●魔除け●鬼瓦●道祖神●「蘇民将来(そみんしょうらい)之子孫」
★魔除け(まよけ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
外部から襲ってくる魔物を退散させること。もっとも一般的な方法は、家の門口(かどぐち)に神仏の御札(おふだ)を掲げることである。そのほか各地に多くみられるものに、イワシの頭、蹄鉄(ていてつ)、ハチの巣、花火の殻、ニンニク、ヒイラギの小枝などがあり、門口の御守りとされている。変わったものでは、東京の郊外などにもみられた「鎮西(ちんぜい)八郎為朝(ためとも)御宿」と書いた札を家の入口に貼(は)っておき、風邪(かぜ)の予防とした。また、「蘇民将来(そみんしょうらい)之子孫」と書いた木片を護符とする例もある。ほかに地方的な特色のあるものとして、岡山県真庭(まにわ)郡中和(ちゅうか)村では、旧暦12月8日日本海沿岸に打ち上げられたハリセンボンという魚を、入口の鴨居(かもい)に吊(つ)るすという。鳥取県南東部(八頭(やず)郡を中心とした地域)では、家の入口に四十鰒(ふぐ)を「始終福」といって吊るし魔除けにする。岡山県総社(そうじゃ)市では、小児の着物の背に小猿の形代(かたしろ)を縫って背負わせて魔除けにする。背守(せまも)りは他地方でもみられる風習である。兵庫県西宮(にしのみや)市では、門口にアカメバルという魚を掲げ百日咳(ぜき)除けのまじないとする。また、シャクナゲの葉はトベラの木と同じく戸口に吊るしておくと魔除けになるとされている。兵庫県下では、12月1日に「カラスの仲間」といって、カラスより先に起きナスの漬物を食べると、水難にあうことはないという。この風習は、期日を異にして他所にもある。以上は個人の家での魔除けであるが、村全体の魔除けとして、村の入口に縄を張り、それに大きな草履(ぞうり)を下げ流行病の侵入を防ぐまじないとすることがある。[ 執筆者:大藤時彦 ]
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★石敢當(いしがんどう、いしがんとう、せっかんとう)http://p.tl/1o0v
石敢當などの文字が刻まれた魔よけの石碑や石標。石敢当、泰山石敢當、石敢東、石散當、石散堂、石厳當と書かれたものもある。中国で発祥したもので、日本では主に沖縄県や鹿児島県で見かける。
★鬼瓦(おにがわら)http://p.tl/NZ3X
和式建築物の棟(大棟、隅棟、降り棟など)の端などに設置される板状の瓦の総称。略して「鬼」とも呼ばれる。厄除けと装飾を目的とした役瓦の一つ。鬼瓦を題材にした狂言の演目「鬼瓦」のこと。
★(くくり猿から転送)http://p.tl/OI5b さるぼぼ
さるぼぼは、飛騨高山など岐阜県飛騨地方で昔から作られる人形。
★庚申堂(こうじんどう) (奈良市) http://p.tl/JZM6
奈良市のならまちの中心にあり、「庚申さん」と呼ばれる。庚申信仰の奈良の拠点であり、青面金剛像を祭祀する祠である。また、青面金剛の使いの猿を型どったお守りは、魔除けとして、町内の家々の軒先に吊るされている。大きいのが大人、小さいのが子どもとされ、家族構成に合わせて吊るされている。また、町内から転出した家族の分の猿は、庚申堂に預けられて、転出者と町との精神的な絆を保っている。町内の住民の災いを代わりに受けることから、「身代わり猿」と呼ばれ、また、背中に願い事を書いて吊るせば願いが叶うとされ、「願い猿」とも呼ばれ、岐阜県飛騨地方のさるぼぼが頭を垂れて体を屈曲させたような形状である。
★シーサー http://p.tl/K_DQ
沖縄県などでみられる伝説の獣の像。建物の門や屋根、村落の高台などに据え付けられ、家や人、村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持つ。
名前は「獅子(しし)」を沖縄方言で発音したものである。八重山諸島ではシーシーともいう。
★鯱(しゃち)http://p.tl/WH68
姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物。それを模した主に屋根に使われる装飾・役瓦の一種。一字で鯱(しゃちほこ)・鯱鉾とも書かれる。江戸時代の百科事典『和漢三才図会』では魚虎(しゃちほこ)と表記されている。
★セーマンドーマンまたはドーマンセーマン http://p.tl/Y6ma
三重県志摩地方(現 鳥羽市と志摩市)の海女が身につける魔除けである。
★多度の弾き猿(たどのはじきざる)http://p.tl/_Kwi
三重県桑名市多度町の郷土玩具で、三重県指定伝統工芸品。
明治時代中頃から、多度大社門前町の土産物として売られている。
「はじきざる」の名称が「(災難を)弾き去る」という言葉と語呂が合うことから縁起物として親しまれている。
