源氏ゆかりの里から嵐山渓谷へ
日時:2011-2-6
天気:曇り
同行者:女性4名
歩行:約5時間、18キロ
武蔵嵐山駅(8:45)→(9:00)*菅谷館跡(9:20)→(9:35)学校橋→大蔵館→源義賢墓(10:10)→*本行院(10:30)→縁切橋→(10:45)明光寺→(11:00)*笛吹峠(11:20)→(11:35)赤貫通り→(12:10)鎌形八幡宮→班渓寺(12:45)→13:30嵐山渓谷・*休憩所(13:45)→(14:00)大平山山頂(14:05)→(14:25)配水池下・道路→(14:40)ガスト[遅い昼食](15:10)→(15:15)川越菓匠・くらづくり本舗(15:30)→(15:45)武蔵嵐山駅
※以下の地図作成法に関しては、前回の記事(2/2日)に書いてあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/72/de849eb8aac2990467179add14388036.jpg)
no.1(全体図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/05/5418eda9794a9f4b0e66fb3c03448855.jpg)
no.2(鎌形八幡神社付近拡大図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/ba/f840397388b7685feef122216df9a4d9.jpg)
no.3(嵐山渓谷付近拡大図)
菅谷館跡・比企丘陵自然公園---
此処は広い自然公園になっていて、城跡のような堀が随所に廻らされており、歩き回るだけでも
かなりの時間を要する。源頼朝挙兵以来、幾多の戦いで中心的役目を果たしたのが、畠山重忠だ。
畠山重忠像 学校橋から見た菅谷館跡方面。川は都幾川。
旧鎌倉街道(学校橋から笛吹峠まで)----
学校橋から笛吹峠への道は、旧鎌倉街道だ。坂上田村麻呂、畠山重忠、木曽義仲、新田義貞、足利尊氏などの軍勢が駆け抜けていった道だ。
都幾川の桜並木の土手を空手道場の生徒たちが駆けていた。県道172に出ると、右に大蔵館跡の
大蔵神社、左には源義賢(よしかた)の墓がある。
この辺りは源氏三代ゆかりの地で、義賢・(木曽)義仲・義高の供養塔があった。
大行院は縁日か祭礼のような大賑わいで、我々も道路を挟んで両方の神社にお邪魔した。
地蔵や稲荷、供養等などが、圧倒的な数で出迎えてくれた。将軍沢地域の中心地なのか。
大行院の境内は広く、以下のようなユニークな石像群もあった。
大行院の先を行くと、このような場所に着いた。現在は橋は無い。
将軍沢の里は歴史の道だ。
我々は、現在は車道になっているこの歴史の道を、そのまま笛吹峠まで歩いた。だが、国土地理院の地図を見ると、明光寺の東側に、この車道と平行して笛吹峠へ至る山道がある。そちらのほうを選ぶべきだったようだ。
峠にはハイカーが弁当を拡げるのに適したテーブルやトイレなどの施設があった。
車も数台なら停められるスペースが用意されていた。
向こうの大蔵館方面から登って来たが、物見山とは逆の小道に入ると、快適な山道になる。
しかし、あっと言う間に、赤貫通りという車道に出てしまった。 のどかな田園風景だ。
その道路を北上する。
木曽義仲ゆかりの地----
思ったより広い境内だ。その奥のほうに下の写真の場所があった。この湧き水は、現在ではちょろちょろ
だったが、夫婦で川越からペットボトルに汲みに来た人がいた。コーヒー用なのであろう。飲んでみると
癖の無いさっぱりした味わいだった。
神社から班渓寺へは、ちょっと分かりずらい道だ。民家の庭みたいな小道を通って到着した。
班渓寺を出て嵐山渓谷へ向かう。 渓谷が近づいてきた。
嵐山渓谷から大平山へ----
渓谷にある冠水橋を渡る。この上の林道を左に行くと、木製の見晴台のある休憩所に着く。
桜の頃なら、この渓谷を時間をかけて散策するのだが、今日は、昼食も未だなので、小休止の後、
大平山へと向かう。↓
当初は尾根道を下るつもりだったが、うっかり標識につられて、いったん春日神社方面へ下り、途中から配水池へ出る脇腹を行くような道を選んでしまった。
下の道路に出たら、あとは国道254バイパス目がけて進み、そこのガストに入った。やれやれ、ずいぶん
遅い昼食となってしまった。店を出て道路を行くと、立派な和菓子店が女性群の目に留まり、そこへ寄る
ことになった。(川越菓匠)くらづくり本舗というしゃれた店で、一行にお茶と(試食)和菓子片を出してくれた。
先日、出かけた
山中の雪の中、ふと目にした武将の名前を見て、不思議な縁を感じています