優ちゃんの力作・置くだけフェンス・・・(*^_^*)
実際にご覧くださった店舗のお客様、
ブログで画像をご覧くださったみなさまより、大絶賛のメッセージをたっくさんいただきました(*^_^*)
九州に帰った優ちゃんに告げましたら、もちろん大喜びでした。
あまりにもたくさんメールをいただいたので、お一人お一人にお返事ができずにごめんなさい・・・。
この場を借りてお礼申し上げます。
通販のお客様も、いつかぜひ、観にいらしてくださいね・・・(*^_^*)
なんやねん、この顔・・・と驚かれたみなさま、ごめんなさい。
うちのルウルウさんです。
わたしのダーが一番気に入っていたルウの写真なんです。
ケイタイの待受になっていました^_^;
ルウの幼年期、わたしは仕事の関係で家を空けることが多かったので、この子はダーが育てたようなものです。
九州で、単身、往診のみの獣医として開業していたダーは、毎日ルウを助手席にのせ、走り回っていました。
いつもルウが楽しく遊べるような原っぱや草むらで休憩をとり、自分はコンビニで買ったおにぎり頬張りながら、楽しそうに駆け回るルウをうれしい気持ちで眺めていたそうです。
愛情たっぷりに育てられたルウはもちろんダーが大好きで、
お通夜のときは、ダーの顔にお尻をくっつけるようにして眠っていました。
この画像は、ダーのPCからもらったものですが、タイトルは「真っ黒クロスケ」^_^;
いつももっさりうっかぶっているルウを、愛情こめて「雑巾ルウ!」「デカシーズー!」「アホチンルウルウ」と呼んでいたダーでした。
亡くなる数日前から、「ルウに会いたいなあ」と毎日つぶやくので、わたしが「連れてくるよ、何とかして」と言ったら「ダメだよ。みんなに迷惑かけるから」なんて笑っていました。
亡くなる5日ほど前から、体がまったく動かなくなって車椅子にも乗れなくなっていたので、病院の前で会わせることもできない・・・
そこでわたしは、ルウをこっそり病室に運び込むために、「犬用ワイドカート」なるものを手に入れ、秘かに計画を立てていたんですけどね・・・。
だけど実際にそんなことして見つかったらとんでもないことになっていたかも。
患者が大切に想っている家族であれば犬であろうがネコであろうが自由に入れる病院の存在を知っていますが、
公の大きな病院では、なかなかそこまではできないでしょうね。
わたしとルウのこの写真は、PCの壁紙になっていました^_^;
4年くらい前のものだと思いますが、
「このころの真希はこんなにかわいかったんだね~~(ダーは長年関東にいたのでちゃっかり標準語デス)」と言われ、ムッとしたことを覚えています^_^;
「そんなに違う?」とわたしが訊くと、「違うよ~~」と断言され、2時間ほど何を言われても口を聞かなかった・・・という経緯があります。
確かにね・・・今とは違う・・・。痩せちゃって頬の辺りに年齢が表れはじめていますから^_^;
それにしても、「僕はこの写真が大好きなんだ」と微笑んでいたのが昨日のことのようです。
今日・・・わたしは、ある大きな愛に包まれ、何だかとても幸せな気持ちでいます。
ダーは単身、九州のド田舎で開業をしていたので、住んでいた家の後片付けのことなどで、弟のKさんと電話で話をしました。
ダーとわたしは、年齢がかなり離れていたので、Kさんはわたしにとって人生の大先輩です。
事務的な話が終わり、想い出話の途中、Kさんは唐突に切り出しました。
「兄は幸せでした。それは本当によくわかります。だけど、真希さんはどうだったのだろう・・・。真希さんの大切な10年を兄は台無しにしてしまったのではないだろうか・・・。それを思うと、僕は、申し訳なくてお詫びの言葉もありません・・・いつもそのことばかりを考えていました。兄は、真希さんに辛いことばかりさせてしまったのではないか、と・・・それをどうすればいいのかと・・・」
そう言ってKさんは号泣されました。
「兄のことはもう終わりました。だからもう何も心配しないでほしい。真希さんはまだ若いのだから、ご自分の人生を、ご自分の人生だけを大切に想って生きてほしい」
わたしは・・・わたしは、Kさんの心からの愛に圧倒され、しばらく言葉も出ませんでした。
ダーを選んだのはわたし自身です。そうであるなら、この結果もわたし自身が選んだことです。
誰も悪くはない。誰のせいでもない。
それに、わたしは、みなさんが仰ってくださるほど、ダーに尽くせたのでしょうか・・・。
周囲の人はみな、「真希ちゃん本当にご苦労様でした。ありがとう」と労いの言葉をかけてくださいます。
そんなときわたしはいつも想うのです。
みなさんが思ってくれるほどわたしは何もできなかったのに・・・と。
治療に関しては、わたしたちができることはすべてやり尽くした、という自信があります。