★岐の神『ウィキペディア(Wikipedia)』http://p.tl/7zMl
岐の神(ふなどのかみ、くなどのかみ)、巷の神(ちまたのかみ)または辻の神(つじのかみ)とは、日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神である。道祖神、塞の神(さえのかみ)とも[1]。
岐(ちまた、巷とも書く)または辻(つじ)とは、道路が分岐・交叉する場所のことである。このような場所は、人だけでなく神も往来する場所と考えられた。神の中には悪神・悪霊もおり、これらの侵入を防ぐために祀られたのが岐の神である。このことから塞の神(さえのかみ)とも呼ばれる。
神話の中では、『古事記』の神産みの段において、黄泉から帰還したイザナギが禊をする際、脱ぎ捨てた褌から道俣神(ちまたのかみ)が化生したとしている。この神は、『日本書紀』や『古語拾遺』ではサルタヒコと同神としている。また、『古事記伝』では『延喜式』「道饗祭祝詞」の八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)と同神であるとしている。
『日本書紀』では、泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミから逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って投げた杖から岐神(ふなどのかみ)、来名戸祖神(くなとのさえのかみ)が化生したとしている。『古事記』でも、上述のイザナギの禊の場面で、最初に投げた杖から衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)が化生している。
後に、中国から伝来した道路の神である道祖神と習合した。そこから、道祖神もサルタヒコと同一視されるようになった。また、仏教の地蔵菩薩とも同一視された。
★道切り(みちきり)http://p.tl/dE1F
村(地域)の出入り口にあたる道や辻で行われる民俗習慣のひとつ。
辻切り(つじぎり)とも称される。
日本の村落においては、村と山の境界にあたる野良(ノラ)、あるいは村と村の境(サカイ)には古くから魔や疫病をはやらせる神などが出入りすると考えられ、出入り口にあたる道には魔を防いだり、追い払うために道祖神が祀られたり、注連縄(または藁で作った蛇)を張ったり草履や草鞋が供えるなどの道切り行事が行われていた。
なお、この行事の行われる時期については、地域によって異なるが定期的に行われるか、時により臨時に行われることがある。
★中野木の辻切り http://p.tl/VmFC
★道祖神(どうそじん、どうそしん)http://p.tl/K2NE
路傍の神である。集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、松尾芭蕉の「奥の細道」では旅に誘う神様として冒頭に登場する。村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。 古い時代のものは男女一対を象徴するものになっている。餅つき(男女の性交を象徴する)などにもその痕跡が残る。
★柊鰯(ひいらぎいわし)http://p.tl/6rls
節分に魔除けとして使われる、柊の小枝と焼いた鰯の頭、あるいはそれを門口に挿したもの。西日本では、やいかがし(焼嗅)、やっかがし、やいくさし、やきさし、ともいう。
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★門守りのサイト 1) 柊鰯(ひいらぎいわし) 節分に門口につける魔よけ http://p.tl/HedE
★節分 柊鰯(ひいらぎいわし)デビュ~ http://p.tl/oaWy
★鰯の頭と柊 http://p.tl/kVzf
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★「蘇民将来(そみんしょうらい)之子孫」http://p.tl/MCOB
蘇民将来(そみんしょうらい、蘇民將來)とは日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰である。こんにちでも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(おもにスサノオ)を祀る神社で販売されており、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰される。また、除災のため、住居の門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家も少なくない[1]。なお、岩手県南部では、例年、この説話をもとにした盛大な蘇民祭がおこなわれる。
