偶然だよとか、なくなった人は何か課題を残していくとか
死生観もひとそれぞれかもしれないけど
ケアマネの講師はお父様を右後頭部を打ったことで亡くし
自分を講師の道に導いた先輩を自死で亡くした。
何か迷いがあるときには、右後頭部が痛むという。
そして今本業ではない講師をずっと続けているという。
そして、肉体はなくなっても、魂はのこる・・何も言わなかったけれど私、
私も同じだ。
メダカの池が干からびそうなとき、私たちが仲良く夫婦でメダカの救済?
メダカ救い(すくい)をしていたら
お義母さんが、また灯篭が激しく回っていると言った。
いるのだとおもう。いつもそこにいて、見ているのだと。
そして、夢枕。
お義母さんが体調不良の時夢を見たと。
色んな色のなにかが入った中から、赤い色のものを渡してきたと。
それは、「元気をだせ」そういう意味らしい。
お義父さんはいつもいてくれる。私は確信した。いつも冷めた部分と揺らぎをもつ私が
そう思えるのは、いま、お父さんがきっかけの介護講習に通っているから。
その講師のせんせいが、いろんな人の死に立ち会ってきて、
死生観の確立した人の話す言葉に触れたのも、運命。。
私はやりたいことをやろう。
こんな私でも。
こんな時期はスピリチュアルになるのは仕方ないかもしれないけれど
そこから何か受け取るか受け取らないかは、その人その人だ。
6月6日のてっちゃんの死だって、恥ずかしくない生き方。
それは、私はきっと、人に対してではなく自分が後悔しない生き方をしな、
そういう意味なのだと、そう思っている。
いちど、てっちゃんのお墓に参りたい、
勇気をもてたら、と、あと、楽器の日・・・ね。うん。