縄文人の反乱 日本を大事に

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●亡者(もうじゃ)【上方落語】など

2012年09月20日 23時22分00秒 | 色んな情報
●亡者(もうじゃ)【上方落語】など
★はてなキーワード > 亡者 (もうじゃ)
死者のこと。特に成仏する前の死者や地獄にいる死者を言う。仏教用語。
迷いがある者、欲や執念に取り憑かれた者のことも指す(→我利我利亡者)。
僧家で魚の隠語(広辞苑)。
ちなみに、猛者は「もさ」と読む。
★亡者 - 記者ときどき歌詠み    http://p.tl/1nKM
★地獄八景亡者戯     http://p.tl/HoOM
★十王(じゅうおう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
死後の世界である冥府(めいふ)で亡者を裁く10人の王をいう。すなわち、秦広王(しんこうおう)、初江王(しょこうおう)、宋帝王(そうたいおう)、五官王(ごかんのう)、閻魔王(えんまおう)、変成王(へんじょうおう)、泰山王(たいせんのう)、平等王(びょうどうおう)、都市王(としおう)、五道転輪王(ごどうてんりんのう)の総称である。十王信仰の発祥は、中国で仏教と道教の両信仰の混成物として五代ころには成立していたと考えられている。唐代に四川(しせん)省の成都で沙門蔵川(しゃもんぞうせん)によって、『仏説閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経(ぶっせつえんらおうじゅきししゅうぎゃくしゅうしょうしちおうじょうじょうどきょう)』(略名を『仏説預修十王生七経』または『十王経』と称する。偽経)が製作され、冥府の十王を説く。日本では鎌倉時代の初めに、『仏説地蔵菩薩発心因縁(ぶっせつじぞうぼさつほっしんいんねん)十王経』すなわち『地蔵十王経』がつくられている。同経によると、死者が冥途(めいど)に赴くとき、中有(ちゅうう)の存在として初七日に秦広王、二七日に初江王、三七日に宋帝王、四七日に五官王、五七日に閻魔王、六七日に変成王、七七日に泰山王のところを過ぎ、さらに百か日には平等王、一周忌には都市王、三回忌には五道転輪王のところをそれぞれ過ぎて、生前の罪業(ざいごう)の軽重により裁断を受けて、未来の生処を定められるという。その場合、裁断の規準となるのは逆修(ぎゃくしゅう)(生前に死後になすべき仏事を修すること)と追善(ついぜん)の仏事であった。この経も蔵川の著述とされるが、死出の山、三途(さんず)の川、罪業を映す鏡など日本的要素がみられ、日本での偽作とされている。『十王経』は、十仏事の流行を促し、逆修、追善の仏事を定着させるうえで大きな力をもった。なお、十王にそれぞれ本地仏をあてたが、室町時代ごろ、それにさらに三仏を加えて、おのおのの仏・菩薩を初七日から三十三回忌までの忌日の本尊とする十三仏(ぶつ)の信仰が広まった。 [ 執筆者:伊藤瑞叡 ]

★閻魔(えんま) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
冥界(めいかい)を支配する死の神の名称。サンスクリット語ヤマyamaの音写で、閻魔王(ヤマラージャyama-rja)ともいう。ほかに炎摩、焔摩、魔、閻摩羅(えんまら)、閻摩羅社、摩羅闍(えんまらじゃ)、閻羅(えんら)と音訳。ヤマとは罪人を縛するという縛(しばり)の義、つねに苦楽の二つの報いを受けるという双世の義、兄と妹(ヤミーyam)の2人が並んで王であるという双王の義、平等に罪を治するという平等王の義、罪悪を止めるという遮止(しゃし)の義、諍(いさか)いを止め悪を息(や)めるという諍息(そうそく)の義などがある。すなわち、生きとし生ける者(衆生(しゅじょう))の罪を監視し、死者の罪を判ずる冥界の総司である。ベーダ時代のインド神話では、妃(きさき)ヤミーと双生神で、正法(しょうぼう)の神、光明の神とされたが、人界最初の死者であったために冥界の支配者と考えられた。仏教においては、餓鬼界(がきかい)の主、地獄界の主となり、勧善懲悪の判官として魔法王(ほうおう)と称されるに至った。衆生の悪業(あくごう)によって報いとして現れた身(悪業所感(あくごうしょかん)の身)であるとも、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の化身(けしん)であるともいう。中国では道教の思想と結合して、冥府で死者の生前の罪業を裁くという十王の一に数えられた。密教では天部(てんぶ)の一衆とされ、温容な姿で示される。 [ 執筆者:伊藤瑞叡 ]

★秋田(県)(あきた) [ 日本大百科全書(小学館) ]  http://p.tl/JfcE
ガンゲという黒覆面をつけて踊ることから「亡者(もうじゃ)踊り」ともよばれ、起源は不明であるが、精霊(しょうりょう)とともに踊るという供養踊りを伝承している。

★阿修羅(あしゅら) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
インドの鬼神の一種。サンスクリット語、パーリ語のアスラasuraの音写語で、修羅と略称される。語源からすれば、sとhの交代により、古代ペルシア語のアフラahuraと関係がある。しかし、古代ペルシアではアフラは善神とみなされ、悪神ダエーバdavaに対立すると考えられているが、インドではアスラを神(スラsura)にあらざる者、つまり非天と解釈した結果、その関係が逆になり、善神デーバdevaに敵対する悪神をよぶことばとなっている。そして善神と悪神との戦闘は、インドの大叙事詩『マハーバーラタ』にみえ、ビシュヌ神の円盤に切られて大量の血を吐きながら、刀、槍(やり)、棍棒(こんぼう)で打ちのめされたアスラたちが戦場に横臥(おうが)し、血に染まった彼らの肢体が、褐色の岩の頂のように累々と横たわっているようすが描かれている。ほぼ同様の叙述は、仏典にも所々に言及され、これらを通じてわが国の文学にも伝えられた。それで血なまぐさい戦闘の行われる場所を「修羅場(しゅらば)」という。またこのような阿修羅に生まれ変わることは、(1)地獄に生まれること、(2)畜生界に入ること、つまり動物になること、(3)餓鬼すなわち亡者となることとともに、四つの悪処(あくしょ)、悪趣(あくしゅ)に数えられる。すなわち、人が死後受けるところの不幸な運命の一つと考えられている。
なお、奈良・興福寺蔵の阿修羅像(国宝)は三面六臂(ろっぴ)で、巧妙な手の配置、愁いを含む表情で表される天平(てんぴょう)彫刻の名作である。 [ 執筆者:高橋 壯 ]

★板碑(いたび) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
中世につくられた石塔の一種で板石塔婆(いたいしとうば)ともいう。埼玉県熊谷(くまがや)市須賀広(すがひろ)にある、嘉禄(かろく)3年(1227)銘のものが初見で、南北朝・室町時代にもっとも盛んとなり、17世紀には姿を消す。九州・四国から東北・北海道に至る全国各地に分布するが、関東地方の、秩父(ちちぶ)産の青石(緑泥片岩(りょくでいへんがん))でつくられたものが数も多く、よく知られている。青石は板状にはがれやすく加工もしやすいことから、厚さの薄い石碑状の石に細かな彫刻が施されるなど芸術的にも優れた形のものが多い。板碑という名称は、この石碑状の形から近世末に生じたものであるが、板碑は碑ではなく、両親など亡者の追善供養(くよう)や生きている者の逆修(ぎゃくしゅ)供養のためにつくられた供養塔であり、板碑のつくられた時代には、特別な名称はなく、石塔、卒塔婆(そとば)、浮図(ふと)などと供養塔を意味する名称でよばれていた。また刻まれている銘文も、その亡者などの名や造立趣旨と、経典の一句である偈(げ)と、紀年銘などで、記念碑的な意味の銘は刻まれていない。
板碑の形態は、頭部を三角形にし、2条の溝が刻まれ、梵字(ぼんじ)(種子(しゅじ))や画像で主尊とする仏(阿弥陀(あみだ)、大日(だいにち)、釈迦(しゃか)、地蔵(じぞう)、観音(かんのん)など)を表現し、その下に銘文が刻まれているのが一般で、この形態の起源については諸説があるが、五輪塔の形態が転化したものとする説が現在もっとも有力である。石材は青石のほか、地方によって安山岩、花崗(かこう)岩、凝灰岩などが用いられるが、材質のつごうで厚手もしくは柱状になったものもある。
板碑に込められた信仰は、偈の出典の経典や主尊から知ることができ、関東地方のものは8割まで密教的浄土信仰に基づくとされるが、宗派まで確定することは一般的にはできない。ただ例外的に、鎌倉時代末期以降に多くなる「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と名号を刻む時宗(じしゅう)系と、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と題目を刻む日蓮(にちれん)宗系とは宗派を知ることができる。
板碑の造立者は、鎌倉時代には武蔵(むさし)七党などとよばれるような在地領主層がほとんどであるが、15世紀後半以降、とくに関東地方では、月待(つきまち)や庚申待(こうしんまち)などの民俗行事に伴って農民たちが一結衆を構成して供養塔を造立する例が多くなる。これらの板碑は、その交名(きょうみょう)を分析することによって、東国の中世村落のようすを知ることができる重要な史料である。
板碑は17世紀初頭につくられなくなる。その理由としてさまざまな解釈がなされ、徳川家康の江戸入部に伴う禁止などを指摘する俗説もあるが、そうした政治的理由よりも、位牌(いはい)や石碑墓の普及に象徴されるような、家・村落や仏教の変化など社会的諸条件の変化に伴うものと考えるべきであろう。 [ 執筆者:千々和到 ]

★亡者 - Wikipedia   http://p.tl/wjlO
★我利我利亡者【ガリガリモウジャ】デジタル大辞泉
欲深くて自分の利益だけを考えている者をののしっていう語。
自分の利益だけを考えて,他を顧みない人を卑しめていう語。我利我利坊主。
★【上方落語メモ第3集】その101 / 地獄八景亡者戯(上)   http://p.tl/a2ee
★地獄八景亡者戯 - Wikipedia     http://p.tl/VR1z
★【上方落語】 桂枝雀 『地獄八景亡者戯』 1/2 - YouTube  http://p.tl/Ipj5 2/2 http://p.tl/npHC

