縄文人の反乱 日本を大事に

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●瑠璃(るり)●ルリ

2012年09月28日 16時00分03秒 | 色んな情報
●瑠璃(るり)●ルリ
★瑠璃(るり) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
サンスクリット語はバイドゥーリヤvairya(俗語形はベールーリヤvelriya)で、吠(べい)瑠璃、琉璃(るり)などと音訳される。青色の宝石として仏典に頻出する。四宝(金、銀、瑠璃、玻璃(はり))または七宝の一つとしてつねに第三位に位置する。アフガニスタンのバダクシャーンに産地があったラピスラズリ(青金石)であろうとされる。西暦紀元以後は青色のガラス製品も瑠璃とよばれた。 [ 執筆者:定方 晟 ]
★玻璃(はり) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
サンスクリット語スパティカsphaikaの音写で、玻、頗黎とも書き、水精(すいしょう)と訳すが、赤・白などの水晶を意味する。古代インドで、この世における最高の宝とする七宝(しっぽう)の一つ。原語には石英の意味もあり、ギリシア語やラテン語のガラスを意味する原語の系統の継承で、パーリ語のパリカphalikaからサンスクリット語化したもので、一般にガラスの古名とする。 [ 執筆者:石上善應 ]

★瑠璃 - Wikipedia  http://p.tl/JO1U
瑠璃、または琉璃(るり)は、ラピスラズリの和名。
・瑠璃色 - 濃い赤みの青色。
・ガラス、ガラス工芸品の古称。
・オオルリ、コルリ、ルリタテハなどの古称。
★瑠璃色(るりいろ) - Wikipedia http://p.tl/JUOD
★オオルリ(大瑠璃、学名Cyanoptila cyanomelana)とは、スズメ目ヒタキ科に分類される鳥。http://p.tl/Xrp_
★コルリ(小瑠璃、Luscinia cyane)は、動物界脊索動物門鳥綱スズメ目ツグミ科に分類される鳥。http://p.tl/ovKL
★ルリタテハ(瑠璃立羽、学名 Kaniska canace)は、チョウ目・タテハチョウ科に分類されるチョウの一種。http://p.tl/39Bg

★天然石図鑑 ラピス・ラズリ(瑠璃)   http://p.tl/N88L
★天然石図鑑     http://p.tl/6wp3

★しあわせ回廊 なら瑠璃絵 オフィシャルWebsite **トップページ**  http://nararurie.exblog.jp/

★瑠璃明王(るりめいおう) - Wikipedia   http://p.tl/UfTI
(紀元前38年 - 後18年) 高句麗の第2代王(在位:前19年 - 後18年)であり、姓は高、諱は類利、または孺留。初代の東明聖王(朱蒙)の長子であり 、『三国史記』百済本紀によれば、異母弟に沸流と百済の始祖となる温祚とがいる。

★ラピスラズリ - Wikipedia   http://p.tl/6TiK
和名では瑠璃(るり)といい、サンスクリット語のヴァイドゥーリャないしパーリ語のヴェルーリヤの音訳である。深い青色から藍色の宝石で、しばしば黄鉄鉱の粒を含んで夜空の様な輝きを持つ。
エジプト、シュメール、バビロニアなどの古代から、宝石として、また顔料ウルトラマリンの原料として珍重されてきた。日本ではトルコ石と共に12月のほかに9月の誕生石とされる。主成分にもラピスラズリとは異なる日付が誕生石として設定されている。

★獅子舞(大島山瑠璃寺)http://p.tl/3K0x
★永代供養納骨堂 東京牛込 琉璃殿     http://www.ruriden.jp/


★2.ルリ      http://p.tl/HUUQ
【瑠璃】 鳥綱スズメ目ヒタキ科に属するオオルリまたはコルリの略称。飼育家が使うことが多い名称である。ともに背面は美しい青色をしている。鳥の羽色の青色は色素によるものではなく、微細な羽毛の中の反射と干渉により生じ、同時に光沢があることが多いので、青い鳥のことを「ルリ――」という。これに対し、緑色の鳥を「アオ――」という。なお、中国や台湾にはコルリに近縁のルリチョウ属Myiophoneusが分布している。
3.コルリ      http://p.tl/IC_Z
【小瑠璃】、 Siberian blue robin、[学名:Erithacus cyane]
鳥綱スズメ目ヒタキ科ツグミ亜科の鳥。鉱物の瑠璃(ラピスラズリ)を連想させる青色の小形の鳥なのでこの名がある。同じ科であるがヒタキ亜科に属するオオルリとは、やや縁が遠い。また、単にルリというと、姿と声の美しさから飼い鳥として賞用されたオオルリをさす。コルリはエニセイ川より東のシベリア南部、中国東北部、樺太(からふと)(サハリン)、日本で繁殖し、中国南部、インドシナ半島からボルネオ島に渡り、越冬する。日本では九州から北海道までの、よく茂った落葉広葉樹林にすむ。南千島ではミズバショウの生えるヤナギなどの河畔林で繁殖する。巣は地上の物陰につくり、3~5個の卵を産む。ホトトギス科のジュウイチに托卵(たくらん)されることがある。地上を跳ね歩きながら、昆虫をとる。全長約14センチメートル。雄は上面が暗青色で下面は白い。雌は上面がオリーブ褐色。さえずりはコマドリによく似ているが、チッチッチッとしだいに速く大きくなる前奏がかならず入る。
4.サワルリソウ   http://p.tl/B20f
【沢瑠璃草】、[学名:Ancystrocarya japonica Maxim.]
ムラサキ科の多年草。日本固有種で、1属1種。茎は高さ50~80センチメートル。葉は茎の中部付近に集まって互生し、長楕円(ちょうだえん)形ないし卵状長楕円形。5~6月、茎の上部に渦巻形の花序をつけ、瑠璃(るり)色の小さな花を開く。花冠は5裂し、短い花筒がある。萼片(がくへん)は5枚で線状披針(ひしん)形。分果は灰白色で光沢があり、角状である。丘陵帯から山地帯の林内の水はけのよい所に生え、東北地方南部以西の本州のおもに太平洋側、および四国、九州に分布する。名は、沢に多く生え、花が瑠璃色であるからいう。
5.ルリアリ     http://p.tl/I57X
【瑠璃蟻】、[学名:Iridomyrmex glaber]
昆虫綱膜翅(まくし)目アリ科に属する昆虫。本州南部、四国、九州に分布する。小形のアリで、体長は働きアリで2~3ミリメートル、女王で5~6ミリメートル。黒色で腹部は瑠璃(るり)色の光沢がある。樹木の腐朽部や木の枝やススキの茎などの空洞部に営巣する。
6.ルリカケス    http://p.tl/Ncv9
【瑠璃懸巣】、 Lidth's jay、[学名:Garrulus lidthi]
鳥綱スズメ目カラス科の鳥。日本の奄美(あまみ)大島と徳之島にだけ分布する。全長約35センチ。頭部と翼と尾が光沢のある濃い瑠璃(るり)色で、他の部分は栗(くり)色。ギャーギャーと鳴き、森林から人里まで広く生息する。天然記念物。
7.ルリシジミ    http://p.tl/hDCS
【瑠璃小灰蝶】、 holly blue azure blue hedge blue、[学名:Celastrina argiolus]
昆虫綱鱗翅(りんし)目シジミチョウ科に属するチョウ。北海道より九州にわたり各地に普通にみられ、日本ではシジミチョウ科のもっとも普通の種。しかし、吐喇(とから)列島以南の南西諸島には分布しない。国外では極東アジアからヨーロッパまでのユーラシア大陸、および北アメリカに広く分布する。はねの開張は27~33ミリ程度。雄のはねの表は淡い瑠璃(るり)色で、黒い縁どりは細く線状であるが、雌は黒色の縁どりが拡大し、黒化の強い夏生の雌では後ろばねは一様に黒褐色となる。はねの裏は雌雄同様で、白色ないし灰白色の地に黒褐色の小斑点(はんてん)がある。春季もっとも早くから現れる種の一つで、日本西南部では第一化の春型は3月中・下旬から、第二化は5月下旬から6月上旬より、以後引き続き発生を繰り返して秋季に及ぶ。幼虫のおもな食草は各種のマメ科植物の花蕾(からい)・新葉であるが、ときにバラ科、タデ科、ミズキ科、ミツバウツギ科、ヒルガオ科、ブナ科、ミカン科、シソ科などでも幼虫が成育することが知られている。蛹(さなぎ)の状態で冬を越す。
8.ルリタテハ    http://p.tl/pQxJ
【瑠璃〓蝶】、 blue admiral、[学名:Kaniska canace]
昆虫綱鱗翅(りんし)目タテハチョウ科に属するチョウ。日本では北海道より八重山(やえやま)列島にわたって分布は広いが、とくに普通のチョウというわけではない。国外では朝鮮半島、中国、台湾よりインドにかけて分布、またスマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、フィリピンなどのマレー諸島の山地にも産する。はねの開張は63ミリ内外。中形のチョウではねの表は黒色、瑠璃(るり)色を帯びた白帯が外側を走り、きわめて特徴があってこれに紛らわしい種は日本およびその近隣地域には存在しない。はねの裏面は枯れ葉状。敏感なチョウで飛び方も速く、これをとらえることは容易ではない。腐果や樹液に集まるが、普通は花にこない。日本西南部の暖地では普通年3回(6~7月、8月、10月)の発生であるが、北海道あたりの寒冷地では年1回の発生となる。幼虫の食草はユリ科のサルトリイバラ、シオデ、ヤマガシュウ、ホトトギス、各種のユリ類など。近縁のキタテハ、ヒオドシチョウなどと同じく成虫の状態で冬を越す。
9.ルリハコベ    http://p.tl/NxW8
【瑠璃繁縷】、[学名:Anagallis arvensis L.]
サクラソウ科の一年草。茎は四角形で細く、多数分枝してはい、広がる。葉は無柄で対生し、長さ1~2センチで先はとがる。茎葉ともに毛はなく、緑白色である。春、各葉腋(ようえき)に花柄を出し、約1センチの花を上向きに開く。花冠は五裂して先端は丸く、初め青紫色で、のちに赤く変わる。花期後、花柄は下向きになり、小果ができる。海岸に沿った日当りのよい道端に生え、西日本から熱帯地方に分布する。名は、花色を瑠璃(るり)に例え、草姿がハコベに似ていることによる。花が初めから赤色の品種をアカバナルリハコベといい、小笠原(おがさわら)では、これが普通である。
10.オオルリ     http://p.tl/2twj
【大瑠璃】、 blue-and-white flycatcher、[学名:Cyanoptila cyanomelana]
鳥綱スズメ目ヒタキ科ヒタキ亜科の鳥。ロシア連邦のアムール地域およびウスリー地方、中国東北部、朝鮮半島、日本で繁殖し、インドシナから大スンダ列島に渡り越冬する。全長約16センチメートル。雌雄異色。雄は上面が濃いコバルト色で金属光沢があり、のどから胸にかけては黒く、腹は白い。雌は上面がオリーブ褐色で、下面は淡い黄褐色。日本では、九州より北の山地の渓流沿いにすみ、岩壁のすきまに巣をつくって、4~5個の卵を産む。ヒタキ類の典型的な昆虫のとり方をし、いくつかの決まった止まり場にいて、近くのカやゾウムシなどの小甲虫をみつけると、そこから飛び立って空中でつかまえ、止まり場に帰るという方法をとる。雄は渓谷の高木のこずえで美しい声でさえずり、縄張りを守る。美しい姿と声を楽しむために、かつては盛んに飼われ、ウグイス、コマドリとともに日本の三名鳥とされた。ルリと略称されることもある。

●猿田比古命(サルタヒコノミコト)猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神

2012年09月28日 11時42分00秒 | 色んな情報
●猿田比古命(サルタヒコノミコト)猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神
★歴史の泉:猿田比古命(サルタヒコノミコト)     http://p.tl/f48I
★ハロくんの御祭神情報 > サルタヒコ  http://p.tl/DS_5
★サルタヒコ      http://p.tl/H-yK
日本神話に登場する神。『古事記』および『日本書紀』の天孫降臨の段に登場し(『日本書紀』は第一の一書)、『古事記』では猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神、『日本書紀』では猿田彦命と表記する。
天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視された。そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られている。
祭礼の神輿渡御の際、天狗面を被った猿田彦役の者が先導をすることがある。
さらに江戸時代に入って「サル」の音から庚申講と結び付けられたほか、垂加神道では「導きの神」として神道の「教祖」とされるなど複雑な神格を持つ。
こうしたことから、近年「謎の神」として鎌田東二などの学者にクローズアップされている。
常陸国の住人に猿田氏があるが、猿田彦の末裔であるとされる。前述の椿大神社・猿田彦神社の宮司もともに古くから猿田彦の神孫として名高い。
手塚治虫の『火の鳥』シリーズには、「猿田」もしくは「サルタヒコ」という人物が多く登場する。それらの多くが、鼻が大きいという身体的特徴を持っている。
★猿田彦大神を御祭神とする神社
・猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)http://p.tl/HvAr
・椿大神社(つばきおおかみやしろ)http://p.tl/OQ8F
・都波岐神社・奈加等神社(つばきじんじゃ・なかとじんじゃ)http://p.tl/rh1h
・白鬚神社(しらひげじんしゃ) http://p.tl/5kMz
・荒立神社(あらたてじんじゃ)(宮崎県西臼杵郡高千穂町)http://p.tl/ccDE
・庚申社(こうしんしゃ)  http://p.tl/jUOn  庚申信仰の三尸(さんし)説「見ざる聞かざる云わざる」
・猿田神社(さるだじんじゃ)(千葉県銚子市)http://p.tl/3erB

★三尸(さんし)http://p.tl/ZFHL
道教に由来するとされる人間の体内にいる虫。三虫(さんちゅう)ともいう。
上尸・中尸・下尸の三種類で、上尸の虫は道士の姿、中尸の虫は獣の姿、下尸の虫は牛の頭に人の足の姿をしている。大きさはどれも2寸で、人間が生れ落ちるときから体内にいるとされる。
★庚申信仰(こうしんしんこう)http://p.tl/pgm2
現在までに伝わる庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である。
★岐の神(ふなどのかみ、くなどのかみ)、(塞の神から転送) http://p.tl/6Y01
 岐の神(ふなどのかみ、くなどのかみ)、巷の神(ちまたのかみ)または辻の神(つじのかみ)とは、日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神である。道祖神、塞の神(さえのかみ)とも[1]。
岐(ちまた、巷とも書く)または辻(つじ)とは、道路が分岐・交叉する場所のことである。このような場所は、人だけでなく神も往来する場所と考えられた。神の中には悪神・悪霊もおり、これらの侵入を防ぐために祀られたのが岐の神である。このことから塞の神(さえのかみ)とも呼ばれる。
神話の中では、『古事記』の神産みの段において、黄泉から帰還したイザナギが禊をする際、脱ぎ捨てた褌から道俣神(ちまたのかみ)が化生したとしている。この神は、『日本書紀』や『古語拾遺』ではサルタヒコと同神としている。また、『古事記伝』では『延喜式』「道饗祭祝詞」の八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)と同神であるとしている。
『日本書紀』では、泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミから逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って投げた杖から岐神(ふなどのかみ)、来名戸祖神(くなとのさえのかみ)が化生したとしている。『古事記』でも、上述のイザナギの禊の場面で、最初に投げた杖から衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)が化生している。
後に、中国から伝来した道路の神である道祖神と習合した。そこから、道祖神もサルタヒコと同一視されるようになった。また、仏教の地蔵菩薩とも同一視された。

