オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

桃子さまありがとうございます♪ &レーナ・マリア / 馬槽の中に

2010-10-19 | お客様より・・・♪
まいどでござる。

ただいまご注文が大変混雑しております。よろしくお願いいたします。
本日は私用でお休みをいただいておりました。
この忙しいときにごめんなさい。
Mさんとトム・フォード監督の『シングル・マン』を観に行ったのに
時間を間違えて観られなかった・・・という^_^; 
なんちゅーことや。
ま、しかし、その分Mさんとおしゃべりできたので良しとしよう。←仕事と、そして生死に関わること以外には、ほとんど無頓着な人間になっちまいました。

ちょっと伝言板。

Rieさん、発送が遅れてしまい申し訳ございません。明日発送させていただきますので
どうぞよろしくお願いいたします。

奈美さん、ファックス拝見いたしました。かしこまりました。木曜日お待ちしております♪
いつもありがとうございます。

香奈さん、留守電聞きました。早くPC直れば良いですね・・・
携帯対応していなくてごめんなさい。ただ、他のお客様のお話によると、
ご覧いただける場合もあるようなのです。確認してみますね。

えっとえっと。次回更新は木曜日を予定しております。
明日、追記できると思いますのでお楽しみにネ!





桃子さまから、こんな可愛い贈り物をいただきました

わあ・・・ピンクピンクだ
まさに、桃色ギフト
お手紙うれしいなあ・・・☆彡 手書きのお手紙って本当にうれしい。
そのくせ、自分は、字が下手だという理由で
手書きのお手紙をほとんど書きません^_^;

桃子さまは、とってもお若いお客様♪
まだ20代前半でいらっしゃいます
うれしいなあ・・・お若いお客様♪



桃子さま、このキャンディ、とーっても美味しかったです♪♪
わたしこの手のキャンディ大好きなんです。
ちとせあめの懐かしい味♪
バリバリ食べてしまいました^_^;
お紅茶も、桃の甘い香りがふんわりと漂い、心が和みました。

いつもお買い物いただき、その上こんなに素敵なものまでいただいてしまって・・・
申し訳ございません。
本当にありがとうございました。

ガラスキャビネット、大丈夫でしたでしょうか?
割れるのが怖ろしくてきっちり梱包したつもりなのですが、サイズも大きかったので
ちょっぴり心配でした
(桃子さま、うちで販売していたものは、送っていただいたものより
一回り小さなサイズのものでした^_^; でも形はまったく同じでした♪)。

てか、同じことばかり書いていますが、
実際、わたしお客様にいただきものしすぎ・・・
申し訳ございません・・・図々しいったらありゃしないのです・・・。


さて。
お話変わります。

先日、あるベテラン信徒さんとお話をさせていただきました。
彼女いわく、「信仰などするものは弱い者だと言われているが、実はまったくその逆で、
強い者でないと信仰などできない。
だって、見えないものを信じるためには、どれほどの強い心が必要か」

うん。それはその通りだと思います。
目に見えないものを信じるということは、それなりの努力と忍耐が必要であります。
そのへんは、わたし自身が今まさに経験していることですからネ。

でもね・・・。
わたしは、信仰者が、必ずしも強い者ばかりだとは思わないのですョ。

ハッキリ言って、そんな強いなら、信仰なんてしなくていーやんか、と思ったりします^_^;
もしかしたら、信仰によって強くなった、と言いたかったのかしら、それならわかるけれどネ^_^;

周作の『沈黙』を読んでくださったみなさまにはお分かりのことと思います。
あの中には、弱い者の代表「キチジロー」という、臭くて薄汚い男が出てきます。
彼は、その弱さから、役人に脅かされるたびに転び(踏み絵を踏み)、
拷問(江戸時代の切支丹迫害時には、凄まじい拷問があった)が怖ろしくて転び、
そのくせ、どうしても、棄教するまでには至らず、
延々と、ロドリコ神父を追いかけるのです。

彼は、垢だらけの体を震わせて叫びます。
「この俺は転び者だとも。だとて一昔前に生れ合わせていれば、善かあ切支丹として
ハライソ(天国)に参ったかもしれん。
恨めしか。俺は恨めしか」

強い者は問題ない、
穴吊り(穴の中に逆さ吊りされ、苦しみの極限状態のまま数日生き延びた上に絶命する)や
雲仙地獄(煮えたぎるあの熱湯を、細かい穴が幾つも開いたひしゃくから体に浴びせて棄教を迫る)や
水磔刑(海の中に十字架をたて、そこに括りつけられて、数日後に悶死する)に
耐え抜き、そして殉教できたものは、教会で、聖者と呼ばれる。
もちろん、それら殉教者は、聖者と呼ばれるに値する人々です。

けれども、弱い者はどうすれば良いのか、どうしても勇気を起こせない、それでいて完全に棄教することもできず、
神の救いを乞い続けてしまう、そんなキチジローのような人間はどうすれば良いのか。

周作は、キチジローのモデルは自分だと言い、
わたしもまた、この自分が、この勇気のない自分が、怖ろしい拷問に耐えて殉教できるはずはないだろう、と考える、もう一人のキチジローだと自覚しています。