●日記●記録●日次(ひなみ)記●日録(にちろく)●

2012年09月20日 23時22分00秒 | 色んな情報
●日記●記録●日次(ひなみ)記●日録(にちろく)●
★日記(にっき) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
日々のできごとや感想を毎日記したもの。「にき」とも読み、日次(ひなみ)記、日録(にちろく)などともいう。日本史の文献史料としては狭義の記録と同義に用いられる。古文書と並ぶ重要な史料である。 [ 執筆者:編集部 ]
★記録(きろく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
広い意味では、物事を書き記したものはすべて記録といえるが、とくに日本史の文献史料に限定すれば、不特定多数の読者をあらかじめ想定している著作物・編纂物(へんさんぶつ)や、相手に意志を伝達するために書く文書(もんじょ)に対して、個人もしくは特定の機関が備忘のために書くものを記録と称する。その中心となるのは、日々のできごとを毎日記してゆく日記、すなわち日次記(ひなみき)であるが、特別な行事の際に、日次記のほかに行事の次第を別に詳しく記録した別記、さらには日次記・別記をもとに、その記載内容を事項別に分類・編集した部類記も記録のなかに含まれる。すなわち記録とは、狭い意味では日記と同義に用いられる語である。日記は、公的な日記と私日記に大別できる。公的な日記としては、『養老令(ようろうりょう)』の職員(しきいん)令に、中務(なかつかさ)省の内記が「御所記録」をつかさどると規定されているのをはじめ、太政官(だいじょうかん)の外記(げき)が記録する外記日記、当番の蔵人(くろうど)が職掌として書きとどめる殿上(てんじょう)日記などが古くより知られるが、そのほか江戸時代に至るまで、『御湯殿上(おゆどののうえ)日記』『禁裏番衆所(きんりばんしゅうじょ)日記』『禁裏執次詰所(きんりとりつぎつめしょ)日記』『院中番衆所日記』『仙洞(せんとう)御所詰所日記』『議奏日次案』など多くの公的な日記が現れた。一方、私日記は、『日本書紀』斉明(さいめい)紀などに引かれ、遣唐使の往還に関して記録した『伊吉連博徳書(いきのむらじはかとこのふみ)』『難波吉士男人(なにわのきしおひと)書』、また『釈日本紀』所引の、壬申(じんしん)の乱に関する日記である『安斗智徳(あとのちとこ)日記』『調連淡海(つきのむらじおうみ)日記』『和邇部臣君手(わにべのおみきみて)記』などが現在知られるもっとも古いものであり、また奈良時代には746年(天平18)の具注暦(ぐちゅうれき)に書き込まれた日記が正倉院文書のなかに伝わっているが、とくに10世紀以後、宮廷の儀式の作法がしだいに形成されるに伴い、それら儀礼を子孫に伝える必要上、公家(くげ)の私日記が数多く書かれるようになった。また儀式典礼の典拠とするために先人の日記を書写し、所持しておくことは公家の重要な任務の一つとされたから、必然的に多数の日記の写本がつくられ、あるいは儀式ごとに日記の記事を分類して編集した部類記、日記中の必要な記事を抜き出した抄出本も作成された。今日まで多くの日記が写本や抄出本などの形で伝来しえたのは、公家社会において日記が担ったこのような意義に負うところが少なくない。私日記の記載内容は、記主の身分や地位によって異なるものの、日記を書く目的は多かれ少なかれ朝廷の儀式作法を正確に記録して将来に備えるところにあったから、公家社会や宮廷に関する歴史的事実を的確に把握するためには、日記はもっとも重要な文献史料となる。古代・中世の日記は『史料大成』『大日本古記録』『史料纂集』などに収められて、かなり多くのものが刊行されているが、江戸時代の膨大な数に上る日記はほとんど未刊の状態である。 [ 執筆者:吉岡眞之 ]
★古文書(こもんじょ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .   http://p.tl/_ni1
歴史資料の一つ。 [ 執筆者:千々和到 ]
★日記文学(にっきぶんがく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .http://p.tl/OPQc

★日次【ヒツギ】デジタル大辞泉
1 毎日。日ごと。また、日々のこと。「吹き渡す比良の吹雪の寒くとも―の御狩せでやまめやは」〈堀河百首〉
2 毎日奉る貢ぎ物。「朝まだき桐生(きりふ)の岡に立つきじは千代の―の始めなりけり」〈拾遺・賀〉
3 日がら。日ついで。「なほ今日わたり給へ。―もあしければ」〈成尋母集・詞書〉
★日次記【ひなみき】世界大百科事典 第2版
日々のできごとを日次を追って書きついでゆく日記。古くは具注暦の暦面に書かれることが多かったので〈暦記〉とも称された。これに対し特定の事柄について詳細な記録を残すため書かれたものを〈別記〉という。《政事要略》に引載する790年(延暦9)の追儺の〈外記別日記〉は,すでに平安時代の初めに日次記と別記の並存したことを物語っている。藤原師輔の《九条殿遺誡》にも,毎日起床後まず昨日のことを暦記に注すべきこと,要枢の公事については別に詳しく書きしるして後鑑に備うべきことをおしえている。 日記のこと。
★日次紀事【ひなみきじ】世界大百科事典 第2版
江戸前期の京都を中心とする朝野公私の年中行事解説書。黒川道祐編。1676年(延宝4)林鵞峰序。中国明朝の《月令広義》にならって編集されているが,民間の習俗行事を積極的に採録したのが特徴。正月から各月ごとに,毎月1日から月末まで日をおい,節序,神事,公事,人事,忌日,法会,開帳の項を立て,それぞれ行事の由来や現況を解説している。しかし,神事や儀式には非公開をたてまえとするものもあり,出版後まもなく絶板の処分をうけた。
・百科事典マイペディアの解説.
江戸前期の京都を中心とする年中行事の解説書。12巻12冊。黒川道祐(くろかわどうゆう)編。1676年林鵞峰(はやしがほう)序。月ごとに日を追って節序・神事・公事・人事・忌日・法会・開帳の項を立て,行事の由来や現況を解説する。
★日次紀事【ひなみきじ】http://p.tl/Rddx
京都を中心に記した年中行事の解説書。
★議奏日次案(ぎそうひなみあん)http://p.tl/h0I8
江戸時代に議奏が日々の公務に関して記述した公的日記のこと。

★蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
相国(しょうこく)寺鹿苑(ろくおん)院内の蔭凉軒主がしるした公用日記。足利義満(あしかがよしみつ)は禅宗寺院の人事行政を総轄する僧録(そうろく)の職を置き、これを鹿苑院に住まわせ、義持(よしもち)はその南に、参禅聴講のため蔭凉軒を創設した。その蔭凉軒の留守居(るすい)役をやがて蔭凉軒主とよぶようになるが、軒主は鹿苑僧録を補佐し、僧事に関する将軍への披露取次を行い、一時は僧録をもしのぐ勢力を誇った。日記の中心記事は僧職の任免で、現存するのは季瓊真蘂(きけいしんずい)、益之宗箴(えきしそうしん)、亀泉集證(きせんしゅうしょう)の時期、すなわち1435年(永享7)から93年(明応2)までの断続的な記録である。ただし益之の時期の分は亀泉の筆になる。また継之景俊(けいしけいしゅん)の日記が『鹿苑日録』に混入し、1553年(天文22)から72年(元亀3)までの記事が断片的に残されている。原本は関東大震災によって焼失したが、尊経閣(そんけいかく)文庫にその影写本が架蔵されている。『大日本仏教全書』本は多くの錯誤を含むが、『増補続史料大成』本で訂正されている。 [ 執筆者:田中博美 ]
★にち‐ろく【日録】
日々の記録。日記。
★日録 - dagboek voor mijn onderzoekingsleven    http://p.tl/4JIo
★春秋堂日録        http://p.tl/Cqgf

★鹿苑日録【ろくおんにちろく】世界大百科事典     http://p.tl/uQN3
京都相国(しようこく)寺鹿苑院主の歴代の日記。1487‐1651年(長享1‐慶安4)の景徐周麟(けいじよしゆうりん),梅叔法霖(ばいしゆくほうりん),西笑承兌(さいしようしようたい),有節瑞保(ゆうせつずいほ),叔顕晫(きんしゆくけんたく)の日記を年代順に編集し,文書案や詩集の断簡を付加したもの。彼らが僧録を務めたことから禅宗寺院の人事が詳記され,室町幕府の日明貿易に関する事柄や室町末期から江戸初期の京都の社会情勢を知る上でも貴重。

★蔭涼軒日録【いんりょうけんにちろく】世界大百科事典   http://p.tl/EcZM
相国寺塔頭(たつちゆう)鹿苑院(ろくおんいん)蔭涼軒主歴代の日記。〈おんりょうけんにちろく〉とも読みならわす。前半の1435‐41年(永享7‐嘉吉1)と1458‐66年(長禄2‐文正1)が季瓊真蘂(きけいしんずい),後半の1484‐93年(文明16‐明応2)が亀泉集証(きせんしゆうしよう)の筆録である。また,《鹿苑日録》中に〈鹿苑院古文案〉として継之景俊(けいしけいしゆん)の日録が断片的に残っている。

★唐通事会所日録【とうつうじかいしょにちろく】世界大百科事典
長崎における唐通事仲間の執務日記。写本10冊。記事は1663年(寛文3)から1715年(正徳5)に及ぶ。ただし第2冊を欠く。唐通事会所の設立は1751年(宝暦1)で,それ以前は年番唐大通事の自宅が役所として使用されていた。内容は,唐船貿易,在崎唐人の動静,オランダ通詞関係,長崎関係一般情報など。とくに長崎奉行との交渉関係記事は詳細である。《大日本近世史料》に収録。【片桐 一男】

★碧山日録【へきざんにちろく】世界大百科事典   http://p.tl/jwrd
室町時代の日記。5巻。筆者は東福寺内の霊隠軒主太極。1459‐63年(長禄3‐寛正4)と65年,68年(応仁2)の記事が伝存。応仁の乱前夜の幕府政治の乱れと,京都近郊の社会不安を活写する。ことに61年の寛正大飢饉で洛中餓死者8万人が出たことや,清水寺の勧進僧願阿の救済活動などを記録するほか,応仁の乱中の足軽の活躍や,山城木幡郷の郷民の動向等,下層民の記事が生彩に富む。《増補続史料大成》所収。【今谷 明】