★道祖神(どうそじん、どうそしん)http://p.tl/K2NE
 道祖神(どうそじん、どうそしん)は、路傍の神である。集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、松尾芭蕉の「奥の細道」では旅に誘う神様として冒頭に登場する。村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。 古い時代のものは男女一対を象徴するものになっている。餅つき(男女の性交を象徴する)などにもその痕跡が残る。

★『●魔除け●鬼瓦●道祖神●「蘇民将来(そみんしょうらい)之子孫」』 http://amba.to/QhqEgR
★『●道祖神(どうそじん、どうそしん) 日本宗教のルーツ』 http://amba.to/QhqLJ7
★『●手(て)』 http://amba.to/Qhr3Qq
一集落あるいは一地域において道祖神、塞神(さえのかみ)、道陸神(どうろくじん)などを別々の神として祀(まつ)っている所もあり、地域性が濃い。
★『道祖神(どうそじん、どうそしん) 日本宗教のルーツ   2010年12月21日  my日本から転』 http://amba.to/QhrM45

●憂国【ユウコク】

2012年09月28日 10時49分10秒 | 色んな情報
●憂国【ユウコク】
★憂国【ユウコク】デジタル大辞泉
国の現状や将来について心を痛めること。「―の士」「―の情」
★憂国 - Wikipedia   http://p.tl/30LX  三島由紀夫の短編小説。
★あらすじ       http://p.tl/VAar
昭和11年2月28日、2・26事件で決起をした親友たちを叛乱軍として勅命によって討たざるをえない状況に立たされた近衛歩兵一聯隊勤務の武山信二中尉は懊悩の末、自死を選びことを新婚の妻・麗子に伝える。すでに、どんなことになろうと夫の跡を追う覚悟ができていた麗子はたじろがず、共に死を選ぶことを決意する。そして死までの短い間、夫と共に濃密な最期の営みの時を過ごす。そして、2人で身支度を整え遺書を書いた後、夫の切腹に立会い、自らも咽喉を切り跡を追う。
★私的憂国の書     http://p.tl/Imdl  安倍晋総裁誕生と戦いの始まり、そして英霊を想う。
★憂国世界       http://p.tl/Mryl
25名も自殺!イラク戦争で何があった?派遣自衛官謎の大量死の驚愕!
★週刊ダイヤモンド|続・憂国呆談    http://p.tl/yBpV
★憂国の魔窟/護国道まっしぐら/愛国淑女の日本再生    http://p.tl/uMJR
★憂国の時、今来れり 日本を護れ!! (愛国民として生きる) http://p.tl/vgsW
★『【新藤義孝】安倍晋三を応援してくださった皆様へ[桜H24/9/26]』 http://amba.to/SFR6pr
★『こういう放送流して何を期待してるの?安倍さん叩きですか?MBS 民主と比べて放送すれば?』 http://amba.to/Qy5xtV
★日本の未来(憂国) http://p.tl/UUYB
★憂国の夜明け   http://p.tl/UyzO
★憂国・正論・国防ブログ http://p.tl/s0MG

★はてなキーワード > 憂国
・小説として。
三島由紀夫の短編小説。
・映画として。
三島由紀夫の同名小説を映画化したもの。本人主演。
「切腹」をモチーフにした作品で、本作品が、後年の自刃に影響を与えたと評するものは少なくない。
三島没後、夫人の意思によりオリジナルフィルムが焼却処分され、長いこと「幻の映画」と呼ばれていた。夫人没後10年して、別のオリジナルフィルムが発見されて、本人没後35年して、やっと日の光を浴びることができた。

★はてなキーワード > 憂国忌 (ゆうこくき)
11月25日。別名・三島忌。
昭和45年(1970)に東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺をした作家・三島由紀夫の命日。
名前の元になった『憂国』は三島由紀夫の短編小説。

★憂國ジャーナル   http://p.tl/Y669
インド人の映画監督が今秋、第2次世界大戦で日本軍が大敗を喫したインパール作戦の激戦地、インド北東部マニプール州で、おじの日本兵の足跡をたどる女性を主人公にした映画を制作する。気品にあふれた真の日本兵の姿を伝え、現地の人々の記憶に残るエピソードを紹介したいという。

★ユウコの憂国資料室   http://p.tl/C2pv
TVでの北朝鮮問題(主に拉致問題)に関する発言を保存しているサイトです。 ここにある 資料は基本的に私が直接見聞きしたものです。

★憂国(抄)       http://p.tl/cQ2y
★憂国清心同友会 - Wikipedia   http://p.tl/A3R8
神奈川県川崎市に総本部を置く右翼団体。稲川会二代目山川一家系で15団体からなる協議体。2004年(平成16年)5月、横浜市で発会式を行う。稲川会傘下なので「右翼標榜暴力団」と見做されている。

★国士(こくし) - Wikipedia    http://p.tl/RUsR
国中の人物の中でも特に優れた人物のことをいう。転じて、その国を憂い、その国のために私財を投げ打つなどして貢献する人のこと。憂国の士とも呼ぶ。

★憂国、喝! - livedoor Blog(ブログ)http://p.tl/SKYz
★憂国忌・結成趣意書     http://p.tl/FRqo
★憂国烈士之城        http://p.tl/n2Fu

●こ と ば

2012年09月28日 07時23分00秒 | 色んな情報
●こ と ば
★風の名称辞典     http://p.tl/AYrD     風の辞典     http://p.tl/OYmW

★大和言葉 - Wikipedia http://p.tl/ynvR
現在「大和言葉 」といえば一般には、漢語と外来語を除いた日本語の固有語を指すようになっている。

★雅言集覧【がげんしゅうらん】世界大百科事典  http://p.tl/2xPJ
石川雅望(まさもち)が編した古語索引ともいうべき辞書。〈い〉~〈か〉の6冊を1826年(文政9),〈よ〉~〈な〉の3冊を49年(嘉永2)刊行。それ以下は写本のまま伝わる。現在は,中島広足が追補の筆を加えた《増補雅言集覧》(3冊,1887)が行われる。平安時代の文学作品を中心に,奈良時代の作品その他からも語種を集めて〈いろは順〉に配列したもの。解釈はほとんど施されていないが,引例が豊富で,いちいち出典を示している。
★俚言集覧【りげんしゅうらん】世界大百科事典  http://p.tl/5yIl
太田全斎編の国語辞書。26巻。全斎(1759‐1829)は備後福山藩士で漢学者。音韻の研究でも知られる。本書の成立は不明だが,1797年(寛政9)から1829年(文政12)までの間と考えられる。《雅言集覧》《和訓栞(わくんのしおり)》とともに,近世の三大国語辞書と目される。村田了阿編と誤り伝えられたが,俗諺を集めた《諺苑(げんえん)》が発見され,全斎の手になることが明らかになった。《諺苑》に,俗語,漢語,仏語,方言などの類を増補し,改編したのが本書である。
★雅言【ガゲン】デジタル大辞泉   雅語【ガゴ】「雅言(がげん)」に同じ。
1 洗練された上品な言葉。正しいとされる優雅な言葉。→俗言 →俚言(りげん)
2 和歌などに用いる、主として平安時代の言葉。雅語。
1.洗練された言葉。優雅な言葉。雅語。 ↔ 俗言
2.主として平安時代の和歌や仮名文などに使われた大和言葉。江戸時代の国学者や歌人が,正しく風雅なものとして尊んだ言葉。雅語。 → 俚言

★《増補雅言集覧》世界大百科事典内の《増補雅言集覧》の言及.
【雅言集覧】より
…それ以下は写本のまま伝わる。現在は,中島広足が追補の筆を加えた《増補雅言集覧》(3冊,1887)が行われる。平安時代の文学作品を中心に,奈良時代の作品その他からも語種を集めて〈いろは順〉に配列したもの。…

★雅び言【ミヤビゴト】デジタル大辞泉
上品な言葉。風流な言葉。がげん。「ゐなかに古(いにしへ)の―の残れる事」〈玉勝間・七〉
みやびやかな言葉。風雅な言葉。

★雅言栞 明治二十一年、大久保忠保 福井大学蔵   http://p.tl/5FOt

★五経(ごけい・ごきょう)または六経(りっけい・りくけい)http://p.tl/Uc0T
儒教で基本経典とされる5種類または6種類の経書の総称。すなわち『詩経』・『書経』・『礼経』・『楽経』・『易経』・『春秋経』の六経であり、『楽経』を除いたものが「五経」である。すべて孔子以前からの書物であるが、伝統的な儒教の考えでは孔子の手を経て現在の形になったと考えられている。
ただし、実際に五経として読まれる書物の内容は時代によって異なっており、また孔子以後の儒家たちの注釈である「伝」を含めた形で読まれた。
現行のいわゆる五経は、唐代の『五経正義』以来の『周易』『尚書』『毛詩』『礼記』『春秋左氏伝』である。
また『論語』では雅言(共通語のことと考えられている)について「『詩』『書』執礼」で用い ていたとあり、礼に関する経典があったかはともかく、儀礼の教育もあったことは確かで あろう。

★ちょっと美しい日本語 頑張れ凡人   http://p.tl/yjzj
★日本語のサロン「雅語音声考」     http://p.tl/avo5
★雅語音声考 希雅(811//58) > 各冊表紙一覧  http://p.tl/iFfG  http://p.tl/F2IX
★源語雅言解 / 菅原種文 撰      http://p.tl/LQ4O

★「うわづら文庫」というのは、著作権の切れた資料を、画像で   http://p.tl/l9PH
★文字とは何か?──最古の文字とは?(7)http://p.tl/fYrT
★日本近現代詩と雅語美文 - 国際言語文化研究科(Adobe PDF) http://p.tl/475y
★語の分類(Adobe PDF) http://p.tl/6Shl
★俚言俗語(りげんぞくご)http://p.tl/Rdle
★上澄みをすくう方言学  http://p.tl/rDvv
★「階段国道」は方言か  http://p.tl/ueIm
★俚言集覧が出典のことわざ:ことわざ辞典 http://p.tl/NNuc   http://www.proverb.jp/
★第四節 気象俚言    http://p.tl/gMcm
★飛騨俚言・花もち    http://p.tl/MENp
★添註伊勢物語俚言解   http://p.tl/nste
★日本語史資料の連関   http://p.tl/Q2lm
★天気俚言 -南房総資源辞典 http://p.tl/yb1I
★翻訳の泉 - 世界の言語  http://p.tl/JkQp
★日本語の動詞      http://p.tl/PPno
★品詞(ひんし)は、単語を文法的な機能や形態などによって分類したもの。http://p.tl/zGV5
★敬語(けいご)     http://p.tl/gm8N
言葉で表現する主体(書き手、話し手など)とその相手(読み手、聞き手)やその話題中の人物との社会的関係(親疎、権力の大小)と態度を表す言語表現である。
★言語のグループ(語族や語派など)の一覧。http://p.tl/tlSZ
★屈折語(くっせつご)  http://p.tl/qH3i
言語学上における形態論上の分類のひとつ。文法的機能を表す形態素が、語の内部に分割できない形で埋め込まれる言語のことをいう。
★孤立語 - Wikipedia  http://p.tl/iWXe
言語類型論において、言語を形態論的 な特徴から分類したときの類型の一つで、理想的には1語が1形態素に対応する、総合 の指標が非常に低い言語のこと。
★対義語 - Wikipedia  http://p.tl/MuFH
対義語対の分類については一般的・慣用的に用いられているものを蒐集したものが冊子 (教本)化されている。
感性語の取り扱いにおいて対義語ペアを軸とした情報処理は 画像検索システムなどに応用されている。
★子音 - Wikipedia   http://p.tl/P-DN
子音を特定言語の話者が弁別する最小の音声単位である音素により分類・定義する 音韻論の立場もある。
★漢字 - Wikipedia   http://p.tl/jOcc
★動詞 - Wikipedia   http://p.tl/CDt5
 
『●猫語辞典●』 http://amba.to/OTKkIt
『◆コトバの不思議◆コトバのチカラ◆言霊(ことだま)』 http://amba.to/MIsaYj

●月名(日本語 古語・雅語)

2012年09月27日 23時04分52秒 | 色んな情報
●月名(日本語 古語・雅語)
★文月(ふみづき、ふづき)7月 - Wikipedia   http://p.tl/dFzs
日本では、旧暦7月を文月(ふみづき、ふづき)と呼び、現在では新暦7月の別名としても用いる。文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっている。しかし、七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、元々日本にはないものである。そこで、稲の穂が含む月であることから「含み月」「穂含み月」の意であるとする説もある。また、「秋初月(あきはづき)」、「七夜月(ななよづき)」の別名もある。
文月の語源は、短冊に歌や字を書き、書道の上達を祈った七夕の行事に因み、「文披月(ふみひらきづき)」が転じたとする説が有力とされる。 その他、陰暦七月が稲穂が膨らむ月であるため、「穂含月(ほふみづき)」「含月(ふくみづき)」からの転とする説。
★文月(ふづき・ふみづき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 文月とは、陰暦で七月のこと。
【文月の語源・由来】
文月の語源は、短冊に歌や字を書き、書道の上達を祈った七夕の行事に因み、「文披月(ふみひらきづき)」が転じたとする説が有力とされる。
その他、陰暦七月が稲穂が膨らむ月であるため、「穂含月(ほふみづき)」「含月(ふくみづき)」からの転とする説。
稲穂の膨らみを見る月であるため、「穂見月(ほみづき)」からの転とする説もある。

