みなさままいどです。
暖かい日が続いていますネ、ああ、春の、愛らしい足音が聴こえてきた・・・(^^♪
今夜も図書館やります。
フローベール『ボヴァリー夫人』
リアリズム文学の礎とも言われ、
精緻な人物描写、情景描写に圧倒される傑作です。
退屈で貧乏な田舎の町医者シャルル・ボヴァリー(当時、医師という職業は、高尚であれど、一部をのぞいて今のように人々から尊敬されたり、お金持ちになれるような仕事ではなかったのです、
この物語でもシャルルより、薬剤師・オメーのほうがすべてにおいて優勢です)
と結婚したエマ・ボヴァリーが、
不倫と借金の末に追い詰められ、毒薬を飲んで自死するまでが描かれています。
情景描写が非常に細かく、美しいこともあり、
目では文字を追いつつ、頭の中では
「異様にはっきりとしたモノクロ映画」を観ているような気分にもなれたかな。
贅沢をしたい、自分自身も部屋も高価なもので煌びやかに飾りたい、
凡庸な夫に退屈し、いつまでも少女のように(この場合の少女は、稚拙という意味ですけれど)ロマンティックで劇的な恋を夢みている・・・
エマ的心情は、女性なら誰しも抱えています。
現実離れした空想に身をやつしたことのない女性などいません。
それを理性でもって抑え込み、暮らしているだけのことです。
実際、現代にも、エマのような女性は、わんさといるはずです
(エマのような最期を・・・本質的に同じような状態で・・・遂げてしまうような女性も)。
エマもまた、最初の不倫相手のときには、何とか自分を律したいと思っていたし、
宗教に助けを求めもしました。
けれども、結局は、ロマン主義的な憧れの中で、地に足をつけないままに流され、
その結果、一切の心の満足を得られず
(後半に、浮気をしても高価なものを手に入れても、エマが幸せだったことは一度もなかった、とはっきり書かれています)
借金と、人々の裏切りにボロボロになって死んでいきます。
ただ一人(父親を入れると二人)、それも、ほんのすぐそばに、エマを愛した人間がいました、
夫のシャルルです、
愛し方がどうであれ、シャルルは、結婚当初からエマが死ぬまで、エマだけを求めてきました。
シャルルの最期が、自宅庭で、エマの遺髪を持ったままの頓死だったことからも、
はっきりとわかります。
けれども、シャルルは、退屈で、ただただ人の良い、優しいだけの男だった、
何ら積極性はなく、野心もなく、かと言って、何か宗教的な信念があるわけでもない、
女性は、そのような男を・・・
(表面的には求めても)本質的には決して求めない・・・
そういう部分で、エマの心情には共感できる部分もありますが、
まァ、憧れのヒロイン的なものはありませんネ(筆者はそういうつもりで書いていませんし、
そうそう、憧れのヒロインと言えば、わたしの場合は、きっとこのまま永遠に、スカーレット・オハラでしょう)、
エマは、美貌、色香、愛すべきバカらしさなど、いろいろと持っていますが、
最初から、ロマン主義に酔いしれて自分を見失っているあたり、
凛々しさのようなものを一切感じられません。
彼女の中の、彼女の想いの、言葉の、一体どれが本物なのか、何が本心なのか、
わたしはまったくつかめずに終わってしまいました
・・・元々そんなものはないのかもしれない・・・。
と言っても、読んで損はありません、
後半に入ると、いきなり読む速度が上がりますし(俄然面白くなるという意味)、
悲劇がお好きな方、まるで音楽を聴いているように、映画を観ているように
小説の中にのめりこんで、ひとときの現実逃避を味わいたい方には
最高の作品だとおススメいたします(^^♪
この流れで、
ラファイエット夫人の『クレーブの奥方』を読みたかったけれど・・・
約束どおり? 着手しましたぞ、
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』
現在、上巻(上・中・下の三巻あります)の三分の二強は読んでいます。
非常に読みやすいという「新訳版」の文庫が光文社から出ているので、ずいぶん悩みましたが、
やっぱり原書に近い形で訳されているものを読みたいですよ、せっかく挑戦するんだから、
ということで、新潮版を購入
(こういうところでも真剣に悩むほど、カラマーゾフを読むに対して一種の興奮があったのだ)。
肝心の中身ですが、ああっ、みなさま、面白すぎる!