●アカシックレコード、アカシャ年代記

2012年09月20日 15時04分57秒 | 色んな情報
●アカシックレコード、アカシャ年代記
★アカシックレコード - Wikipedia   http://p.tl/MBzk
 アカシックレコード、アカシャ年代記(英:Akashic Records、独:Akasha-Chronik:発音からアーカーシックレコードとも)は人類の魂の活動の記録の概念であり、アーカーシャに映る業(カルマ)の投影像とされる。一般に話題に上るものは、暗黙的に、様々な問いかけに回答するエドガー・ケイシーのものを指しており、用語の影響力の及ぶ範囲では神智学上に定義されたものである。
記録のあるアカシャ(आकाश,Ākāśa,Akasha、アーカーシャ、阿迦奢)の漢訳は「虚空」であり、「上空」、「空間」を意味し、地と対をなす一切を存在させる六界の一つである。虚空は目視できないが、存在が音によって確認され、創造と帰滅または輪廻転生を象徴する蛇として象徴されることもある。
★エドガー・ケイシー(Edgar Cayce)http://p.tl/C33P
 エドガー・ケイシー(Edgar Cayce, 1877年3月18日 - 1945年1月3日)は、予言者、心霊診断家。支持者からは「20世紀最大の奇跡の人」と称される人物である。
★ルドルフ・シュタイナー     http://p.tl/1qdK
 ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没))は、 オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロアチア)出身の神秘思想家 。アントロポゾフィー(人智学)の創始者。哲学博士。
★ブラヴァツキー夫人       http://p.tl/I6UG
神智学を創唱した人物で、神智学協会の設立者。
本名はエレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー(Eelena Petrovna Blavatsky、Елена Блаватская)。
姓はロシア語では女性形でブラヴァツカヤとなる。ブラバッキーと誤表記されることもある。
★アトランティス(Ατλαντίς, Atlantis)http://p.tl/4zUr
古代ギリシアの哲学者プラトンが著書『ティマイオス』(Тίμαιος, Timaios)及び『クリティアス』(Κριτίας, Kritias)の中で記述した、大陸と呼べるほどの大きさを持った島と、そこに繁栄した王国のことである。強大な軍事力を背景に世界の覇権を握ろうとしたものの、ゼウスの怒りに触れて海中に沈められたとされている。
1882年、アメリカの政治家イグネイシャス・ロヨーラ・ドネリー(Ignatius Loyola Donnelly, 1831-1901)が著書『アトランティス―大洪水前の世界』(Atlantis, the Antediluvian World)を発表したことにより謎の大陸伝説として一大ブームとなり、更にオカルトと結びつくことで多くの派生研究を生んだ。
★神智学協会(しんちがくきょうかい)http://p.tl/1iGJ
ロシア帝国生まれのブラヴァツキー夫人が興した神秘思想結社。結成当時は多くの人に影響を与えた。
★神智学の概要 - ミトラ教と神智学・人智学(東條真人)(日本語)http://p.tl/PPDx
★東條真人(とうじょう まさと、1957年 - )http://p.tl/LaqY
日本の工学博士、占星術師。1994年にミトレーアム・ジャパンを設立し、イラン・クルド・欧米の同志グループとともにミトラ教の復興運動(再構築・現代化)を進めている。
★ミトレーアム・ジャパン公式サイト    http://p.tl/uL3k
★週刊アカシックレコード Web版      http://p.tl/q0Qs
★アカシックレコードとは  記:アカシックレコード研究委員会   http://p.tl/2ags
★アカシックレコードに繋がる方法!    http://p.tl/EGUU
★アカシックレコードリーダー玉愛あみ   http://ami.kikirara.jp/
★アカシックレコード - Nifty       http://p.tl/f_3v
★アカシック・レコードって何?      http://p.tl/YEUX
★アカシックレコードリーディングについて http://p.tl/NIK5
★竹島問題の心理学:月刊アカシックレコード120817     http://p.tl/Syno

●納棺師(のうかんし)

2012年09月20日 14時28分00秒 | 色んな情報
●納棺師(のうかんし)
★はてなキーワード > 納棺師
死者を棺に納めるために死装束を着せ、きれいに化粧して棺に納め、また関連商品の販売を行う職業人である。
葬儀というしめやかな儀式にかかわる職業のため、あまり知られていなかったが、納棺師を描いた映画「おくりびと」が第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞したことで、一躍、注目を浴びる職業となった。 納棺師の仕事は、ただ納棺するだけでなく、亡くなった人の「旅立ちの準備」を整えるのが主な役割。
★はてなキーワード > おくりびと (映画)
2008年9月13日公開 130分 松竹配給
2008年モントリオール世界映画祭コンペティション部門グランプリ受賞
第81回アカデミー賞外国語映画賞受賞
監督:滝田洋二郎 脚本:小山薫堂 音楽:久石譲
出演:本木雅弘、広末涼子、余貴美子、吉行和子、笹野高史、山崎努、峰岸徹、山田辰夫、大谷亮介
ひょんなことから納棺師となった男が、遺体を棺桶に納める「納棺」という儀式を通して人間的に成長していく物語。納棺師・青木新門による著書「納棺夫日記」を読んだ本木雅弘が、内容に強く興味を惹かれ映画関係者に紹介したことがきっかけで製作された。
★はてなキーワード > 本木雅弘
俳優。元歌手。
1965年12月21日生まれ。埼玉県桶川市出身。A型。
フロムファーストプロダクション所属。
1982年TBS系ドラマ「2年B組仙八先生」でデビュー。
1988年まで、アイドルグループ「シブがき隊」の一員として各メディアで活躍。
以後は数々の主要映画賞を受賞する等、実力派俳優に転身。
また、ソロ歌手としては井上陽水のカヴァー「東へ西へ」(1992年)がヒット。
奥さんは内田裕也と樹木希林の娘、内田也哉子。

★復元納棺師の方を取材しました!「NewsLab♡おおつち」日記32日目   http://p.tl/e3LX
★2012.5.1 モーニングセミナー 講師:株式会社 桜 代表取締役 納棺師 笹原 留似子 氏 http://p.tl/ZlbX
★■「おくりびと」の納棺師は、葬儀屋の下請け業者    http://p.tl/MnhH
★被災地の納棺師      http://p.tl/YhdR
★NEWSポストセブン|被災地の納棺師「もう一人ぼっちじゃない」などと遺体に声がけ  http://p.tl/PaPz
★『最期の笑顔~納棺師が描いた東日本大震災』を見て   http://p.tl/jhtU
★震災後、300人以上の遺体を復元した納棺師の話      http://p.tl/0ANU
★『おもかげ復元師』と『おもかげ復元師の震災絵日記』  http://p.tl/K32d
★「おくりびと」http://p.tl/OvVK
★祖母が亡くなった話 - ユメモヤ7 (id:decobisu / @decobisu) http://p.tl/MvcI http://p.tl/--iq
★『日本人の死生観を読む』 http://p.tl/fMNI
★東日本大震災の本から  http://p.tl/SLy7
★今西乃子トークライブ「心のおくりびと」(青山・山陽堂書店) http://p.tl/-XDE
★納棺師 - Wikipedia   http://p.tl/fLm0
納棺師(のうかんし)は、死者を棺に納めるために必要な作業と関連商品の販売を行う職業人である。映画『おくりびと』でその存在が世間に知られることとなり納棺師に対する興味と職業としての納棺師、産業としての納棺が知られた。呼称は他に湯灌師、復元納棺師と決まった規定はない。
・主な仕事
主に葬儀社からの依頼で火葬までの遺体の状態を管理しつつ、遺族や参列者等が故人と対面できる様に遺体の見栄えを整える。具体的には、ドライアイス等で内臓や体全体を冷やし腐敗の進行を抑えたり、表情を整え臭いを抑える含み綿、経帷子等の衣装に着替えさせ顔剃りや化粧をする。変死体の場合は死因に沿って遺族にショックを和らげるような処置をする。
・歴史
1954年の青函連絡船洞爺丸の沈没事故で函館の海岸に多くの被災遺体が流れ着き、函館の住民が遺族への遺体の引き渡しを葬儀業者から依頼され手伝ったことをきっかけに、商業として成り立つと考え葬儀業者の仕事であった納棺作業を様式化した。葬儀業者の下請けとして名乗り始めた造語であり、仏教等や日本の伝統文化との直接的な関連性はない。
・関連項目
 ・湯灌      http://p.tl/E_w4
湯灌(ゆかん)とは、葬儀に際し遺体を入浴させ、洗浄すること。簡易には遺体を清拭(せいしき)することで済ませる場合もある。故人が男性の場合はその際に髭を剃られ、女性の場合は死に化粧が施される。
 ・死       http://p.tl/B_JR
 ・通夜      http://p.tl/5jFg
通夜(つや)とは、葬儀前夜に夜通しで行う儀式のことである。仏教においてのみならず、神道、キリスト教においても行われる。
 ・葬儀(葬式)  http://p.tl/Z1SR
 ・告別式     http://p.tl/SF5F
内、 検索 告別式(こくべつしき)とは葬送に於いて、葬儀の後、或いは葬儀の代わりに行われる式で、故人に別れを告げ、参列者・社会に挨拶をする式。葬儀の一部(通夜+告別式=葬儀)ではない。
 ・法事 法要(ほうよう)http://p.tl/hehC
 ・葬祭業     http://p.tl/4I19
 ・おくりびと   http://p.tl/YH8M
 ・エンバーミング http://p.tl/prWM
エンバーミング (embalming) とは、遺体を消毒や保存処理、また必要に応じて修復することで長期保存を可能にする技法。日本語では死体防腐処理、遺体衛生保全などという。土葬が基本の欧米では、遺体から感染症が蔓延することを防止する目的もある。

