佇む猫 (2) Dr.ロミと助手のアオの物語

気位の高いロシアンブルー(Dr.ロミ)と、野良出身で粗野な茶白(助手のアオ)の日常。主に擬人化日記。

脚気と麦飯

2018年11月12日 | 手記・のり丸
 
4歳の頃のことである。
 
幼稚園から帰ると、私の為におやつが用意されていた。
その日のおやつは苺で、私は苺に牛乳と砂糖をふりかけ、グッサグッサと苺をスプーンで潰して食べた。
食べ終わるとすぐに玄関から飛び出し、家の前の小道を駆け抜け、公園に向かって走った。
空は真っ青で、午後の柔らかい日差しが町中に降り注いでいた。
 
(なんたることか)
突然、頭の中で「声」が聞こえた。
(随分と甘い人生だな…)
「声」は少し戸惑っているようだった。
私は「声」に気を留めず、弾む気持ちで走り続けた。
 

7歳の頃のことである。
 
ある日私は友人Aの家で、同級生のBとCと一緒に昼食をごちそうになることになった。
目の前に出されたご飯を見たBが「あ、米に線が入っている…」と小声で言った。
Cも「黒い線はカビじゃないのか?」と言い始め、「腐っているのかな…」と二人でヒソヒソ話を始めた。
 
(麦だ!)
突然、私の頭の中で「声」がした。
(白米に麦を混ぜるとは素晴らしい)
「声」は喜んでいた。
 
「…のり丸、米に黒い線があるだろ」
BとCが私にボソボソと耳打ちしてきた。
「あのな、お前ら。これは麦だ」
私はハッキリと説明した。
「日清戦争の頃、兵隊が次々と脚気で倒れていった。…当時、脚気は恐ろしい病気だったのだ。その原因は、白米中心で副食の貧しい食生活にあった…」
なぜか私は立て板に水のように、すらすらと脚気に対する麦食の有効性について語り始めた。
「…よって、麦や雑穀などを食べていた貧乏人がなぜ脚気にならなかったというと…」
 
気が付くと、Aの母親が私を睨んでいた。
「脚気」という病気を知らないBとCはキョトンとした顔で私を見ていた。
「もう、あんたら食べんでええし、帰りや」
とAの母親に追い出されて、BとCと私はすごすごと帰った。

我が家に戻ると、廊下でオカンが受話器を持ったままペコペコお辞儀をしながらしゃべっていた。
「…奥様すみません、ウチのコがいつも失礼なことばかりしまして…あ、はい、…はい、すみません。
……は?脚気?……あのぅ、きっと最近観た戦争映画に影響されているようで……ええ、そうなんです…はい、おっしゃる通りです。
も~すみません、本当にすみません」
 
 
…「声」の正体は何だろう?
私の中で無意識に育っていたマニアックな別人格(老人)か?
それとも今世の自分をプログラムする際、うっかり前世の記憶を消し忘れた「バグ」のようなものか?
はたまた頭の中の妄想が勝手にしゃべっているだけか?
 
(青色が良しとされている世界で、みんなが青色になろうとすると面白くないではないか。本来、色彩豊かな世界にいるのに)
「声」は言う。
 
具体的なアドバイスをしてくれることはないが、「声」にはわりと前向きな言葉が多い。
 
まぁ、単なる私自身の呟き…なのかもしれないが。
 
 
 
【今日のロミ】
 

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