縄文人の反乱 日本を大事に

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部落問題の歴史 今後は

2013年07月23日 16時17分32秒 | 色んな情報
問題の歴史 今後は


作成者: 京免 史朗さん
問題の歴史を簡単に説明してほしい
問題はどうしたら解消される?
また今行われている対策は解消の方向に向かってる?
出身者で差別される人とされない人の差は?

:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/22(月)
じゃ順追って説明する

被差別に深くかかわるのは「ケガレ」と「地域形態の在り方」

・ケガレとは、血や死に関わるのを嫌う思想 
具体的には生き物の死体や血(経穴含む)に触るのを嫌う。
・これは、仏教が入ってきたときに一緒にインドのケガレ思想が入ってきたことで 日本にも生まれたのが始まりだと言われている
・そのため、ケガレ思想は仏教の伝播中心地である畿内発祥とされる。差別も畿内が最大地域
・また、仏教を取り入れたのは貴族であるため貴族文化的な地域で差別は多く残る=西日本で多く残り、 東日本ではあまり残らなかった。
※仏教の信者比率を見ると東日本と西日本でくっきり比率が違い、
東日本は多くの県が仏教信者率2割程度だが西日本では4割超えは珍しくない
・それに加えて、畿内 には都という、特別な意味を持つ土地があったこと  都は清潔であるべき、洗練されているべきだという考え方があった
・しかし都は人が多く、特に平安時代になってからは平安京でも道端に人や牛の死体がごろごろ転がっていた

・死や血に対する畿内民の嫌悪感は強まる。
・「清潔であるべき」という思想は都だけではなく神社にもあてはまり、
神社の周りは差別が苛烈な地域が多い。

・貴族の頂点である天皇家の皇祖神まつる伊勢神宮は特にそれが顕著で、 神社の周りや神社の持ち領だった地域=御厨が多かった地域は差別が多く残る。

・「清潔に保たなければならない」が、
必ず生き物は死ぬし死ぬ場所を限定することはできない。

・そういう死体を片づけなければいけない人が必要。
それが「穢れ多い」「エタ」の始まり。

・こういったケガレ作業に従事してた人たちだけではなく、
神社を掃除したり呪術を行う人たちも最初は尊敬されるほど、「畏れられていた」けど 次第に差別されるようになった。「畏れ」って恐怖と尊敬が隣り合わせてる感情だからな。

・また、律令制の崩壊によって農村集落の在り方が変わってくる。
それは村ごとの世帯の数が増え、村は村で自治をおこなうようになる
・それによって村の団結力が高まる。=部外者を嫌うようになる

・また、このころより行商民という非定住民族もぽつぽつ出始める。
非定住民はつねに部外者であり、嫌われる。現代でも農民って移住民嫌うだろ?あれのもっと苛烈なもん

・この「俺らとは違うやつら」を嫌う傾向は、「ちょっと変わった生活を送るやつら」も含まれる。
それが神人であったり、乞食であったり、職人であったり、芸能民であったり…

・さらに室町期より商工業が盛んになり、その技を究める「職人」的なものが出てくる。
・それは戦乱が続き皮革業需要が伸びたことによりいっそう必要とされるようになる

・この皮革業=牛や馬の死体から皮をはいで皮製品にする職業はケガレの上に職人であるため、非常に嫌われた。
被差別の前身は皮革産業従事者である割合が非常に高い。

・こうした人々が「同じような職業の奴ら」で固まるようになる。なぜならその方が専門知識を情報交換しやすいし、 団結することで差別に立ち向かえるから。

・これが被差別の始まり。
・この「職業民の繋がり」や「地域の繋がり」である横のつながりの勢力は西日本中心で、 東日本では地域のつながりではなく血族の繋がりである縦の繋がりのほうが強かった。

・なぜなら都市の発展段階として、部族集団→血縁集団→地域集団という段階をたどる。
西日本は先進地域で東日本の発展段階の一つ上だったから。

・東日本では村のケガレ的作業は一族の末端=次男三男四男とか傍系のやつらがやることで処理していたから 村で差別的職業を担う奴が生まれなかった。
・そのかわり東日本では本家と分家でほぼ差別と言えるほど権限が違うという問題がある。
また、家父長制からなる血縁集団のため女性の権限が非常に低い。

・東日本的な村社会が今も濃く残る東北は排他的で陰湿とか言われるだろ?
地域集団は村人と何らかの縁があればなじめるけど、血縁集団は血縁になることでしかなじめない。だから排他的になる。

・東日本にも被差別あるやんけというかもしれないが、そういうのはだいたいその土地の偉い人が西日本から連れてきた職人であるとか、 社会的な発生要因で自然発生的な事であることが低い