★「おくりびと」に聞く 真心込めて別れの儀式 所作1つ1つに細心の注意   http://p.tl/p80H
★アカデミー賞本木が明かした 「納棺師」と「役者」の共通点 (1/2) : J-CASTニュース http://p.tl/-9Tx
★ほぼ日刊イトイ新聞 - 死を想う   http://p.tl/JBkg   第12回 15年後の奇蹟まで
★ただ安らかに旅立ってほしくて 笹原 留似子さん (復元納棺師) | 生き方つながるコミュニティ|こころーたす cocolotus.com  http://p.tl/FLEs
★人は愛されて人になる 内田 美智子さん (助産師) | 生き方つながるコミュニティ|こころーたす cocolotus.com  http://p.tl/aBFI
★納棺師nontanの日記      http://p.tl/_GfC
★おくりびと「納棺師」の仕事 [葬儀・葬式] All About http://p.tl/_-Yv
★NHKスペシャル|最期の笑顔~納棺師が描いた 東日本大震災~ NHKスペシャルの番組公式サイトです。http://p.tl/suLl
★納棺師は見た!の話 http://p.tl/BW7K
★納棺師 - YouTube  http://p.tl/bg7Z
★DEPARTURES おくりびと http://p.tl/14XV
 
                             合 掌

●「たのしい万葉集」●    2010年12月30日

2012年09月20日 11時09分31秒 | 色んな情報
●「たのしい万葉集」●    2010年12月30日
 
 
 
「たのしい万葉集」は、とかく堅苦しく思われがちな「万葉集」を気軽にたのしみましょう、という目的で作っている万葉集の入門ページです。
 
よろしくお願いいたします。  きょう
 
◆万葉集の成り立ち◆
万葉集は、日本でもっとも古い歌集で、奈良時代の終わり頃にできたと考えられています。全部で20巻、およそ4,540首あり、平城(へいぜい)天皇の勅撰(ちょくせん)とも、大伴家持(おおとものやかもち)の私撰(しせん)ともいわれています。でも、誰が・何のために・どのようにして編纂(へんさん)したかは、はっきりとはしていません。
 
万葉集は最初から20巻あったのではなくて、もともと巻1と巻2の内容があって、これらにいろいろな歌集や歌の資料をもとに増えていったと考えられています。
 
歌は舒明(じょめい)天皇(600年くらい)から大伴家持(759年)までのものが収録されています。第一巻の最初の歌は、雄略(ゆうりゃく)天皇の歌と言われています。
 
 
・万葉集 第一巻
 
2007年01月01日(月)更新
 
第一巻は雑歌として天皇の時代ごとに歌が整理されています。また、額田王や柿本人麻呂などの有名な歌が沢山あります。
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
 
・第一巻 : 籠もよみ籠持ち掘串もよ
 
2007年03月04日(日)更新
 
原文:籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母
 
作者: 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)
 
よみ:籠(こ)もよ、み籠持ち、掘串(ふくし)もよ、み掘串持ち、この岳(をか)に菜(な)摘(つ)ます兒(こ)、家聞かな、告(の)らさね、そらみつ大和の国は、おしなべてわれこそ居(を)れ、しきなべてわれこそ座(ま)せ、われにこそは告らめ、家をも名をも
 
意味: 良いかごを持って、良い串を持って、この丘で菜(な)を摘むお嬢さん。君の家はどこかな、教えてくれないかな。私は大和の国を治めているものです。だから私には教えてくれるでしょうね、君の家も君の名前も。
 
 
 
 
◆歌の読み仮名などの研究◆
万葉集は、万葉仮名(まんようがな)で書かれていますが、平安時代にはもう何と読んだら良いかわかりにくくなってしまっていたようです。そのため、万葉集をどう読むかをいろいろな人が研究し、訓点(くんてん=読みがな、のこと)をつけました。
 
・古点 : 天暦5年(951)に村上天皇の命令でつけられた訓点
・次点 : 平安時代から鎌倉時代にかけて藤原道長らがつけた訓点
・新点 : 鎌倉時代に,仙覚(せんがく)がつけた訓点。この時にすべての歌にかながつけられました。
 
 
 
・万葉仮名(まんようがな)
 
2009年10月11日(日)更新
 
 
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万葉集の原文は、漢字だらけ、というか漢字だけです。初めて見たときは、一体なんなんだこれは、と思いますよね。これは、万葉仮名(まんようがな)とよばれているものです。
 
万葉集では、歌を漢字の音や訓を使って表現しています。それらの中は元々の漢字の表わす意味とは関係のない使われ方をしているものも沢山あります。この万葉仮名が、後にひらがな・カタカナに発展していったと考えられます。
 
なお、万葉仮名は、古事記・日本書紀にも使われています。
 
 
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補足: 拗促音(ようそくおん)などについて
 
奈良時代には、「きゃ・きゅ・きょ、だっ・かっ」などの「拗促音(ようそくおん)」は無かったようです(まったく無かったかどうかはわかりません)。ちょっと、驚きですね。「たって」とか、「すわって」とかの音は、平安時代あたりから中国語の影響で、かなりはっきりとしてきたようです。
 
奈良時代には、ふぁ・ふぃ・ふぅ・ふぇ・ふぉという音があったようですが、これらの音は室町時代あたりからなくなってきて、今では、「は・ひ・ふ・へ・ほ」だけが残っています。
 
たのしい万葉集: 万葉集の入門サイトです
http://p.tl/v0en より抜粋
皆さんも一度覗いてみてはどうかな。
ネットでは楽しみ。
 
 
 
コメント
2010年12月30日01:25
1:
良いサイトを、ご紹介くださりありがとうございます。
和歌を声に出して、朗々と詠ってみると、日本語の響きの美しさににうっとりすることがあります。
ご存知と思いますが、「ふぁ・ふぃ・ふぅ・ふぇ・ふぉ」という発音は、沖縄の方に残っています。
石垣島の曾祖母の話し言葉に含まれていたように思います。
 
 
2010年12月30日01:54
2: 亀田 維覚斎
みちのへの おばながもとの おもいぐさ
 いまさらになど ものかおもわぬ

 
 
2010年12月30日05:01
3: Harukaze
突然、戦争の話で、恐縮ですが、
学徒出陣のとき、
本を一冊だけ持っていけるといわれて
万葉集を持っていく人が最も多かったと言われています。

手紙など、検閲されますが、万葉集の何番、と書いて、
戦地から内地へ、内地から戦地へ、思いと伝えた、と言われています。
 
 
 
2010年12月30日07:35
4: 熊三郎
これは、興味深いサイトであります。
後ほどゆっくりと拝見いたします。
 
 
2010年12月30日08:18
5: のどごし生改め季節限定@黒霧島
紹介ありがとうございます。
 
 
 
2010年12月30日20:49
6: 向風剛
初めてコメント致します。
 
これは面白そうですね^^v
とても興味深いです。
 
ご紹介、ありがとうございます!
 
 
2010年12月31日01:15
7:
勉強になりました。ありがとうございます。
 

▼風鈴ミュージックご存じですか   2010年12月31日

2012年09月20日 10時47分53秒 | 色んな情報
▼風鈴ミュージックご存じですか   2010年12月31日
 
風鈴(ふうりん)とは、主に日本において夏の間、家の軒下などに吊り下げられる、風を受けると音が鳴るよう仕組みになっているものである。夏の風物詩の一つとなっている。
 
風鈴
ガラス製の風鈴金属・ガラス・陶器などでできた小さな鐘、銅鐸の形をしたものが一般的である。鐘の中に「舌」(ぜつ)と呼ばれる部品がついており、舌には糸を通して短冊などがつけられている。短冊が風を受けると舌が鐘に当たり、チリリーンと涼しげな音が鳴る。
 
風鈴の音を聞くことで涼しさを感じるという人がいる。また、見た目も冷たい水や金属を連想させるような涼しい色合いになっていることが多い。
 
中国では家の四隅に鐘を取り付け、その音で邪気を払ったり吉凶を占ったりしたとされている(占風鐸)。この鐘は風鐸(ふうたく)と呼ばれ、現在でも仏堂や塔などの建造物の軒の四方につり下げられているのが確認できる。日本でも風鐸は同様に魔除けとして用いられたが、それに「風鈴」(ただし当時は「ふうれい」)と名づけたのは鎌倉時代の僧、法然であるとされる。国宝である「法然上人行状絵図」には銅製の風鈴が軒に下がっている光景が描かれているほか、「極楽の七重宝樹(しちじゅうほうじゅ)の風のひびきをこひ、八功徳池(はっくどくち)のなみのをとをおもひて、風鈴を愛して」とある。
ウィキペディアより
 
 
この風鈴を使い
京都にある風鈴ハウス「風処」を拠点として、
春夏秋冬、聴くことのできる風鈴ミュージックを世界に発信しています。
http://www.lifeact.jp/kazaoto/
で少し聞くことが出来ます。
日本の心が詰まっているように思います。
ガチャガチャと人の心をタダかき回す音楽だけが流行りますがたまには落ち着いた感じで余韻を感じるモノに
ひらるのも一考かな。
 
 
 

コメント



2010年12月30日12:15
1: 神奈川麻生親衛隊
風鈴ミュージックは初めて知りました、風鈴の音色・・中々いいですね。
風鈴の音色を聞くとオイラは田舎を思い出します。

吉田 慎さんの活動、素晴らしいと思いました。
(機会があればCDも買いたいな)

 
 
 
2010年12月30日12:25
2: まなてぃ
私も初めて知りました。
風鈴の音って心地いいですよね、今ではこの音でも騒音だと言って騒ぎ立てる人もいるようですが・・・。
 
風鈴の音って確か1/fゆらぎがあるとか・・・聞いたような気がするのですが、うろ覚えです。
 
興味深い日記が多くていつも勉強になります、ありがとうございます。
 
 
 
2010年12月30日13:21
3: タキオン
「風処」 いい所ですよ
是非 また 行きたいです
 
 
 
2010年12月31日01:05
4: 修羅
こんばんは
秋になると色々な虫の音を楽しむ事が出来ますが、実は外国、特に白人には雑音の一種にしか聞こえないと言います。
風鈴の音に心奪われるのは、古き世から面々と引き継がれた日本人のDNAに由来するかも知れませんね。
目を閉じてじっと聞き入れば、まぶたの内に風景までも映る感性を楽しめる日本は本当に美しい。
是非CD化してもらいたいですね。
生が一番なんでしょうが(涙)

 