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★妙見山 黒石寺蘇民祭 http://p.tl/ROaK
★蘇民将来符 - その信仰と伝承:八日堂蘇民将来符 http://p.tl/qh1n
★民話の駅 蘇民|蘇民とは?|牛頭天皇と蘇民将来 http://p.tl/clhp
★二見町蘇民将来 http://p.tl/hB-N
★蘇民将来の起源はイスラエルの過越祭か ! | 日本とユダヤのハーモニー http://p.tl/IdMR
★「蘇民将来」は、「備後国風土記(逸文)」など説話に登場する人物。http://p.tl/Qbn4
★信濃国分寺、蘇民将来、平将門 http://p.tl/8kat
★伊勢の蘇民将来伝説 http://p.tl/UIOI
★蘇民祭(そみんさい)http://p.tl/t6od
岩手県を中心に日本各地に伝わる裸祭りである。1000年以上の歴史を持つと言われる。岩手県内では毎年1月から3月にかけて複数の蘇民祭が行われ、岩手の蘇民祭の名称で国の選択無形民俗文化財として選択されている。その中で最も著名なものは日本三大奇祭ないし日本三大裸祭りの一つに数えられることもある奥州市の黒石寺蘇民祭である。
★牛頭天王(ごずてんのう)http://p.tl/O0H8
日本の神仏習合における神。京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座する神であり、蘇民将来説話の武塔天神と同一視された。インドの釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、祇園神という祇園信仰の神である。陰陽道では天道神と同一視された。神仏習合では薬師如来の垂迹であるとともに、スサノオの本地とされた。現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。
★備後国風土記(びんごのくにふどき、きびのみちのしりのくにのふどき)http://p.tl/sp-D
奈良時代初期に編纂された備後国の風土記。
鎌倉時代中期、卜部兼方によって記された釈日本紀に、「備後国風土記逸文」として「蘇民将来」の逸話が伝存している。
釈日本紀より「備後国風土記逸文」
★素戔嗚尊様と蘇民将来 http://uenokouen.com/somin/
★魔除け(まよけ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
外部から襲ってくる魔物を退散させること。もっとも一般的な方法は、家の門口(かどぐち)に神仏の御札(おふだ)を掲げることである。そのほか各地に多くみられるものに、イワシの頭、蹄鉄(ていてつ)、ハチの巣、花火の殻、ニンニク、ヒイラギの小枝などがあり、門口の御守りとされている。変わったものでは、東京の郊外などにもみられた「鎮西(ちんぜい)八郎為朝(ためとも)御宿」と書いた札を家の入口に貼(は)っておき、風邪(かぜ)の予防とした。また、「蘇民将来(そみんしょうらい)之子孫」と書いた木片を護符とする例もある。ほかに地方的な特色のあるものとして、岡山県真庭(まにわ)郡中和(ちゅうか)村では、旧暦12月8日日本海沿岸に打ち上げられたハリセンボンという魚を、入口の鴨居(かもい)に吊(つ)るすという。鳥取県南東部(八頭(やず)郡を中心とした地域)では、家の入口に四十鰒(ふぐ)を「始終福」といって吊るし魔除けにする。岡山県総社(そうじゃ)市では、小児の着物の背に小猿の形代(かたしろ)を縫って背負わせて魔除けにする。背守(せまも)りは他地方でもみられる風習である。兵庫県西宮(にしのみや)市では、門口にアカメバルという魚を掲げ百日咳(ぜき)除けのまじないとする。また、シャクナゲの葉はトベラの木と同じく戸口に吊るしておくと魔除けになるとされている。兵庫県下では、12月1日に「カラスの仲間」といって、カラスより先に起きナスの漬物を食べると、水難にあうことはないという。この風習は、期日を異にして他所にもある。以上は個人の家での魔除けであるが、村全体の魔除けとして、村の入口に縄を張り、それに大きな草履(ぞうり)を下げ流行病の侵入を防ぐまじないとすることがある。[ 執筆者:大藤時彦 ]
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★石敢當(いしがんどう、いしがんとう、せっかんとう)http://p.tl/1o0v
石敢當などの文字が刻まれた魔よけの石碑や石標。石敢当、泰山石敢當、石敢東、石散當、石散堂、石厳當と書かれたものもある。中国で発祥したもので、日本では主に沖縄県や鹿児島県で見かける。
★鬼瓦(おにがわら)http://p.tl/NZ3X
