愛しています

すべての方が、笑顔で
あたたかく優しい 愛ある日々を
生きられることを願って・・・

生命を賭して、夫を愛した ・・・

2008年12月01日 17時10分02秒 | 懐かしいとき
 
「さねさし 相模の小野に燃ゆる火の 火の中にたちて 問いし君はも」

  相模の国の野原で火攻めにあったときも
  私の身を気づかってくださった あなたの心は忘れません。



これは、弟橘媛が 夫 日本武尊の安全の為に 海神を沈めるために
自ら海に身を投げ、入水に当たって詠ったとされる辞世の歌

弟橘媛は、日本神話に登場する日本武尊の后
事跡は日本書紀の景行紀、および古事記の中巻、常陸国風土記に記されている。

穂積氏忍山宿禰(ほづみのうじのおしやまのすくね)の娘だという。
尊との間に稚武彦王(わかたけひこのみこ)を儲ける。

尊の東征に同行
走水(はしりみず)の海(現在の浦賀水道)に至った時
「こんな小さな海など一跳びだ」と豪語した
尊の軽はずみな言動が海神の怒りを招く。

海は荒れ狂い、先に進むことが不可能になった。
海神の怒りを解くため、海に身を投じる。
侍女10人が、媛に従って入水した。
すると波が穏やかになり、船を進めることが可能になった。
彼女が持っていた櫛は、七日後、海岸に流れ着いた。

『日本書紀』によれば碓日嶺(現在の碓氷峠)
『古事記』によれば神奈川県の足柄の坂本(足柄山)において
媛を忘れられない尊は、「吾妻はや」(我が妻よ)と嘆いた。
日本の東部を「あずま」と呼ぶのは、この故事にちなむという。
いわゆる地名起源説話である。



二人は、固い絆で結ばれていたことがわかる。

海神を鎮める為 自ら身を投げ出したのが、弟橘媛
夫に使命を遂げさせるために、我が身を投げ出した使命感
生命を賭しての愛

日本女性とは、どういう存在であるのか
日本女性の強靭な生き方の原型を示すものではないか?



                                 
 

倭建命(古事記では、このように表記)と弟橘媛の愛
これは、神話 伝説ではなく事実です。
私たちと同じように肉体を持った人間が、遠い遠い昔に経験した美しい夫婦愛です。

100年、200年・・・1,000年、2,000年・・・
時を経て、変わらないものは 夫婦愛しあい 生命をつないでいくこと。

どのような夫婦の形態、妻としての姿を極めるか?
100人いらしたら、100通りの考えがあられるでしょう。
100組の夫婦には、100通りの夫婦の形が存在されるでしょう。

二人が歩む日々が、どのような日々になるかは
愛し合う夫婦二人の努力の結果によるもの。
同じ生きるのであるならば、二度と戻らない一秒一秒を美しく尊いものとしたい。

私は、夫のために生きられる日々
夫の存在が、私の幸福  夫の幸福が私の幸福
このように幸せを感じる人間です。



そんな私の目の前に、今 弟橘媛さまがいらっしゃいましたら・・・

「とても、とても大きな使命を果たされましたね。
どれだけの愛と勇気が必要だったことでしょう。
現在は、生命を賭さなくてもよい時代になりました。
海神の怒りを解く方法、荒れ狂った海を静める方法
夫の生命を救う特別な方法をお知らせします。」・・・と
宇宙根源の力を使い、運命を切り開く至高方法を 私は お伝えします。

弟橘媛さま ・・・
私は、あなたの生き方を学び 手本とし
日本女性の優美な姿を美しく完成させることをお誓い致します。



私が、このような内容を堂々と書き綴れる理由は
全ての物事に対する絶対的確信です。
ここまで書けるのは、よほど正しいか 異常に間違っているか
極論すればどちらかではないでしょうか?

私は、普通に生きている一般人です。ただ違うのは・・・
ここを訪れてくださる方々の想いの種類まで感知してしまうような
体質で生まれたということだけです。

私は、今世 その力を存分に使い 夫の成功のために生き続けます。
 

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