長崎市歴史民俗資料館(同市平野町)は27日、特別企画展「長崎の海と船展」で展示されている史料の中に、坂本龍馬らが乗船し、瀬戸内海で沈没した「いろは丸」とみられる絵画があったと発表した。いろは丸の絵画史料が確認されたのは初めて。同館は「非常に珍しく、貴重な研究史料」としている。
いろは丸はイギリスが建造したスクリュー式の蒸気船。1867(慶応3)年、坂本龍馬率いる海援隊が船を所有する伊予大洲(おおず)藩から借り受け、長崎から大坂に向けて瀬戸内海を航行中、紀州藩の蒸気船「明光丸」と衝突し沈没した。
絵画は、幕末期に長崎に入港した艦船などについての記録「白帆注進外国船(しらほちゅうしんがいこくせん)出入注進(でいりちゅうしん)」(鍋島報效(ほうこう)会所蔵)という縦24・3センチ、横16・7センチの冊子に見開きで記載されている。
年代は明記されていないが、冊子内の記述から同館は描かれたのは1866(慶応2)年10月24日と判断。船名は書かれていないが、大洲藩の史料には、いろは丸が同年11月に「(大洲藩の)長浜港に帰港した」との記録があり、「矛盾点はない」としている。史料中の「四国船」との記述や絵画に大洲藩主加藤家の家紋「赤地に白の蛇の目の紋」の船印が記されていることからも当時大洲藩が所有した唯一の蒸気船であるいろは丸と推測される。
坂本龍馬に関する研究を続けている「現代龍馬学会」の会員、織田毅さん(48)は「絵はいろは丸にほぼ間違いないだろう。龍馬の実像にまた一歩迫れるような発見。多くの人に見てもらいたい」と話した。
史料は8月31日まで同館で展示する。
7/28 長崎新聞
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