▼一(いち)   2010年12月26日

2012年09月20日 10時28分26秒 | 色んな情報
▼一(いち)   2010年12月26日
 
 
漢数字の1。
漢字の部首の一つ。
漢字の筆画の一つ。
 
 
日本人の名前、苗字。読み方は多い。
 
「いち」「いつ」「おさむ」「か」「かず」「かた」「かつ」「くに」「さね」「すすむ」「たか」「ただ」「ち」「にのまえ」「のぶ」「はじむ」「はじめ」「ひ」「ひじ」「ひで」「ひと」「ひとし」「まこと」「まさし」「もと」「もろ」など
 
 
一(はじめ)
 
日本人の名前 - 「一」「弌」「甫」「初」「始」「孟」「肇」など
 
 
 
これを付ける言葉は多い。
 
イー【一】
《(中国語)》数のいち。ひとつ。
イー‐チャン【一荘】
《(中国語)》マージャンの正式な1ゲーム。四人の競技者が東南西北の親を1回ずつ、最低16回の勝負を行う。
イー‐ファン【一翻】
《(中国語)。「翻」は倍の意》マージャンで、役がついて得点が2倍になること。
いちい【一位】
⇒いちばん【一番】 
いちいち【一々】
⇒ひとつひとつ【一つ一つ】 ⇒それぞれ【夫】 
いちいん【一員】
⇒ひとり【一人】 
 
 
・一人食い
最近の若いビジネスマンやキャリアウーマンなどに増えているもので、昼食時間に課の友達と連れだって定食屋やレストラン、社員食堂などに食べに行くのでなく、事務所に残って一人で自分の机で自分の作ってきたお弁当 ...
・一人内二極化現象
最近の個人の消費行動を表したもの。日常生活における買い物はできるだけ節約し、欲しいものだけに限っては思い切ってお金をかけて購入するという消費スタイルである。その結果として、日用品を主力とするスーパーの ...
・一芸シッター
預かった子供の世話をしながら、自分の特技である音楽や語学なども教えるベビーシッター。ベビーシッターは子供に自分の特技を教えることで「やりがい」を感じることができ、雇う側もいっしょにいることで何らかの知 ...
  
  
・一身田
三重県中北部、津市の一地区。旧一身田町。真宗高田派の本山専修寺(せんじゅじ)の所在地で、寺と民家が方形の堀内にあり、寺内町(じないまち)の典型として知られる。寺内町の紹介や文化財保護などを目的とした「 ...
・一握の砂
石川啄木(たくぼく)の処女歌集。1910年(明治43)東雲堂書店刊。一首三行書きの短歌551首を「我を愛する歌」「煙」「秋風のこころよさに」「忘れがたき人人」「手套(てぶくろ)を脱ぐ時」の5章に分けて ...
・一院制
unicameral system 国民の代表機関である議会が一つの会議体だけで構成されているもの。二院制、両院制に対する語。議会政治の母国イギリスが、貴族・僧侶(そうりょ)身分と庶民部分をそれぞれ ...
 
 
・病気では
 一過性全健忘(TGA)は一時的に記憶のみが障害される病気で、通常24時間以内に治ってしまいます。発作は突然に生じ、発作中新たな記憶の形成がまったくできないのが特徴です。原因はまだはっきりわかっていま ...
・一過性脳虚血発作
 いろいろな原因により脳の循環障害が起きますが、[1]突然発症した神経症状が、出現してから長くても24時間以内に消失し何事もなかったかのように戻ってしまう場合を一過性脳虚血発作(TIA)、[2]神経症 ...


・一般媒介契約-Yahoo!不動産
媒介契約の一種で、複数の業者に重ねて仲介を依頼できるもの。並行して依頼している業者にほかの業者を明らかにする義務のある「明示型」と、伏せておける「非明示型」がある。一昔前は媒介契約といえば「非明示型」 ...
 
 
・政治用語として
一人区-Yahoo!みんなの政治
選挙において1人の当選者を出す選挙区のこと。小選挙区のほか、参議院選挙区でも改選議席数が1の場合は一人区となる。一人区が多くあると、ほんのわずかな得票率の差が獲得議席数に大きな開きを生む雪崩現象が発生 ...
 
 
 
このほかに一考や一思案など繋がる言葉は枚挙にいとまがないほど。
日本人て面白いのはこの辺り。
 
手でも色んなモノを付けて使う。
上手 下手 上手い 不味い 
何と言う手合いだ
 
 
頭が良くないので思い出せないがマダマダ色んな使い方をして居る。
 
諸外国の一から見れば奇異に見え神秘的に見え強い力で引きつけられるのだろう。
本当に不思議なモノだ。
自分が毎日使っているのに。
 
 
コメント
2010年12月26日18:03
2: myinya
全は一 一は全 だな。
 
1つの単語の中に対極の意味が同居している。
 
 
2010年12月26日19:05
3:

苗字で、にのまえ (二の前)
 
って方いらっしゃいますよね。
 
 
2010年12月26日19:51
4: タキオン
自分が生きる中で
0と1の狭間が現代
涅槃寂静
この中で 生きて行く
 
 
2010年12月26日21:48
5: StupidCat@遊撃(ステューピッドキャット)
在るか無いか
 
0と1
 
その狭間が無限に満ちる、日本
 

▼神道(しんとう、かんながらのみち)とは     2010年12月24日

2012年09月20日 08時10分58秒 | 色んな情報
▼神道(しんとう、かんながらのみち)とは     2010年12月24日
葬儀作法 神道
http://www.youtube.com/watch?v=4PymU_ZrEUk
玉串奉奠(たまぐしほうてん) の作法
http://www.youtube.com/watch?v=lLgvmOcpYRo&feature=related
神社参拝 拍手の作法
http://www.youtube.com/watch?v=miMLBqeyPBc&feature=related
八百万の神々 古神道研究会
http://www.youtube.com/watch?v=96cbmMiJN8k
 
 
神道(しんとう、かんながらのみち)とは日本の民俗的な信仰体系であり、日本固有の多神教の宗教である。
 
神道は太古の日本から信仰されてきた固有の文化に起源を持つとされる宗教である。宗教名の多くは何教と呼称するが、宗教名は神教ではなく神道である。日本列島に住む民族の間の伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤とし、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した。
 
神道には明確な教義や教典がなく、『古事記』、『日本書紀』、『古語拾遺』、『宣命』といった「神典」と称される古典を規範とする。森羅万象に神が宿ると考え、天津神・国津神や祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする。他宗教と比べて現世主義的であり、まつられるもの(神)とまつるもの(信奉者)との間の連体意識が強い、などといった特徴がみられる。
 
一説には、神道とは惟神の道(かんながらのみち)であり、「ただあるがままを生きる。この世には人智を超えた神々の計らいがあり、その中をただ自然に生きることこそ大切」とも言われるが、その根幹にあるものは森羅万象や祖霊、死者への畏敬の念である。古来、日本人は「人道」に対する「神道」という、人道よりももっと高度な、善悪を超えた、宇宙や地球の法則のようなもの、人類も含めた「物・事の在り方」「道(みち)」をその精神の中心に置き、大事に伝承し、国民全体に普及させる努力を重ねて来ていた。それは、新嘗祭などの日本古来の伝統的な「祭事」にも表れている。
 
神道と仏教の違いについては、神道は神話に登場する神々のように、地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに個人の安心立命や魂の救済、国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する。
 
神道は日本国内で約1億600万人の支持者がいると『宗教年鑑』(文化庁)には記載があるが、これは神社側の自己申告に基づく数字である。約85000の神社が登録されている。
 
神道は、
 
・皇室神道
皇居内の宮中三殿を中心とする皇室の神道である。
・神社神道
神社を中心とし、氏子・崇敬者などによる組織によっておこなわれる祭祀儀礼をその中心とする信仰形態である。
・教派神道(神道十三派)
教祖・開祖の宗教的体験にもとづく宗教。他の神道とは少し性質が異なる。
・古神道
「民間神道・民俗神道」や原始神道・縄文神道・古道(中華文明の原始儒教も同意であるがここでは除く)とも呼ばれ、日本で古くから民間でおこなわれてきたものや、修験などの古神道と習合した密教や仏教、あるいは道教の思想を取り入れた古神道などの信仰行事をいう。また、明治時代以降に古神道だけを取り出し、新たな宗派として設立されたものとしての復古神道に分類できる。
に分類することができる。
 
今日、単に「神道」といった場合には神社神道を指す。
 
また、何に重きを置くかによって、
 
社人神道 - 儀礼を中心とする
学派神道 - 教学を中心とする
に分けられる。
 
なお、「国家神道」は、特に近代(明治維新より第二次世界大戦終結まで)において国家の支援のもとにおこなわれた神道を指す名称である。教派神道の「『神道各派』から区別された神ながらの道はとくに国家神道とも呼ばれるが、法律家や行政実務家は以前からそれを神社と呼ぶのが例」であり、第二次世界大戦前は、単に「神社」といえば、国家に管理された国家神道のものをさした。現在では政教分離が進んで「神社」の語義が変化しており、国家神道を単に「神社」と称することはなくなった。但し、この様な国家神道の概念・語を、GHQによる創作・捏造とする説もある。現に、昭和26年にGHQの政策によって宗教法人法が制定され、それによって殆どの神社は伊勢神宮を中心とした神社本庁傘下の宗教法人の中に分類されてしまった経緯がある。
 
 
神道は多神教だが、祖霊崇拝性が強いため、古いものほど尊ばれる。
 
 
・戦前の教科書の神と神代
戦前は、学校の教科書などに、「神」についての認識の仕方の説明が載っていた。尋常小学校の歴史や修身の教科書などには、少年少女向けの歴史物語として、神話の説明が記載されている。神話の世界はとても人間的な世界で、そこには「神」と「人」を隔てる断絶は存在しない。神もまた、人間のように仕事をし、生活をしている。昭和8年の『少年國史物語』では、「神代の物語」の項目に、「どこの國でも大昔の事ははつきりとは分らないものだが」と前置きをして、神代の事から始まる日本の歴史についての、以下の説明がある。 「神代といふのは、我が國の大昔に相當の身分であつた方たちを後の世の人が尊敬して、すべて神として崇めてゐるところから、その方たちの時代を指してさう呼んでゐるのである。」
 