ロドリコ神父は考えます。
「人間のうちで最もうす汚い、キチジローのようなこんな人間まで、基督(キリスト)は探し求めたのだろうか」

このキチジローという男は、悪人にも値しない。襤褸(ボロ)のようにうす汚いだけである。
それでも、このような人間まで、基督は求めておられるのだろうか・・・・・・。

いいや、とロドリコは思いました。
主は、うす汚い人間しか探し求められなかった、と。
聖書の中に出てくる人間たちのうち、基督が探し歩いたのは、
病気の女や男、人々に石を投げつけられる娼婦や、苦しみと裏切りと孤独にのたうちまわる人間ばかりだった、と。
誰一人として、魅力もない、美しさとは無縁の存在ばかりだった、と。

魅力のあるもの、美しいものに心ひかれるのなら、それは誰だってできることだった。
そんなものは愛ではなかった。
色あせて、襤褸のようになった人間と人生を棄てぬことが愛だった。

強い信仰。ただ真っ直ぐに、神に感謝しながら生きられる人生。
それは美しく、気高く、尊敬を誘います。
けれども、わたしは、周作と同様、信仰というものは、
「つまずきながら続くもの」と考え、そしてそれは、わたしの場合、完全に当たってしまっているのです。

今夜もまた、ふと、怖ろしい、あの疑問が頭をかすめるのです。
「本当に・・・?」と。
「大丈夫・・・?」と。
「もしも、もしものことだけれど・・・神がいないとしたら・・・?」と。
「万一・・・万一のことだけれど・・・人は肉体とともに消滅するのだとしたら・・・?」

会える、かならずまた会える、愛する人に。
わたしと同様、それだけを支えに、それだけを希望に生きている人たちを、
わたしはたくさん知っているのです。
わたしを含めたみんなの支えが、希望が、
万一・・・万一・・・破られたとしたら・・・?

そして、あまりにも怖ろしいそれらの自問に逃げ出したくなるのです。

信仰の弱さが誘き出すその愚問。その一言で片付けることのできる聖職者たちに、
キチジローのような、周作のような、そしてあまたいるだろう、わたしのような人間の気持ちは決して、わからないことでしょう。

けれども、わたしたちは、自分たちが、襤褸のようにうす汚く、勇気のない人間だと認めつつ、
決してあきらめないのです。
決してあきらめることなく、目に見えないものを信じる努力と忍耐を「つまずきながら」
生涯、続けるのです。
そして、それこそが、真なる意味での信仰なのではないか、と、わたしはずっと思っているのです。

聖者にはなれないクリスチャン。それでいいではないか。
尊敬されないクリスチャン。それでいいではないか。
クリスチャンってなんやねん。
クリスチャンでなくてもいーではないか。
わたしたちは、
キリストに探し求められる人間でありさえすれば良いのではないか。
そしてキリストは、誰も彼をも、探し求めていらっしゃるのではないか。
彼は、差別が大嫌いだった。
だから、彼は、誰でも彼でもを、その細い腕の中に、抱きとめたい、と願っていらっしゃるに違いない。
そして、
「わたしはあなたに抱きしめてもらう値打ちのない人間です」そう低くなる者をこそ、
自分の弱さを認め、その情けない事実とともに苦しい日々を歩いてきた者をこそ、
彼は、もっとも愛し、もっとも強く抱きしめてくれるに違いない。

先日の礼拝で、うちの後藤牧師は言いました。
「忘れてはならないのは、神は、いつでもわたしたちに祝福を贈りたがっているということ。
祝福は『神への献身の結果ではなく』、『神からの一方的な愛であること』。
それほどまでに、神は、
人間を愛しているということ」
特に、苦しむ者を、孤独な者を、うす汚い襤褸をまとって四苦八苦している者を、
愛しているということ。
それさえ知っていれば、わたしたちは、苦しんでも、孤独ではありません。
わたしたちが、苦しみより、孤独のほうを怖れていることを、神はご存知なのです。

サァ、
みなさま、
レーナ・マリアという、ゴスペル(賛美歌)歌手をご存知ですか。
生まれたときから両腕がなく、片足が半分の長さしかないという、障がいを持っておりますが、
パラリンピックで活躍するなど
ゴスペル歌手として以外にも、多方面で活動なさっているそうです。

日本人にも馴染みのあるゴスペル歌手だそうですが、わたしは数ヶ月前に、You Tubeで知りました。
彼女の声、まさに魂のこもった美声、ものすごーい衝撃でした。

茨の冠を被り、十字架を背負わされた、この血なまぐさいイエスさまを観てひるんではいけません^_^;
なんでこれがトップに映されているのか、ちょっと文句をつけたいくらいですが、
この映像は、実際にはほんの一瞬出てくるだけです、ご安心ください。
マァ、みなさま、だまされたと思って、聴いてみてください(日本語で歌っておられます)、
そしてびっくりすることのないよう、音量は中くらいで聴いてみてください↓

レーナ・マリア / 馬槽の中に