☆10/23 追記
お待たせいたしました明日10/24日曜日更新予定新作速報です
たくさんの方からリクエストをいただいている待望のダウンジャケットが登場
大ブレイク間違いなしのリボンアクセント、薄ピンクのスウィートダウンです♪
ポッケに可っ愛いリボン×カメリアどんなアイテムにも華を添えてくれるオリジナル白カメリア☆彡
ジッパーにも白カメリア・・・
お色は、限りなく白に近い薄ピンク♪
華やかすぎず、それでいて愛らしさ満点のお色☆彡 お顔がふわっと輝きます。
ダウン50、フェザー50、軽くて暖かな上質素材、
裏地はベビーピンク×細かいチョコドット♪
このダウンなら、カジュアルに傾かず、エレガントにもフェミニンにもお召しいただけます。
大人の女性のための、スウィートダウン
着心地満点です♪♪ 襟元もとびっきり素敵!
サイズは9号のみ。ダウンは、1サイズ大きくなると、シルエットが崩れるので、
できればジャストサイズを選ぶのがおススメ。
ゆったりとした着心地なので、9号から9号よりの11号の方にもどうぞ(*^_^*)
一緒にご紹介するベロアの水玉スカートと合わせると、こんなにスッキリ上品な印象に♪
おススメコーデです!
髪につけているリボンカチューシャもご紹介いたします。
カチューシャ大好きなみなさまにはゼッタイおススメの逸品なのです
画像で観るよりずっとずっと素敵です・・・☆彡
なんと6000円台にてご紹介いたします。ウソみたいにお買い得です!
ルネのシルクバルーンスカートと合わせてみました♪ 可愛いでしょ(^^♪
お互い上品な光沢感を持っているのでぴったりでした♪
こんなエレガントなスカートにも合わせられるのが魅力・・・
ふくらみすぎない美しいライン、ダウンなのに着やせ効果あり!
こちらも大ブレイク間違いなし
ループツイードの女優ジャケット☆彡
今季は、Rose Party、アウターの当たり年です\(-o-)/
先日のループツイードのジャケットが大人気で、完売後もたくさんのお問い合わせをいただいております。
似たようなループツイードですが、こちらはなんと・・・
薄く中綿が入っているので、暖かいのです♪ にも関わらず、ふわふわ羽のような軽やかさ☆彡
気品のあるベージュ、高級感のあるループツイード、そして、美しい女優襟☆彡
この襟は、お顔を小さく見せてくれます。
ミルクティツイードの可愛いリボンブローチをお付けいたしますのでフロントに留めてくださいネ。
まあるくカーヴィなフォルムが何とも可愛いらしくてお人形さんみたい・・・☆彡
こちらも着心地満点、お手ごろ価格のジャケットにはゼッタイ見えません(*^_^*)
ふんわりスカートと合わせて、完璧な、女優スタイル☆彡
ツイードなのにまったく重たさがなくエアリー感満点。
サイズは9号、11号をご用意。こちらもゆったりしているのでジャストサイズをおススメ。
着画でわたしが髪につけているカチューシャ、おススメいたします♪
チョコ色のおっきなサテンリボン☆彡 控えめな光沢感とふんわりリボンが女優スタイルを一気に盛り上げます♪
チョコなので、おっきなリボンでも悪目立ちしません^_^;
つけるだけで、一気に可愛らしくなりますのでぜひ♪
他にもご紹介いたします♪ どうぞお楽しみに
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まいどでございます。いつもありがとうございます♪
またまたご注文が大変混雑しております。
何卒よろしくお願いいたします。
プレゼントフェアは終了いたしました。ありがとうございました!
