兵庫県のクラブチームでのプレーは、約3年間。
あっという間でした。
その中でも、記憶に残っている試合があります。
年に1回、兵庫県の全てのクラブーチームによるトーナメント
戦があり、その初戦にあたったのが、「六甲クラブ」でした。
現在全国クラブチーム大会に出場する常連チームと試合が
でき、貴重な経験でした。
と言ってもBリーグ相手に試合をするわけで、1本目は当然出場
せず、30代中心のチーム構成だったみたいです。
⇒自分自身も30才ちょっとでしたが・・・。
しかし、関西の大学や社会人の一線でプレーをしていた人が
多くいたようで、パワー,スキル全てに関して全く歯が立たず。
試合を通じて、敵陣に入ったのはキックオフ直後のみで、確か
70点ぐらい取られて負けたと記憶しています。
応援に来ていたメンバーを合わせると30名以上がグラウンドに
来ていて、ものすごい組織だなあと感心しました。
関西でのラグビー生活も本社に転勤が決まった時、これでラグビー
はできなくなるのかなと少し寂しい気持ちになりました。
がこの後劇的なバルバーリとの出会いが待っていたのです。
そのキーマンが、兵庫編①に登場した大学の同級生T君だったのです。
この続きはバルバ-リ編で・・・。
あっという間でした。
その中でも、記憶に残っている試合があります。
年に1回、兵庫県の全てのクラブーチームによるトーナメント
戦があり、その初戦にあたったのが、「六甲クラブ」でした。
現在全国クラブチーム大会に出場する常連チームと試合が
でき、貴重な経験でした。
と言ってもBリーグ相手に試合をするわけで、1本目は当然出場
せず、30代中心のチーム構成だったみたいです。
⇒自分自身も30才ちょっとでしたが・・・。
しかし、関西の大学や社会人の一線でプレーをしていた人が
多くいたようで、パワー,スキル全てに関して全く歯が立たず。
試合を通じて、敵陣に入ったのはキックオフ直後のみで、確か
70点ぐらい取られて負けたと記憶しています。

応援に来ていたメンバーを合わせると30名以上がグラウンドに
来ていて、ものすごい組織だなあと感心しました。
関西でのラグビー生活も本社に転勤が決まった時、これでラグビー
はできなくなるのかなと少し寂しい気持ちになりました。

がこの後劇的なバルバーリとの出会いが待っていたのです。
そのキーマンが、兵庫編①に登場した大学の同級生T君だったのです。
この続きはバルバ-リ編で・・・。