★長月(ながつき)9月   http://p.tl/00vc
・旧暦9月の異称。現在では新暦9月の別名としても用いる。
・日本海軍の駆逐艦
  ・神風型駆逐艦 (初代)「長月」
  ・睦月型駆逐艦「長月」
・海上自衛隊の護衛艦
  ・たかつき型護衛艦「ながつき」
★睦月(むつき) 1月    http://p.tl/9xJ5
日本では旧暦1月を睦月(むつき)と呼び、現在では新暦1月の別名としても用いる。睦月という名前の由来には諸説ある。最も有力なのは、親族一同集って宴をする「睦び月(むつびつき)」の意であるとするものである。他に、「元つ月(もとつつき)」「萌月(もゆつき)」「生月(うむつき)」などの説がある。
★如月(きさらぎ) 2月   http://p.tl/bLDB
日本では旧暦2月を如月(きさらぎ、絹更月、衣更月と綴ることもある)と呼び、現在では新暦2月の別名としても用いる。「如月」は中国での二月の異称をそのまま使ったもので、日本の「きさらぎ」という名称とは関係がない。「きさらぎ」という名前の由来には諸説ある。
旧暦二月でもまだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であるから「衣更着(きさらぎ)」
草木の芽が張り出す月であるから「草木張月(くさきはりづき)」
前年の旧暦八月に雁が来て、更に燕が来る頃であるから「来更来(きさらぎ)」
陽気が更に来る月であるから「気更来(きさらぎ)」
他に梅見月(むめみつき)、木目月(このめつき)等の別名もある。旧暦二月は新暦では3月ごろに当たり、梅の花が咲く時期である。
★弥生、彌生(やよい)3月  http://p.tl/9Jna
旧暦3月。現在は新暦3月の別名としても用いる。
弥生(やよい) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
陰暦3月の異称。陽暦の3月末から4月末にあたる。晩春の候で、花見月、桜月などともいい、このころの山をさして「弥生山」の称があるほか、ホトトギスの異称「弥生過鳥(やよいすごどり)」、行く春を惜しむ「弥生尽(やよいじん)」などの語がある。この月の3日は雛(ひな)の節句で「弥生の節句」の名でよび、歌舞伎(かぶき)ではこの月に上演する狂言を「弥生狂言」といい、江戸時代中期以降は、3月3日を初日とするのを例とするようになり、「三の替わり」の称もある。語源については、この月になると、春になって萌(も)え出た草々がいよいよ成長するので、「いやおひ(弥生)月」というのだとする『奥義抄(おうぎしょう)』や『日本釈名』などの説のほか、草木が「ややおひ(漸々成長)」する月だからなどとする説がある。 [ 執筆者:宇田敏彦 ]
★卯月(うづき) 4月    http://p.tl/DzqV
日本では、旧暦4月を卯月(うづき)と呼び、現在では新暦4月の別名としても用いる。卯月の由来は、卯の花が咲く月「卯の花月(うのはなづき)」を略したものというのが定説となっている。しかし、卯月の由来は別にあって、卯月に咲く花だから卯の花と呼ぶのだとする説もある。「卯の花月」以外の説には、十二支の4番目が卯であることから「卯月」とする説や、稲の苗を植える月であるから「種月(うづき)」「植月(うゑつき)」「田植苗月(たうなへづき)」「苗植月(なへうゑづき)」であるとする説などがある。他に「夏初月(なつはづき)」の別名もある。
日本では、新年度または新学期の時期として有名であり、学校・官公庁・会社などでは当月に入社式・入学式が行われ、前月の3月と同様に慌しくなる。世帯数や人口は少ないが、「卯月」という姓(名字)も存在する。4月は毎年7月と同じ曜日で始まり、閏年には1月とも同じとなる。
★皐月(さつき)   5月  http://p.tl/4pcW
旧暦5月の異名。現在では新暦の5月を呼ぶこともある。
★皐月(さつき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 皐月とは、陰暦で五月のこと。
【皐月の語源・由来】
皐月は、耕作を意味する古語「さ」から、稲作の月として「さつき」になった。
早苗を植える月「早苗月(さなえづき)」が略され、「さつき」になったとする説もあるが、「早苗」の「さ」も耕作の「さ」が語源とされる。
漢字「皐」には「神に捧げる稲」の意味があるため、皐月が当てられたと思われる。
★サツキ・皐月(さつき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 サツキとは、ツツジ科の常緑低木。関東以西の川岸の岩山などに自生し、古くから観賞用として栽培されている。杜鵑花。
【サツキの語源・由来
サツキは、「サツキツツジ」の下略。
サツキは他のツツジに比べ花の咲く時期が遅く、陰暦の五月の頃に咲くツツジということから、月の名「皐月」が転用されたものであるが、月名の「皐月」は耕作に由来し、田の神に祈るため苗代に挿す花もサツキであることから、五月に咲くというだけでなく、農民との関わりの深さも名前の由来に関係していると考えられる。
 
★水無月(みなづき) 6月  http://p.tl/xlrL 水無月(6月)http://p.tl/655C
・京の祭礼と行事(番外編)「水無月の由来」 http://p.tl/poi2  菓子の用語「水無月」 http://p.tl/URyZ
・水無月(みなづき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 水無月とは、陰暦で六月のこと。
【水無月の語源・由来】
水の無い月と書くが、水が無いわけではない。
水無月の「無」は、神無月の「な」と同じく「の」にあたる連体助詞「な」で、「水の月」という意味である。
陰暦六月は田に水を引く月であることから、水無月と言われるようになった。
旧暦の六月は梅雨が明けた時期になるため、新暦に当てはめて解釈するのは間違いで、水無月は「水の無い月」とするものもある。
しかし、「水の月」説は新暦以前から伝えられており、新暦に合わせたものではない。
また、「水の無い月」の説は梅雨を基準にされているが、梅雨の時期である旧暦五月「皐月」が梅雨に関係していないため不自然で考え難い。
 
★葉月(はづき)   8月  http://p.tl/O5Hp
《古くは「はつき」とも》陰暦8月の異称。《季 秋》「朝山や―の月のきえのこり/青嵐」
・葉月(はづき) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
陰暦8月の異称。語源については「葉落月(はおちづき)」の略とする『奥義抄(おうぎしょう)』『和爾雅(わじが)』『日本釈名(しゃくみょう)』などの説や、穂張月(ほはりづき)(稲穂が張る月)の義とする『語意考』、黄葉の月の意とする『和訓栞(わくんのしおり)』、初来(はつき)(初めて雁(かり)が渡来する月の意)とする『滑稽(こっけい)雑談』などの諸説がある。三秋の仲(中)の月にあたり、万物の実りのときであるとともに、月のもっとも明らかな季節として知られ、とくにこの月の望月(もちづき)は「仲秋の名月」として賞美される。
これらの風物によって月見月、秋風月、雁来月(がんらいづき)などの異称があり、南呂(なんりょ)、中律、壮月、桂月(けいげつ)などの漢名も知られる。
また「離れ月」といって、この月に結婚すると離縁になるともいわれたが、これは八の字が左右に離れていることによる。[ 執筆者:宇田敏彦 ]
・葉月(はづき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 葉月とは、陰暦で八月のこと。
【葉月の語源・由来】
葉月の語源は、新暦では九月上旬から十月上旬の秋にあたるため、葉の落ちる月「葉落ち月」が転じて「葉月」になったとする説。
北方から初めて雁が来る月なので、「初来月」「初月」から「葉月」になったとする説。
稲の穂が張る月「穂張り月」「張り月」から、「葉月」になったとする説がある。
「葉落ち月」の説が有力にも思えるが、必ずしも漢字がそのまま残るとは限らず、当て字の可能性もあるため、正確な語源は未詳。
 
★神無月(かんなづき)10月  http://p.tl/yXX9
旧暦10月は「神無月(かんなづき)」と呼ばれる。これは全国の神様が会議をするために出雲に集まってしまうので、日本中神様がいなくなってしまう、ということから付けられた名称です。
・神無月(かんなづき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 神無月とは、陰暦で十月のこと。かみなづき。かむなづき。
【神無月の語源・由来】
神無月の語源は、神を祭る月であることから「神の月」とする説が有力とされ、「無」は「水無月」と同じく「の」を意味する格助詞「な」である。
中世の俗説には、10月に全国の神々が出雲大社に集まり、諸国に神がいなくなることから「神無月」になったとする説があり、出雲国(現在の島根県)では反対に「神有月・神在月(かみありづき)」と呼ばれる。
その他の説では、雷の鳴らない月で「雷無月(かみなしづき)」が転じたとする説や、新穀で酒を醸す月なので「醸成月(かみなしづき)」が転じたとする説がある。
 
★霜月(しもつき)  11月  
 霜月(しもつき) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
陰暦11月の異称。だいたい陽暦の12月にあたる。この月になると霜がしきりに降るから霜降月といったのが、霜月に転じたといい、露ごもりの葉月、神楽(かぐら)月、雪待月などともいう。冬も深みゆく季節で、まだ極月(ごくげつ)師走の慌ただしさは世間にもみられず、冬の季節に入ったことをしみじみと味わう日々が続く。歌舞伎(かぶき)の世界では、この月の1日を顔見世といい、元旦(がんたん)の心でこの日を祝うが、これは中国古代の周の風俗に倣ったものともいい、周正(しゅうせい)、周の正月などの名もある。 [ 執筆者:宇田敏彦 ]
・霜月(しもつき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 霜月とは、陰暦で十一月のこと。
【霜月の語源・由来】
霜月は、「霜降り月・霜降月(しもふりつき)」の略とする説が有力とされる。
その他、十は満ちた数で一区切りなので上月になり、それに対して下月とする説や、「神無月」を「上な月」と考えて「下な月」とする説など、上下の「下」とみる説。
「食物月(をしものつき)」の略とする説や、「摺籾月(すりもみづき)」の意味など諸説あるが、いずれも有力とはされていない。
 
★師走(しわす)   12月  http://p.tl/27tv
日本では、旧暦12月を師走(しわす)または極月(ごくげつ、ごくづき)と呼び、現在では師走は、新暦12月の別名としても用いれ、その由来は僧侶(師は、僧侶の意)が仏事で走り回る忙しさ(平安後期編『色葉字類抄』)からという平安期からの説がある。また、言語学的な推測として「年果てる」や「し果つ」等から「しわす」に変化したなどという説もある。
★師走(しわす)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 師走とは、陰暦で十二月のこと。
【師走の語源・由来】
師走は当て字で、語源は以下の通り諸説あり、正確な語源は未詳である。
師走の主な語源説として、師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せる月と解釈する「師馳す(しはす)」がある。
この説は、平安末期の「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」に、「しはす」の注として説明されている。
現代の「師走」と漢字の意味も近く、古い説であるため有力に思えるが、「師馳す」説は民間語源で、この説を元に「師走」の字が当てられたと考えられる。
その他、「年が果てる」意味の「年果つ(としはつ)」が変化したとする説。
「四季の果てる月」を意味する「四極(しはつ)」からとする説。
「一年の最後になし終える」意味の「為果つ(しはつ)」からとする説などがある。
★師走に関するうんちく - おじさん通信   http://p.tl/cHwz

●ナマコ(なまこ)【海鼠】

2012年09月27日 18時38分34秒 | 色んな情報
●ナマコ(なまこ)【海鼠】
★ナマコ(なまこ)【海鼠】 [ 日本大百科全書(小学館) ] .sea-cucumber    http://p.tl/WV43
棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱Holothuroideaに属する海産動物の総称。大きなイモムシ形の海産動物で、体の前端に口と触手、後端に肛門(こうもん)があり、岩や砂の上をゆっくりとはい進む。世界で1500余種、日本近海からは約180種が知られる。 [ 執筆者:重井陸夫 ]
★ナマコ - Wikipedia   http://p.tl/83-N
棘皮動物門のうち、体が細長く口が 水平に向くなどの特徴を共有する一群である。ナマコ綱に分類される。世界に約1,500種 、日本にはそのうち200種ほどが分布する。
★密漁問題     http://p.tl/t1Zb
最近は中華料理の食材として高値に取引されることが多く、そのために保護水域や漁業水域での密漁も横行している。
密漁の背景には、そういった中華料理の材料としての高値が背景にあり、そのために生活に困った漁師などに密輸業者が目をつけ、密漁を推進したりすることが各地で続いており、ナマコ類と、それを漁業として生計を立てている漁師や水産関係者に、自然保護観点からみても頭の痛い問題となっている。
現在は漁師や漁業関係者に、海上保安庁などが生息水域のパトロールなどを行っているが、今のところ、密漁の取り締まりには効果的な方法や糸口は見えていない。
 
★いりこ(いりこ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
〔1〕煎海鼠、熬海鼠、乾海鼠と書く。ナマコの煮干し。いりなまこ、きんこ、干しなまこともいう。おもに中華料理に使い、中国では海参(ハイシェン)という。平安初期から朝廷への貢ぎ物とされた。
[ 執筆者:金田尚志 ]
・ナマコのいりこの製法
12月から翌年3月にかけてつくる。採取したナマコを一夜、生け簀(いけす)に入れて砂を吐かせたのち、尾部を包丁で数センチメートル割き、このわたの原料となる腸を取り除き、海水で洗い、水切り後、海水中で約1時間よく煮る。この間、膨れるものは釘(くぎ)を打って穴をあけ、裂けるのを防ぐ。そのあと、水切りし、簀の上に置いて天日乾燥する。約1週間で固く干し上がる。製品には刺(とげ)のある刺参(しさん)と、刺のない無刺参がある。北海道や本州、九州ではナマコ、クロホシナマコ、クロナマコなどを用いて刺参をつくり、南九州や沖縄ではフジコ(キンコともいう)を用いて無刺参をおもにつくる。食べるときは、よく煮た後放置しておくと4、5日でもどる。主として中華料理に使うが、長崎あたりでは正月に雑煮に入れる所もある。
〔2〕イワシの幼魚、カタクチイワシ、カマスの幼魚、その他の小魚の煮干しをいう。主として関西で使われる語。
[ 執筆者:金田尚志 ]

★このわた(このわた) [ 日本大百科全書(小学館) ] .【海鼠腸】
ナマコの腸またはその塩辛。いりこ(干しなまこ)製造の際の副産物を利用する。ナマコの腹部を小刀で切り開き、腸を取り出す。この際、脱腸器(小さなかぎ)や箸(はし)なども使う。腸は手でしごき内容物を除き、水洗(すいせん)、水切り後、20~30%の食塩を加え、数日置き、水切りし、樽(たる)や瓶、竹筒などに詰める。製造後1週間程度のものがうまく、それ以上たつと黒みを帯び味も落ちる。常温では冬期でも3週間が限度。長い腸で色の淡いものが良品。とくに冬つくったものが美味。適当に腸を刻み、そのまま、またはウズラの卵を落として酒の肴(さかな)にする。また熱燗(あつかん)の酒に入れたこのわた酒もうまい。岡山県、愛知県、北海道などでつくられる。
江戸時代、三河(愛知県)のこのわたは、長崎県の「からすみ」、越前(えちぜん)(福井県)の「うに」とともに「天下の三珍」として賞味された。現在でも愛知県下ではこのわた製造を主目的とし、ナマコの腹を切り、腸をていねいに取り出す方法が行われている。 [ 執筆者:金田尚志 ]
★Category:ナマコ   http://p.tl/KA7p


2.イカリナマコ【錨海鼠】      http://p.tl/S3Fe
【錨海鼠】 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱イカリナマコ科に属する海産動物の総称。ナマコ類の分類は、体表に散在する小骨片の形態差に基づいて行われるが、このグループのものはすべて錨(いかり)の形をし ...
3.オオイカリナマコ【大錨海鼠】    http://p.tl/sQJ8
【大錨海鼠】、[学名:Synapta maculata] 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱イカリナマコ科に属する海産動物。サンゴ礁の砂地にすむナマコの一種で、奄美(あまみ)、沖縄諸島以南に分布。 ...
4.オキナマコ【沖海鼠】       http://p.tl/EJnP
... [学名:Parastichopus nigripunctatus] 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱マナマコ科に属する海産動物。オキコともよばれる。沖合いにすむナマコで、本州、四国、九州に分布し、水深80~600メートルの海底の砂泥上に ...
5.クルマナマコ【車海鼠】      http://p.tl/2ruf
【車海鼠】 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱クルマナマコ科に属する海産動物の総称。ナマコ類の分類は体表に埋在する小骨片の形態差に基づいて行われるが、このグループのものはすべて骨片が車輪の形をしている。 ...
6.クロナマコ【黒海鼠】       http://p.tl/T-RR
... [学名:Holothuria (Halodeima) atra] 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱クロナマコ科に属する海産動物。サンゴ礁の砂地に群生する中形で黒色のナマコ。体色は漆黒であるが、体表に粘液を分泌し ...
7.シロナマコ.【白海鼠】       http://p.tl/a4Yo
... [学名:Paracaudina chilensis] 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱シロナマコ科に属する海産動物。ウジムシを大きくしたような形の白っぽいナマコ。体は筒形で、後方部分が急に細まって尾のように長く伸びる。 ...
8.ジャノメナマコ.【蛇目海鼠】     http://p.tl/bF4O
... [学名:Bohadschia argus] 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱クロナマコ科に属する海産動物。体表一面に鮮明な蛇の目模様のついたサンゴ礁に産するナマコ。体長30~40センチメートル。模様は背面の小さないぼ足 ...
9.トラフナマコ【虎斑海鼠】     http://p.tl/p5B8
... (Mertensiothuria) pervicax] 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱クロナマコ科に属する海産動物。薄茶色で白っぽい地色に焦げ茶色の雲紋がついたナマコ。浅海の石の下やサンゴ礁に産する。体長25センチぐらい。 ...
10.生子壁(なまこかべ)      http://p.tl/b1-3
「海鼠(なまこ)」の字をあてることもある。厚さ2センチメートル、一辺30センチメートル内外の方形平瓦(かわら)(タイル)を壁面に張り、タイルの目地(めじ)通りに漆食(しっくい)をかまぼこ形に盛り上げ ...

