷わず、俳優の松重豊のアバターを選んだ。
 

【マンガ「孤独のグルメ」(久住昌之/原作・谷口ジロー/画)の井之頭五郎に扮した松重豊】

「何これ、何これ、おーこれ、すごい、すごい。逆に真反対」
祖母はペラペラしゃべった。
「のり丸は、ほぼ毎日『孤独のグルメ』をしているのに、ほぼ毎日『女友達と一緒にスイーツ』という顔にしか見られないからなぁ」
…めちゃめちゃヤバい、ヤバい、と祖母がはしゃいだ。
 
おそらく普段の私でも、井之頭五郎のようにネクタイを締めてスーツを着るだけで印象が全く変わる。
考えてみると、「装い」というのは人間社会ではとても便利なツールだ。
知らない人に「装い」を通して、「自分はこういう(趣向の)人間です」と端的に示すことができるからだ。
 

「…案内人の仕事はやめたん?」
私は尋ねた。
「そんな訳ないっしょ」
祖母は即答した。
 
「のり丸は結局さ、自分の寿命を知りたいだけなんだよ。先のことを知ってあらかじめ準備をしときたいんだ…」
「ロミを守れるのか…自分には自信がない…」
「のり丸は結果を知ると、ラクするっしょ。だから、う〜ん、そうっすね…『ロミ、今日も一緒にいてくれてありがとう!』でいいんじゃないっすかね」
 
そこで夢から覚めた。
支離滅裂な夢だった。
 
結果を知るとラクをする…それに関しては祖母の言う通りである。
そしていつだって(人間界に出回っている)予知が当たったことはなく、人生には想像もしていなかったことが起こる。
 
いろんな制限がある世界(この世)で、到底乗り越えるのは無理だと思いながら進んできた。
だから、一つの地点にたどり着つく度に喜びを感じた。
簡単にはできないから(手に入らないから)、手に入れた時は有難味がひとしおなのだ。
 
肉体は精神の思い通りになる道具ではなく、「制限のない世界」にいる存在の「祈り」が形になったものかもしれない。
「有限」は、想念するだけでなんでも簡単にできてしまう「無限の世界にいる住人」の夢(または願望)なのかもしれない。
 
手術で失明する可能性があると言われた→けれども手前の物はちゃんと見える。
俊足で足腰が強靭な事だけが取り柄だったのに負傷した→けれどもなんとか自分の足で歩ける。
 
目よ、まだ見えてくれてありがとう。
足よ、まだ動いてくれてありがとう。
肉体のいろいろな機能がまだ働いているから、この(有限な)世界で挑戦することができる。
毎日本当にありがとう。
 
珍しく、目覚めた後、そんな気持ちになった。
生前の祖母も、きっとそういうことを言いたかったのではないかと思う。
 
人間は自分の中からすべての限界が流れ出した時に、やっと肉体という制限から自由になるのかもしれない。
 
 
【もし、また夢に出てくれるのなら、ジョーン・ヒクソンの方でお願いします】
 
 
 
今日のロミ
 
後ろに自分が運んできたオモチャが潜んでいる…待っている。