おそろしい、おそろしいほど面白い!
上巻の読破は大変、ここを過ぎれば何とかなる、といろいろなところで
書かれていましたが、
上巻から完全にのめりこんでいます。
読解力があるとかそんなんじゃないです、わたし、ドストエフスキーの
文体が好きなんですね、泥臭いんです、洗練されていない、その泥臭さが異常に好きなんです、
その筆者の、文体が好きである、ということは、
読破するための大きな助力になるのです。
『カラマーゾフ』を理解しながら読むつもりなら、
読破するまで他の読み物は一切なし、映画もだめ、とアドバイスを受けていたのですが、
他の読み物や映画を観るつもりなんて毛頭ありません、
てか、読めません、観られません、
今この瞬間にも、ブログを一刻も早く書き終えて、続きを読みたいのですから^_^;
これまで、よく知りもせず、ロシア文学を敬遠していた自分が恨めしい、
もっと早く読むべきだった・・・と一瞬、地団太踏みたいような後悔に苛まれましたが、
よくよく考えると、やっぱり今のわたしでなければたぶん読めなかったね、
これね、物語が「聖句」から始まることからもわかるように、
主題が「神と人間」なんです、
あちらこちらに、キリストの名や、聖職者、教会が出てきます
(当時の作品としてはフツーのことではありますが)。
キリスト者であり、聖書を(決して精通しているとは言えないまでも)ある程度知っている
今の自分でなければ、多くの人と同様、途中で挫折したと思います。
初めてわかりました、
何度挑戦してもカラマーゾフを理解をもって読破することができない、という人がたくさんいるのは
(あまりにも深遠な作者の思想と難解な筋立てはさておき)、
宗教的な理解に乏しい日本人ならではの感想かもしれないと(違うかもしれないケド)。
だって、主題が「神と人間」ですから、宗教的理解がないと、これはもう難しい、
キリスト教の教義が出てきた時点で、いや、聖句が出てきた時点で、
わけがわからなくて放り出してしまいたくなるんじゃないかな。
+ドストエフスキーのあの、何度も読み返さないと捉えることの難しい哲学的思想ですから。
今のわたしにしか読めなかった、と思えば、
今、こうして、誰に薦められたわけでもないのに、
カラマーゾフを読もう、と決心して実際読み始めた自分が不思議でしょーがない、
やァ、こりゃ、神様が関わってくだすっているんですよ、いつものように。
今、わたしの脳裏に浮かんで消えない聖句は、
旧約聖書・コレヘトの言葉
「神のなさることは すべて 時にかなって美しい」
そう、ようやく、その「時」を与えられたんだな、って。
大袈裟に聴こえるかもしれませんけれど、真剣にそう感じているんですよ。
あのですね、聖句っていろいろな解釈の仕方がありましてね、
すべてをきちんと理解することは、人間には難しいとも言われておりまして。
それで、↑上の聖句が、わたしの思うような意味なのかどうかはわかりませんよ、
けれども、様々な解釈があるのです、すみませんね、
白状すれば、わたしはこの聖句が元々大好きなんです、
旧約を読む前から、この聖句を知っていました、
つまりですね、はっきり言ってしまえば、
わたしは、カラマーゾフの1000倍は難解な
あの、旧約聖書! なるものを、斜め読みしかしていないのです
(新約はくりかえし読んでおりますけれど)、
前にも書きましたけれど、旧約の世界についていけないのです^_^;
ついていけないからと言って、
旧約を斜め読みしかしていないなんて、ほんと、クリスチャン失格なのですが、
でもさ、あたしいつも、自分はデタラメクリスチャンだって、
それを明白にしているわけですから許してくださいな、
デタラメなりに必死なんですから、
何が言いたいかというとですね、
わたしは旧約の理解には乏しいのです、
ですから聖句に対して間違った解釈をしていたらごめんなさいね、ということです^_^;
しかし、今は旧約どころじゃないんだ、
カラマーゾフ3兄弟に人間の全てがあるとまで言われているこの最高傑作、
早く、早く、読み終わりたい・・・それだけなのだ(^^♪
明日土曜日は新作速報いたしますので
お楽しみにネ。
バイバイ(^^♪
暖かい日が続いていますネ、ああ、春の、愛らしい足音が聴こえてきた・・・(^^♪