★ナマコのさばき方   http://p.tl/3_lz
海鼠又は海参と書きますが、海参は海 の人参って意味でして、中国では特に乾した『乾海参』は超高級品です。
★マナマコ 市場魚貝類図鑑 http://p.tl/TOR4
★なまこ学  なまこについて学問します。http://p.tl/zTuV
★なまこ海 ~南太平洋を熱く語る?   http://www.namako.to/
★なまこ学 / なまこの賢さ    http://p.tl/MMiT
★なまこ学 / なまこを溶かす   http://p.tl/09D4
★海鼠(なまこ) - 万葉の生きものたち http://p.tl/itjk

★ナマコ・海鼠(なまこ)の意味・語源・由来を解説。
【意味】なまことは、ナマコ綱棘皮(きょくひ)動物に属する海生動物の総称。体は円筒形で、先端は多くの触手を伴なった口があり、後端は肛門。皮膚は柔軟だが小さな骨片が散在している。酢の物として生食するほか、いりこ(干物)、このこ(卵巣)、このわた(内臓の塩辛)など加工される。
【なまこの語源・由来】
なまこは、古くは単に「コ」と呼ばれており、のちに「なま」が付いて「なまこ」となった。
「コ」は触ると小さく固まることから、またコリコリした食感から「凝」の意味であろう。
なまこの「なま」は、ナメクジやナマズと同じく「滑らか」とする説と、「生」の意味とする説があるが、皮膚にある骨片が「滑らか」とは言い難いため、なまこの「なま」は「生」の意味と考えられる。
「生」の意味にも二説あり、ひとつは茹でて乾したなまこは「いりこ(煎りこ)」と言うことから、それに対して「生食」であることを示すために「生」が付け加えられたとする説。
もうひとつは、なまこは再生力が強く、体を切ったても時間が経つと元へ戻ることから、「生きかえる」という意味の「生」とする説である。
多くは「生食」の意味といわれるが、「生食」の意味であれば「生き物」としては「コ」と呼んだままになり、「なまこ」と呼ぶ場合は「いりこ」や「このわた」などと同様に、「食品」の名として位置づけられているはずなので、「生きかえる」意味の「生」の方が良い。
漁師言葉から生まれたとすれば、再生力の強さと固まるところから、「凝」に「生きかえる」意味の「生」が付き、「なまこ(生凝)」になったとする方が自然と思われる。
漢字の「海鼠」は、夜になるとネズミのように這い回ることからや、ネズミの後ろ姿に似ているから当てられたといわれる。

★なまこ(海鼠)           http://p.tl/MBXb
★伊豆松崎小辞典>な行>なまこ壁   http://p.tl/XZC2
★ナマコ(海鼠)の捌き方........... 簡単!酒の肴の出来上がり!! http://p.tl/IzQm
★なまこ壁 - Wikipedia        http://p.tl/K-LW
★なまこ池(なまこいけ、海鼠池)   http://p.tl/ASt6
上甑島(甑島列島)の北東海岸沿いに横たわる潟湖である。なまこ池の南東海岸沿いに並ぶ貝池、鍬崎池、須口池と合わせて甑四湖と呼ばれる。
丸い小石で形成された長さ約2キロメートルの砂州によって海から分離されているが、石の隙間を通して海水が出入りしており潮の満ち引きに合わせて湖面が0.2メートル程度上下する。海水に近い塩分を含んでおり、ボラ、スズキなど海に住む魚や薩摩藩藩主島津氏が大村湾から移入したと伝えられるナマコが生息している。
縄文海進の時期に上甑島北部の断崖が波で侵食され、海流に乗って運ばれてきた礫が砂嘴を形成し、ついには海を区切って海跡湖となった。

★なまこ餅 - Wikipedia   http://p.tl/KP9P
なまこ餅(なまこもち、海鼠餅)はナマコに似た形状に成形された餅のことである。 ... つき たての餅をのさないでナマコのような半楕円形の形に成型する。 ... 福岡の筥崎宮では 大晦日の御胞衣祭とともに「なまこ餅つき」が行われ、元旦の三元祭で供える。

★能登の赤なまこのエキスを抽出した能登の赤なまこ石鹸の公式サイトです。http://www.namacosoap.com/

●海守(うみもり)

2012年09月27日 14時55分19秒 | 色んな情報
●海守(うみもり)
★海守(うみもり)  http://p.tl/h5Nn
「海守」(うみもり)公式サイト。「海守」は、きれいで、安全で、豊かな海を国民一人ひとりの力で守る活動を行っているボランティア団体です。
★海守 - Wikipedia  http://p.tl/yv7K
 海守(うみもり)とは、日本のボランティア活動。海上保安庁公認の下、財団法人海上保安協会が日本財団の助成で運営している。
118番通報制度の啓発を通じて、海からの脅威、不審船に警戒することを設立趣旨に掲げていることから、民間防衛組織としての性格をもつ。
2011年2月時点での会員数は約66,000名。
メールマガジンやブログ等のインターネットの活用によって、会員を組織化している。
★『海守ブログ』 きれいで、安全で、豊かな海を!http://p.tl/_FnG
★海守OSAKA      http://p.tl/0ilZ
★第三弾 『海守』をインタビュー~海岸線を守る活動~ http://p.tl/9FQS
★海上保安庁 海守 うみもり 日本の海を守る 公式ボランティア団体   http://p.tl/3kKP
★海守/ケンヤリンク/壱岐賢也   http://p.tl/vf9O
★君も海守(うみもり)になろう! http://p.tl/ekKu 湘南シーカヤック:海に出よう!(湘南運勢堂)
★海守隊 ~ 目指せCOP10! 動いて繋がるプロジェクト!~ http://p.tl/jfMg
★海守地蔵尊[うみまもりじぞう] | ハワイナビ       http://p.tl/DEG9
海守地蔵尊[うみまもりじぞう]。釣り人の安全と水難事故防止を願って祀られた、ハロナ 潮吹き岩のすぐ近くにひっそりとたたずむお地蔵さま。
★海洋ゴミと海守の活動 118番通報の現状(Adobe PDF)http://p.tl/cn8D
★沿岸監視・海洋環境保全活動等を行う全国的なボランティア活動組織(海守(うみもり)) http://p.tl/RKDe
★『海守ブログ』 きれいで、安全で、豊かな海を! - ブログ - Canpan   http://p.tl/hyYh
★海の健康度、我が国は世界11位-『海守ブログ』 http://p.tl/B-rv
★海守_浜口惣七さん: sea---smile       http://p.tl/zZtl
★海守(うみもり)事務局、進水式見学会を実施 | 日本財団   http://p.tl/7p23
★綿津見 (海統み)。海神 (海守)。ワタ→ わた  http://p.tl/I73V
★ほつまつたゑ 解読ガイド    http://p.tl/7iVn
★~海守神社~ - チャット http://p.tl/C4Tt ここは深海に佇む不思議な神社。
★海に守られた日本から海を守る日本へ/Sea&Ship   http://p.tl/pDQx
★親不知で海守 151    http://p.tl/i87k
★海守 | 10管バディ    http://p.tl/HmZo
★『巡視船しきね  海守研修 ②』 http://amba.to/S0SQKg

●うどん

2012年09月27日 10時09分26秒 | 色んな情報
●うどん
★うどん(うどん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .【饂飩】
小麦粉を食塩水でこね、薄く延ばして細長く切った麺(めん)の一種。奈良時代に中国から唐菓子として初めて渡来したが、それは、小麦粉の団子に餡(あん)を入れて煮たもので、形が不定形なので混沌(こんとん)といった。のちに食偏にかえて飩(こんとん)となり、また温飩(うんどん)となった。もっとも日本でいう饂飩は、伊勢貞丈(いせさだたけ)も指摘するように切麦(きりむぎ)であり、その源流はむしろ同じ中国の水引餅(すいいんへい)(引きのべうどん)に求めることができよう。切麦は熱麦(あつむぎ)・冷麦(ひやむぎ)の2種があったが、現在は熱麦の語は失われている。平安朝の大宮人は温飩を「ぞろ」または「ぞろぞろ」と親しみやすいことばでよんでいた。温飩ということばは平安時代からあり、やがて温飩から饂飩と転じるのだが、それには約100年の年月がかかっている。室町時代にうどんの名称が出てくるが、いまでも地方のどこかに「うんどん」の名称が残っているだろう。大正時代に、山中の茶店で「んどん」と書いた文字が見られたが、これはうんどんと読ませるのであろう。江戸初期に大坂ではうどん屋ができて、まもなくそばを兼業し始めた。うどんが主でそばが従だから「うどんそば」の看板が見られた。江戸でもうどん屋がそばを従としていたが、そばの売れ行きがいいので、やがてそばが主となり、「そばうどん」の看板が用いられるようになった。
[ 執筆者:河野友美・多田鉄之助 ]
1. 古い中国のうどん
うどんの歴史の古いのは中国である。イタリア名物のマカロニは、13世紀にマルコ・ポーロが元(げん)朝を訪れてうどん作りの秘法を会得して帰り、つくりあげたという説もある。中国のうどんの始まりは、『漢書(かんじょ)』の「百官表」に「小府屈有湯官、主餅餌買餅」とあるので、だいたい2000年前の漢時代とみてよかろう。下って魏晋(ぎしん)の時代には、広く知れわたって流行物となった。『語林』に、「魏文帝が何晏(かあん)という人に熱湯餅(とうへい)を賜う」という記録が出ている。そのころうどんを湯餅といっていたが、まもなく「不托(ふたく)」に変わっている。うどん粉をこねて手のひらの上に托して丸め、長形の団子にしてゆでたものが湯餅であるが、棒で延ばしてから包丁で切るようになってからは、手を借りないでつくるのだから「不托」という名称にした、といわれている。湯餅の名はその後も使われている。
[ 執筆者:河野友美・多田鉄之助 ]
2. うどんの作り方
国産の優秀な小麦粉を使えば、手打ちうどんの味は一段とよくなるが、2005年(平成17)現在、約86%の小麦粉は輸入である。うどんをつくるには、小麦粉1キログラムに薄い塩水カップ1杯半を加えてこねる。これを杵(きね)で搗(つ)くか、茣蓙(ござ)などに包んで足で踏むかしてよくならし、麺板(めんばん)にのせ、麺棒で延ばしてから切る。今日では機械製麺してゆでた「ゆでうどん」、乾燥させた「干しうどん」が一般的である。
[ 執筆者:河野友美・多田鉄之助 ]
3. うどんの郷土色と種類
うどんを名物とする郷土料理の数は多い。地名を上につけての讃岐(さぬき)うどん(香川県)はよく知られ、いまでも全国的に店を出したり、麺を販売したりしている。名古屋の「きしめん」も有名だが、この名称のおこりには諸説がある。殿様に献上のため雉(きじ)肉を加えたのが「きじめん」で、かわりに油揚げを用いて名前だけは「きしめん」としたという説、紀州の人が作り方を教えたので「きしゅうめん」といったのが、「きしめん」に転じたという説などがある。これは平打ちのうどんでひもかわともいう。皮紐(ひも)に似ているなら、「かわひも」というべきであろうが、「ひもかわ」というのはおかしいと、江戸の作家柳亭種彦(りゅうていたねひこ)はその随筆集『用捨箱』のなかで論じており、愛知県刈谷市芋川(いもかわ)のうどんの意であろうとの説も取り上げている。
群馬県前橋地方には「切り込み」という郷土料理がある。この地方の地粉が優秀なので、秋から冬にかけてよくつくられる。小麦粉に水を加えてこね、よく延ばし、できるだけ薄くして幅1センチメートルの短冊形に切る。これは一種のうどんである。まず煮干しのだし汁を調味し、その中にサトイモ、ダイコン、インゲン、ネギ、油揚げなどを入れて煮、うどんを加え、さっと煮てから火から下ろし、蒸らして食べる。山梨県の「うどん飯」は、うどんを煮込んでその中に飯を加えたもので、この地方の味は格別である。武田(たけだ)汁の名前のうどん料理も山梨県のものだが、これは「ほうとう」の名のほうが一般に知られている。岐阜県の郷土料理の「煮ごみ」は煮込みの意である。煮だし汁に赤みそ、手打ち生うどん、鶏肉、油揚げを入れて弱火で煮込み、下ろすときにネギを加える。この料理には土鍋(どなべ)を用いるとよい。大阪の「うどんすき」は、うどんと具を煮ながら食べる鍋物の一つで、その名は美々卯(みみう)という業者が所有しているが、これに類したものはあちこちでつくられている。また大阪の「素うどん」は、何も種(たね)を加えないでうどんの美味を味わおうというものである。関東の「鍋焼きうどん」も有名で、全国に行き渡っている。関東の「力うどん」、関西では「かちんうどん」と称して、かけうどんに餅(もち)を加えたものも人気がある。うどんを製するとき食塩が必要とされるのは、小麦粉中のタンパク質よりグルテンを形成する際、食塩が粘性を高めるからである。つまり麺の切断を防止するのに役だつ。 [ 執筆者:河野友美・多田鉄之助 ]
★うどん - Wikipedia   http://p.tl/I9RH
★饂飩【うどん】デジタル大辞泉 うんどん【饂飩】
「うどん(饂飩)」に同じ。「―か、ぬるむぎ、あつむぎ、ひやむぎ、きりむぎ、まんぢゅうでもなかったか」〈虎明狂・文蔵〉
《「うんどん」の音変化》小麦粉に少量の塩を加え、水でこね、薄く延ばして細く切ったものをゆでた食品。奈良時代に唐から伝えられたという。切り麦。
小麦粉を塩水で練って薄くのばし,細長く切ったものをゆでた食品。切り麦。うんどん。 〔奈良時代に唐から伝わった 「餛飩(こんとん)」 を温かくして食べた 「うんとん」 に由来するという〕
「茶屋へよりて,打置の-いそがせ /浮・諸艶大鑑4」

★うどん ミュージアム【うどん 博物館】http://udon.mu/
★うどん県。それだけじゃない香川県  http://p.tl/UB5r

★【うどん 】     http://p.tl/B4Nh
毎年7月2日頃に暦の上の「半夏生」が来ますが、この日は「うどんの日」に
なっています。(2000年は7月1日)
これは昔、讃岐の国では半夏生の日に農家の人が、田植えや麦刈りを手伝って
くれた人たちに、その年取れた麦でうどんをつくりふるまったことに由来しま
す。香川県生麺事業協同組合が1980年に制定しました。

★Category:うどん   http://p.tl/gnQm

★どん兵衛(どんべえ)http://p.tl/9rhl
日清食品グループが製造・販売している和風カップ麺・和風チルド麺・和風冷凍麺の各シリーズの名称で、日清食品ホールディングスの登録商標(商標登録番号は第4593511号他)である。正式な商品名は「日清のどん兵衛」(にっしんのどんべえ)。
「どん兵衛」の名前の由来は、「うどん」の「どん」と関西弁の「どん臭い」という言葉の「どん」である。「スマートさからはほど遠いが、ほのぼのとしたあたたかさ、また筋を曲げない頑固さや正直さを表現したネーミング」とされている。
なお、関西弁でいう「どん臭い」は、本来はこのように逆説的に肯定的に捉えられる言葉ではなく、どちらかといえば、人を軽く罵る時に言う言葉である。