・現代の神道
現代の神道は延喜式(特に「神名帳」)にみられる古くから大和朝廷(ヤマト王権)がまつってきた神々を中心に統制され、仏教や地方の神々(元は氏神など)を習合し、全国的な一大ネットワーク及び独特の世界を形成しているようにみえる。また、江戸時代の儒教神道や復古神道、明治時代の国家神道の影響を強く受けている。
 
神道に属する神々を祭神とする社を神社(じんじゃ)といい、全国の神社の大部分は神社本庁が統括している。なお、神社本庁は「庁」と称しているが、行政機関ではなく宗教法人の一つである。
 
総てWikipediaより
 
白山 芳太郎の著書の中で
・バスを降りる時に「ありがとう」と言う。
 「ありがとう」は「あることが困難なほど、すばらしい親切が与えられた」を意味する言葉で、神の恵みであるとする信仰と密着した言葉である。
 
・元旦の挨拶に「明けましておめでとう」と言う。
 神道の「言霊」信仰に関係し、よい言葉をかけてあげるとその人によいことが起こると信じられて生まれた言葉である。
 
・食事前に「いただきます」と言う
 この言葉には、神の恵みに感謝しつつ、食べさせていただきますという意味がある。仏教の影響で、手を合わせるようになる。
 
 この神道は日本文化の核心であるとして、世界で研究されている。彼らの考えでは、地球環境などの分野で大きなヒントになっているというのである。
 
 神道の研究や関心を外国人まかせにしないで、若者が日本人の信仰として長く伝えた「神道」について、しっかり振り返ってみる必要があるだろう。
白山 芳太郎は神道学者で
http://p.tl/YktY
に詳しく載っている。
 
神道は日本国内で約1億600万人の支持者がいると『宗教年鑑』(文化庁)には記載があるが、これは神社側の自己申告に基づく数字である。約85000の神社が登録されている。
 
八万五千社の神社があるとされていて信者が一億六千万人というのは余りにもおかしな数字だけども日本にいる人は殆ど総て一度は足を運んでいる。
 
外人は別だろうけれども。
私などは何かすると良く罰が当たると言われた。
神道と仏教の混じった思想からそのように言う行動が産まれて来たのでは無いか。
 
神社は神秘的な地に造られてソコは殆ど木が生えている。
結界で守られている土地とも言われている。
 
この思想から出て来た「ありがとう」「いただききます」
そして「あけましておめでとう」
もうじき年も変る時期に一度考えて見るのも一考でないかな。
 
 
●コメント
2010年12月24日21:06
1: Qajin
初詣とか行く割には意味分かってなかったりしますよね 日本人て。
取敢えずご利益あればいいや的な。
まぁその初詣もまともに行ってなかったりしますが(汗
 
「いただきます」も英語にはうまく訳せないみたいですね
Google翻訳だと "Let's eat"になっちゃぅ
一概には間違いじゃないんだけど、頂くが謙譲語であるニュアンスを含んで正確に訳すなら、
"I'm given." 或いは "I'm presented." と訳した方がいいんじゃないかな~ なんて思います。
 
 
2010年12月24日21:08
2: ZAN_@ID23
「ありがとう」は漢字交じりで「有難う」、「いただききます」は「頂きます」であるので、それが正しいのでしょうね。
 
 
2010年12月24日21:19
3: 誼彌慈胤
毎年必ず地元神社の例大祭にて御神輿を担ぐおいらだが、
半纏着用している全員が全部のことを解って渡御(とぎょ)
してっるって訳じゃネェんだな。
でもよ、深いところの意味や謂れや歴史も大事だよ。
 
 
2010年12月24日22:00
4: 志葉楽(シバラク)
ZANさん元は日本語は殆どがかなだけになって居たのではないかな。
私はそれに漢字が当てはめられたのではと思っている。
学者では無いので科学的に説明は出来ない。
かなも漢字から派生したモノでは無くて神代文字から来ていると思っている。
漢字のあの角張った文字から丸い文字が出来るとは思えない。
神代文字には丸文字が結構多いから。
 
漢字はない方が良いよ。
 
 
誼彌慈胤さん怒らないで欲しいけれどモウ少し言葉を綺麗に使って欲しい。
喋っているのではないから 訳じゃネェんだな。
は少し可笑しい。
少なくてもお互いツーカーの中ではない。
お互い品格を持って話す事が世の仲良くすることに繋がる。
綺麗な言葉は気持ちが良いからね。
 
 
2010年12月24日22:42
5: hisapyon
島根の実家の裏の山には小さな神社がありました.
毎年秋には奉納神楽の祭りに行っていたのを思い出しました.
(小学生としては唯一夜更かしが許される...w)
 
私には, 神道は非常に身近なものであったと思います.
都会に出てから忘れかけていました.
ありがとうございます.
 
 
2010年12月24日22:59
6:
うちは神道です
 
通夜に来てくれた知り合いが珍しがっていました
 
墓地は公園墓地で、周りは花ばかりですね
榊が見当たりません・・・
 
日本固有なのに少ないのですかね
 
 
2010年12月25日00:14
7: 還暦の星
感謝していただきます。 給食費を払っているから子供に「いただきます」を言わせないで。という記事を以前読んだけれど、何に感謝しているんだろう・・ポカーン全く理解できなかったです。
アメリカ人たちが食べるのを見ていると、
This looks so yummy .These are my favorite .など言いながら 「せいの」 で食べ始めるお箸を取り上げてたりしています。食物に感謝する気持ちはちゃんとあり、昔は食膳の祈りで現していましたが、レストランで祈っている家族見かけませんねぇ・・ アニメの影響で ITADAKIMASUを言う子供もいますよ。
 
 
2010年12月25日00:29
8: まお
神道の奇妙な所は、偶像崇拝をしない所でしょうね。
 
多神教なのだから、沢山の像があって然るべきなのにね。
 
 
あと、二礼二拍手一礼も変ですよね。
神様の名を唱えて拝むのが、普通でしょう。
 
 
謎です?
 
 
2010年12月25日03:15
9: nonohana
日本には何かあると感じておりましたが、何が日本的なものの本質なのかが分
 
からず悩んでおりました時、たまたま眼にした講座に参加して、日本人の心の本
 
質に神道があるということを教えていただきました。今から28年位前のことでが。
 
改めて勉強になりました。ありがとうございます。
 
 
2010年12月25日13:06
10: 麻生さんの大ファン
>>4 志葉楽さん
その通りです。私は、なるべく漢字をつかわないようにしたいとおもっています。
すべてカナでかいていくと、日本語のほんとうの意味がよくわかります。
 
日本語は、音に意味があります。詳しく勉強したいと思っています。
 
 
2010年12月25日15:38
11: tonbi
いろはから勉強したい。
柔らかくてやさしくて。祖母のような気持ちがうかがえる。
神代文字はかなりの人でないと理解できません。
漢字はご存知の通り中国からですね。
だから「カクカク」して中国のようです。
 

▼女とは     2010年12月24日

2012年09月20日 07時50分56秒 | 色んな情報
▼女とは     2010年12月24日

 
 
色んな人とメールしたりしているといつもフト頭にカスメル
 
自分の中ではモノ心付いたときからいつも考えて居たこと
 
マズ女神であった
 
異性として向き有ったのが高校中退したときから
 
恋愛対象としては二十歳回ってからである
 
 
今一度 女を見つめ直してみた。
良く女は子宮で男は頭で物事考える
コウ言われる。
感情が先に来るのが女で
理性で考えるのが男である
これがコトコトバノ意味だという。
 
女を辞書で引いてみた。
一人前に成熟した女性。
 
おうな【女】 《「おみな(女)」の音変化》おんな。特に、若い女性。「強からぬは―の歌なればなるべし」〈古今・仮名序〉
おみな【女】 女。女性。「妻とすべき好き―を覓(もと)めて」〈霊異記・上〉
おんな【女】 《「をみな」の音変化》 1 ①人間の性別で、子を産む機能のあるほう。女性。女子。⇔男。 ②人以外の動植物で雌性のもの。めす。「―馬」 2 成熟した女性。子供を産むことができるまでに成長した女性。...
じょ【女】 [名] 1 おんな。女性。婦人。また、むすめ。 2 二十八宿の一。北方の第三宿。うるきぼし。女宿。今の水瓶(みずがめ)座中の西部をさす。 [接尾]女性の名や号に付けて用いる。「千代―」「秋色(し...
じょ【女】 [音]ジョ(ヂョ)(漢) ニョ(呉) ニョウ(慣) [訓]おんな め [学習漢字]1年 〈ジョ〉 1 おんな。「女医・女王・女子・女性・女流/悪女・才女・侍女・淑女・男女・老女」 2 むすめ。「...
め【女/妻】 《「男(お)」に対する語》 1 女性。おんな。「吾(あ)はもよ―にしあれば」〈記・上・歌謡〉 2 配偶者、または愛人としての女性。妻。「年頃あひ馴れたる―」〈伊勢・一六〉 3 (「雌」「牝」とも...
他にも色々出てくるけど
これ総て古語になる。
 
女を定義して形に表わせば性しか出ていない。
 
ダカラ差別用語になったのかな。
 
男ではこんな感じ。
お【男/夫】 《「雄(お)」と同語源。「女(め)」に対する語》 1 おとこ。男子。「吾が大国主汝(な)こそは―にいませば」〈記・上・歌謡〉 2 おっと。「吾(あ)はもよ女(め)にしあれば、汝(な)を置(き)て...
おと‐こ【男】 《「おと」は、動詞「お(復)つ」と同語源で、若々しいの意。「おとめ」に対する語》 1 ①人間の性別で、子を産ませる能力と器官をもつほう。男性。男子。⇔女。 ②人以外の動植物で雄性のもの。おす。「...
お‐の‐こ【男の子/男】 1 成人の男子。おとこ。⇔女(め)の子。「―やも空しくあるべき万代(よろづよ)に語り継ぐべき名は立てずして」〈万・九七八〉 2 男の子。むすこ。「すべて―をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしと...
だん【男】 [音]ダン(漢) ナン(呉) [訓]おとこ [学習漢字]1年 〈ダン〉 1 おとこ。「男子・男児・男女・男性・男装・男優」 2 五等爵の第五位。「男爵」 〈ナン〉 1 おとこ。「男色/下男(げな...
なん【男】 ⇒
 