・江戸で有名だった弾左衛門ももとは西日本から来た人。

・埼玉は人数だけでみると被差別民の人数は多いが、東日本中から集まって昔から住んでる被差別民ではない場合があるのと、
そもそも平野が広く県規模の人口だけ見ると多いように見えるが、村の数が多く、村の人口が少ない。

・エタ村っていうのはほぼ必ずと言っていいほど隷属する村「主村」がある。
普通の人が穢れを嫌ってやらないことをやる人達なんだから、やらない村に隷属するのは当たり前だよな。

・処理する人数は隷属する主村の人口に比例するから、村の人数が少ないほどエタ村の人数も少なくなる。

・被差別村があっても小さいのが点在してて、大きい村になることがなかった。

・こうした理由から巨大な被差別は西日本にあって、東日本は被差別があっても非常に人数が少なかった。

・この室町期に生まれた被差別職業集団や農村は江戸幕府によりそのまま利用されることになる

・違う目的を持つ対立する集団がいた方がお互いを監視させることができて幕府にとって都合がよかったから

・だが、江戸時代を通しているうちに農村の経営がうまくいかなくなって都に農民が逃げたり、 固まってた職業集団が固まらなくなってきたりする。

・それに伴い、差別も薄れていっていた。
このころの埼玉のとある農村では被差別民が参加させてもらえなかった村の祭りに普通に参加してたりする記録も残ってる

・何百年も代々同じ職業を続けるって難しいからな。

・幕府にとってこれは困ること。なぜなら農村をお互い監視させることができなくなるし、
農民が逃げたら米を経済の基礎としてる武士が生きていけなくなるから

・これを阻止するため「幕府の基礎」を固めるため、農民は農民、職人は職人、被差別民は被差別民として暮らすようにしろ というお触れが出る

・幕府のお触れは基本幕領だけだけど、全国の藩は徳川に右ならえなので各藩でも同様の政策を出していく。

・これが被差別民が言うところの「幕府の責任」。
よく「農民や商人に優越感を持たせるため被差別民をつくった」って言われるけど、これは現代の差別研究では間違いとされている。
幕府が被差別民を作ったんじゃなく、もともと自然発生的なもの。

・それが薄れようとしていたときに、「差別を強化することを目的」としたんじゃなく、
「基礎を盤石にするため」に昔の体制に戻す一貫の政策の中の一つとして薄れた差別が強化されることになった。

・だけど「エタ」は被差別民であると同時に職人であって、徳川の職人は職人として生きろというのは正直都合がよかった。

・なぜならエタが担う皮革産業は非常に儲かるから。

・ちなみには落ちぶれた貧乏人だったり、犯罪人だったりでエタとは明確に違う被差別民。
決定的な違いはエタは金を持っていたが、は金がない場合が多い。

・が差別されたのは元犯罪人であったり、貧乏で小汚かったり、乞食だったから 。

・話を戻す。エタが皮革産業を独占できたため、エタ村=エタばかりが集まった村はすげー金持ち。
エタ村で一番有名な大阪の渡辺村っていう村が昔あって、その村の収支見ると並みの村よりはるかに金持ってる。
・そういう金持ってることに対する妬みも差別につながった。

・時代は変わって明治時代。エタにとって転機が訪れる。明治政府の公的機関による「被差別の撤廃」だ。

・この被差別の撤廃の反対運動があったよな。あれは全部西日本で起こってる。というのも、西日本は被差別の人数も大きく、
通常の村に堂々と敵対する勢力として成り立っていたから、村同士の仲が悪いし、存在感も大きくあれだけ大騒ぎした。

・東日本の被差別村は普通の村に対抗できるほど大きくない。

・この被差別の撤廃は聞こえはいいがエタにとっては大問題だった。差別撤廃はいいが、それによって職業の自由の時代が来たことによって、
皮革産業の独占ができなくなったから。エタが他の職業に就こう としてもエタだから嫌われてつけない。

・これによってエタの貧困が始まる。これが被差別民がいうところの「明治政府の責任」。

・だからエタ自ら「差別の撤廃=職業の自由化はやめてくれ」って言ってるエタ村もあったりする。

・また、過去の身分を隠しながら生きていけばいいじゃんって思うかもしれないけど、
結局長年の皮革産業の知識と技術を培い、持っていたのは被差別民だったから「差別撤廃」「職業の自由化」といいながら
そこまで産業の自由化が起こらず、被差別民は皮革産業に従事し続ける事も多かった。

・東日本では被差別は小さい。淘汰されたり、移住民が来てすぐなくなったりすることができたが、
西日本では被差別は大きく、農村の横のつながりが強い。いつまでも差別が残ることになった。

・これが現代の東日本と西日本の差別の在り方の違い。

・ちなみに、西日本でも唯一北陸地方では浄土真宗が多く、
浄土真宗は殺しも穢れも否定しなかったから被差別が格別に少ないという特徴がある
・この被差別民がいうところの幕府の責任と明治政府の責任は、
現代の行政が同じ業務を引き継いでいるのだから行政が責任を負うべきだとされているのが被差別民に対する行政の優遇。