今日、10/22は、わたしのダーの命日です。
3回目のこの日。
3年も会っていないんだ・・・ふと、思います。
そして、この事実に耐えられない、と、思うのです。
この事実から逃げ出したい、と思います。
命日が近づくたびに、わたしたち遺族は、様々な感情と向き合わなければならなくなるため、
自分自身との闘いが激しくなり、疲れ果ててしまいます。
1年目・・・俗に言う一周忌、これは生き地獄です。
わたし自身の経験はもちろんのこと、
死別の会に参加している数十名の方たちがみな口を揃えて言います。
わたしの場合は、一ヶ月も前から、一周忌のことを考えて身も心も緊張し、
夜もまともに眠れないほどの状態でした。
二年目からは、その人の状況によります。二年目も三年目も・・・
それどころか十年たっても苦しい人が実際にいます。年月で悲しみははかれません。
命日はなぜつらいか。
それは、臨終の日のことを、まざまざと思い起こさせる日だからです。
普段は忘れたフリをしている、最期の日のことを、
まるで昨日のことのように、思い出し、
あの日の筆舌し難い悲しみと喪失を、再体験させられるからです。
最愛の人の、息の根が止まる瞬間、それを目にしなければならなかった自分の運命に対する怒り、
どうしてなの? という疑問、
ああしてあげればよかった、こうしてあげればよかった・・・そんな自責(これが一番激しいかもしれません)。
様々な感情が胸を去来し、そのやりきれない想いに、たった一人で耐えなければなりません。
愛する人を失うということは、死によって、引き離されることは、
まぎれもなく、人生最大の苦しみです。
信仰さえ、救いにならないように思えるこの日。
だけど、やっぱり、救われるんです。
信じる者は・・・やっぱり救われるんですョ(*^_^*)
命日に咲く、白薔薇。
ダーがわたしのために植えてくれたこのつる薔薇・・・
「マキのために植えているんだ、きっとたくさん花がつくよ」と言いながら
彼が植えてくれたこのつる薔薇・・・
今思えば、彼は自分の肉体が消えたとき、この薔薇がわたしの心の支えになってくれるよう
願いながら、植えてくれたことがわかります。
六月に満開になり、毎年ブログでその画像をみなさまにもご覧いただいていますネ。
数週間咲き誇ったあとに枯れ、その後4ヶ月間・・・この日までは、
当然、ただの一つも花は咲きません。
それが、この、命日にだけは、咲くのです。
しかも、たった一つ。40-50も花をつける中で、たった一つ。
今年も咲いてくれました(一年目2008年の命日に咲いた薔薇の写真も、このブログに載せています)。
一度だけのことなら、偶然として片付けてしまえるかもしれません。けれど、三年目です、
しかも、10/22という、この日を選んで、たった一つだけ、咲くのです。
これを偶然と言うには、逆に、無理がありますネ・・・^_^;
偶然として片付けられないもう一つの理由があります。
それは、わたしが、一生懸命、必死になって、
「咲かせて・・・!」と祈っている、ということです^_^;
今年も、数週間前から、
「あなたに会っていない日が長くなるにつれ、耐えられない日が多くなる、
どうか「不思議」をください、証明をください、
あなたがまだ生きていることの証明を、命日にだけは、ください。今年もまた、白薔薇を一つ、咲かせてください」
そうやって、わたしは、ひそかに毎晩祈り続けているのです。
そして、こうして、たった一つ、通常では考えられない時期に季節はずれの花が咲くたび、わたしの願いは聞き入れられた、という
満足感に、心が満たされます(*^_^*)
何より、肉体の消滅はすべての消滅ではない、という、
この「目に見える事実」に、感動します。
今朝も、この花を見た瞬間、心の中で、快哉を上げました^_^;
自分のためだけじゃなく、
愛する人と死別して苦しんでいるたくさんの方たちのためにもうれしいんです。
これが証明じゃない、あなたの愛する人は生きているんだよ、
そう言えることがうれしいんです。
そして、彼は、わたしが、このことを、苦しんでいる人たちに伝えることを
望んでいることもわかるのです。
このたった一つの白薔薇は、命日を選んで咲くこの白薔薇は、
