やっと小さな蝶々がやってきました。なかなか落ち着いて止まってくれません。
ブログ更新を怠って、とうとう一週間過ぎてしまいました。
その割には永く感じて、もう半月ぐらい休んだのかと思うほどでした。
元気に活動している時は、一日が速くあっという間に過ぎて行き、
「もう、5日も更新してないわ!」と気づくのだけれど・・・!
一昨日22日の夜、NHKテレビ「アナザーストーリー美空ひばりラストステージ」
という番組を見ていました。
それは、亡くなる4か月~半年前のステージの物語でした。
ラストステージ前になっても、立つことも出来ないほど弱っていて、息子の和也や関係者が
このまま中止にしようか! と考えていたとか!
ひばり本人は絶対最後まで舞台に立つ意気込みで、観客の前に何食わぬ顔で立っって行き
全曲歌い終わったあとはぐったりだったとか、再現ドラマでしたが、感動で涙しました。
自分自身が恥ずかしいと思うほど。 その日まで前向きに生きて行かなければと思いました。
明日は美空ひばりの命日です。(私の姪の命日でもあります。)
そして、自分自身この病(不安神経症)なったきっかけの頃でもあったのです。
以前にもこのブログに書いたと思うけれど・・・!
昭和最後の年号、1月に昭和天皇崩御され、1月8日から年号が平成に変った。
その年の6月24日早朝、市民病院のベッドの上で同室の年配夫人に、
『美空ひばりさんが亡くなられたそうですよ!』 と聞かされて、驚きと信じがたい気持ちだった。
携帯ラジオのニュースで知ったそうです。
その週の月曜日(19日)から入院していた私でしたから、病院のベッドで人様の死を聞くと
大した病気でなくても重病人のような気分になってしまうものですね!
翌年の8月と9月にまた入院した時、担当医になった市民病院の心無い医師の言葉に
それ以来不安神経症になってしまったのです。
病名は自然気胸という、重病ではありませんが、かかった時は息苦しいのです。
(2回目の医師の言葉・・〇〇さん、また入院したの?両方一度に気胸が起きると死ぬよ!!!)
それ以来病気は完治しているはずなのに、微熱と息苦しさに食欲もなくなり退院が伸びたり~
平成7年阪神大震災後の3月手術するまではほとんど半病人状態でした。(神経的に)
阪急電車に乗って三宮まで出かける間に脈拍が早く胸が苦しくなり、
到着と同時にタクシーで当時救急病院だった金沢病院に駆け込んだこともあります。
大阪から近鉄でお伊勢さんまでの道中、窓から外を眺めながら景色より病院を探して
右手で脈を取りながら伊勢まで行ったことも今では笑い話です。
人様には察してもらえない難儀な病(?)ですが、現在では立ち直りも早くなりました。
色々な事を経験され、普段は思わない事も思いだしたりされたのでしょうか〜。
体調が悪いと何もかも良く思えない時がありますね。
でも前向きなryoさん大きな山を越えられましたね。
最近私が思うのは、何はともあれ健康が一番ですよ。マイペースで行きましょうよ。
あまり頑張り過ぎないでね。
あれこれと過去の思いを振り返りながら
月日が解決してくれるだろうと思って流れに任せることにします。
おっしゃる通り、いま何が一番・・というと、健康ですね~!
健康でいることが家族にも自分にもいちばんだと思っています。