坂本龍馬が土佐の商家あてに餞別(せんべつ)へのお礼をつづった手紙を、京都国立博物館(京都市)と高知県立坂本龍馬記念館(高知市)が、京都市内の個人宅で確認した。
脱藩前に2度目の剣術修業で江戸へ赴いた直後の1856年(安政3年)9月に記したもので、現存している龍馬の手紙としては最古という。
手紙の内容は、大正時代に出版された龍馬の伝記小説に活字で記されているが、手紙の原本が確認されたのは約100年ぶり。縦14センチ、横28センチで、吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞ら、幕末の志士の手紙や短冊など74点を集めた書画帳に含まれていた。
手紙では「無異儀江戸着仕(つきつかまつ)り、築地御屋敷ニ……」と、無事に築地の土佐藩邸に到着したことを報告。餞別へのお礼が遅れたことについて、「早速御礼申可上筈之所(もうしあげるべくはずのところ)、失礼ニ打過候段(うちすぎそうろうだん)」とわびている。
大正時代の伝記小説では、あて先が土佐の龍馬の家に近い「相良屋」の「源之助」と書かれていたが、手紙では「源三郎」と読めるという。署名のあとには花押のようなサインも記されていた。「江戸」「又(また)」「月」の字の書き方、行の下の方が左に流れる癖などから、龍馬の直筆と判断された。
同記念館の三浦夏樹・主任学芸員は「細かい字で時候のあいさつも記しており、礼状としての硬さがあるが、字体は龍馬のもの。脱藩前の手紙は数少なく、価値は高い」と評価。同博物館の宮川禎一・考古室長は「型破りなだけではなく、常識的な礼儀をわきまえていたことがうかがえる」と話している。
7/30 読売新聞
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脱藩前に2度目の剣術修業で江戸へ赴いた直後の1856年(安政3年)9月に記したもので、現存している龍馬の手紙としては最古という。
手紙の内容は、大正時代に出版された龍馬の伝記小説に活字で記されているが、手紙の原本が確認されたのは約100年ぶり。縦14センチ、横28センチで、吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞ら、幕末の志士の手紙や短冊など74点を集めた書画帳に含まれていた。
手紙では「無異儀江戸着仕(つきつかまつ)り、築地御屋敷ニ……」と、無事に築地の土佐藩邸に到着したことを報告。餞別へのお礼が遅れたことについて、「早速御礼申可上筈之所(もうしあげるべくはずのところ)、失礼ニ打過候段(うちすぎそうろうだん)」とわびている。
大正時代の伝記小説では、あて先が土佐の龍馬の家に近い「相良屋」の「源之助」と書かれていたが、手紙では「源三郎」と読めるという。署名のあとには花押のようなサインも記されていた。「江戸」「又(また)」「月」の字の書き方、行の下の方が左に流れる癖などから、龍馬の直筆と判断された。
同記念館の三浦夏樹・主任学芸員は「細かい字で時候のあいさつも記しており、礼状としての硬さがあるが、字体は龍馬のもの。脱藩前の手紙は数少なく、価値は高い」と評価。同博物館の宮川禎一・考古室長は「型破りなだけではなく、常識的な礼儀をわきまえていたことがうかがえる」と話している。
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