・現代はこの優遇策がまた差別の原因になってる部分が否めない

終わり

通称 『白浪五人男』 本当の題名の 『青砥稿花紅彩画』

2013年07月20日 13時08分23秒 | 色んな情報
通称 『白浪五人男』 本当の題名の 『青砥稿花紅彩画』

          宮本 喜恵子
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「日本の原風景 ーその24ー」

「知らざあ言って聞かせやしょう」で始まる弁天小僧菊之助のセリフ、きっとどこかで聞いたことがあると思います。
先日、鎌倉散策で江ノ島電鉄に乗りましたら、何か懐かしい駅名がいろいろ出てくるではありませんか。ここは弁天小僧菊之助に縁のあるところなのですね。

それもそのはず。通称『白浪五人男(しらなみごにんおとこ)』、本当の題名の『青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなの にしきえ)』は、全5幕あって、最初は鎌倉の紫陽花寺として有名な「長谷寺花見の場」から始まるのです。

中でも人気の高いのは、「浜松屋店先の場」です。
今年4月、新歌舞伎座こけら落とし公演でも上演された演目です。音羽屋のお家芸ですね。
「白浪五人男」は、「石川五右衛門」、「鼠小僧」と並ぶ日本屈指の盗賊5人組の活躍を描いたものです。

「浜松屋」という呉服屋へこの盗賊らが金をゆすりに行くのです。

その盗賊の中の一人、弁天小僧菊之助は三代目歌川豊国の錦絵がモデルとなっています。彼は女装の美男子。浜松屋をゆすって、わざと見破られ、いなおるのです。その時あぐらをかいて、着物をはだき、刺青を出して啖呵をきるのですね。
「待ってました!」と客席から声がかかる目を離せない見せ場です。

この時、菊之助は正体を表し、女から男へと変身するわけですが、声のトーン、しぐさ、そして七五調のセリフなど、5代目尾上菊五郎のために河竹黙阿弥が書いた演目だそうですが、この幕随一の見どころです。

七五調の響き、是非、生で聴いていただきたいです。

知らざァいって聞かせやしょう。
浜の真砂と五右衛門が、歌に残した盗人の、種はつきなし七里が浜。
その白浪の夜働き、以前をいやあ江の島で、年季づとめの稚児が淵、
百味でさらす蒔銭をあてに小皿の一文字、
百が二百と賽銭のくすね銭せえ段々に、悪事はのぼる上の宮、
岩本院で講中の、枕探しも度重なり、お手長講の札つきに、
とうとう、島を追い出され、それから若衆の美人局(つつもたせ)
ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた音羽屋の、似ぬ声色で小ゆすり騙り、
名せえゆかりの弁天小僧、菊之助たァ、おれがこと だ!