わたしと彼が、いまだ愛のままにつながっているということを証明すると同時に、
愛する人を亡くしたすべての人が、
その人といまだ愛のままにつながっている、という
証明でもあるのです。
今日は、教会に行きましたので、
牧師にも観てもらいました。
バカみたいに喜ぶわたしを見て、牧師もまた、バカみたいに喜んでくれました。
「喜ぶ者と一緒に喜びなさい。悲しむ者と一緒に悲しみなさい」という
わたしの大好きな聖句が心に浮かびました。
そして、牧師は、
「こうして目に見える形で愛をくださったことに、心より感謝いたします」と
神様に感謝の祈りを捧げてくれました。
牧師がそう祈ってくれたとき、
わたしは、自分の隣でいつも、一緒に泣いてくれている、苦しんでくれている、
わたしの心の同伴者イエスさまが、
ほんのりと、
微笑んでくれたような気がしました。
目に見えないものを信じることの難しさと常に闘っているわたしをご存知のイエスさまが、
年に一度だけでも、こうして、目に見える形で証明してくださることに、
感謝の想いでいっぱいです。
暗くなると、より一層、キレイです(*^_^*)
「不思議」については、以前、何度か書かせていただきました。
わたし自身の不思議は、彼が亡くなって一年間は、続けざまに起こりましたが
その後はなしのつぶてでして^_^;
ですから余計に、この年に一度の、彼からのメッセージに焦がれるわけですが、
わたしの周りでは、今も、たくさんの不思議が起こり、
それを実際に、本人の口から聞いています。
幾つかご紹介いたしましょう。
*Rさんの話(プロテスタント系・クリスチャン)
ご主人が亡くなって半月ほどしたある日のこと。
Rさんは、駅のホームのベンチで一人、泣いていました。
電車に乗らなければならないのに、涙があふれてあふれて止まらず、
何本もの電車を過ごしていました。
こんな苦しみには耐えられない・・・もう死にたい・・・そう思ったとき、
ふと、ベンチの後ろの花壇に、キラッと光るものが目に入りました。
恐る恐る手を伸ばし、それを取り上げると、ハートのペンダントトップでした。
Rさんは、ハートモチーフが大好きで、亡くなったご主人から、
よく、ハートモチーフのプレゼントをもらっていました。
「ウソみたいな話だけど本当なのよ」と言って、Rさんは、花壇で見つけたシルバーハートのペンダントトップを、
わたしに見せてくれました。
「きっと誰かの落し物ね・・・と同時に、これは天国の夫からのプレゼントなのよね、
わたしに、僕は死んでなんかいないよ、いつも見ているよ、さあ、元気を出しなさい、
というメッセージをくれたんだと思う」
*Kさんの話(無信仰)
ご主人が亡くなって一週間ほどしたある日のこと、
突然死だったこともあり、Kさんは、ご主人の死をどうしても受け入れられずにいました。
苦しくて苦しくて・・・どうにもなりませんでした。
思わず、Kさんは、「あなた、わたしはどうすればいいの、何か言って、助けてください」と叫びました。
すると・・・ご主人がどこかのお土産で買ってきて気に入っていた、首振り人形が首を振ったのです。
驚いたKさんが、「あなたですか?」と訊ねると、一旦止まっていた首振り人形が、また首を振りました。
夕方帰ってきた息子にそのことを話しましたが、息子は信用してくれません。
それどころか、「お母さん、あんまりそんなこと言わないで、おかしいと思われるよ」と、呆れたような顔をしています。
「それじゃあ、あんたの前でやってみる!」Kさんは、息子を隣の部屋へ
連れて行き、首振り人形の前に一緒に座り、
「お父さん」と呼びかけました。
すると、微動だにしていなかった首振り人形が、またもや大きく首を振ったのです。
*Mさんの話(仏教徒)
Mさんは、自宅で、アロマセラピーを行っています。
ある日、いつものように、クライアントさんの背中をマッサージしていたとき・・・
突然、悲しみがこみ上げてきました(悲嘆経験者には、このように、突然、何の前触れもなく悲しみがこみ上げてくることはよくあることなのです)。
仕事中なのに・・・Mさんはその悲しみを振り払おうと、奥歯を噛みしめたとき・・・
灯していたろうそくの火が、
ふわわーっと浮き上がり、なんとハートの形を作ったのです・・・!^_^;