 
らしさとはで書いたように(男らしさ・女らしさ)は言葉の定義はあるけれどもらしさを取った言葉としては判り易い定義立てがされていない。
 
 
この辺で差別用語にするのは可笑しいと思った。
タダ単に言われた時の感情だけでソウしたのならばそれは可笑しいのではないかな。
なぜならばソウ読んだのは日本の文化の中で有って使用禁止にしてまで排除するのはドウかと思う。
 
日本と言う国は今表現一つ規制される国になりつつあるのではないだろうか。
 
 
~女の格言~ より
 
http://p.tl/td6Z
 
・一般に女性は三つの妄想を抱いている。第一に、結婚が男を作り変えるだろうということ。
第二に、かつて自分を拒んだ恋人は、生涯失恋の痛手をこうむるだろうということ。
第三に、他の女達がその辺にいなくなりさえすれば、彼はやがて戻ってくるだろうということ。
byマイルトル・リード
 
  
 
・女は深く見るが、男は遠くを見る。男にとっては世界が自分で、女にとっては自分が世界。
byグラッぺ「ドン・ジュアンとファウスト」
 
  
 
・元始、女性は実に太陽であった。真心の人であった。今、女性は月である。
他によって生き、他の光によって輝き、病人のような蒼白い顔の月である。
by平塚雷鳥
 
 
 
コメント
2010年12月24日21:23
1: 巖淵▲自警団&ポス部▲
辞書すごいですね。
僕も学校では辞書ばっかりひいてて。
そのうち引かなくっても良くなった、というときに「成長したんだなー」と思ったものです。
 
また辞書をかたわらに置く生活に戻ってみようか・・・などと考えています。
 
女性について、ですが。
 
男の種保存に関する本来性が「性欲」という形をとるのに対して、
女の場合は「保身の欲求」のような形をとるのではないか、と。
 
それで醜い、というイメージが出来たのかな、と思ってます。
母性、という点では美化されて、陰口たたいたりする所は醜く見られて。
 
言葉の乱れは風潮の乱れ、ひいては共同体秩序の混乱に繋がりますから。
言葉を大切にする人がいてくれるのは凄く頼もしいです。
 
 
2010年12月24日21:58
2: 麻生さんの大ファン
志葉楽 様
 
いつもお世話になります。ところで、
 
女は深く見るが、男は遠くを見る。男にとっては世界が自分で、女にとっては自分が世界。
byグラッぺ「ドン・ジュアンとファウスト」
 
これ、本当に最高です。真実です。この言葉は、私がこの間から思っていたこととまったく同じです。
 
いろいろ見つけ出すの、得意ですか?
 
 
2010年12月24日22:10
3: 志葉楽(シバラク)
子猫さんにはいつも驚かされる。
別に見つけるのが上手いのでなくて知らぬ間に付いて来る。
これが徳というモノかな。
得意になってはいけないけど。
 
いつもありがとう。
 
 
 
にゃんにゃんさん私は辞書は引かないよ。
 
言葉を興味の有るモノだけ見ていては何も派生しないし自分を広げることにはならないよ。
 
開いたページを総て読む事から始まる。
 
引くのは電子辞書かネットで調べて下さい。
 
アレには日本その物が書いてあるから。
 
もう一つ新しいモノはホッテ置いてなるべく古いモノがよい。
私は昭和三十四年発行の旺文社の時点持っている。
踏め本屋さんへ行くと古いモノは安く売っている。
 
 
2010年12月24日23:07
4: 巖淵▲自警団&ポス部▲
>>3 志葉楽さん
古い辞書、というのにもの凄く興味を覚えました。
いづれ購入して手元に、資料としても愛読書としてもおきたい、と思います。
 
有難うございます!
 
 
2010年12月25日15:06
5: tonbi
女性の格言を読ませていただいた。
古今東西女性はしんどいなぁと思う。
 
 
2010年12月28日23:29
6: ばんぺいゆ
まず女神ですか。
男の人は、自分だけの女神がずっと心に住んでいるのかもですね。
 
それを主人に思うとちょっと寂しいです。
お義母さんには敵わないという気持ちにも似ています。
 
グラッペさんの名言、私も納得です。
 
男女、自ら、または相手への、楽しみや哀しみがあるんでしょうね。
分け入ればいくほど、深い山になりそうです^^;
 

▼国歌「君が代」について▼  2010年12月23日 

2012年09月20日 07時04分46秒 | 色んな情報
▼国歌「君が代」について▼  2010年12月23日 
 
http://p.tl/nBsx
「君が代」の成り立ちや
歌詞の解説が詳しく載っています。
 
不明(読人しらず)(905年初出)
 
 
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
 
汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように
われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
時代を経て、あつまりて大いなる岩となり
神さびたその側面に苔が生(は)える日まで
 
 
君が代(きみがよ)とは、日本の国歌である。
 
明治維新後の1880年(明治13年)に曲がつけられ、以後は国歌として扱われるようになった。1999年(平成11年)に国旗及び国歌に関する法律で正式に国歌に制定された。元は平安時代に詠まれた和歌である。
 
1880年(明治13年)、法律では定められなかったが、日本の国歌として「君が代」が採用された。この国歌のテーマは皇統の永続性であり、歌詞は10世紀に編纂された『古今和歌集』に収録されている短歌の一つである。
 
http://p.tl/Hnoc
 
現在、公式に演奏されている管弦楽版の「君が代」は、近衛秀麿編曲版だソウです。
  
  
色んなページで色んな解説がされている。これも一つ探ってみるのも一考では無いかな。
  
  
コメント
2010年12月23日04:21
1: ぐ~
改めて、意味を考えても他国に劣らない素晴らしい国歌だと誇れますね!
 
―以下転載です―
『君が代』に2番があったという話ですが、明治14年、文部省音楽取調掛発行の音楽教科書『小學唱歌集初編』記載
 
1番:君が代は ちよにやちよに さざれいしの 巌となりて こけのむすまで うごきなく 常盤(ときは)かきはに かぎりもあらじ
 
2番:君が代は 千尋(ちひろ)の底の さざれいしの 鵜のゐる磯と あらはるゝまで かぎりなき みよの栄を ほぎたてまつる
 
すみません、詳細な現代訳はわかりません。。。(汗)
 
 
2010年12月23日04:26
2: 志葉楽(シバラク)
一番の訳は転載して歌の下に書いてあります。
 
二番の存在は調べて判りましたけれども
私の調べた範囲でも見つけることが出来ませんでした。
 
どなたか知っている方は教えて貰えませんか。
 
 
2010年12月23日04:32
3: ぐ~
私も是非、知りたいと思いますので訳せる方がいらっしゃいましたら、宜しくお願いいたします(_ _)。
 
 
2010年12月23日07:05
4: Akira
飯田正孝さんという方が伝えている解釈ですが、情景が深く見えてくるところが好きです。
 
○ しほの山 さし手の磯に すむ千鳥
          君が御代をば 八千代とぞ鳴く
 
 古今和歌集の賀の歌「しほの山」に歌われている、しほの山もさし手の磯も従来所在地不明とされているが、神話に基づいて次のように解釈することができる。
 
 塩が固まってできたオノコロ島(中央にはアメノヌボコから落ちた雫が固まって出来た塩の山がある)の、伊耶那岐命と伊耶那美命が左右から回って来て、出会った所で手をさし出し合って国生みを始めた磯、そんな昔からその磯に住む千鳥は、君の長寿を神に祈って、ヤチヨヤチヨと鳴いています。
 
 神話の中で暮らし、誰もが国の始まりは伊耶那岐命と伊耶那美命の夫婦からと思っていた古代の人々は、この歌を聞くとすぐに意味を理解し、めでたいことと感じたはずである。
 
 同じ古今和歌集の賀の歌であり、「しほの山」と対になっている、国歌となった「わが君」の歌も神話に基づいて解釈すると、その意味は次のようになる。
 
○ わが君は 千代に 八千代に さざれ石の
          巌となりて こけのむすまで
 
 さし手の磯の千鳥たちは、あなたの御代は、いつまでもいつまでも、伊耶那岐命と伊耶那美命の夫婦が国産みを始めたオノコロ島の磯の小石が固まって、大八島国の礎となり、やがて苔がむすまで永久に繁栄するようにと鳴いています。
 
 二つの歌の君が誰を指すのかというと、他に誰もいないのであるから、基の意味としては、伊耶那岐命と伊耶那美命の夫婦が互いを指していることになる。
 
日本神話解明と古代文明
http://p.tl/bT7x
 
 
2010年12月23日21:53
5: ゑちごや
2番があった時代の君が代のメロディはいまと別物です。管楽器編曲版もあり幾度か正式に演奏されたようですが、間延びして抑揚もないつまらないメロディであったため演奏されなくなりました。譜面を見ましたが、これは確かに味気ないです。
 
今のものは雅楽師の合作と言われています。雅楽の陽旋法(上り:レミソラドレ、下り:レシラソミレ)に基づいて作られており、それを管弦楽編曲にあたってドイツ人音楽家が四声体に編曲したそうです。最初「君が代は」と最後「すまで」を和音にせず斉唱(全員で同じメロディを歌う)にしたのはおそらく苦肉の策であったと思われますが、かえって厳かな雰囲気を出すことに成功していると考えられます。
 
 
2010年12月23日23:23
6: ゑちごや
追記です。作曲を担当した雅楽師は、奥好義/林廣守の2氏です。
ドイツ人の名前はエッケルトでした。
 
2番まである君が代についてはこのページに記載があります。
http://p.tl/UKtA
 

▼日の丸の起源▼  2010年12月23日 

2012年09月20日 06時49分33秒 | 色んな情報
▼日の丸の起源▼  2010年12月23日 
http://p.tl/HFDl
松山千春「国歌斉唱」札幌ドーム
http://www.youtube.com/watch?v=81Ws5k3ymik&feature=related
「日の丸の兄弟・パラオの国旗は日の丸を意識した、暗黙の了解」
http://www.youtube.com/watch?v=5R6ubLkCjAY
日の丸三兄弟物語Part1【Japan,Bangladesh,Palau】
http://www.youtube.com/watch?v=Vprlk0O9KtM
http://www.youtube.com/watch?v=0WtWHzxYvoo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=pU-4FPuIEQg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=6htI05MlXYk&feature=related
日の丸いとこ・はとこ物語Part1.【The national flag of Japan】
http://www.youtube.com/watch?v=g6-eUJA7TH4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ZQniyN5MG4Q&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=00i6NQikbQ4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ClvWweAOHFU&feature=related