【ロッキーは俺のヒーロー】

2013年07月19日 16時58分21秒 | 色んな情報
【ロッキーは俺のヒーロー】



動物は時に信じられない力を発揮してくれるときがあります。
悲しいときは励ましてくれたり、寂しいときは側にいてくれたり。
大切にしていきたいですね。


普段俺のことをバカにしまくってる
ドーベルマンのロッキー
しかし小学生のとき、
ロッキーは俺を助けてくれた


当時お袋の実家に帰省していたとき、
近所のデカい川にロッキーと一緒に
遊びにいったんだが、

川の石を渡って真ん中までたどり
着いたとき、
足元のコケに滑らせて転落してしまった


落ちた場所はギリギリ足が着く深さ
だったんだが、

流されるうちに深い場所にいってしまい、
パニくった俺は泳ぐことも忘れ
溺れていった


釣り人は
もっと上流の方に行かないといないし、

道路からも遠いので

溺れながらも必死で叫んでも、誰も来ない状況


しかも川の水は冷たく、段々力が抜けていって、
死を覚悟し始めた頃、

目の前にロッキーがいて、
俺のシャツを噛んで川の岸に運んでくれた


正直ロッキーが来るのはありえないと思ってた


だって俺はロッキーが逃げないように
リードを階段の手すりに結んでいたから


どうやってロッキーは来れたんだろうって思って
水を吐いて落ち着いてからロッキーを見ると、

リードが噛み千切られていた


首からも余程暴れたのか血が出ていて、
こんなに必死になって俺のことを
助けてくれたのかと思うと、

小学生ながらも感動して、号泣した



それ以来ロッキーは俺のヒーロー

もしロッキーに何かがあったら
次は俺が助けてやりたいと思う


感動まとめサイト-「心堂」より
====================

ときに動物は、
まるで人じゃないかと思うような行動を
することがあります。

危険を予知する能力が高いのでしょうか。

もうダメだ、と思った瞬間に・・・

間に合ってよかったです。

彼が今、生きていることに、
そして、ロッキーにも
感謝です。

【朝鮮文化】彼らの感覚では、名目がどうであれ金を受け取った側が偉い。例えそれが借金であっても!w

2013年07月19日 16時18分19秒 | 色んな情報
【朝鮮文化】彼らの感覚では、名目がどうであれ金を受け取った側が偉い。例えそれが借金であっても!w

作成者: 京免 史朗さん

「えらそうな乞食」のメンタリティってこういうことなのか、
と興味深い内容だったのでコピペ。

816 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/07/17(水)
金が欲しいのは当然だが、朝鮮文化を理解したいなら
その解釈で終わってしまっては彼らの行動を見失うと思われる。
単純に「金が欲しいだけ」とは少し違う。

彼らの感覚では、名目がどうであれ金を受け取った側が偉い。
例えそれが借金であっても!w

なぜなら金(や物)を手にできるのは当人にその価値があるからで、
金を渡す側はその価値を認めた事になるから。
だから金を貸す側より借りる側が偉い。
(朝鮮文化視点)
当然、感謝などしないし借金の催促などもってのほかであるw

また、主張の一部でも受け入れるなら、それは、全てを無条件で受け入れると言うこと。
すなわち、彼らが劣等感を感じたり不快に感じる全ての事象に関して、
日本が詫び、「誠意」を持って彼らが何不自由なく優位に立てるよう
計らうと約束したも同然と彼らは受け取る。
そうでなければ100%敵で悪!
それがウリナム論的感覚。

これが理解できないで矮小化したり悪意と捉えたりすると
彼らの行動を読み違える。
彼らはセコい幼稚なキ●ガイに見えるが、彼らの文化的には筋が通っており、
彼らにとってはむしろ良識や常識、善意を持って行動してるから
ああなってるのだ。

万年属国ゆえの歪んだ価値観なんだろうが。

169: 本当にあった怖い名無し 2013/07/18(木)
うむ。だったら本当の奴ら自身の価値を教えてやるのが、親切という物だろう。
すなわちビタ一文払わず、奴らへの便宜など微塵も払わない。
それが朝鮮人的視点から、日本人が奴らに認めている価値の程度だ。
奴らか死のうが生きようが、困窮の内に苦しもうが知ったことか。

「江戸しぐさ」 「束の間つきあい」

2013年07月19日 09時21分59秒 | 色んな情報
「江戸しぐさ」 「束の間つきあい」
          宮本 喜恵子
江戸時代、人口密度が高い、路地などの狭い道が多かった都市江戸で、お互いが気持ちよく暮らすための工夫がなされていました。それが現代のマナーとしても見直されているのですね。

今日のコラムは「束の間つきあい」です。

江戸の人たちは、たまたま渡し船に乗り合わせたり、店先で顔を合わせると、和やかに軽く挨拶を交わしたということです。

そこには、「袖振り合うも多生の縁」という考え方があって、
せっかく居合わせたのだから、お互いに一時を大事にしようと、
束の間付き合いも大切にしたのですね。
これは人間関係を円滑にする方法でもあります。

「多生の縁」とは、何度も生まれ変わるという輪廻転生(りんねてんしょう)の中での縁という意味です。

知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁があっての出会い。
人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならない。
そういう仏教の教えに基づいているのです。

それは「一期一会」の考え方でもありますね。

現代は、電車に乗ればみんなスマホを見ていて、言葉を交わすこともほとんどない時代。
ラッシュ時に、肩がぶつかろうが、足を踏もうが、「すみません」の言葉も返ってこない時代。
悲しい事件も起こる時代・・・。

いつでもどこでも「一期一会」と思ったら、江戸の人々が、見知らぬ人と束の間でもお互いに気持ちよく付き合おうと思っていた思いが分かるような気がします。

【日本人と稲作】

2013年07月18日 20時53分44秒 | 色んな情報
【日本人と稲作】

 日本神話の物語の一つに、天孫降臨の話があります。そこで、天
照大神(あまてらすおおみかみ)は、孫のニニギノミコトを日本に
派遣される時に、次のような言葉を与えたと伝えられています。

 「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほのあき)の瑞穂国
(みずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべく地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(
ゆ)いて治(しら)せ、行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ
)の隆(さか)えまさんこと、まさに天壌(あめつち)とともに窮
(きわま)りなかるべし」

 すなわち、日本は、稲穂が豊かに稔る国だと表現され、皇室の祖
先は、この国で末永く繁栄するように、天から遣わされてきたとさ
れています。

 天孫降臨の際、天照大神は、次のように命じたと伝えられていま
す。

 「吾が高天原きこしめす斎庭(ゆには)の稲を以てまた吾が児(
みこ)に御(まか)せまつる」

 すなわち、天照大神は、自ら高天原で作った稲を、ニニギノミコ
トに与え、日本へ行って、米を作るように命じたというのです。

 ニニギノミコトの孫に当たるのが、わが国の最初の天皇となった
神武天皇です。神武天皇は、記録によると、日向(ひゅうが)の国
(現在の宮崎県)を出て大和に入りました。そして奈良県の橿原(
かしはら)の地で、天皇の御位(みくらい)に就いたのです。