「夫が励ましてくれている・・・!」Mさんは確信しました。
*Kさんの話(カトリック・クリスチャン)
最愛の息子の葬儀前、息子さんの遺体は、教会の中の一室に安置されていました。
よろめきながらその部屋に入ったKさんは、
突然、真っ白な光が、息子さんの遺体が入った棺を囲むようにして
輝きだしたのを、ハッキリと目にしました。
その部屋には、窓はありませんでした。その白い光がどこから射しているのか、
科学的には証明のできないような現象でした。
「息子は天に昇っていくんだ、イエスさまの腕の中に」
言葉になんてならない悲しみの中でも、Kさんはその事実を認めました。
Kさんの隣には、無信仰のご主人がいて、ご主人と二人で、その光を、疑いようのない形で、ハッキリと、見たのです。
この話をわたしにしてくれた人たちは、みなさん、まともな人たちです。
幻覚を見たり幻聴を聴いたりするような状況にはありません。
悲しみを悲しみとして現実に受け止めているからこそ、
涙が止まらなかったり、相手に叫んだりできるのです。
ましてや、虚言癖などありません。
また、この方たちは、こんな話をして、得になることがただの一つもありません。
得になるどころか、一歩間違えば「頭のおかしな人」と印象づけてしまいます。
ですから、このような話を、言下に否定するような人たちには一切話しません。
話さずに、自分の胸にしまっている人たちが・・・世の中には、あまたいらっしゃいます。
わたしが実際に聞いた「不思議」は他にもいろいろありますが、今夜はこのくらいにしておきましょう^_^;
特筆すべきは、宗派に関わらず、多くの方が「不思議」を体験しているということです。
クリスチャンだから不思議が起こる、クリスチャンだから天国がある、というのは
わたしは、正しくない、と思っています。
人間はすべて、神様の手による創造物です。
それならば、信仰のあるなしに関わらず、宗派に関わらず、誰もが、神様に愛され護られているのです。
キリスト教の信じる神様と、仏教徒の信じる神様は違います、イスラム教の信じる神様ともまた違います。
キリスト教は一神教ですが、
日本やギリシャなどを代表とする国は多神教です(海とか山にもそれぞれ神様がいると信じている)。
そういうことを言い出すと、キリがありませんが、何を信じていようとも、また、信じていなかろうとも、
創造主は一人(一つ)です。
(だけど信仰はないよりあったほうが良いです^_^;
それは、自分や自分の周囲に何か大変なことが起こったときによくわかります^_^;
人間はいつか必ず、自分の手に負えない苦しみを体験します。
ただし、「異端」と呼ばれる宗派には気をつけてください、
すべての宗教が正しい教義にあるとは限りません、
聖書を持ち出してきても、そこが本当にキリスト教の教えに忠実であるかどうかはわかりません
(ローマ・カトリック教会、日本基督教団(プロテスタント)、正教会は正しい教義にあると教わりました)、
お金をたくさん取ったり、無理なことを要求したり、人間を神様扱いするような宗教には注意してください)
当然ながら、どんな「不思議」が・・・科学では太刀打ちできないことが起こっても、
それで悲しみのすべてが癒えるわけではありません。
10回、20回・・・おびただしい数の「不思議」がこの身に起こっても、
愛する人の肉体がそばにいない、それが現実だからです。
今、この世に、肉体を持って生きている人間にとっては、
最愛の人に触れられない、という現実のほうが、遥かに重いからです。
それでも。
わたしたちは、このような「不思議」・・・つまり、故人からの暖かなメッセージのおかげで、
心の深いところが救われているのもまた、事実です。
うちの教会です。
プロテスタントは、装飾を好まないので、至ってシンプルです。礼拝堂にも、十字架があるだけです。
イエスさまのお像も、カトリックによくある空色の聖母マリアのお像もありません。
だけどわたしは、磔刑のイエスさまをこよなく愛しているので、
そのイエスさまを目にしたいがために、
カトリック教会を、時々・・・のぞいちゃいます^_^;
次回新作は、日曜日を予定しております。明日、速報いたしますのでまた見てね!
