江戸時代に薩摩藩が長崎に設けた蔵屋敷の写真が長崎大学付属図書館(長崎市)で見つかった。商社「亀山社中」を設立して活動していた坂本龍馬も出入りしていたとみられ、研究者は「龍馬が長崎で活動していた時期に重なり、貴重だ」と話している。
確認したのは、長崎の近世近代史に詳しい原田博二・長崎歴史文化研究所長(63)。所蔵する古い写真を超精細化して公開している長崎大のデータベースを調べる中で、長崎港近くで白塀に囲まれた武家屋敷の写真を発見。長崎歴史文化博物館(長崎市)に所蔵されている明治中期の地図と照合して薩摩藩蔵屋敷と特定した。
英国人写真家のフェリックス・ベアト(1825年~?)による撮影で、「亀山社中」設立翌年の1866(慶応2)年に写されていた。ベアトは、長州藩と4カ国連合艦隊による下関戦争なども撮影している。
龍馬は、薩摩藩家老の小松帯刀(1835~70年)の協力を得て亀山社中を設立した。薩摩藩蔵屋敷に出入りしたとの史料は残っていないが、後に京都や大坂(大阪)などでは薩摩藩邸を拠点としており、原田所長は「蔵屋敷には当時、お尋ね者だった長州藩の伊藤俊輔(博文)もかくまわれていた。龍馬も同様で、長崎で頼れるのは薩摩藩しかなかったはず」とみる。
長崎市銅座町にある蔵屋敷跡には現在、三菱UFJ信託銀行長崎支店が建つ。駐車場に立つクスノキは幕末当時から残るといわれ、今回見つかった写真でも確認されている。原田所長は「雄藩らしく、かなり立派な武家屋敷なのが分かる。龍馬の長崎での足跡がリアルに感じられる」と話している。
12/31 毎日新聞
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英国人写真家のフェリックス・ベアト(1825年~?)による撮影で、「亀山社中」設立翌年の1866(慶応2)年に写されていた。ベアトは、長州藩と4カ国連合艦隊による下関戦争なども撮影している。
龍馬は、薩摩藩家老の小松帯刀(1835~70年)の協力を得て亀山社中を設立した。薩摩藩蔵屋敷に出入りしたとの史料は残っていないが、後に京都や大坂(大阪)などでは薩摩藩邸を拠点としており、原田所長は「蔵屋敷には当時、お尋ね者だった長州藩の伊藤俊輔(博文)もかくまわれていた。龍馬も同様で、長崎で頼れるのは薩摩藩しかなかったはず」とみる。
長崎市銅座町にある蔵屋敷跡には現在、三菱UFJ信託銀行長崎支店が建つ。駐車場に立つクスノキは幕末当時から残るといわれ、今回見つかった写真でも確認されている。原田所長は「雄藩らしく、かなり立派な武家屋敷なのが分かる。龍馬の長崎での足跡がリアルに感じられる」と話している。
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