忘れてはいけない!
忘れない!!
平成7年1月17日(火曜日)
午前5時46分に起きた大地震を自分も風化しないためにに~!
その当時の我が家のこと、身内のことなど~。
前年、平成6年10月から12月にかけて実家では母が
こちらでは姪が入院中でした。
11月に夫が定年で陸に下りたので留守をお願いして
母の付き添いや姪の見舞いに大忙しだった。
母も姪もそれぞれ暮れには退院出来てやっと落ち着きひと安心したが・・・
新しい年は良い年になるだろうと期待して姪の家までお節を届けて~
我が家も久々に親子三人揃って新年を迎えた。
正月3日の日は国道近くの姉の家に新年の挨拶に行き
夫は酔っぱらって上機嫌で姉の長女に送ってもらって我が家へ!
その姉の家への訪問が最後になろうとは想像もしなくて・・・
1月早々には夫が大学病院へ胃カメラの検査に行き17日には結果診察の日
長男は就職が決まらずアルバイトを続けていたが
1月17日にやっと就職のめどたち面接を受ける日だった。
そんな中での阪神淡路大震災が起きた。
幸いにして我が家はかろうじて倒壊は免れたのだった。
その数年前のリホームでサッシのベランダを取り付けたことが功をなしたと
工事をしてくれた 従弟の言葉でした。
我が家は大丈夫だけど姉の家は?姪の家は?
夫が自転車で姉の家まで行って見ると道は凸凹になり
やっと通って行って見ると姉の家は勿論周囲はほとんど倒壊
近くの商店街のアーケードが折り重なった状態で
焚火をしている集落の傍で「毛布をかぶって呆然としている姉」を見つけた
「あとで家の方に来てください」と声をかけて来た
と、夫の話だった。
姪親子は賃貸マンションの倒壊・半壊は免れたが用心のため
近くの中学校に避難していた所へ迎えに行き中学生と小学生の姉弟共々
暫らく我が家で一緒に暮すことにした。
姪の夫は義兄さんの肝臓がん手術に立ち会うため横浜に行っていた所
本人の実家、隠岐の島の父親がちょうど震災当日亡くなられ
実家に帰省、暫らく帰って来れない状態だった。
私たち姉弟・親戚それぞれ大小の被災を蒙ったものの
誰一人命に別状なかったことは幸いでしたが
この大震災で大勢の命を失った方たちのご冥福をお祈りします。