★す‐うどん【素×饂×飩】
具の入らない、つゆをかけただけのうどん。主に関西でいい、関東ではかけうどんという。


●靖国神社(やすくにじんじゃ)

2012年09月27日 06時39分28秒 | 色んな情報
●靖国神社(やすくにじんじゃ)
★はてなキーワード > 靖国神社     http://p.tl/019j
國神社は、東京千代田区にある神社。
明治2年(1869年)6月29日 東京招魂社として明治天皇の命により建立。
戊辰戦争(1868年)の明治政府軍の戦没者を祭る為に創立された。そのため怨親平等の思想はない(→鎮霊社)。
明治12年(1879年)に「國神社」(靖国神社)と改称。
1959年に厚生省の祭神名票に基づき最初のA級戦犯を合祀。
1967-78年に昭和殉難者として東条英機ら東京裁判のA級戦犯14人を合祀。
A級戦犯を合祀したことで、1985年の中曽根首相の公式参拝以降、閣僚の参拝がしばしば外交問題となって来た。
境内には、東京都の桜の開花宣言の基準となる標本木がある。
・靖国とは『国家を安泰にする』と言う意味(大辞林)。
・欧米のマスコミは靖国神社をwar shrineと称している。
・旧社格   別格官幣社
・御祭神   嘉永六年(1853年)以降の「国事殉難者」。(戦死者246万餘名の「護国の英霊」他)
・御利益   軍神、英霊鎮護、国家鎮護
★はてなキーワード > 「靖國で会おう」
かつては国のために死んだ兵は神となって靖國神社に祀られる
だから彼らは「靖國で会おう」と言って死んでいった
★靖国神社(やすくにじんじゃ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
東京都千代田区九段北に鎮座。1869年(明治2)戊辰(ぼしん)戦争の戦没者を招魂鎮斎するために、明治新政府により創祀(そうし)された「東京招魂社」がおこり。のち各府藩県で設けられていた地方の招魂社が廃藩置県以後、国家的な統制を受けるに伴い、中央の招魂社としての東京招魂社も正式な神社として整備が進められ、79年には靖国神社と改称、別格官幣社に列格した。陸・海軍両者の所管になるが、その管理は創建の由来からおもに陸軍省があたった。別格官幣社の制は72年に始まるが、国家的な功績のあった人を祭神とすることを特色とした。当社の祭神はその後、53年(嘉永6)以降の国内の戦乱、また対外戦争である日清(にっしん)戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争などの戦没者(軍人、民間人ほか)を合祀し、現在約246万人(女性祭神約6万人)。例大祭(4月22日、10月18日)には天皇からの勅使が遣わされ、またその前夜には祭神としての合祀祭が行われる慣例である。国家との関係は、戦後は全面的に断たれたが、「靖国神社問題」として国家護持、首相の公式参拝、A級戦犯合祀問題など、神社の歴史的性格と国家、政府との関係をどう扱うか、未解決のままである。 [ 執筆者:牟禮 仁 ]
★靖国神社 - Wikipedia   http://p.tl/4d9n
昭和21年(1946年)に国の管理を離れて東京都知事の認証により単立宗教法人となっ たが、国家との関係を廻る所謂「靖国神社問題」を惹起する存在ともなっている。なお、 単立宗教法人(単立神社)であるために神社本庁との包括関係には属していない。
★靖国神社問題 - Wikipedia http://p.tl/CeUF
靖国神社問題(やすくにじ んじゃもんだい)は、靖国神社(本来の表記は靖國神社)をめぐってしばしば議論の対象 となる各種の問題を指す。日本のマスメディアでは「靖国問題」と略称す...
★靖国神社 QandA      http://p.tl/PRV1
現在、靖国神社は「戦争犠牲者を悼むための場所」と誤解している人も多いようです。 しかし二義的にそのような目的も存在しうるでしょうが、本質としては「国家による戦争で 戦死した軍人を、国家の英雄として祭祀すること」が主たる目的となっています。
★靖国神社         http://p.tl/8Sls
社会勉強なら、生きた知識の得られる所に行くべきじゃないかしら? わたしが新大久保 のコリアタウンにでも連れてってあげようか。 きな子, でも~。神社に行った後、テレビ局 の見学する予定になってるから。
★靖国神社問題 関連資料   http://p.tl/LSWL
靖国を視る目 - 日本、そして世界 - 大阪高裁違憲 判決に対する新聞各紙の社説 (05/10/01) 05年 小泉首相参拝翌日の新聞各紙の社説
★遊就館 - 靖国神社     http://p.tl/V05n
明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦没した軍人らを祀る神社。
★靖国神社に思う      http://p.tl/y7Gr
靖国神社はもちろん国家神道の中の一つの神社としての位置づけをもつわけ ですが、この神社は他の神社と違った特別な性格をもっています。
★梅の名所 靖国神社     http://p.tl/x2bC
靖国神社本殿の南側靖国通りに近いところに紅梅・白梅が数株あります。 1月から3月 にかけて早咲きの梅、遅咲きの梅、次々と開花し開花していきます。
★靖国神社 - Ne 九段地区  http://p.tl/llAG
靖国神社絵図. 明治2年(1869年)東京招魂社として建立、明治12年靖国神社と改称 明治維新時の官軍の霊から第2次世界大戦の戦没者250万人がまつられています。
★靖国神社清掃奉仕有志の会 http://p.tl/2ri8
護國の英霊に感謝の気持ちを伝えたい.
★靖国神社         http://www.yasukuni.or.jp/
明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦歿した軍人らを祀る神社。
★全国護国神社一覧|靖国神社について|靖国神社    http://p.tl/Q0tc
★みたままつり|祭事のご案内|靖国神社    http://p.tl/q8QX
日本古来の盆行事に因み昭和22年に始まった「みたままつり」は、今日、東京の夏の風物詩として親しまれ、毎年30万人の参拝者で賑わいます。
★靖国神社青空骨董市    http://p.tl/ALJ3
靖国神社では、毎月毎週日曜日に外苑参道にて 「 靖国神社青空骨董市」が開催されている。
★遊就館 ~靖国神社    http://p.tl/vPDd
靖国神社付属の遊就館(ゆうしゅうかん)には日本の長い歴史の紹介とともに主に第2次 大戦で使われた兵器や戦争からみの器材、資料が多く展示されています。特に歴史 紹介はビジュアル面で凝っていて分かり易くできています。
★外務省: 靖国神社参拝について   http://p.tl/P7Tk
★靖国神社 - レッツエンジョイ東京 http://p.tl/B037
靖國神社の詳細情報、地図、路線&徒歩ルートの他、クチコミ、周辺のおすすめスポット 、レストランなど。
★― 日々、靖国神社参拝 ―     http://kzz.jp/  2012年09月26日19:00. カテゴリ. 安倍新総裁誕生
2012年は激動の年であります
★靖国神社情報   http://p.tl/Ftrf
靖国神社に関する、あらゆる情報を、まとめています。
★靖国神社で聞いた冷静な声 - Japan Real Time - jp.WSJ.com   http://p.tl/XjCx
★靖國神社崇敬奉賛会(靖国神社崇敬奉賛会、やすくにじんじゃすうけいほうさんかい)http://p.tl/lAex
★靖国神社法案(やすくにじんじゃほうあん)http://p.tl/coNL
★みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会 - Wikipedia http://p.tl/ga9E 2012年(平成24年)55人+81議員
★カテゴリ「靖国神社問題」にあるページ   http://p.tl/q-w2
★台湾団結連盟靖国神社参拝事件 - Wikipedia http://p.tl/1y7D
2005年4月4日に台湾の政党の一つである台湾団結連盟主席の蘇進強ら10 人が東京九段下の靖国神社を参拝したことで発生した台湾の政治問題。
★靖国神社清掃奉仕有志の会 - Wikipedia   http://p.tl/Igwe
★政治化する靖国神社     http://p.tl/pFCQ
首相の参拝問題で揺れてる靖国神社ですが、『靖国』という本によれば、実はここって、 その昔は“超ハイカラな東京名所”だったそうです。そんな靖国の観光ツアーに出かけよう !
★九段下・靖国神社      http://p.tl/i3QH
例年、政府閣僚の公式参拝で話題になる靖国神社は、明治二年(1869)明治政府が 幕末から戊辰戦争にかけての犠牲者を慰霊するために招魂社を九段坂上の火除地三 番丁原に設けたのが始まりである。明治十二年(1879)靖国神社と改称された。
★東京都靖国神社 - 玄松子の記憶   http://p.tl/WdOS
★玄松子の記憶 日本の歴史・風土・民俗の結晶、神社   http://www.genbu.net/
★靖国神社参拝問題    http://p.tl/0UNm
靖国神社に神として祀られて(まつられて)いるのは、日本と天皇のために戦って戦死 した軍人の霊です。戦死した軍人の名簿を靖国神社に登録し、彼らの勇敢さをたたえ、 その魂を神として祀ることであの世からも日本を守ってもらうことを願うという性質を持っ た ...
★靖国神社 ~占領下の知られざる攻防~ http://p.tl/TE8l
60年前、靖国神社の廃止をめぐる日米の激しい攻防は、今に何を伝えるのか。占領下の知られざる記録である。
★図録靖国神社戦争別合祀者数      http://p.tl/LZuB
★靖国神社、訪れたのは2005年6月12日です。http://p.tl/4oVX
★四 靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑   http://p.tl/Dh_G
★靖国神社における人間観察 (3) 終戦記念日  
靖国神社の一年で最も熱い一日。それが8月15日の終戦記念日である。

●天使(てんし)●悪魔(あくま)

2012年09月26日 18時35分52秒 | 色んな情報
●天使(てんし)●悪魔(あくま)
★はてなキーワード > 天使    http://p.tl/dWw7
主にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ゾロアスター教などにおける神の使い、天の使いとされる存在の総称。Angel。
天使には清らか・優しさ・慈愛・無垢・聖性・潔癖・純白など、善性を象徴するものとしての意味が与えられている事が多い。
実際には殺戮天使カマエルの様な神性も存在する。サタンも元々は天使であった。
★天使(てんし) [ 日本大百科全書(小学館) ] .http://p.tl/5FCm
angel [英語]
ange [フランス語]
Engel [ドイツ語]
神に仕え、神と人間とを仲介し、人間の守護にあたることもある霊的存在。英語のエンジェルangelの語源となったギリシア語のggelosは使者の意味。ペルシアの宗教に始まり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に入った。動物が神の使いを果たす例は諸宗教にもみいだされるが、神と人間との中間的な存在として天使の観念が発達するのは、前記の宗教のように神と人との断絶性が強い宗教の場合である。天使は、神の意志を伝える役割を果たすものの、人間にかならずしも好意的とは限らず、神に反逆し人間に悪事を働く天使もいて、これが、いわゆる悪魔になる。
[ 執筆者:鈴木範久 ]
★天使 - Wikipedia   http://p.tl/t8ci
天使(てんし)は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典や伝承に登場する神の使い である。以下、しばしばアブラハムの宗教と呼ばれ、比較宗教論の宗教分類で並置され るこの3宗教の天使について叙述する。
★天使の一覧 - Wikipedia   http://p.tl/OmQU
ここで挙げる天使(神使、御使い・み使い(み-つか-い)などとも)とは、比較宗教学のアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の聖典や伝承に登場する神の使いのことである。
★ガブリエル、ミカエルなど15体の大天使について説明   http://iriseangel.exblog.jp/
★天使-Angel - Nifty     http://p.tl/FUnP
★堕天使小辞典        http://p.tl/cWYp   西洋人は昔から敵を作りたいようだ
★天使とは (テンシとは) [単語記事] - ニコニコ大百科   http://p.tl/7-uC
現代の天使の印象像としては背中から生えた2枚の羽と頭上に光る天使の輪が特徴。 また、裸の子供の姿で描かれることも多い。これらの印象はギリシア・ローマ神話など から大きな影響を受けたものである。
★堕天使 - Wikipedia     http://p.tl/lY6N
堕天使(だてんし)とは、主なる神の被造物でありながら、高慢や嫉妬がために神に反逆 し、罰せられて天界を追放された天使、自由意志をもって堕落し、神から離反した天使で ある。 キリスト教の教理では悪魔は堕落した天使であるとされる。
★大天使 - Wikipedia   http://p.tl/-350
★熾天使(してんし) - Wikipedia   http://p.tl/FFPx
★智天使(ちてんし) - Wikipedia   http://p.tl/KmAK
★薄明光線(はくめいこうせん) 「天使のはしご」 http://p.tl/UVO_
・天使の梯子、天使のはしご(てんしのはしご、Angel's Ladder)
・天使の階段(Angel's stairs, Angel's stairway)
・ヤコブの梯子、ヤコブのはしご(Jacob's Ladder)
・レンブラント光線
・また、単に光芒と呼ぶこともある。
ヤコブの梯子、天使の梯子という名称は、旧約聖書創世記28章12節に由来する。この記述では、ヤコブが夢の中で、雲の切れ間から差す光のような梯子が天から地上に伸び、そこを天使が上り下りしている光景を見たとされる。このことからやがて自然現象もそのように呼ばれるようになった。
★天使の取り分 - Wikipedia    http://p.tl/kDxU
天使の取り分(てんしのとりぶん、天使の分け前とも呼ぶ。英: Angel's share)とは、 ワインやブランデー、ウィスキーなど、その製造工程で熟成を要する酒類において、「 熟成中に水分・アルコール分が蒸発し、最終的な製造量が目減りする」こと。
★守護天使 - Wikipedia      http://p.tl/x2GL
守護天使(しゅごてんし)とは一人一人についていて守り導く天使のこと。正教会など キリスト教のある教派で信じられている。日本ハリストス正教会では守護神使ともいう。 キリスト教においては、記録天使の役割も守護天使が担うとされる。
★主天使 - Wikipedia   http://p.tl/xYpt
主天使(しゅてんし、ドミニオンズ(Dominions) またはキュリオテテス)は、神学に基づく天使のヒエラルキーにおいて、第四位に数えられる天使の総称。
名は「統治」「支配」の意。
神の威光を知らしめるため、様々な働きを担うとされる。また、そのシンボルは笏である。
ザドキエル(Zadkiel)やハシュマル(Hashmal)に率いられているとされる。