今夜も図書館やります。
フローベール『ボヴァリー夫人』
リアリズム文学の礎とも言われ、
精緻な人物描写、情景描写に圧倒される傑作です。
退屈で貧乏な田舎の町医者シャルル・ボヴァリー(当時、医師という職業は、高尚であれど、一部をのぞいて今のように人々から尊敬されたり、お金持ちになれるような仕事ではなかったのです、
この物語でもシャルルより、薬剤師・オメーのほうがすべてにおいて優勢です)
と結婚したエマ・ボヴァリーが、
不倫と借金の末に追い詰められ、毒薬を飲んで自死するまでが描かれています。
情景描写が非常に細かく、美しいこともあり、
目では文字を追いつつ、頭の中では
「異様にはっきりとしたモノクロ映画」を観ているような気分にもなれたかな。
贅沢をしたい、自分自身も部屋も高価なもので煌びやかに飾りたい、
凡庸な夫に退屈し、いつまでも少女のように(この場合の少女は、稚拙という意味ですけれど)ロマンティックで劇的な恋を夢みている・・・
エマ的心情は、女性なら誰しも抱えています。
現実離れした空想に身をやつしたことのない女性などいません。
それを理性でもって抑え込み、暮らしているだけのことです。
実際、現代にも、エマのような女性は、わんさといるはずです
(エマのような最期を・・・本質的に同じような状態で・・・遂げてしまうような女性も)。
エマもまた、最初の不倫相手のときには、何とか自分を律したいと思っていたし、
宗教に助けを求めもしました。
けれども、結局は、ロマン主義的な憧れの中で、地に足をつけないままに流され、
その結果、一切の心の満足を得られず
(後半に、浮気をしても高価なものを手に入れても、エマが幸せだったことは一度もなかった、とはっきり書かれています)
借金と、人々の裏切りにボロボロになって死んでいきます。
ただ一人(父親を入れると二人)、それも、ほんのすぐそばに、エマを愛した人間がいました、
夫のシャルルです、
愛し方がどうであれ、シャルルは、結婚当初からエマが死ぬまで、エマだけを求めてきました。
シャルルの最期が、自宅庭で、エマの遺髪を持ったままの頓死だったことからも、
はっきりとわかります。
けれども、シャルルは、退屈で、ただただ人の良い、優しいだけの男だった、
何ら積極性はなく、野心もなく、かと言って、何か宗教的な信念があるわけでもない、
女性は、そのような男を・・・
(表面的には求めても)本質的には決して求めない・・・
そういう部分で、エマの心情には共感できる部分もありますが、
まァ、憧れのヒロイン的なものはありませんネ(筆者はそういうつもりで書いていませんし、
そうそう、憧れのヒロインと言えば、わたしの場合は、きっとこのまま永遠に、スカーレット・オハラでしょう)、
エマは、美貌、色香、愛すべきバカらしさなど、いろいろと持っていますが、
最初から、ロマン主義に酔いしれて自分を見失っているあたり、
凛々しさのようなものを一切感じられません。
彼女の中の、彼女の想いの、言葉の、一体どれが本物なのか、何が本心なのか、
わたしはまったくつかめずに終わってしまいました
・・・元々そんなものはないのかもしれない・・・。
と言っても、読んで損はありません、
後半に入ると、いきなり読む速度が上がりますし(俄然面白くなるという意味)、
悲劇がお好きな方、まるで音楽を聴いているように、映画を観ているように
小説の中にのめりこんで、ひとときの現実逃避を味わいたい方には
最高の作品だとおススメいたします(^^♪
この流れで、
ラファイエット夫人の『クレーブの奥方』を読みたかったけれど・・・
約束どおり? 着手しましたぞ、
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』
現在、上巻(上・中・下の三巻あります)の三分の二強は読んでいます。
非常に読みやすいという「新訳版」の文庫が光文社から出ているので、ずいぶん悩みましたが、
やっぱり原書に近い形で訳されているものを読みたいですよ、せっかく挑戦するんだから、
ということで、新潮版を購入
(こういうところでも真剣に悩むほど、カラマーゾフを読むに対して一種の興奮があったのだ)。
肝心の中身ですが、ああっ、みなさま、面白すぎる!
