我が国は高齢化社会を迎えている。人間誰しも永遠に若くありたいと願う。権力者であればなおさらだ。秦の始皇帝は不老不死の霊薬を求め、徐福に命じて大船団を蓬莱山のある、はるか東海上に船出させたという。このことは司馬遷の・史記・に明確に述べられていることである。しかし残念なことに、徐福の一行がその後どうなったかは、中国の文献にはない。ところが、一行のたどり着いた先が日本であり、蓬莱山は富士山である、という話がある。いわゆる徐福伝説である。
私がこの徐福伝説と・宮下文書(富士古文書)・に初めて触れたのは今から30数年前で、林房雄の・神武天皇実在論・を読んでである。彼らが最初に上陸したとされる新宮市には徐福の墓やゆかりの神社がある。その後、富士山北麓に移り開墾しながら、いろいろな技術や文化を伝えたと、宮下文書に出ている。この文書は各地に残る記録類を徐福が編纂したものとされ、富士山麓の浅間神社の宮司・宮下家に伝えられてきたものである(・神皇紀・なら私も持っている)。
ところで以前、富士山麓の浅間神社のそばでコケモモのゼリー菓子を賣っている店があるのをTVで見た。コケモモが不老長寿の薬として言い伝えられていて、徐福の名が出てくるとなると、話が面白くなってくる。学生時代に北アルプスの「雲の平」でコケモモの実を口にしたが、中国にはないのであろうか。
数年前、飛鳥の謎の石造遺物と関連がありそうな巨石群が見つかった。新田次郎の出世作・強力伝・に出てくる愛鷹連峰の山中である。度重なる大爆発で埋もれた富士高天原文化圏は、被害から免れた愛鷹連峰の南面に辛うじてその痕跡を残していたのだ。
中央高速道を甲府方面から上り車線を走っていて、富士山から愛鷹連峰への稜線を見ていると、溶岩流などの被害から免れた位置関係がよく分かる。人造巨石遺物群は、写真で(富士地方史料調査会版の)書物の中に紹介されているが、現場に行くには探検隊の組織とガイドが必要である。
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