★はてなキーワード > サタン
「敵」を意味するヘブライ語。一般的には悪魔。
ルシファーが堕天した後の名前だとされるが、聖書にルシファーという名前の悪魔はいないという話しも。*1
ヨブ記においては神の命令でヨブを苦しめたりもしており、一概に神と対立する存在であったかどうかは疑問とする考えもある。
*1:旧約聖書『イザヤ書』14章12節~14節における記述を誤読した結果。聖書中に、ルシファーという名前の悪魔は登場していない。
★サタン(さたん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .Satan
『旧約聖書』では、もと「敵対する者」を表す普通名詞であったが、のち超自然的存在として神に敵対する者、すなわち悪魔を表す固有名詞となった。「ヨブ記」におけるサタンは、人の罪を神に訴え、人とさらに間接的には神に敵対する霊的存在である。「創世記」3章では、サタンは蛇として、エバを誘惑して神の命令に背かせる。『新約聖書』では、イエスを試み(「マタイ伝福音書(ふくいんしょ)」4章1~11)、ユダの心に入ってイエスを裏切らせ(「ルカ伝福音書」22章3)、パウロの伝道を妨害し(「テサロニケ書」2章18)、絶えず人を神から離反させようとする(「ペテロ書」5章8)。聖書では、サタンは神と二元的に対立するものではなく、神の制約下にあり、最後にはキリストに滅ぼされる存在として扱われている(「ヨハネ黙示録」20章1~10)。 [ 執筆者:野口 誠 ]
★悪魔(あくま) [ 日本大百科全書(小学館) ] .   http://p.tl/qV5j
われわれが普通、悪魔という場合、西洋のデビルdevilをさすことが多いが、日本語の「悪魔」および「魔」という語は本来仏教語で、修道の障害をなす悪霊(あくりょう)、善事に災いをもたらす悪神であるサンスクリット語マーラMraに由来するとされる。それは瞑想(めいそう)中の僧を妨害し、騒音をたてたり、しばしば野生の鳥や獣に変装して、人々を脅かす。こうした悪魔・悪霊信仰は仏教の本質的要素とはいえないが、仏教の興隆時、古代インドではかなり広く普及していたと思われ、初期仏典にも登場している。
★サタン - Wikipedia     http://p.tl/GBkQ
★悪魔 - Wikipedia      http://p.tl/NgVd
悪魔(あくま)は、特定の宗教文化に根ざした悪しき超自然的存在や、悪を象徴する超越的存在をあらわす言葉である。
漢語の「悪魔」は本来、漢訳仏典に由来する仏教語であるが、現代日本語では西洋の サタン、デビル、デーモンの訳語としても用いられている。
★日本語の悪魔        http://p.tl/YNVo
★悪魔の一覧 - Wikipedia   http://p.tl/52Zt
★悪魔 (タロット) - Wikipedia http://p.tl/HNzd
悪魔の名が示す通り、誘惑の象徴として解釈が行われる。ウェイト版に描かれる悪魔は バフォメットがモチーフとされ、その悪魔に拘束される男女が描かれている。
★悪魔辞典/目次       http://p.tl/N7Ha
★キリスト教の世界      http://p.tl/7Fnw
★悪魔払い - Wikipedia    http://p.tl/t7Wx
悪魔払い(あくまばらい、あくまはらい、悪魔祓い、悪魔払)は、宗教、民俗信仰において 、祈祷・儀式などによって悪魔・悪霊、悪神、魔神、偽りの神を追い払うこと、またその 祈祷・儀式・行事である。
★『悪魔くん』(あくまくん)http://p.tl/rIwj
水木しげる著の漫画および、それを原作として作成された特撮テレビドラマ、テレビアニメ、並びにこれらの作品の主人公のニックネーム。
★悪魔の辞典 - Wikipedia  http://p.tl/dw41
『悪魔の辞典』(あくまのじてん, The Devil's Dictionary)は、1911年にアメリカ合衆国で発表された書籍。アンブローズ・ビアス著。ふつうの辞典の体裁をもってさまざまな単語に再定義を行ったものだが、その定義が痛烈な皮肉やブラックユーモアに満ち溢れ、通常の辞書とは一線を画している。
★悪魔学(あくまがく、Demonology)http://p.tl/FWcP
キリスト教・ユダヤ教・ゾロアスター教・イスラム教などの悪魔に関する体系的な記述の総称である。魔神学、鬼神学、鬼神論ともいう。
★悪魔憑き(あくまつき)http://p.tl/Zwoz
憑依の一種で、心身を悪魔に乗っとられたかのごとく周囲に害悪を及ぼす行動、またはそのような行動をとる人のこと。
悪魔憑きの者は、凶暴に振る舞い、邪魔な人を滅ぼしたり呪い、本来その人が決してしないような行動を取ったり、周囲の人にも同様の行動を取るよう仕向けたりし、その結果周囲の人々との良好な関係が破綻したりその人の魂が破滅に陥る(自殺など)といわれる。また、悪魔憑きの周囲では、自然・動物も異変を来たすともされる。

★2012年9月11日【 9.11同時多発 偽装"自作自演"テロ事件 】から11年...http://p.tl/SXxu

●維摩経(ゆいまぎょう)●維摩居士(ゆいまこじ) 釈迦の在家弟子

2012年09月26日 14時32分05秒 | 色んな情報
●維摩経(ゆいまぎょう)●維摩居士(ゆいまこじ) 釈迦の在家弟子
★維摩居士(ゆいまこじ)http://p.tl/JV_Y
(Skt:Vimala-kiirti、ヴィマラ・キールティー、音写:毘摩羅詰、維摩詰、漢訳:浄名(旧訳)、無垢称(新訳)、生没年未詳)は、古代インドの商人で、釈迦の在家の弟子(居士とは在家の弟子のこと)。
古代インド毘舎離城(ヴァイシャリー)の富豪で、釈迦の在家弟子となったという。もと前世は妙喜国に在していたが 化生して、その身を在俗に委し、大乗仏教の奥義に達したと伝えられ釈迦の教化を輔(たす)けた。無生忍という境地を得た法身の大居士といわれる
★維摩経(ゆいまぎょう) - Wikipedia  http://p.tl/QIN4 別名『不可思議解脱経』(ふかしぎげだつきょう)
内容は中インド・バイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)にまつわる物語である。 維摩が病気[2]になったので、釈迦が舎利弗・目連・迦葉などの弟子達や、弥勒菩薩などの菩薩にも見舞いを命じた。しかし、みな以前に維摩にやりこめられているため、誰も理由を述べて行こうとしない。そこで、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示した。

★居士(こじ)http://p.tl/CsHH
1.仕官せず野にある男子の読書人(士)。漢籍で用いられる語。
2.出家をせずに家庭において修行を行う仏教の信者。またそこから転じて戒名の末尾につける敬称・尊称ともなった。
居士の語源は「(家に)居(を)る士」であり、仕官をしない読書人の意である。「処士」に同じ。古く『礼記』玉藻篇に「士」(仕官した人)と対比して「士練帶率下辟,居士錦帶」と見える。後にこれが転じて、出家せず、家にあって修行を重ねる仏教者の意味で用いられるようになった。普通の信者と異なる点は、仏教学の知識・実践において僧侶に準ずる、或いは匹敵する程の力量を持っている事である。転義での用例は、『維摩経』に「維摩詰、居家学道、号称維摩居士」(維摩詰は在家のままで仏道を学んだ。そこで維摩居士と称された)とあるのが古い。実在の人物として確認が出来る者としては、はやく『南史』に虞寄が「居士となった」という記述が見える(虞寄伝)。

★戒名(かいみょう)http://p.tl/Doxs
仏教において受戒した者に与えられる名前である。仏門に入った証であり、戒律を守るしるしとして与えられる。
上座部仏教と大乗仏教の両方で行われており、多くの場合、出家修道者に対して授戒の師僧によって与えられる。上座部では出家後に南伝仏典に残る阿羅漢に変名するため、その意味で「法名」と呼ぶ。
また、仏弟子として新たに身につける真の名前という意義から「法諱」(ほうい、ほうき)[1]ともいった。
また日本においては、死生観の変化により死後に成仏するという思想のもと、故人に戒名を授ける風習が生れた。(「成仏#日本文化のなかでの「成仏」」を参照。)死後の戒名は、特に日本において盛んに行われている。
・戒名を用いない宗旨
  浄土真宗では、「法名」が正式な名称である。(詳細は、「法名 (浄土真宗)」を参照。)
  日蓮宗系(日蓮正宗を除く)では、「法号」が正式な名称である。
★称号(しょうごう、英語:Title)http://p.tl/-d7C
主に個人または団体の公的な身分や資格、地位などを表す呼び名[1]。
★封号(ほうごう)http://p.tl/IYDh
授封ないし冊封に当たって授与する称号。爵号(しゃくごう)とも。
★信士(しんじ)http://p.tl/pi2W
仏教の戒名(法号)に用いられる称号で、地位や性格を表す位号の1つである。女性の場合は信女(しんにょ)とされる。
位号の中では大居士、居士に準ずるものであり、江戸時代には大名が院殿号・大居士号、上級武士が院号・居士号、下級武士が軒号(庵号・斎号)・信士号、庶民が善男号を贈られることが多かったが、寺によっては下級武士や庶民にも一貫して居士号を贈る例もあり絶対的な条件ではない。但し、何もかも自由というわけではなく当時の幕藩体制では度々、下級身分の者への上位戒名の付与を禁ずる布令が出されており、一定の統制が敷かれていた。現在も院号・居士号が一般的な戒名になってきたとはいえ、信士号も依然顕在である。

★院号(いんごう)http://p.tl/SLMp
下に「院」の字が付く称号である。院(邸宅・寺院)に関係する、もしくは、歴史的には院に関係した。
★諡(し、おくりな)、あるいは諡号(しごう)http://p.tl/ONg1
主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する。

★女院(にょいん/にょういん)http://p.tl/IRNN
三后(太皇太后・皇太后・皇后)や、それに準ずる身位(准后、内親王など)の女性に宣下された称号を指し、平安時代中期から明治維新まで続いた制度である。「院」はすなわち太上天皇、「女院」とはそれに準ずる待遇を受けた女性のことである。上皇に倣って院庁を置き、別当・判官代・主典代その他諸司を任じ、殿上を定め、蔵人を補した。

★『維摩経』ノート   http://p.tl/Kr-f
★超訳【維摩経】目次  http://p.tl/RHfE
★『維摩経』      http://p.tl/3g54
★木造維摩居士坐像(もくぞうゆいまこじざぞう) | 「国宝」「重要文化財」http://p.tl/3KAl

★国訳解説 維摩経入門 http://p.tl/4mrg
★維摩詰所説経 巻上之第一 http://p.tl/8_Re  http://p.tl/0QP2
< は じ め に >
 維摩経は戯曲構成で、大部分が会話形式です。そのために話の流れに乗ることは、理解の上でかなり重要です。初めての方は、先に、現代語訳(背景色が白)の部分のみを読んでください。そうすれば話の流れに、うまく乗ることができ、いっそう理解しやすくなります。
★維摩経‐古寺散策     http://p.tl/H7np

★維摩会【ゆいまえ】世界大百科事典
興福寺において毎年10月10日より7日間,《維摩経》を講説する大会。南都三会の一つ。藤原鎌足が山階陶原(やましなすえはら)の自邸を寺とし,百済尼僧法明のすすめで《維摩経》を読み,658年(斉明4)に元興寺僧福亮を講師として始めたのが最初と伝える。以後久しく断絶し,706年(慶雲3)藤原不比等が再興したが,その後一時中絶。757年(天平宝字1)藤原仲麻呂が祖父鎌足の功績を慶賛するかたわら,学僧の育成と仏法の興隆を計るために再興した。
維摩講。《季 冬》「―にまゐりて俳諧尊者かな/鬼城」

★5「維摩経(ゆいまきょう)」から考えるの巻ー そして、「ガマの油売り」に学ぶ ー http://p.tl/PEyw
★維摩経「土産の法語ー有尽と無尽」http://p.tl/tA-3

●色名●臙脂色(えんじいろ)●茜色(あかねいろ)●一斤染め(いっこんぞめ)

2012年09月26日 11時59分58秒 | 色んな情報
●色名●臙脂色(えんじいろ)●茜色(あかねいろ)●一斤染め(いっこんぞめ)
★えんじ色(臙脂色、えんじいろ)とは濃い紅色のこと。http://p.tl/ckim
名前の由来は中国の紅花の一大産地である「燕支山」にちなみ、本来は紅花染めをこの名で呼んだ。
現在はカメムシ目カイガラムシ上科の一部の昆虫、特にアジア産のラックカイガラムシ、南ヨーロッパのケルメスカイガラムシ、メキシコのコチニールカイガラムシなどの体内色素を浸出させて得るコチニール色素で染めた色をさす。日本には奈良時代に「紫鉱」の名でラックカイガラムシの分泌物が渡来しており正倉院にも薬用として採集された「紫鉱」が保存されている。エンジムシとも呼ばれるこれらのカイガラムシから採集された色素は友禅や紅型の染料として現在も利用される。

★茜色(あかねいろ)http://p.tl/7Pst
薬用・染料植物アカネの根で染めた暗い赤色をさす。夕暮れ時の空の形容などに良く用いる。
アカネを染料として得る色には他に、緋色があるが、こちらは鮮やかな赤色で茜色よりはるかに明るい。やや明るい茜色を英語ではマダー(madder:セイヨウアカネのこと)と呼ぶ。
日本茜が属する茜科には六千種近い種類があり、それぞれ茶色と黄色の染料として使用可能なコーヒーやクチナシもこの科に属する。

★色名一覧(いろめいいちらん、しきめいいちらん)http://p.tl/9UJg
事実上、あらゆる色名を列記するのは不可能である。ここに挙げた色名は、現代の日本で日常的に使われるものを中心としている。諸言語における色名は、各言語版のウィキペディアを参照のこと。

★藍色(あいいろ)http://p.tl/YG5y
色のひとつ。植物である藍に由来する色素を由緒とする色である。インディゴに同じ色。日本の伝統的な色としては、藍のみで染めた色ではなく、藍に少量の黄の染料を加え、緑がからせたものを指す。藍のみで染めた色の伝統的な呼び名は、縹(はなだ。花田と書くことも。)色。
★インディゴ(英: Indigo)http://p.tl/Fdqe
青藍を呈する染料である。また、インディゴはそのままで不溶性であるから、顔料としても用いる(「インディゴ染料」はそのまま「インディゴ顔料」である)。
アメリカ合衆国における主な用途は綿製の服や青いジーンズの染色である。世界中で10億着以上のジーンズがインディゴで青く染められている。また、長年にわたりウール生地を深いネイビーブルーにするため使われてきた。
繊維に強く定着しないため、着古したり洗濯を繰り返すうちに徐々に染料が落ちていく。

★藍玉 (染料)   http://p.tl/PWZY
移動: 案内、 検索 藍玉(あいだま)とは、藍の葉を発酵・熟成させた染料である蒅(すくも)を突き固めて固形化したもの。玉藍とも。
藍の葉を収穫して乾燥させた後、蔵の中で寝かせ、これに水を打って良く湿らせながら上下に撹拌し、約75-90日間発酵させたものを再び乾燥させると、無色の物質であるインジカンが酸化されて青色のインジコへと変化して、その色が濃くなることで黒色の土塊状の物質が出来る。これを蒅(すくも)と呼ぶ。蒅の状態でも染料としては十分使用可能であったが、運搬に不向きであったために後にこれを臼で突き固めて乾燥させて扁円形の小さな塊にすることによって運搬を容易にしたこれが藍玉である。
江戸時代以後、全国各地で流通に便利な藍玉の生産が盛んになったが、特に阿波藩のものは良質として知られ、全国でも屈指の産地として全国的に市場を有した。しかし、明治以後にはインド産の流入や化学染料によって人工的に藍色が出せるようになったこと、更に輸送手段の発達によって蒅の状態での輸送が可能になったことにより、藍玉そのものの生産は衰退していくことになった。