 このとき、神武天皇は建国の理想を掲げました。それは「八紘一
宇(はっこういちう)」という言葉に表されるようになったもので
、「天下に住むすべてのものが、一つ屋根の下に大家族のように仲
良くくらせるようにする」ということを目標としました。

 そして、神武天皇は、大和の地で米作りをし、4年間の苦労の末
に、立派な収穫を得ました。そして、神に稲穂を捧げて祭りを執り
行ないました。こうして、神武天皇は、ニニギノミコトが仰せつか
った天照大神の神勅に従って、国づくり、米作りを行なったわけで
す。

神武天皇の即位を紀元前660年と考える説があります。仮にこの
年を起点とすると、今年は2673年に当たります。現在の天皇陛
下は第125代です。神武天皇以来、2千年以上もの間、一つの家
系が皇室としてずっと続いていることは、世界に類例がありません
。日本人が誇りとすべきことです。

 この間、私たち日本人の祖先は、米を作り、米を食べながら生き
てきました。わが国の稲作は、水田潅漑稲作です。四季の変化に応
じて、もみを蒔き、苗を育て、稲を刈らねばなりません。そこに自
然と調和して生きる生き方が育まれました。

 また、わが国の稲作は、集約的な労働を要します。村人が総出で
、農作業をしなければ、豊かな実りは得られません。人の和が必要
です。そこに、日本人の正直、勤勉、約束を守る、人に思いやりを
持ち、気配りをするというような民族性が形作られました。

 こうして日本人には、人と自然、人と人の調和を重んじる精神が
自ずと発展しました。家族にあっては、親子・夫婦・祖孫が一体と
なって共に生きる。また、その家族が寄り集まって、社会を形成す
る。民族の全体は、皇室を中心として団結する。これが、伝統的な
日本人の精神、日本精神ということができうでしょう。一般に「和
」の精神と呼ばれるものです。

美智子皇后陛下 の お言葉

2013年07月18日 19時36分15秒 | 色んな情報
美智子皇后陛下 の お言葉

「幸せな子」を育てるのではなく

どんな境遇におかれても

「幸せになれる子」を育てたい。


美智子皇后陛下

・・・・・・・・・・・・・・・

さすがは日本のお母さんですよね。

素敵なお言葉です。


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「事実は小説よりも奇なり」 朝日新聞が「支持率操作の数字を大幅ダウン」

2013年07月18日 18時51分18秒 | 色んな情報
「事実は小説よりも奇なり」 朝日新聞が「支持率操作の数字を大幅ダウン」

京免 史朗

『パチンコ屋の倒産を応援するブログ』より

「事実は小説よりも奇なり」

朝日新聞が投票まで残り日数が少ないということで
4年前に散々使った「支持率操作の数字が大幅ダウン」の手で来たようです。
【安倍内閣支持率“5割切る”政権発足後初…】
 参議院選挙の投開票日まで、あと5日になりました。これまで6割前後をキープしてきた安倍内閣の支持率が、今回、46.4%と政権発足以来、初めて5割を下回りました。アベノミクスへの期待感に陰りが出てきているためとみられます。

 調査は14日、15日に行われました。それによりますと、安倍内閣の支持率は、先月から10.1ポイント減らして46.4%でした。「政権発足から半年以上がたったものの、景気回復への実感がない」と答えた人が7割以上に上ることから、アベノミクスへの期待感が落ちてきているとみられます。ただ、政党別では、自民党が依然、高い支持率を維持し、民主党など野党を大きく引き離しています。また、今回の参議院選挙で重視する政策については、景気対策が最も高く、次いで年金・社会保障、原発問題などでした。一方、原子力規制委員会の安全基準に合格した原発の再稼働方針については、支持しない人が支持する人を9ポイント上回りましたが、原発をゼロにするか継続するかについては、ほぼ拮抗(きっこう)しています。
(2013/7/16 ANNニュース)

4年前は実際の内閣支持率よりも常に低い数字を出し、
マスコミ各社が交代で支持率調査の数字を出していくことで
「日刊支持率調査」状態になっていました。
そして「支持率が低い、国民の信用を得ていない、自民はだめだ」と。
毎日毎日オウムの洗脳と同じようにひたすら繰り返していました。

朝日新聞は今回は真っ先にこれをやって
今まで通り他社が追従してさらに下げてくれると思っているのでしょう。

最近の民報キー局の支持率調査です。
時系列に並べてみます。

日テレ 60.1% 6・16
http://news24.jp/articles/2013/06/16/04230582.html

テレ東 66% 6・23
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS23016_T20C13A6MM8000/