がんが発覚し、イレウス解除のため、原発切除の手術を行ったあと、医師はわたしに言いました。
「やはり腹膜に高度な転移がありました。末期がんです。無治療、あるいは抗がん剤が効かなければ7ヶ月ほど。抗がん剤が全部効いて一年半くらい」
わたしは医師の告げる余命なるものを信じていません。同じ結腸がんの肝転移・腹膜播種でも、人それぞれ様々な経過をたどります。
ある専門医が「人それぞれ個性が違うように、がんも千差万別」と言っていますがその通りだからです。
医師の告げる余命は「生存期間中央値」ですから、中央値より短い人もいれば長い人もいます。
ダーが患っていた病態で、治癒がないことは事実です。延命のみであることは事実です。
だけどわたしたちは延命のための延命をやったつもりは一切ありません。
だからこそ、二年間のほとんどを、ダーは、大阪と九州を行ったり来たりしながら仕事を続ける事ができました。
みんながびっくりするほど元気ながん患者として、生きることができました。
わたしたちの抗がん剤治療は、「元気な日を一日でも長く」の目標に到達したものであったから、治療に関してわたしは一切後悔はしていません。
だけど、その他もろもろのことで、小さな後悔はたくさんあります。
ダーは、親戚にも誰にも言わないことをわたしに約束させ、わたしと二人だけの日々を望みました。
ダーに心から愛され、心から信頼されていたわたしなのに、果たして、ダーの望みにきちんと応えることができたのかどうか・・・あまり自信はありません。
そのことをKさんに告げると、「真希さんがいてくれたから兄は幸せな死を迎えられました」と断言してくれました。
「兄はそれでよかった。でも真希さんは・・・」
わたしも断言しました。「わたしは幸せだったんです。わたしはあの人に、心から愛され、たくさんのことを教えてもらいました。あの人の生き方と死に方は、これからのわたしの人生に大きく関わってくるはずです・・・わたしは、心から感謝しているんです・・・」
電話を切った後、わたしは、うれしくて泣きました。
こんなにもわたしを心配してくださる方がいたなんて・・・
「愛」は、男女関係、親子関係だけの特権ではない、としみじみ思いました。
わたしを想って泣いてくださったKさんの愛は、自我の悲しみを忘れた、本物の愛だと感じました。
兄を想うからこそ、遺されたわたしをも大切に想ってくださるのでしょう・・・
本当にありがたくてありがたくて・・・心が洗われたような気持ちになりました。
ダーが旅立ってから、ダーのお客様(ダーが診ていた動物たちの飼い主さん)、友人知人関係の方から、たくさんのお言葉をいただきましたが、
そのほとんどが、「ジュン先生は幸せだったんですね」というお言葉でした。
決して寿命を全うしたという年齢まで生きられたわけではありません。
わたしとは随分歳が離れていましたが、まだまだ若く、まだまだ何でもできる歳でした。
それでも、「幸せだったんですね」と言っていただけて本当にうれしい・・・。
本当にダーのことを知っている、想ってくれている人にしか、この言葉を口にはできません。
「生きる」ということは、長短ではないと思っています。
この世で生きている間、どれだけ精一杯生きることができたか・・・人を愛すことができたか・・・自分の目標に近づけたかどうか・・・
その点、ダーは合格点をとったに違いありません。
愛する人の死は悲しいばかりではありません。
それは、遺された人の受け止め方次第で、随分と違ってくるように思います。
さみしくなったら思う存分泣けばいい、誰かに一時依存してもいい。でも、そればかりじゃ、愛する人を失わなければならなかった本当の意味がわからなくなる・・・。
わたしたちはついつい忘れてしまいます。この世での人生には限りがあることを。忘れていても、有限であることは、絶対に変えられない事実です。
自分の人生も、愛する人たちの人生も・・・みな有限です。
限りある中を生きていかなければならないのですよね・・・。
決して悲しいことではありませんよね。無限であれば、しょーもない人生を送ることになるかもしれないけれど、
有限だからこそ、今できることを精一杯やらなくちゃ・・・と思えるのですから(*^^)
たくさんの末期がん患者さんと話をしてわかったことは、
彼らはみな、病を患って初めて限りある自分の人生に気づき、ちょっぴり怠惰に生きた過去を反省し、
絶望と虚無を乗り越え、生きることの意味、その素晴らしさ、その残酷さを知り、
それでも生きたい、それだからこそ生きたい、という想いをかみしめているという事実です。
それほどまでに、大切な「生きる」ということ・・・
ダーの旅立ちによって、生きること、その本来の意味への理解を深めることができたわたしは幸せ者です。
そして、Kさんに、深い愛を与えていただけて本当に幸せです・・・(*^_^*)