★日本の色の一覧    http://p.tl/16wu
日本語で呼称される様々な色と、その簡単な語源の一覧。色名一覧も参照のこと。

★緋色(あけいろ、ひいろ)http://p.tl/VtXW
スカーレットと緋色(ひいろ)はしばしば同一視される。『緋色の研究』 A Study in Scarlet など、scarletが緋色と訳されることも多い。
緋色は茜の赤色色素プルプリンを高純度に精製した染料の色である。それに対し茜色は、茜を精製せずに使った染料の色で、緋色よりくすんだ赤である。
和訓では「あか」「あけ」とも読み、茜の根の灰汁を原料として作られた。これに対して紫草を重ねて染めた紫褐色を深緋(黒緋)と呼ぶ。また、平安時代には茜に替わって支子の黄色と蘇芳の赤を混ぜて明礬を触媒として作った紅緋色を生み出すことも行われ、後にはこれを緋色と呼ぶようになった。日本では大和朝廷時代より緋が官人の服装の色として用いられ、紫に次ぐ高貴な色と位置づけられた。養老律令衣服令には四位は深緋、五位は浅緋(うすあけ)すなわち緋色の礼服を用いることが定められた。以後、緋色は中級官人の色として知られるようになり多くの文学作品にも登場するようになった。また、武士にも用いられて『平家物語』などの軍記物語には緋の腹巻や緋威(ひおどし)の鎧が登場する。江戸時代には庶民の衣装にも広く用いられた。

★浅葱色(あさぎいろ)http://p.tl/FyUo    葱の葉の色を薄くしたような青緑。
ごく薄い藍色のことである。また、現在は薄い青緑をこう呼ぶこともある。
水色より濃く、花色より薄い。新選組が羽織等で使用。
しばしば淡い黄色の浅黄色(あさぎいろ もしくは あさきいろ)と混同されるが、別の色である。
★ネギ(葱)http://p.tl/QSOt 
学名 Allium fistulosum'は、原産地を中国西部・中央アジアとする植物で日本では食用などに栽培される。クロンキスト体系ではユリ科、APG植物分類体系ではネギ科ネギ属に分類される。

★亜麻色(あまいろ)http://p.tl/_tQZ - 亜麻の繊維の色。
アマの繊維の色。「亜麻色の髪」等、金髪などの形容に用いられる。ただし、辞書によれば「黄みを帯びた茶色」、色の16進法表記によれば下のような色(左は「亜麻色」。右は「エクルベージュ」で、これも「亜麻色」とされる)であり、金髪の色とは少しイメージが異なる。金髪ではなく栗毛の形容に用いられることもある。

★一斤染め(いっこんぞめ)http://p.tl/KLoY - 薄いピンク。赤系統。
一反の布を染めるに当たって、染料のベニバナを一斤しか使わないことから言う。染め上がってもごく淡い紅色にしかならないが、これは高価なベニバナでの染色を朝廷が一部の貴族を除いて許さなかったためである。
また、一斤だけを使うことが許されたので、聴色(ゆるしいろ)という別名もある。
平安文学などでこの色の衣装をまとっているのは、大抵下級の官人と考えてよい。現在では和服の色合い以外ではほとんど使用されない色の名前である。

●【鵜】ウ(う)  ●川鵜  ●海鵜

2012年09月26日 11時13分35秒 | 色んな情報
●【鵜】ウ(う)  ●川鵜  ●海鵜
★ウ(う) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
【鵜】cormorant
鳥綱ペリカン目ウ科に属する海鳥の総称。同科Phalacrocoracidaeの鳥は、全長48~101センチメートル、中形ないし大形で、世界各地の沿岸や内陸湖沼、大きな水系にすみ、潜水して魚類や甲殻類、両生類などをとらえて食べる。体は全身暗黒色で、緑や青色の金属光沢のあるものが多く、南半球には胸や腹が白または灰色のものがいる。頸(くび)と体は長く、尾もくさび形で長い。翼は広く大きい。嘴(くちばし)は細めで長く、先は鉤(かぎ)状に曲がり鋭い。目の周りの裸出部や足は鮮やかな明るい色であることが多い。雌雄同色で、若鳥は全体にくすんだ暗褐色である。繁殖期に頭部に冠羽や白斑(はくはん)が出るものもある。 [ 執筆者:長谷川博 ]
★ウ科(ウか、Phalacrocoracidae)http://p.tl/M9Au
鳥類カツオドリ目に属する科である。ウ(鵜)と総称される。別名はシャグ(英: Shag)。
ウ属 Phalacrocorax のみを置くこともあるが、複数属に分割することも多い。
★カワウ - Wikipedia   http://p.tl/amSU
カワウ(河鵜、川鵜、学名:Phalacrocorax carbo)は、ペリカン目(Sibley分類では コウノトリ目に属する)、ウ科に分類される鳥類の一種。名前の由来は文字通り「川」に 生息する「鵜」である。

★鵜ノ巣断崖 - Wikipedia   http://p.tl/t3iB
岩手県下閉伊郡田野畑村にある海岸景勝地。太平洋に沿って標高200mにも及ぶ大規模な断崖絶壁となっており、太平洋に突き出したような地形が特色。名の由来は中腹にウミウ及びカワウの営巣地があることに因み、鵜ノ巣断崖と名付けられたとされる。三陸海岸北部を代表する景勝地の一つで、陸中海岸国立公園に属する。

★鵜飼い - Wikipedia     http://p.tl/2xt4
鵜飼い・鵜飼・鵜養(うかい)は、鵜(ウ)を使ってアユなどを獲る漁法のひとつ。

★鵜渡根島 - Wikipedia    http://p.tl/MGRO
鵜渡根島(うどねしま)とは伊豆諸島の利島と新島の間に位置する島である。 ... この島 は今では無人島であるが、明治時代には養蚕を営む人が住んでいたので、島には今も 神社があり、そこに祭られている神鵜渡根后明神がこの島の由来にもなっている。

★鵜来島 - Wikipedia     http://p.tl/YnbC
鵜来島(うぐるしま)は太平洋上、高知県宿毛市の沖合にある島。 ... 休校中の鵜来島小 中学校はコミュニティセンターとして活用されている。 ... 鵜来島には大砲などが整えられ 着々と本土決戦の準備が進み昭和20年8月には全島民に強制疎開命令が出る。

★ウミウ - Wikipedia     http://p.tl/yiLB
ウミウ(海鵜、Phalacrocorax capillatus)は、ペリカン目ウ科ウ属に分類される鳥類。

★鵜塚 - Wikipedia      http://p.tl/lVPz
鵜塚(うづか)は、岐阜県岐阜市にある長良川鵜飼の鵜を供養するための慰霊碑である 。 鵜匠による鵜の供養自体は百数十年前より行われていたが、1983年(昭和58年)10 月16日に鵜飼関係者の浄財により長良宮口町に塚が建立された。

★ウミウ(海鵜) | 野鳥辞典   http://p.tl/EGWm
★鵜のまねをする烏|ことわざ諺百科 http://p.tl/uT2m

★鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)(山幸(やまさち))と豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)の間に生まれた子で、神武(じんむ)天皇の父(すなわち、日向三代の神の3代目)にあたる。この神の名は、豊玉毘売命が、海神の国から地上の国にやってきて、海岸のなぎさにつくられた鵜(う)の羽を葺草(かや)にした産室の屋根を葺(ふ)き終わらないうちに出産したことからつけられた。八尋(やひろ)の鰐(わに)になって出産しているところを彦火火出見命に見られたために、豊玉毘売命は海神の国へ帰った(『古事記』)。海神の娘が海岸で出産し、生まれた子が皇室の祖神となるというのは、海上漂着型の始祖神話の典型といえよう。なお、この神は海童神である。
[ 執筆者:守屋俊彦 ]

★鵜渡根島(うどねじま) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
東京都、伊豆(いず)諸島の利島(としま)の南約4キロメートル、新島(にいじま)との間にある無人島。新島の属島。新島村に属する。流紋岩系統の溶岩と火山灰などからなっている火山島であるが、噴火の記録はない。面積約0.3平方キロメートル。最高地点は209メートル。長さ約1.5キロメートル、幅約400メートル。周囲(約3.3キロメートル)は海食崖(がい)で囲まれている。この島は、直径2~3キロメートルの海底噴火口の北縁の一部と考えられている。近くにオタイ根、フヅシ根などの岩礁もあり、付近はイセエビの漁場となっている。事代主命(ことしろぬしのみこと)の一族神、鵜渡根后(きさき)明神が祀(まつ)られていることからこの名がある。 [ 執筆者:菊池万雄 ]

★鵜祭(うまつり) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
石川県羽咋(はくい)市の気多(けた)神社で12月16日に行われる祭り。明治以前は11月の中の午(うま)の日であった。七尾(ななお)市鵜浦(うのうら)の鹿渡島(かどしま)という村落から、鵜捕部(うとりべ)の系譜を引く人々が、当番として3戸があたり鵜を献上する。とらえた鵜は鵜籠(うかご)に入れられて神饌所(しんせんしょ)に置かれ、当日午前3時から祭事が執り行われる。祝詞(のりと)奏上、寝覚めの神楽(かぐら)の小太鼓ののち、神官と鵜捕部との間に問答が交わされる。そして鵜捕部が神前で鵜を放ち、本殿内の案(つくえ)(神前の机のこと)の上に止まったとき、すばやく神官が2人して斎柴(いみしば)でこれを押さえる。とらえた鵜を下にいる神官に渡すと、渡された神官は抱いて拝殿の外へ出、一ノ宮海岸でこれを放ち、後ろを見ずに戻る。もし鵜が内陣に入らぬときは、清めの祓(はらい)と清めの神楽を行う。鵜の鳥の色が白か黒か、あるいは案に止まる・止まらぬで豊凶を占う風習がある。 [ 執筆者:萩原秀三郎 ]

★カワウ(かわう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
【河鵜】common cormorant
[学名:Phalacrocorax carbo]
鳥綱ペリカン目ウ科の鳥。全身黒褐色、全長91センチメートル、翼開長1.5メートルに達する大形の海鳥で、潜水して魚類をとらえる。北大西洋、オセアニアの亜種は沿海性で、ユーラシア温帯域のものは内陸湖沼、内湾性である。日本では内湾埋立てによって近年急速に数が減った。 [ 執筆者:長谷川博 ]

★チシマウガラス(ちしまうがらす) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
【千島鵜烏】red-faced cormorant
[学名:Phalacrocorax urile]
鳥綱ペリカン目ウ科の海鳥。全長84センチメートルの大形種。ベーリング海、オホーツク海沿岸域にすみ、島や海岸の断崖(だんがい)で営巣。繁殖期には頭部の裸出部が赤くなり、二つの冠羽が出る。 [ 執筆者:長谷川博 ]

★ヒメウ(ひめう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
【姫鵜】pelagic cormorant
[学名:Phalacrocorax pelagicus]
鳥綱ペリカン目ウ科の海鳥。全長約68センチメートルの大形種。北太平洋北部沿岸域に広く分布し、島や海岸の断崖(だんがい)の棚に営巣して、冬季にはいくらか南に移動する。潜水して魚類をとらえる。 [ 執筆者:長谷川博 ]

★ヘビウ(へびう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
【蛇鵜】darter、anhinga
鳥綱ペリカン目ヘビウ科に属する水鳥の総称。この科Anhingidaeの仲間は、全長約86~91センチ、大形で体は細長く、黒色または暗褐色、尾は硬く長い。翼は細く先がとがり、短く水かきのある足は最後部につく。嘴(くちばし)は細く鋭くとがり、頸(くび)は細く非常に長い。潜水してそっと魚に近づき、嘴で突き刺してとらえる。体をほとんど水中に沈め、曲がった細長い頸を出して泳ぐ姿がヘビに似ているのが名の由来である。世界の暖帯・熱帯の内陸湖沼や河川にすむ。サギ・ウ類などの水鳥とともに水辺の樹上や地上で集団をなして営巣する。アフリカヘビウAnhinga rufa、アジアヘビウA. melanogaster、オーストラリアヘビウA. novaehollandiae、アメリカヘビウA. anhingaの4種が知られるが、分類の取扱いは人によって異なる。 [ 執筆者:長谷川博 ]

★鵜飼(うかい) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
能の曲目。五番目物。五流現行曲。原作は榎並(えなみ)五郎、世阿弥(ぜあみ)改作。行脚(あんぎゃ)の僧(ワキ)が石和(いさわ)川のほとりで宿を借りようとするが、土地の者(アイ)に禁制だと断られる。川辺のお堂に泊まると、鵜使いの老人(前シテ)が現れ、密漁のため殺された亡者だと明かし、罪業消滅にと鵜飼のさまを見せて消える。鵜ノ段とよばれる鮮烈な演じどころである。後シテは閻魔(えんま)大王で、僧の法華経(ほけきょう)による回向の功徳により、亡者を極楽に送ることになったと豪快な所作で終わる。法華経礼賛能である。小見(こべしみ)という力感に満ちた面をかけるが、これは世阿弥がこの能に使い始めたものと『申楽談儀(さるがくだんぎ)』に記載がある。 [ 執筆者:増田正造 ]

●山師(やまし)

2012年09月26日 09時57分30秒 | 色んな情報
●山師(やまし)
★はてなキーワード > 山師
鉱山の発掘や鉱脈の発見すること仕事としている人。鉱山技師。転じて、鉱脈を発見する仕事が一山当てて一攫千金を目指すような要素が強いことから投機的な事業で金儲けをたくらむ人や儲け話を持ちかけて他人をだます詐欺師を指す言葉として用いられるようになった。
★山師(やまし) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
本項では鉱山経営者としての山師について述べる。山師は、鉱山の経営いっさいを支配統轄した。山師の下には、金子(かなこ)(坑内の掘り場の責任者)、大工(採鉱係)、手子(てこ)(運搬夫、掘り子ともいい、女、子供があたった)、樋大工(排水樋の製作にあたる)、樋引き(排水係)、山留め(支柱係)などがいて鉱山の生産に携わった。
鉱山業は近世になってから大いに発展し、測量・採鉱・選鉱・精錬などの鉱山技術者、熟練労働者の専業化が進んだが、そのなかから指導力、経営力のある者が、山師となって他を率いるようになったのである。徳川家康は、江戸幕府の財政を確立するために鉱山を重視し、「山例(さんれい)五十三箇条」を定めて山師に特権を与えた。そのため鉱山の構内は一種の治外法権が認められ、殺人者が鉱山に逃げ込んでも役人に渡さなくてもよいことになっていた。19世紀初期の鉱山経営技術者である佐藤信淵(のぶひろ)は『坑道法律』のなかで、「……山内のことは山主の心次第なるものなれば、山主たる者は智慮(ちりょ)深く、外貌(がいぼう)は甚だ愚にして、行状は放蕩(ほうとう)に見えて、内心甚だ倹素に厚く施すことを好みて諸勘定極めて高く、勇豪にして甚だ涙軟(もろ)く……」と山師の心得を述べている。 [ 執筆者:黒岩俊郎 ]
★山師(やまし)ウィキペディア
・職業としての山師は鉱山技師を参照。
・人柄を形容する山師
・詐欺師としての山師は詐欺を参照。
・投機的な事業で金儲けを企てる者。
山師の玄関ということわざも存在する。
★詐欺 - Wikipedia   http://p.tl/H3sr
詐欺(さぎ)とは、他人をだまして、金品を奪ったり損害を与えたりすること。
山師とは本来は鉱物資源や水資源などを産出する山岳を探し出し、莫大な利益を得る ことに賭ける事を生業にする者。
★詐欺師   http://p.tl/s5B3
★山師の玄関【ヤマシノゲンカン】デジタル大辞泉
《山師は玄関を特にりっぱにするところから》外観ばかりがりっぱなこと。
〔山師が玄関を特に立派にすることから〕 みかけばかり立派なたとえ。こけおどし。
★林業(りんぎょう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .   http://p.tl/IKYz
forestry [英語]
Forstwirtschaft [ドイツ語]
conomie forestire [フランス語]
一般に林業とは、広義には森林を維持造成し、その主産物および副産物を生産・販売するまでの経済行為をいう。狭義には、森林の維持造成から木材の生産・販売までを林業とし、キノコや山菜の採取・栽培・販売などは特用林産として区分する。また、近年における地球規模の環境問題の発現とともに、これまでの経済行為に加えて、森林のもつ国土保全・水資源保持などの公益的機能が注視され、そうした側面の維持造成も林業の重要な行為と認識されつつある。 [ 執筆者:山岸清隆 ]