和式建築物の棟(大棟、隅棟、降り棟など)の端などに設置される板状の瓦の総称。略して「鬼」とも呼ばれる。厄除けと装飾を目的とした役瓦の一つ。鬼瓦を題材にした狂言の演目「鬼瓦」のこと。
★(くくり猿から転送)http://p.tl/OI5b さるぼぼ
さるぼぼは、飛騨高山など岐阜県飛騨地方で昔から作られる人形。
★庚申堂(こうじんどう) (奈良市) http://p.tl/JZM6
奈良市のならまちの中心にあり、「庚申さん」と呼ばれる。庚申信仰の奈良の拠点であり、青面金剛像を祭祀する祠である。また、青面金剛の使いの猿を型どったお守りは、魔除けとして、町内の家々の軒先に吊るされている。大きいのが大人、小さいのが子どもとされ、家族構成に合わせて吊るされている。また、町内から転出した家族の分の猿は、庚申堂に預けられて、転出者と町との精神的な絆を保っている。町内の住民の災いを代わりに受けることから、「身代わり猿」と呼ばれ、また、背中に願い事を書いて吊るせば願いが叶うとされ、「願い猿」とも呼ばれ、岐阜県飛騨地方のさるぼぼが頭を垂れて体を屈曲させたような形状である。
★シーサー http://p.tl/K_DQ
沖縄県などでみられる伝説の獣の像。建物の門や屋根、村落の高台などに据え付けられ、家や人、村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持つ。
名前は「獅子(しし)」を沖縄方言で発音したものである。八重山諸島ではシーシーともいう。
★鯱(しゃち)http://p.tl/WH68
姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物。それを模した主に屋根に使われる装飾・役瓦の一種。一字で鯱(しゃちほこ)・鯱鉾とも書かれる。江戸時代の百科事典『和漢三才図会』では魚虎(しゃちほこ)と表記されている。
★セーマンドーマンまたはドーマンセーマン http://p.tl/Y6ma
三重県志摩地方(現 鳥羽市と志摩市)の海女が身につける魔除けである。
★多度の弾き猿(たどのはじきざる)http://p.tl/_Kwi
三重県桑名市多度町の郷土玩具で、三重県指定伝統工芸品。
明治時代中頃から、多度大社門前町の土産物として売られている。
「はじきざる」の名称が「(災難を)弾き去る」という言葉と語呂が合うことから縁起物として親しまれている。
★岐の神『ウィキペディア(Wikipedia)』http://p.tl/7zMl
岐の神(ふなどのかみ、くなどのかみ)、巷の神(ちまたのかみ)または辻の神(つじのかみ)とは、日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神である。道祖神、塞の神(さえのかみ)とも[1]。
岐(ちまた、巷とも書く)または辻(つじ)とは、道路が分岐・交叉する場所のことである。このような場所は、人だけでなく神も往来する場所と考えられた。神の中には悪神・悪霊もおり、これらの侵入を防ぐために祀られたのが岐の神である。このことから塞の神(さえのかみ)とも呼ばれる。
神話の中では、『古事記』の神産みの段において、黄泉から帰還したイザナギが禊をする際、脱ぎ捨てた褌から道俣神(ちまたのかみ)が化生したとしている。この神は、『日本書紀』や『古語拾遺』ではサルタヒコと同神としている。また、『古事記伝』では『延喜式』「道饗祭祝詞」の八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)と同神であるとしている。
『日本書紀』では、泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミから逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って投げた杖から岐神(ふなどのかみ)、来名戸祖神(くなとのさえのかみ)が化生したとしている。『古事記』でも、上述のイザナギの禊の場面で、最初に投げた杖から衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)が化生している。
後に、中国から伝来した道路の神である道祖神と習合した。そこから、道祖神もサルタヒコと同一視されるようになった。また、仏教の地蔵菩薩とも同一視された。
★道切り(みちきり)http://p.tl/dE1F
村(地域)の出入り口にあたる道や辻で行われる民俗習慣のひとつ。
辻切り(つじぎり)とも称される。
日本の村落においては、村と山の境界にあたる野良(ノラ)、あるいは村と村の境(サカイ)には古くから魔や疫病をはやらせる神などが出入りすると考えられ、出入り口にあたる道には魔を防いだり、追い払うために道祖神が祀られたり、注連縄(または藁で作った蛇)を張ったり草履や草鞋が供えるなどの道切り行事が行われていた。