フジ 60.7% 6・25

TBS 71.5% 7・8
http://www.tbs.co.jp/radio/dc/20130708.html

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130625/stt13062500200002-n1.htm
テレ朝 46.4% 7・16

あのTBSが70%越えの数字を出したのは
アンダードッグ効果狙いなのかもしれませんが、
それにしたってたった一週間の差で
25%も誤差があるような支持率調査はまず考えられません。
意図的に数字を動かしてなければ起こりえない数字です。

もしくは相当ずさんにやったか、
朝日新聞お得意のいつもの手を使ったのかもしれません。

電通で働いていた方(もう定年済み)に以前話を聞いたのですが、
朝日は数万通とかいう単位でアンケートをばらまいて集め
集計でそのうち数千通のみに絞り込んで
調査結果だと言い張る事があったそうです。
これでいくらでも都合の良い数字に調整できるわけです。

今のようにネットが無い時代でしたから、
そういう嘘を指摘するようなメディアは存在せず、
やりたい放題だったのだろうと思います。

【おかぁさん 】

2013年07月18日 08時09分39秒 | 色んな情報
【おかぁさん 】
作成者: しあわせになるレシピさん 三輪 幸子さん

おかぁさん 私のことを愛して下さい
わたしは泣くことしかできません
でも、決してあなたのことを困らせようとしているのではないのです


おかぁさん 私のことを愛して下さい
温かいお腹の中が恋しくて、ときどき懐かしくなってしまうのです
長いこと丸くなってすごしていたから、お布団に寝かされると背中がびっくりするのです


おかぁさん 私のことを愛して下さい
わたしが抱っこを望むのは、あなたの優しい愛にふれたいから
あなたの肌の匂いにわたしは安心するのです


おかぁさん 私のことを愛して下さい
遠く離れたところから、優しいあなたのまなざしを見ていました
あなたが動物を慈しみ、植物を愛でる姿に惹かれました


おかぁさん 私のことを愛して下さい
目閉じて眠るのも怖いのです


暗くて深い闇は、あなたから引き離されそうだから
あなたの側にいたくて、泣いてしまうのです
深い海を渡り、広い空を越え、宇宙の果てからあなたをみていました
私はあなたと巡り会うその瞬間ずっと待ち望んでいました

けっして、あなたの自由を奪うために、やってきたのではないのです
あなたが悲しい顔をするたびに、私も涙が溢れるのです


あなたが困っている顔をするたびに、私も途方にくれてしまうのです
どうか、私の存在を疎まないでください

言葉を発しない私ですが、あなたの気持ちは誰よりも感じることはできるのです


おかぁさん 私のことを愛して下さい
私のことを分かってくれるのはあなたしかいないのです
あなたに抱かれ、あなたの鼓動を感じ、私はこれ以上の幸せなことはないと知っています


おかぁさん 私のことを愛して下さい。
あなたの笑顔がまぶしくて、私はいつも見ていたいと想うのです
あなたの声が永久の音色として心に刻まれるのです


おかぁさん 私のことを愛して下さい
私は誰よりもあなたを愛しています
あなたとともに歩む未来がどんなにすばらしいものかを信じています

作:もっち


子供ってやっぱり、可愛くってステキだなぁって思います。

しかしながら、最近ニュースで、虐待や痛ましい死をとげる子供たちの話を耳にすることが多くて、辛いです。

お母さんになるということ大変な責任を負うことですが、なったからと言っていきなり完璧なお母さんになれる人なんていないでしょう?

育児に悩んでいたら、独りで悩まないで誰かに相談することだとおもいます。

親身に、相談相手になってくれる方たちがたくさんいます。

相談相手がいると思えるだけで、ずいぶん気持ちが楽になりますよ。

良かったら、シェアをお願いします。

【戦前の方がまともだった日本の民主主義スローガン!】

2013年07月17日 21時22分14秒 | 色んな情報
【戦前の方がまともだった日本の民主主義スローガン!】

          Satomi Yamamoto
山田 祐華さんよりシェア

昔の人はうまいこと言いますね〜
【戦前の方がまともだった日本の民主主義スローガン!】

●選ぶ人正しければ 選ばれる人正し(昭和二年)
●投票の一瞬は 国家の百年(昭和二年)
●国政は船のごとく 一票は櫂(かい)のごとし(昭和二年)
●善政も悪政も 一票から(昭和二年)
●裏も表も 明るい人を(昭和三年)
●軽く選ぶと 重い荷を負う(昭和三年)
●投票は 主義と主張を 聞いてから(昭和三年)
●投票買いの 良心売り(昭和三年)
●嫁と議員は 調べた上で(昭和五年)
●政治は 国民の色に染まる(昭和五年)
●政治の明暗 この一票(昭和十年)
●金で選ぶな 心で選べ(昭和十年)
●売るな魂 捨てるな一票(昭和十一年)
●義理は禁物 人物本位(昭和十四年)
●人をよく見て よく選べ(昭和十六年)
●国思う一票 国思う人に(昭和十七年)
●世界が見ている この選挙(昭和十七年)
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=UFaegJ7YDko#at=27

http://sphotos-a.ak.fbcdn.net/hphotos-ak-ash4/p370x247/1012659_339219762876957_1856572554_n.jpg