★石見銀山(いわみぎんざん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
戦国期から江戸中期にかけての代表的銀山。石見国邇摩(にま)郡大森(島根県大田(おおだ)市大森町)にあり、近世の金銀山開発の先駆をなした。14世紀初めに発見されたと伝えられるが、16世紀前半から本格化し、1533年(天文2)神谷寿禎(かみやじゅてい)が博多(はかた)から吹大工(ふきだいく)(製錬工)を伴い、銀の製錬に成功した。以後、大内(おおうち)、小笠原(おがさわら)、尼子(あまご)、毛利(もうり)氏らの銀山争奪戦が反復されたが、1600年(慶長5)関ヶ原の戦い後は徳川氏が支配し、代官頭(だいかんがしら)大久保石見守長安(いわみのかみながやす)の奉行(ぶぎょう)時代に盛況となり、代官陣屋の設置と銀山町が形成された。16世紀後半には1か年で数百貫以上の産出があり、長安の時代には山師安原因繁(やすはらよりしげ)の本谷の釜屋間歩(かまやまぶ)は、1602、03年ころには1か年の運上銀3600貫にも達した。しかし寛永(かんえい)年間(1624~44)以降はしだいに衰退し、享保(きょうほう)期(1716~36)以降には年間100貫前後となり、1837年(天保8)から57年(安政4)灰吹銀(はいふきぎん)高は平均42貫余と激減した。江戸期の銀山の管轄は大森代官所で、18世紀以降は銅も産して、銀銅が尾道(おのみち)を経由して大坂へ送られた。明治以降にも稼行し、1887年(明治20)大阪の藤田組の所有となり、一時は銅、金、銀1か月3130貫を産出したが、1923年(大正12)に休山となった。 [ 執筆者:村上 直 ]

★院内銀山(いんないぎんざん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
出羽(でわ)国雄勝(おがち)郡院内(秋田県湯沢市銀山町)にある銀山。1606年(慶長11)に村山宗兵衛(そうべえ)らが発見、秋田藩の直営(直山(じきやま))となる。1619年までは運上銀年200貫以上、人口1万の鉱山町として繁栄した。元和(げんな)・寛永(かんえい)期(1615~44)の運上銀は150~50貫を上下し、その後はしだいに衰退した。初期には山奉行(やまぶぎょう)梅津政景(うめづまさかげ)により鉱山行政全般の確立が図られたが、1725年(享保10)には直山から請山(うけやま)となり山師の請負になった。1817年(文化14)以後ふたたび直山となり、生産額は増加し、33年(天保4)から10年間、銀が毎年1000貫を超え、金も30~40貫に及んだ。明治以降は小野組経営や工部省官営を経て、1885年(明治18)古河(ふるかわ)鉱業会社(現古河機械金属)の経営となり、一時は銀産額年間4100貫に達したが、1921年(大正10)には休山となり、以後、操業再開されたが、1954年(昭和29)閉山した。 [ 執筆者:村上 直 ]

★6.江戸時代 - 特殊生産諸力   http://p.tl/xbk6
... 鉱業では山師(やまし)―金名子(かなこ)・大工(だいく)―掘子(ほりこ)、床大工(とこだいく)―手子(てご) ... 山師、山主、浜主、網主などはいずれも特権商人あるいは特権商人的地主で ...

★8.鉱山 - 鉱山開発の歴史    http://p.tl/Opn2
... 直轄鉱山を御直山(おじきやま)とよび、山師(やまし)(鉱山技術者)に採掘を委任した鉱山からは運上金(鉱産額に応じた税金)を上納させ ... 山師に名字帯刀を許すほか多くの特典を与えて積極的に鉱山開発を促し ...

★山例五十三箇条(さんれいごじゅうさんかじょう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
徳川家康が駿河(するが)国安倍(あべ)郡梅島郷日蔭沢(ひかげざわ)金山(静岡市)において、山師・金掘(かねほり)衆に定めた鉱山仕法の箇条書。作成は1573年(天正1)、88年、1611年(慶長16)の諸説があり、各地の旧家所蔵の同文書には53か条のうち数条が欠けているものもある。最初の条文で、見石(みいし)(見本の鉱石)所持の者は関所が通過できる、鉱山を見立てたならただちに注進することなどが定められている。また、金格子(かなこうし)を破り、柱根(支柱)を掘り、鑿角(のみかど)(盗掘防止のためのしるし)を送った者は重罪に処すとある。そのほか鉱山内の治安秩序の保持や出入りを取り締まる規定、鉱山役人や山師などの座席順序、山師など稼業関係者の特典格式、公納分や運上免除の条件を定めた山例金銀売高格合の仕法、さらに金筋の発見、採掘、製錬、売却の手順や方法、日常生活などの規定も含まれている。江戸中期以降には、家康の定書(さだめがき)として山師がこの山例を携帯所持していたが、箇条書の内容や順序は若干異なっている場合がある。 [ 執筆者:村上 直 ]

★内藤正敏(ないとうまさとし) [ 日本大百科全書(小学館) ] .(1938― )
写真家、民俗学者。東京・蒲田区(現大田区)に生まれる。1954年(昭和29)早稲田大学高等学院に入学。在学中から写真撮影に熱中する。57年早稲田大学理工学部応用化学科に入学。61年に同大学卒業後倉敷レイヨン(現クラレ)に就職し、同社中央研究所で合成化合物を研究する。このころから、高分子化合物と化学薬品の反応によって生じる不定形の造形を撮影しはじめ、「SF写真」と名づけてカメラ雑誌等に発表した。それらの写真と現実の光景とをモンタージュした一連の作品は、63年に『カメラ芸術』新人賞、二科賞を受賞するなど高い評価を受けた。
63年、出羽三山の湯殿山(ゆどのさん)で弥勒菩薩(みろくぼさつ)の救済を願って断食死した僧侶のミイラ、即身仏を見て大きな衝撃を受け、のめり込むように撮影を開始した。それらの写真群は、個展「日本のミイラ」(1966、白木屋、東京・日本橋)で発表され、日本写真批評家協会新人賞を受賞した。さらに即身仏の時代背景を探るうちに民俗学に興味を抱き、本格的にその研究を開始する。内藤の研究はきわめて実践的なもので、66年には山伏(やまぶし)の修行のため羽黒山(はぐろさん)に入峰し、院号を得ている。
出羽三山の撮影を契機にして、内藤の関心は東北の民間信仰全般に向かっていった。恐山(おそれざん)、遠野(とおの)などを撮影した成果は『婆(ばば) 東北の民間信仰』(1979)、『遠野物語』(1983)といった写真集にまとめられた。これらの写真集では、闇を照らし出すストロボが効果的に使われている。ストロボの閃光によって、闇の中から写真家自身思ってもいなかった「異界」の眺めが浮かび上がってくるのである。さらにこれらの写真を通じて、東北の山中を漂泊しつつさまざまな文化の伝達者としての役目を果たしていた山師、金掘り、山伏などの存在をクローズ・アップした「金属民俗学」の構想が芽生えてきた。それらの研究は『聞き書き遠野物語』(1978)、『修験道(しゅげんどう)の精神宇宙』(1991)等にまとめられ、民俗学者としての内藤の業績にも注目が集まるようになった。
80年代になると、内藤は東北に向いていた視線を、一転して「都市の闇」に向けるようになる。85年の写真集『東京 都市の闇を幻視する』に集成された銀座の地下道のネズミ、浮浪者たちの集会、浅草の見世物小屋等の強烈なイメージは、東北と東京の空間が「闇」を媒介としてどこか地続きにつながっており、土俗的な生命力溢れるもう一つの「東京」が存在していることをまざまざと示していた。内藤は90年代以降も、山岳信仰としての修験道の世界観を、スケールの大きなカラー写真のシリーズとして表現しようとした「神々の異界」などの作品を、精力的に発表し続けている。写真と民俗学を結びつけ、互いに触発しあうなかからユニークな発想を紡(つむ)ぎ出してきた内藤の仕事は、さらに深く、幅広く展開しつつある。 [ 執筆者:飯沢耕太郎 ]

★細倉鉱山(ほそくらこうざん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
宮城県北西部、栗原(くりはら)市鶯沢(うぐいすざわ)にある鉛・亜鉛鉱山。栗駒山(くりこまやま)南東麓(ろく)に位置する。採掘の開始は天正(てんしょう)年間(1573~92)からで、近世には仙台藩が開発、経営し、最初は銀を採掘したが、その後鉛の生産が増加した。元禄(げんろく)期(1688~1704)には銀・銅製錬の材料としての鉛の需要が増え、鉱山は隆盛期を迎えた。仙台藩では運上をとって山師経営を許可し、鉛の地金を買い上げて問屋に払い下げていた。明治以降は近代的経営により1895年(明治28)には鉛の年間生産額は全国一となった。その後、亜鉛需要の増加により好況を迎えた。共立鉱業、三菱(みつびし)鉱業と経営体は変化し、昭和30年代のピーク以後産出量は減少。1987年(昭和62)閉山した。現在は鉱山跡を利用した観光施設細倉マインパークとなっている。また、近くには鶯沢鉱山資料館もある。 [ 執筆者:後藤雄二 ]

●雅(みやび)●をかし●滑稽(こっけい)●風情(ふぜい)

2012年09月26日 05時24分22秒 | 色んな情報
●雅(みやび)●をかし●滑稽(こっけい)●風情(ふぜい)
★雅(みやび、まさ〔名乗り〕)http://p.tl/Ot7m
上品で優雅なこと。宮廷風・都会風であること。風采の立派なこと。元は地方風・田舎風を意味する「鄙び」の対義語として用いられた。動詞形は「みやぶ」。本居宣長は「もののあはれ」を知る上での基礎概念として「みやび」を重要視した。
人名など - 女性に対しては「みやび」と訓読みで、男性に対しては「まさ」と音読みで、それぞれ命名される場合が比較的多い。
・雅(が)
詩経の六義の一つ。⇒詩経#構成
★詩経(しきょう、拼音: Shī Jīng )http://p.tl/ALjD
中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品(韻文)と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。

★もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)http://p.tl/z41T
平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。

★無常(むじょう、Skt:anitya)http://p.tl/_eim
この現象世界のすべてのものは生滅して、とどまることなく常に変移しているということを指す。釈迦は、その理由を「現象しているもの(諸行)は、縁起によって現象したりしなかったりしているから」と説明している。
★諸行無常(しょぎょうむじょう)http://p.tl/Oq5a
(sabbe-saMkhaaraa-aniccaa, सब्बे संखारा अफिच्चा)とは、仏教用語で、この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。この場合、諸行とは一切のつくられたもの、有為法をいう。三法印、四法印のひとつ。

★いろは歌(いろはうた)http://p.tl/Qs3z
すべての仮名を重複させずに使って作られた誦文のこと。七五調の今様の形式となっている。のち、手習いの手本として広く受容され、近代にいたるまで用いられた。また、その仮名の配列は「いろは順」として中世から近世の辞書類や番号付け等に広く利用された。ここから「いろは」は初歩の初歩として、あるいは仮名を重複させないもの、すなわち仮名尽しの代名詞としての意味も持つ。

★をかし     http://p.tl/mHu8
日本文学(平安期の文学)上における美的理念の一つ。語源は愚かな物を表す「をこ(痴、烏許、尾籠)」が変化した物という説が有力である。
★烏滸(おこ)http://p.tl/-1fs
馬鹿げていてあるいは滑稽で人の笑いを買う様な有様を指す。
★滑稽(こっけい)http://p.tl/iCS6
中国古代の歴史書『史記』中の列伝の篇名として知られる用語であり、当時は、饒舌なさまを表した。後世、転じて笑いやユーモアと同義語として日本にも伝わり、滑稽本などを生んだ。
一説には、滑稽の語源は、酒器の一種の名であり、その器が止め処無く酒を注ぐ様が、滑稽な所作の、止め処無く言辞を吐く様と相通じるところから、冗長な言説、饒舌なさま、或いは智謀の尽きないさまを、滑稽と称するようになった、という(北魏の崔浩による『史記』等の注釈に見える)。
古代の『楚辞』、揚雄の『法言』や、『史記』に立伝される人物の滑稽は、全て弁舌鮮やかなさまを表しており、笑いの要素は含まれていない。但し、滑稽として取り上げられた人物の中には、優孟(ゆうもう)や優旃(ゆうせん)のような俳優が含まれていた。その、おどけた、ウィットに富んだ言動が、笑いやユーモアと通じるため、後世、笑いやユーモアに富んださまを、滑稽と表現するように転じたものと考えられている。

★もののまぎれ   http://p.tl/cz2x
源氏物語に記された3つの事件で起こった事象を言い、中でも藤壺事件に伴う事象を言う。
源氏物語において重要な概念とされ、時に「主題である」とされることもある語である。

★もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)http://p.tl/z41T
平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。

★勧善懲悪(かんぜんちょうあく)http://p.tl/n8Lk
「善を勧め、悪を懲しめる」ことを主題とする物語の類型の一つである。勧懲(かんちょう)と略して使われることもある。欧米圏の文学において「詩的正義」(英: Poetic justice)と呼ばれる類型と比較できる。
善を勧め、悪を戒める倫理規範や、因果応報を説く思想はさまざまな社会集団や宗教でみられるが、本項では物語の類型としての「勧善懲悪」を中心に扱う。

★因果(因果応報から転送)http://p.tl/Tr-O
因果(いんが、梵 hetu-phala)は、もとは仏教用語であった。

★因果性(いんがせい、英: causality)http://p.tl/NZXr
何かある物事が他の物事を引き起こしたり生み出している、とされる/する、結びつきのことである。

★『◆勧善懲悪(かんぜんちょうあく)』 http://amba.to/SPZRbr
★『●亡者(もうじゃ)【上方落語】など』 http://amba.to/SPZWvQ
★『●詩吟(しぎん)●歌舞伎(かぶき)』 http://amba.to/SQ0mSR
★『●詩吟(しぎん)』 http://amba.to/SQ0pOo
★『●詩吟(しぎん)の発声法』 http://amba.to/SQ0th9
★『●詩吟はしたいな』 http://amba.to/NT5euO
★『●縁起●演義』 http://amba.to/SQ0HEY
★『★風流   ●日本文化の礎』 http://amba.to/QlSSf1
★『●[ 江 戸 時 代 ]』 http://amba.to/SQ15Ds
★『●風情(ふぜい)この言葉の意味が』 http://amba.to/QlTdy8
★『●宗教からの派生 日本思想 生活』 http://amba.to/NqHXPp
★『●風狂の道●風教の道●風流』 http://amba.to/SQ1rdm
★『●和菓子』 http://amba.to/SQ1wha
★『●談義本【だんぎぼん】●滑稽本【こっけいぼん】●当世下手談義【いまようへただんぎ】』 http://amba.to/SQ1JRu
★●滑稽本(こっけいぼん)●浮世風呂●戯作(げさく、ぎさく) http://p.tl/TblK