バイバイ(^^)/~~~
お待たせいたしました明日10/24日曜日更新予定新作速報です
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お色は、限りなく白に近い薄ピンク♪
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着心地満点です♪♪ 襟元もとびっきり素敵!
サイズは9号のみ。ダウンは、1サイズ大きくなると、シルエットが崩れるので、
できればジャストサイズを選ぶのがおススメ。
ゆったりとした着心地なので、9号から9号よりの11号の方にもどうぞ(*^_^*)
一緒にご紹介するベロアの水玉スカートと合わせると、こんなにスッキリ上品な印象に♪
おススメコーデです!
髪につけているリボンカチューシャもご紹介いたします。
カチューシャ大好きなみなさまにはゼッタイおススメの逸品なのです
画像で観るよりずっとずっと素敵です・・・☆彡
なんと6000円台にてご紹介いたします。ウソみたいにお買い得です!
ルネのシルクバルーンスカートと合わせてみました♪ 可愛いでしょ(^^♪
お互い上品な光沢感を持っているのでぴったりでした♪
こんなエレガントなスカートにも合わせられるのが魅力・・・
ふくらみすぎない美しいライン、ダウンなのに着やせ効果あり!
こちらも大ブレイク間違いなし
ループツイードの女優ジャケット☆彡
今季は、Rose Party、アウターの当たり年です\(-o-)/
先日のループツイードのジャケットが大人気で、完売後もたくさんのお問い合わせをいただいております。
似たようなループツイードですが、こちらはなんと・・・
薄く中綿が入っているので、暖かいのです♪ にも関わらず、ふわふわ羽のような軽やかさ☆彡
気品のあるベージュ、高級感のあるループツイード、そして、美しい女優襟☆彡
この襟は、お顔を小さく見せてくれます。
ミルクティツイードの可愛いリボンブローチをお付けいたしますのでフロントに留めてくださいネ。
まあるくカーヴィなフォルムが何とも可愛いらしくてお人形さんみたい・・・☆彡
こちらも着心地満点、お手ごろ価格のジャケットにはゼッタイ見えません(*^_^*)
ふんわりスカートと合わせて、完璧な、女優スタイル☆彡
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サイズは9号、11号をご用意。こちらもゆったりしているのでジャストサイズをおススメ。
着画でわたしが髪につけているカチューシャ、おススメいたします♪
チョコ色のおっきなサテンリボン☆彡 控えめな光沢感とふんわりリボンが女優スタイルを一気に盛り上げます♪
チョコなので、おっきなリボンでも悪目立ちしません^_^;
つけるだけで、一気に可愛らしくなりますのでぜひ♪
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まいどでございます。いつもありがとうございます♪
またまたご注文が大変混雑しております。
何卒よろしくお願いいたします。
プレゼントフェアは終了いたしました。ありがとうございました!