コメント

山田 世界の何処よりも洗練された民族民主主義を実践していましたね。

Satomi 日本の戦前は軍国主義で非民主的な社会で、戦後アメリカに民主主義を与えられたと言うのは嘘ですね!
そもそも戦前は民主主義社会で大東亜戦争は圧倒的な民意の支持を受けて開始された戦争です!

「江戸しぐさ」「結界わきまえ(けっかいわきまえ)」

2013年07月17日 13時26分35秒 | 色んな情報
「江戸しぐさ」「結界わきまえ(けっかいわきまえ)」
          宮本 喜恵子
「江戸しぐさ」って、ご存知ですか。
江戸時代、身分制度もあり、武家屋敷や寺院に多くの土地を占められて、狭いところでひしめきあって暮らした江戸っ子たち。お互いが気持ちよく暮らすための工夫がなされていました。現代にも通じる生活の知恵ですね。

今日のコラムは「結界わきまえ(けっかいわきまえ)」です。

「結界わきまえ」とは、己を知り、身のほどをわきまえること。

結界はもともと仏教用語ですが、領域を区切る境界線という意味で、自分の立場や力量をきちんと把握し、見せかけのことをしてはならないという戒めです。

自分の立場を客観的に見ることができれば、相手のことも理解し認めることができるので、お互いの領分は侵さないということですね。
やはり「江戸しぐさ」は、相手に対する思いやりの精神が根底にあるのですね。


少し話が転じますが、
道元禅師が弟子たちに説いた言葉に、こういうものがあります。

たとえ自分が道理にかなったことを言い、相手が間違ったことを言ったとしても、理屈で責め立てて言い負かすのは良くない。

自分のほうが明らかに正しくて、相手を理屈で言い負かせることができたとしても、相手には屈辱と報復の心が残ってしまう。
また、負けて引き下がってしまうのも良くない。ただ、言い負かせもせず、自分の間違いとも言わず、何事もなく止めるのがよい。


「結界わきまえ」が言う分相応、足るを知ることは、決して自分を小さくすることではなく、自分の我を離れ、相手に対する細やかな心遣いをすることなのです。
それは、お互いが気持ちのよい生き方をするということですね。

日本書紀の記述とオスプレイとがストレートにつながっている。

2013年07月15日 19時31分22秒 | 色んな情報
日本書紀の記述とオスプレイとがストレートにつながっている。
Sayoko Snokhousさんが
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池城 安敏愛国クラブ
日本書紀の記述とオスプレイとがストレートにつながっている。大変興味深い。
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「上総国に至りて海路より淡水門を渡りたまふ。この時に、覚賀鳥(かくかのとり)の声聞ゆ。その鳥の形を見さむと欲して、尋ねて海の中に出ます。よりて白蛤を得たまふ」

『日本書紀』に綴られた第12代景行天皇ご巡幸のエピソードだ。ここに登場する「覚賀鳥」とは今でいうミサゴのことである。魚鷹の異名を持つ猛禽類で、広く列島各地に分布する。

このミサゴの英語名がオスプレイ。日本書紀と一直線で結ばれるのが面白い。

http://s.webry.info/sp/dogma.at.webry.info/201306/article_13.html
オスプレイが好き!…反日勢力が怖れる猛禽類:東アジア黙示録  
s.webry.info
オスプレイが好き!…反日勢力が怖れる猛禽類2013/06/30 02:38 MV-22が海自護衛艦への歴史的着艦を果たした。島国を守り抜く為に欠かせない水陸両用作戦。ドーン・ブリッツが始まった日、安倍首相はオスプレイ自衛隊導入の提言を受け入れた。 『日本書紀』に綴られた第12代景行天皇ご巡幸のエピソードだ。ここに登場する「覚賀鳥」とは今でいうミサゴのことである。魚鷹の異名を持つ猛禽類で、広く列島各地に分布する。 このミサゴの英語名がオスプレイ。日本書紀と一直線で結ばれるのが面白い。 景行天皇は、記紀を彩る我が国の英雄・日本武尊の父君である。若くして薨去された日本武尊を偲び、平定した東国を行幸さ...