◆君が代・日の丸の由来

一  国旗「日の丸」は平和の象徴、日本の誇り

時を遡る幕末、日本が近代の国際社会に参加したとき、日本を代表する旗として登場したのが日の丸です。ペリー艦隊が来航した年の暮れ(嘉永六年・一八五三年)、薩摩藩主・島津斉彬が外国船に対する防備を強めることと、外国船と日本船とを識別するため、日本の船に「船印」として「白帆に朱の丸」の小旗を掲げることを提案しました。

幕府はいろいろの議論を経て翌年(安政元年、一八五四年)「日本総船印は白地に日の丸幟」と定めましたが、さらにその五年後の安政六年(一八五九年)一月、幕府は大艦に「白地に日の丸の旗」を掲げるよう決定し、日の丸は「幟」から「御国総標」へと変わり、日の丸が日本を代表する旗、つまり事実上の国旗となりました。

聖徳太子が小野妹子を支那の古代国家隋に遣わす時、有名な「日出づる所の天子、書を日没する所の天子にいたす。つつがなきや」の文書を渡し、日本人の気概と誇りを示しました。事実、日本はユーラシア大陸で最初に朝日を迎える国であり、「日出づる所」というのは自然な表現ですが、日本は隋の朝貢国ではないという、隋に一線を画した聖徳太子の気概が看取される表現とも受け取れます。

「日の丸」の決定は、日の丸が日の神(天照大神)を崇める日本のシンボルであることからも自然な選択でした。平家物語の那須与一の「日の丸」もそうですが、戦国武将も好んで日の丸を使いました。明治新政府が明治三年一月、太政官布告をもって「日の丸」を国旗として公布し、「日の丸」が今日に至るも多くの国民から日本の国旗として受け入れられていることは、オリンピックをみても明々白々の事実です。

 中央の赤丸は「日の本」の象徴である太陽を意味し、円形は日本人の円満な国民性を示し、白地は我が国民の純正潔白な性質と清浄無垢を示すものと言われていますが、その他に、白は神聖、正義、純潔、平和、鎮静を、また赤は熱誠、活気、博愛、誠心、誠意・・を表すとも言われます。いずれにしても、太陽を直接、国旗にデザインした国は日本以外にはなく、国の成り立ちや理想をこれほど見事にあらわした国旗は他にありません。

 日の丸は、形式的には歴史的な経緯と手続きを踏んでいますが、国旗は国の顔であるという観点から、日の丸制定の意味をここでもう少し考えてみます。

 たとえばアメリカの国旗は「十三の縞」で独立当時の十三州を示し、水平の線は平等の精神を示しています。「星」の数はご承知のように現在の州の数を示します。中華人民共和国の国旗は「大きい星」で人民政治協商会議の共同綱領をあらわし、「四つの星」は労働者、農民、中産階級、愛国的資本家を、「赤色」は人民革命をあらわしています。いずれも我が国とは似ても似つかない意味を有しています。

 それに対して「日の丸」は光の根源である太陽をあらわしており、太陽はすべての生命を生かし育む働きをもっています。太陽が象徴するように、真の平和の精神に基づく武の心、これが日本建国の理想であり、世界に比類のない理想が、日本民族の全体の心をあらわすものとして美しい「日の丸」の旗に象徴的に示されているのです。この認識の中から日本人として生まれた喜びと誇り、そして世界の人との真の協和の精神が生まれるのです。


ニ  国歌「君が代」は世界に比類のない「民主的国歌」

今をさる千年前、醍醐天皇が紀貫之に命じて日本最古の「古今和歌集」を編集させました。歌集 巻七、賀歌のはじめに「題しらず」「読み人しらず」として

  我が君は千世に八千世にさざれ石の巌となりて苔のむすまで

とあります。これが君が代のルーツといわれます。「我が君」であって「君が代」ではないが、長寿を祈り願う祝い歌として人々の間に広く愛唱されてきました。つまり天皇制とは直接関わりのない歌だったのです。

 この歌はその後も「新撰和歌集」「和漢朗詠集」など、その他数々の歌集にも頻繁に必ずでてきます。神さまのお祭り、仏の供養のときも、酒もりのときも、いろいろの生活の場面でこの歌が国民の間で自然と歌われ親しまれてきました。「天に口なくして人をして言わしめた」感があるのは、ちょうど日本民族が、稗田阿礼の語りを基礎に編纂された古事記(ふることぶみ)をして、自然なかたちで、美しくも霊妙な民族理念をあたえられたようなものです。この有り難みを畏み戴いてきたのが日本民族でした。

 天皇国日本において、これがいつしか、天皇の御世、君が代が栄えることは日本国の栄え、国民の仕合せに通じるものとして、国民の下からごく自然に湧きあがるかたちで国歌になりました。教育現場で偏って教えられているような上(天皇)からの強制では決してなく、日本的な伝統の流れからきた極めて民主的なものでありました。

 そして明治三年、明治政府が近代国家の仲間入りをし国歌制定の必要性を認識するにあたり、それまで俗謡・薩摩琵琶歌「蓬莱山」に引用されていた「君が代」の歌詞が、日本の国歌に相応しいとして、軍楽隊がこれに節をつけ、天皇の誕生日に歌わせました。天皇の御代の栄えをことほぐ歌が、同時に民衆の歌でもあったということは、世界の国々における君主と民衆の対立を考えれば、きわめて稀有なことであり、我が国独自の誇るべき国柄があらわれているといえます。そして日本古来の雅楽の旋律をとりいれたこの曲は当時の人々を感動せしめ、明治二十六年には公式に制定され、小学校唱歌集にも収められました。

 「さざれ石のいはほとなりて」は、地質学で太古の昔、沈みはじめた日本列島付近の海底に、アジア大陸から風化でくずれた小さな石ころ(さざれ石)が想像もできない期間にゆっくりと堆積し、礫岩としてかたい岩となり、列島が形成されたことが明らかとなりました。日本列島はまさにさざれ石でできていて、「君が代」の歌詞は日本列島の雄渾な誕生をうたっているのです。日本民族の心の中に充満していた「悠久のリズム」が無意識のうちに国民の意思として荘重な歌詞としてあらわれているのです。この歌詞は政府でなく、日本民族が人為を超えた価値をもって、民族全体の総意で決定した調べと言ってもよいでしょう。

 この民主的な制定過程は、我が国の誇るべき特色であり、しかも歌詞の平和的で、結びの哲学、日本の心をあらわす美しくも荘重な旋律は、世界に比類なきものといえます。

 かつてドイツで世界の国歌の評価制定の会があったとき、君が代は第一の秀歌に選ばれました。これらのことを私たちは堂々と子々孫々に伝え日本国民の常識にすべきなのです。

(文責 田 實)


“京の五条の橋の上 大の男の弁慶は長い薙刀ふりあげて 牛若めがけて切りかかる/牛若丸は飛び退いて 持った扇を投げつけて 来い来い来いと欄干の 上へ上がって手を叩く”
 子どものころに歌ったこの歌にある牛若丸の扇は日の丸の扇だったというのだ。義経はそのまま壇ノ浦の戦いに出ていくが、その時源氏が平氏に対して掲げた旗は白地に赤の現在の日の丸だった。一方の平家が掲げていたのは、赤字に白の日の丸だった。
「源平合戦で平家が勝っていれば、日本の旗は赤字に白の日の丸になっていたかもしれないのです」と松本氏はおもしろそうに語った。
 源氏の後に出てきた武将たちは、織田信長も徳川家康もみな自分たちは源氏の流れを汲んでいるという意識を持った。そして彼らは戦いのときには必ず日の丸の旗を掲げたのだ。たとえば長篠の合戦のときである。
 長篠の合戦は1575年5月21日早朝から始まった。織田信長と徳川家康の連合軍が武田勝頼と戦い、壊滅的な打撃を与えた。武田方の騎馬隊は信長側の設けた柵に阻まれ、かつ柵のなかから撃ち出された大量の鉄砲によって敗れ去ったが、このあまりにも有名なシーンは、歴史ドラマのなかでもよくとりあげられるシーンだ。
「この時、信長も家康も家紋をあしらった自分の旗を持っているのですが、連合軍として戦うときは日の丸を掲げていました。対する武田側もまた、日の丸を掲げていました。つまり日本を支配するのは自分たちだと思ったときには、日本の国印、日本全体の国の印として、日の丸のイメージが武将の頭のなかに入っていたのです」

▼日の丸の起源▼について詳しい。
http://p.tl/rw23

国旗・国歌の論争が▼このページに載っている。
http://p.tl/ASqo


その他ヤフーの検索だけでも約78,700件アルト出た。
いい機会だから日本の原点である国旗を探ってみたらどうかな。
http://p.tl/S_qs

今回調べて私自身始めて聞きました。
戦後生まれの人間は習っていないのでは無いかな。


●コメント
2010年12月23日10:45
1: りょーか@ポス部少尉
この文章が教科書に載っていてくれてたら・・そう思いました。
 
国旗や国家について触れもしない教育は終わりにしたいです。
 
 
2010年12月24日23:17
2: 日の丸弁当
・・・なんか寂しくなりますね。
りょーかさんのコメントに賛同します。
 
 
2010年12月24日23:25
3: aoki
志葉楽さん
すばらしい記事ありがとうございます。
源平合戦のくだりは櫻井よしこさんがテレビで言っていましたね。
 
小学校で教えるべきですね、ホント。
子供に教えたいと思います。
 
 
2010年12月25日13:18
4: まーくん
みなさん、こんにちは!
 
こんなに素晴らしい国旗に対して、日の丸の赤色は侵略された
アジア人の血の色、白色は骨の色と教えるクズ教師が居るらし
いのが悲しいですね…
 
ところで昭和保守の重鎮、名越二荒之助氏のお話も凄くいいですよ。
 
 
2010年12月25日16:54
5: 謙二
日の丸と君が代の歴史、すばらしいです。
義務教育でぜひ教えて欲しいです。