今日、10/22は、わたしのダーの命日です。
3回目のこの日。
3年も会っていないんだ・・・ふと、思います。
そして、この事実に耐えられない、と、思うのです。
この事実から逃げ出したい、と思います。
命日が近づくたびに、わたしたち遺族は、様々な感情と向き合わなければならなくなるため、
自分自身との闘いが激しくなり、疲れ果ててしまいます。
1年目・・・俗に言う一周忌、これは生き地獄です。
わたし自身の経験はもちろんのこと、
死別の会に参加している数十名の方たちがみな口を揃えて言います。
わたしの場合は、一ヶ月も前から、一周忌のことを考えて身も心も緊張し、
夜もまともに眠れないほどの状態でした。
二年目からは、その人の状況によります。二年目も三年目も・・・
それどころか十年たっても苦しい人が実際にいます。年月で悲しみははかれません。
命日はなぜつらいか。
それは、臨終の日のことを、まざまざと思い起こさせる日だからです。
普段は忘れたフリをしている、最期の日のことを、
まるで昨日のことのように、思い出し、
あの日の筆舌し難い悲しみと喪失を、再体験させられるからです。
最愛の人の、息の根が止まる瞬間、それを目にしなければならなかった自分の運命に対する怒り、
どうしてなの? という疑問、
ああしてあげればよかった、こうしてあげればよかった・・・そんな自責(これが一番激しいかもしれません)。
様々な感情が胸を去来し、そのやりきれない想いに、たった一人で耐えなければなりません。
愛する人を失うということは、死によって、引き離されることは、
まぎれもなく、人生最大の苦しみです。
信仰さえ、救いにならないように思えるこの日。
だけど、やっぱり、救われるんです。
信じる者は・・・やっぱり救われるんですョ(*^_^*)
命日に咲く、白薔薇。
ダーがわたしのために植えてくれたこのつる薔薇・・・
「マキのために植えているんだ、きっとたくさん花がつくよ」と言いながら
彼が植えてくれたこのつる薔薇・・・
今思えば、彼は自分の肉体が消えたとき、この薔薇がわたしの心の支えになってくれるよう
願いながら、植えてくれたことがわかります。
六月に満開になり、毎年ブログでその画像をみなさまにもご覧いただいていますネ。
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当然、ただの一つも花は咲きません。
それが、この、命日にだけは、咲くのです。
しかも、たった一つ。40-50も花をつける中で、たった一つ。
今年も咲いてくれました(一年目2008年の命日に咲いた薔薇の写真も、このブログに載せています)。
一度だけのことなら、偶然として片付けてしまえるかもしれません。けれど、三年目です、
しかも、10/22という、この日を選んで、たった一つだけ、咲くのです。
これを偶然と言うには、逆に、無理がありますネ・・・^_^;
偶然として片付けられないもう一つの理由があります。
それは、わたしが、一生懸命、必死になって、
「咲かせて・・・!」と祈っている、ということです^_^;
今年も、数週間前から、
「あなたに会っていない日が長くなるにつれ、耐えられない日が多くなる、
どうか「不思議」をください、証明をください、
あなたがまだ生きていることの証明を、命日にだけは、ください。今年もまた、白薔薇を一つ、咲かせてください」
そうやって、わたしは、ひそかに毎晩祈り続けているのです。
そして、こうして、たった一つ、通常では考えられない時期に季節はずれの花が咲くたび、わたしの願いは聞き入れられた、という
満足感に、心が満たされます(*^_^*)
何より、肉体の消滅はすべての消滅ではない、という、
この「目に見える事実」に、感動します。
今朝も、この花を見た瞬間、心の中で、快哉を上げました^_^;
自分のためだけじゃなく、
愛する人と死別して苦しんでいるたくさんの方たちのためにもうれしいんです。
これが証明じゃない、あなたの愛する人は生きているんだよ、
そう言えることがうれしいんです。
そして、彼は、わたしが、このことを、苦しんでいる人たちに伝えることを
望んでいることもわかるのです。
このたった一つの白薔薇は、命日を選んで咲くこの白薔薇は、