実際にご覧くださった店舗のお客様、
ブログで画像をご覧くださったみなさまより、大絶賛のメッセージをたっくさんいただきました(*^_^*)
九州に帰った優ちゃんに告げましたら、もちろん大喜びでした。
あまりにもたくさんメールをいただいたので、お一人お一人にお返事ができずにごめんなさい・・・。
この場を借りてお礼申し上げます。
通販のお客様も、いつかぜひ、観にいらしてくださいね・・・(*^_^*)
なんやねん、この顔・・・と驚かれたみなさま、ごめんなさい。
うちのルウルウさんです。
わたしのダーが一番気に入っていたルウの写真なんです。
ケイタイの待受になっていました^_^;
ルウの幼年期、わたしは仕事の関係で家を空けることが多かったので、この子はダーが育てたようなものです。
九州で、単身、往診のみの獣医として開業していたダーは、毎日ルウを助手席にのせ、走り回っていました。
いつもルウが楽しく遊べるような原っぱや草むらで休憩をとり、自分はコンビニで買ったおにぎり頬張りながら、楽しそうに駆け回るルウをうれしい気持ちで眺めていたそうです。
愛情たっぷりに育てられたルウはもちろんダーが大好きで、
お通夜のときは、ダーの顔にお尻をくっつけるようにして眠っていました。
この画像は、ダーのPCからもらったものですが、タイトルは「真っ黒クロスケ」^_^;
いつももっさりうっかぶっているルウを、愛情こめて「雑巾ルウ!」「デカシーズー!」「アホチンルウルウ」と呼んでいたダーでした。
亡くなる数日前から、「ルウに会いたいなあ」と毎日つぶやくので、わたしが「連れてくるよ、何とかして」と言ったら「ダメだよ。みんなに迷惑かけるから」なんて笑っていました。
亡くなる5日ほど前から、体がまったく動かなくなって車椅子にも乗れなくなっていたので、病院の前で会わせることもできない・・・
そこでわたしは、ルウをこっそり病室に運び込むために、「犬用ワイドカート」なるものを手に入れ、秘かに計画を立てていたんですけどね・・・。
だけど実際にそんなことして見つかったらとんでもないことになっていたかも。
患者が大切に想っている家族であれば犬であろうがネコであろうが自由に入れる病院の存在を知っていますが、
公の大きな病院では、なかなかそこまではできないでしょうね。
わたしとルウのこの写真は、PCの壁紙になっていました^_^;
4年くらい前のものだと思いますが、
「このころの真希はこんなにかわいかったんだね~~(ダーは長年関東にいたのでちゃっかり標準語デス)」と言われ、ムッとしたことを覚えています^_^;
「そんなに違う?」とわたしが訊くと、「違うよ~~」と断言され、2時間ほど何を言われても口を聞かなかった・・・という経緯があります。
確かにね・・・今とは違う・・・。痩せちゃって頬の辺りに年齢が表れはじめていますから^_^;
それにしても、「僕はこの写真が大好きなんだ」と微笑んでいたのが昨日のことのようです。
今日・・・わたしは、ある大きな愛に包まれ、何だかとても幸せな気持ちでいます。
ダーは単身、九州のド田舎で開業をしていたので、住んでいた家の後片付けのことなどで、弟のKさんと電話で話をしました。
ダーとわたしは、年齢がかなり離れていたので、Kさんはわたしにとって人生の大先輩です。
事務的な話が終わり、想い出話の途中、Kさんは唐突に切り出しました。
「兄は幸せでした。それは本当によくわかります。だけど、真希さんはどうだったのだろう・・・。真希さんの大切な10年を兄は台無しにしてしまったのではないだろうか・・・。それを思うと、僕は、申し訳なくてお詫びの言葉もありません・・・いつもそのことばかりを考えていました。兄は、真希さんに辛いことばかりさせてしまったのではないか、と・・・それをどうすればいいのかと・・・」
そう言ってKさんは号泣されました。
「兄のことはもう終わりました。だからもう何も心配しないでほしい。真希さんはまだ若いのだから、ご自分の人生を、ご自分の人生だけを大切に想って生きてほしい」
わたしは・・・わたしは、Kさんの心からの愛に圧倒され、しばらく言葉も出ませんでした。
ダーを選んだのはわたし自身です。そうであるなら、この結果もわたし自身が選んだことです。
誰も悪くはない。誰のせいでもない。
それに、わたしは、みなさんが仰ってくださるほど、ダーに尽くせたのでしょうか・・・。
周囲の人はみな、「真希ちゃん本当にご苦労様でした。ありがとう」と労いの言葉をかけてくださいます。
そんなときわたしはいつも想うのです。
みなさんが思ってくれるほどわたしは何もできなかったのに・・・と。
治療に関しては、わたしたちができることはすべてやり尽くした、という自信があります。