おそろしい、おそろしいほど面白い!
上巻の読破は大変、ここを過ぎれば何とかなる、といろいろなところで
書かれていましたが、
上巻から完全にのめりこんでいます。
読解力があるとかそんなんじゃないです、わたし、ドストエフスキーの
文体が好きなんですね、泥臭いんです、洗練されていない、その泥臭さが異常に好きなんです、
その筆者の、文体が好きである、ということは、
読破するための大きな助力になるのです。
『カラマーゾフ』を理解しながら読むつもりなら、
読破するまで他の読み物は一切なし、映画もだめ、とアドバイスを受けていたのですが、
他の読み物や映画を観るつもりなんて毛頭ありません、
てか、読めません、観られません、
今この瞬間にも、ブログを一刻も早く書き終えて、続きを読みたいのですから^_^;
これまで、よく知りもせず、ロシア文学を敬遠していた自分が恨めしい、
もっと早く読むべきだった・・・と一瞬、地団太踏みたいような後悔に苛まれましたが、
よくよく考えると、やっぱり今のわたしでなければたぶん読めなかったね、
これね、物語が「聖句」から始まることからもわかるように、
主題が「神と人間」なんです、
あちらこちらに、キリストの名や、聖職者、教会が出てきます
(当時の作品としてはフツーのことではありますが)。
キリスト者であり、聖書を(決して精通しているとは言えないまでも)ある程度知っている
今の自分でなければ、多くの人と同様、途中で挫折したと思います。
初めてわかりました、
何度挑戦してもカラマーゾフを理解をもって読破することができない、という人がたくさんいるのは
(あまりにも深遠な作者の思想と難解な筋立てはさておき)、
宗教的な理解に乏しい日本人ならではの感想かもしれないと(違うかもしれないケド)。
だって、主題が「神と人間」ですから、宗教的理解がないと、これはもう難しい、
キリスト教の教義が出てきた時点で、いや、聖句が出てきた時点で、
わけがわからなくて放り出してしまいたくなるんじゃないかな。
+ドストエフスキーのあの、何度も読み返さないと捉えることの難しい哲学的思想ですから。
今のわたしにしか読めなかった、と思えば、
今、こうして、誰に薦められたわけでもないのに、
カラマーゾフを読もう、と決心して実際読み始めた自分が不思議でしょーがない、
やァ、こりゃ、神様が関わってくだすっているんですよ、いつものように。
今、わたしの脳裏に浮かんで消えない聖句は、
旧約聖書・コレヘトの言葉
「神のなさることは すべて 時にかなって美しい」
そう、ようやく、その「時」を与えられたんだな、って。
大袈裟に聴こえるかもしれませんけれど、真剣にそう感じているんですよ。
あのですね、聖句っていろいろな解釈の仕方がありましてね、
すべてをきちんと理解することは、人間には難しいとも言われておりまして。
それで、↑上の聖句が、わたしの思うような意味なのかどうかはわかりませんよ、
けれども、様々な解釈があるのです、すみませんね、
白状すれば、わたしはこの聖句が元々大好きなんです、
旧約を読む前から、この聖句を知っていました、
つまりですね、はっきり言ってしまえば、
わたしは、カラマーゾフの1000倍は難解な
あの、旧約聖書! なるものを、斜め読みしかしていないのです
(新約はくりかえし読んでおりますけれど)、
前にも書きましたけれど、旧約の世界についていけないのです^_^;
ついていけないからと言って、
旧約を斜め読みしかしていないなんて、ほんと、クリスチャン失格なのですが、
でもさ、あたしいつも、自分はデタラメクリスチャンだって、
それを明白にしているわけですから許してくださいな、
デタラメなりに必死なんですから、
何が言いたいかというとですね、
わたしは旧約の理解には乏しいのです、
ですから聖句に対して間違った解釈をしていたらごめんなさいね、ということです^_^;
しかし、今は旧約どころじゃないんだ、
カラマーゾフ3兄弟に人間の全てがあるとまで言われているこの最高傑作、
早く、早く、読み終わりたい・・・それだけなのだ(^^♪
明日土曜日は新作速報いたしますので
お楽しみにネ。
バイバイ(^^♪