わたしと彼が、いまだ愛のままにつながっているということを証明すると同時に、
愛する人を亡くしたすべての人が、
その人といまだ愛のままにつながっている、という
証明でもあるのです。
今日は、教会に行きましたので、
牧師にも観てもらいました。
バカみたいに喜ぶわたしを見て、牧師もまた、バカみたいに喜んでくれました。
「喜ぶ者と一緒に喜びなさい。悲しむ者と一緒に悲しみなさい」という
わたしの大好きな聖句が心に浮かびました。
そして、牧師は、
「こうして目に見える形で愛をくださったことに、心より感謝いたします」と
神様に感謝の祈りを捧げてくれました。
牧師がそう祈ってくれたとき、
わたしは、自分の隣でいつも、一緒に泣いてくれている、苦しんでくれている、
わたしの心の同伴者イエスさまが、
ほんのりと、
微笑んでくれたような気がしました。
目に見えないものを信じることの難しさと常に闘っているわたしをご存知のイエスさまが、
年に一度だけでも、こうして、目に見える形で証明してくださることに、
感謝の想いでいっぱいです。
暗くなると、より一層、キレイです(*^_^*)
「不思議」については、以前、何度か書かせていただきました。
わたし自身の不思議は、彼が亡くなって一年間は、続けざまに起こりましたが
その後はなしのつぶてでして^_^;
ですから余計に、この年に一度の、彼からのメッセージに焦がれるわけですが、
わたしの周りでは、今も、たくさんの不思議が起こり、
それを実際に、本人の口から聞いています。
幾つかご紹介いたしましょう。
*Rさんの話(プロテスタント系・クリスチャン)
ご主人が亡くなって半月ほどしたある日のこと。
Rさんは、駅のホームのベンチで一人、泣いていました。
電車に乗らなければならないのに、涙があふれてあふれて止まらず、
何本もの電車を過ごしていました。
こんな苦しみには耐えられない・・・もう死にたい・・・そう思ったとき、
ふと、ベンチの後ろの花壇に、キラッと光るものが目に入りました。
恐る恐る手を伸ばし、それを取り上げると、ハートのペンダントトップでした。
Rさんは、ハートモチーフが大好きで、亡くなったご主人から、
よく、ハートモチーフのプレゼントをもらっていました。
「ウソみたいな話だけど本当なのよ」と言って、Rさんは、花壇で見つけたシルバーハートのペンダントトップを、
わたしに見せてくれました。
「きっと誰かの落し物ね・・・と同時に、これは天国の夫からのプレゼントなのよね、
わたしに、僕は死んでなんかいないよ、いつも見ているよ、さあ、元気を出しなさい、
というメッセージをくれたんだと思う」
*Kさんの話(無信仰)
ご主人が亡くなって一週間ほどしたある日のこと、
突然死だったこともあり、Kさんは、ご主人の死をどうしても受け入れられずにいました。
苦しくて苦しくて・・・どうにもなりませんでした。
思わず、Kさんは、「あなた、わたしはどうすればいいの、何か言って、助けてください」と叫びました。
すると・・・ご主人がどこかのお土産で買ってきて気に入っていた、首振り人形が首を振ったのです。
驚いたKさんが、「あなたですか?」と訊ねると、一旦止まっていた首振り人形が、また首を振りました。
夕方帰ってきた息子にそのことを話しましたが、息子は信用してくれません。
それどころか、「お母さん、あんまりそんなこと言わないで、おかしいと思われるよ」と、呆れたような顔をしています。
「それじゃあ、あんたの前でやってみる!」Kさんは、息子を隣の部屋へ
連れて行き、首振り人形の前に一緒に座り、
「お父さん」と呼びかけました。
すると、微動だにしていなかった首振り人形が、またもや大きく首を振ったのです。
*Mさんの話(仏教徒)
Mさんは、自宅で、アロマセラピーを行っています。
ある日、いつものように、クライアントさんの背中をマッサージしていたとき・・・
突然、悲しみがこみ上げてきました(悲嘆経験者には、このように、突然、何の前触れもなく悲しみがこみ上げてくることはよくあることなのです)。
仕事中なのに・・・Mさんはその悲しみを振り払おうと、奥歯を噛みしめたとき・・・
灯していたろうそくの火が、
ふわわーっと浮き上がり、なんとハートの形を作ったのです・・・!^_^;