がんが発覚し、イレウス解除のため、原発切除の手術を行ったあと、医師はわたしに言いました。
「やはり腹膜に高度な転移がありました。末期がんです。無治療、あるいは抗がん剤が効かなければ7ヶ月ほど。抗がん剤が全部効いて一年半くらい」
わたしは医師の告げる余命なるものを信じていません。同じ結腸がんの肝転移・腹膜播種でも、人それぞれ様々な経過をたどります。
ある専門医が「人それぞれ個性が違うように、がんも千差万別」と言っていますがその通りだからです。
医師の告げる余命は「生存期間中央値」ですから、中央値より短い人もいれば長い人もいます。
ダーが患っていた病態で、治癒がないことは事実です。延命のみであることは事実です。
だけどわたしたちは延命のための延命をやったつもりは一切ありません。
だからこそ、二年間のほとんどを、ダーは、大阪と九州を行ったり来たりしながら仕事を続ける事ができました。
みんながびっくりするほど元気ながん患者として、生きることができました。
わたしたちの抗がん剤治療は、「元気な日を一日でも長く」の目標に到達したものであったから、治療に関してわたしは一切後悔はしていません。
だけど、その他もろもろのことで、小さな後悔はたくさんあります。
ダーは、親戚にも誰にも言わないことをわたしに約束させ、わたしと二人だけの日々を望みました。
ダーに心から愛され、心から信頼されていたわたしなのに、果たして、ダーの望みにきちんと応えることができたのかどうか・・・あまり自信はありません。
そのことをKさんに告げると、「真希さんがいてくれたから兄は幸せな死を迎えられました」と断言してくれました。
「兄はそれでよかった。でも真希さんは・・・」
わたしも断言しました。「わたしは幸せだったんです。わたしはあの人に、心から愛され、たくさんのことを教えてもらいました。あの人の生き方と死に方は、これからのわたしの人生に大きく関わってくるはずです・・・わたしは、心から感謝しているんです・・・」
電話を切った後、わたしは、うれしくて泣きました。
こんなにもわたしを心配してくださる方がいたなんて・・・
「愛」は、男女関係、親子関係だけの特権ではない、としみじみ思いました。
わたしを想って泣いてくださったKさんの愛は、自我の悲しみを忘れた、本物の愛だと感じました。
兄を想うからこそ、遺されたわたしをも大切に想ってくださるのでしょう・・・
本当にありがたくてありがたくて・・・心が洗われたような気持ちになりました。
ダーが旅立ってから、ダーのお客様(ダーが診ていた動物たちの飼い主さん)、友人知人関係の方から、たくさんのお言葉をいただきましたが、
そのほとんどが、「ジュン先生は幸せだったんですね」というお言葉でした。
決して寿命を全うしたという年齢まで生きられたわけではありません。
わたしとは随分歳が離れていましたが、まだまだ若く、まだまだ何でもできる歳でした。
それでも、「幸せだったんですね」と言っていただけて本当にうれしい・・・。
本当にダーのことを知っている、想ってくれている人にしか、この言葉を口にはできません。
「生きる」ということは、長短ではないと思っています。
この世で生きている間、どれだけ精一杯生きることができたか・・・人を愛すことができたか・・・自分の目標に近づけたかどうか・・・
その点、ダーは合格点をとったに違いありません。
愛する人の死は悲しいばかりではありません。
それは、遺された人の受け止め方次第で、随分と違ってくるように思います。
さみしくなったら思う存分泣けばいい、誰かに一時依存してもいい。でも、そればかりじゃ、愛する人を失わなければならなかった本当の意味がわからなくなる・・・。
わたしたちはついつい忘れてしまいます。この世での人生には限りがあることを。忘れていても、有限であることは、絶対に変えられない事実です。
自分の人生も、愛する人たちの人生も・・・みな有限です。
限りある中を生きていかなければならないのですよね・・・。
決して悲しいことではありませんよね。無限であれば、しょーもない人生を送ることになるかもしれないけれど、
有限だからこそ、今できることを精一杯やらなくちゃ・・・と思えるのですから(*^^)
たくさんの末期がん患者さんと話をしてわかったことは、
彼らはみな、病を患って初めて限りある自分の人生に気づき、ちょっぴり怠惰に生きた過去を反省し、
絶望と虚無を乗り越え、生きることの意味、その素晴らしさ、その残酷さを知り、
それでも生きたい、それだからこそ生きたい、という想いをかみしめているという事実です。
それほどまでに、大切な「生きる」ということ・・・
ダーの旅立ちによって、生きること、その本来の意味への理解を深めることができたわたしは幸せ者です。
そして、Kさんに、深い愛を与えていただけて本当に幸せです・・・(*^_^*)