なお、この行事の行われる時期については、地域によって異なるが定期的に行われるか、時により臨時に行われることがある。
★中野木の辻切り http://p.tl/VmFC
★道祖神(どうそじん、どうそしん)http://p.tl/K2NE
路傍の神である。集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、松尾芭蕉の「奥の細道」では旅に誘う神様として冒頭に登場する。村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。 古い時代のものは男女一対を象徴するものになっている。餅つき(男女の性交を象徴する)などにもその痕跡が残る。
★柊鰯(ひいらぎいわし)http://p.tl/6rls
節分に魔除けとして使われる、柊の小枝と焼いた鰯の頭、あるいはそれを門口に挿したもの。西日本では、やいかがし(焼嗅)、やっかがし、やいくさし、やきさし、ともいう。
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★門守りのサイト 1) 柊鰯(ひいらぎいわし) 節分に門口につける魔よけ http://p.tl/HedE
★節分 柊鰯(ひいらぎいわし)デビュ~ http://p.tl/oaWy
★鰯の頭と柊 http://p.tl/kVzf
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★「蘇民将来(そみんしょうらい)之子孫」http://p.tl/MCOB
蘇民将来(そみんしょうらい、蘇民將來)とは日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰である。こんにちでも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(おもにスサノオ)を祀る神社で販売されており、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰される。また、除災のため、住居の門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家も少なくない[1]。なお、岩手県南部では、例年、この説話をもとにした盛大な蘇民祭がおこなわれる。
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★妙見山 黒石寺蘇民祭 http://p.tl/ROaK
★蘇民将来符 - その信仰と伝承:八日堂蘇民将来符 http://p.tl/qh1n
★民話の駅 蘇民|蘇民とは?|牛頭天皇と蘇民将来 http://p.tl/clhp
★二見町蘇民将来 http://p.tl/hB-N
★蘇民将来の起源はイスラエルの過越祭か ! | 日本とユダヤのハーモニー http://p.tl/IdMR
★「蘇民将来」は、「備後国風土記(逸文)」など説話に登場する人物。http://p.tl/Qbn4
★信濃国分寺、蘇民将来、平将門 http://p.tl/8kat
★伊勢の蘇民将来伝説 http://p.tl/UIOI
★蘇民祭(そみんさい)http://p.tl/t6od
岩手県を中心に日本各地に伝わる裸祭りである。1000年以上の歴史を持つと言われる。岩手県内では毎年1月から3月にかけて複数の蘇民祭が行われ、岩手の蘇民祭の名称で国の選択無形民俗文化財として選択されている。その中で最も著名なものは日本三大奇祭ないし日本三大裸祭りの一つに数えられることもある奥州市の黒石寺蘇民祭である。
★牛頭天王(ごずてんのう)http://p.tl/O0H8
日本の神仏習合における神。京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座する神であり、蘇民将来説話の武塔天神と同一視された。インドの釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、祇園神という祇園信仰の神である。陰陽道では天道神と同一視された。神仏習合では薬師如来の垂迹であるとともに、スサノオの本地とされた。現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。
★備後国風土記(びんごのくにふどき、きびのみちのしりのくにのふどき)http://p.tl/sp-D
奈良時代初期に編纂された備後国の風土記。
鎌倉時代中期、卜部兼方によって記された釈日本紀に、「備後国風土記逸文」として「蘇民将来」の逸話が伝存している。
釈日本紀より「備後国風土記逸文」
★素戔嗚尊様と蘇民将来 http://uenokouen.com/somin/