「夫が励ましてくれている・・・!」Mさんは確信しました。
*Kさんの話(カトリック・クリスチャン)
最愛の息子の葬儀前、息子さんの遺体は、教会の中の一室に安置されていました。
よろめきながらその部屋に入ったKさんは、
突然、真っ白な光が、息子さんの遺体が入った棺を囲むようにして
輝きだしたのを、ハッキリと目にしました。
その部屋には、窓はありませんでした。その白い光がどこから射しているのか、
科学的には証明のできないような現象でした。
「息子は天に昇っていくんだ、イエスさまの腕の中に」
言葉になんてならない悲しみの中でも、Kさんはその事実を認めました。
Kさんの隣には、無信仰のご主人がいて、ご主人と二人で、その光を、疑いようのない形で、ハッキリと、見たのです。
この話をわたしにしてくれた人たちは、みなさん、まともな人たちです。
幻覚を見たり幻聴を聴いたりするような状況にはありません。
悲しみを悲しみとして現実に受け止めているからこそ、
涙が止まらなかったり、相手に叫んだりできるのです。
ましてや、虚言癖などありません。
また、この方たちは、こんな話をして、得になることがただの一つもありません。
得になるどころか、一歩間違えば「頭のおかしな人」と印象づけてしまいます。
ですから、このような話を、言下に否定するような人たちには一切話しません。
話さずに、自分の胸にしまっている人たちが・・・世の中には、あまたいらっしゃいます。
わたしが実際に聞いた「不思議」は他にもいろいろありますが、今夜はこのくらいにしておきましょう^_^;
特筆すべきは、宗派に関わらず、多くの方が「不思議」を体験しているということです。
クリスチャンだから不思議が起こる、クリスチャンだから天国がある、というのは
わたしは、正しくない、と思っています。
人間はすべて、神様の手による創造物です。
それならば、信仰のあるなしに関わらず、宗派に関わらず、誰もが、神様に愛され護られているのです。
キリスト教の信じる神様と、仏教徒の信じる神様は違います、イスラム教の信じる神様ともまた違います。
キリスト教は一神教ですが、
日本やギリシャなどを代表とする国は多神教です(海とか山にもそれぞれ神様がいると信じている)。
そういうことを言い出すと、キリがありませんが、何を信じていようとも、また、信じていなかろうとも、
創造主は一人(一つ)です。
(だけど信仰はないよりあったほうが良いです^_^;
それは、自分や自分の周囲に何か大変なことが起こったときによくわかります^_^;
人間はいつか必ず、自分の手に負えない苦しみを体験します。
ただし、「異端」と呼ばれる宗派には気をつけてください、
すべての宗教が正しい教義にあるとは限りません、
聖書を持ち出してきても、そこが本当にキリスト教の教えに忠実であるかどうかはわかりません
(ローマ・カトリック教会、日本基督教団(プロテスタント)、正教会は正しい教義にあると教わりました)、
お金をたくさん取ったり、無理なことを要求したり、人間を神様扱いするような宗教には注意してください)
当然ながら、どんな「不思議」が・・・科学では太刀打ちできないことが起こっても、
それで悲しみのすべてが癒えるわけではありません。
10回、20回・・・おびただしい数の「不思議」がこの身に起こっても、
愛する人の肉体がそばにいない、それが現実だからです。
今、この世に、肉体を持って生きている人間にとっては、
最愛の人に触れられない、という現実のほうが、遥かに重いからです。
それでも。
わたしたちは、このような「不思議」・・・つまり、故人からの暖かなメッセージのおかげで、
心の深いところが救われているのもまた、事実です。
うちの教会です。
プロテスタントは、装飾を好まないので、至ってシンプルです。礼拝堂にも、十字架があるだけです。
イエスさまのお像も、カトリックによくある空色の聖母マリアのお像もありません。
だけどわたしは、磔刑のイエスさまをこよなく愛しているので、
そのイエスさまを目にしたいがために、
カトリック教会を、時々・・・のぞいちゃいます^_^;
次回新作は、日曜日を予定しております。明日、速報いたしますのでまた見てね!
バイバイ(^^)/~~~