ー我が子に伝える誇りある近代史ー より

2013年07月15日 18時14分16秒 | 色んな情報
ー我が子に伝える誇りある近代史ー より

作成者: 京免 史朗さん


何をはばかる必要がある? 本当の歴史を取り戻そう。過去(無意識)・現在(創出)・未来(希望)

 アメリカの洗脳計画が浸透するまでの日本の歴史は、実に健康的で気高いアイデンティティを内包してきました。抑圧されていた世界の人たちは、白人帝国主義に立ち向かう有色人種のヒーローとして見ていました。当時の日本人は、自分がどこから来た(過去)誰なのか(現在)知っていたし、誰になりたいのか(未来)も知っていたように思えます。聖徳太子が随に送った「日出づる処の天子より・・・」(607年)は、華夷秩序(皇帝は時間をも支配し、属国の王を含め皇帝以外すべて臣下である。現在はどうであろうか。)への決別であり、対等関係(天皇・皇帝)の樹立に他ならなかったと思いますが、独立自尊の精神は有史以来貫かれていて、つい最近まで気高い精神性を発揮してやまなかった。明治維新で武士達の自己犠牲のもとで国家の危機に備えることができたのも、武士道(「武は殺人(せつにん)の道ではなく、かえって活人の道である」『武道の神髄』佐藤通次共著)や独立自尊の精神があったからだと思います。その後の発展。世界最強のバルチック艦隊を破った気概。乃木希典が敵将に示した深い武士道。そして世界から評価された軍の規律。独自の文化がはぐくんだ部分もありますが、世界の列強と対等に対峙したかったのだと思います。それはどこを見ても白人支配の世界という条件の中で、人間としての尊厳への渇望から来ていたのではなかったでしょうか。「大東亜戦争」も同じです。インドネシアでの日本軍は、終戦後オランダが奪還しにきたときの為に、わざと武器を奪わせ、なおかつ一千人から二千人と言われている日本兵がインドネシアの独立に参加し、一千人の命を捧げました。マレーシアでは、マレイのハリマオ(谷豊)がイギリスからの独立のために、日本軍と共同で作戦に関わっていました。国家的政策であるユダヤ人へのビザの発給(誤解が多い)。それらにとって変わったのは、たった50 数年間の改竄された自虐の歴史教育なのです。もちろん人間ですから間違ったり勘違いした部分も他国と同様にあったと思いますが、筆者は彼らを明暗あわせ誇りに思います。よくやったと言いたい!特攻隊の遺詠を紹介します。年齢をまず見てください。

「死するともなほ死するとも我が魂よ永久にとどまり御國まもらせ 」
              「桜花」特別特攻隊・緒方 襄命
                九州南方上にて戦死   23歳

 彼らは敗戦を感じ取りながら、未曾有の状況の中で誰になるべきかを決心し、その高い精神性を実感しながら、身を捨てる一瞬までも目的を体現し続けたのだ。我々は、今生きていながら生きていないのではないか? 真実を知ろうともせず謝罪し続けることは、生きていない証ではないだろうか。喪失した日本の歴史を取り戻しさえすれば、必ず本当の自分を取り戻すことが出来ると確信する。何に対してはばかる必要があるのか? 近隣諸国との友情を危惧するのか? 恫喝と謝罪の関係に終止符を打ち、互いの意見を殴りあってでも発露できるようになってこそ、真の友情関係であると思うが。大事だと言いながら、自分の方から距離をとっているのではないか。

 少女が書きそうな詩は、もしかすると数十年前に、組合活動に熱心?な先生に平和博物館にあるような歴史を教えられたことのある担当筆者の病理でもあるかもしれないし、戦後民主主義教育を受けてきたすべての人の潜在意識の病理なのかもしれ。我々の心の中や空気には、まだ過去の精神が眠っている。触れれば必ず歓喜し、思い出すはずだ。我々は自分が何者であったのか思い出さずにはいられないし、自分が何になりたいのか知らずにはいられない。今を逃してしまったら、もう日本人はどこにもいなくなってしまう!!

アメリカ海軍水兵たちの回顧録の中に特攻隊のことが書かれているらしい。西 鋭夫氏はこう感想を述べています。

「回顧録」を十冊ほど読んだ。「神風特攻隊」の記述を読んだとき、涙が止まらなかった。・・。レーダーに「点々」が現れる。神風はまだ肉眼では見えない。しかし、その点々の方向に全ての機関銃を、全ての対空砲を、撃ち始める。十機ぐらいの神風が肉眼に見える。まっすぐ航空母艦に突っ込んでくる。水兵たちは、気が狂いそうな恐怖に震えながら、機関銃を撃ち捲る。ほとんど三十分ぐらいで撃ち落とす。だが、時折、一機だけがいくら機関銃弾を浴びせても落ちない。銃弾の波間を潜り、近づいてきては逃げ、そしてまた突っ込んでくる。日の丸の鉢巻きが見える。祖国のために死を覚悟し、己の誇りと勇気に支えられ、横殴りの嵐のような機関銃の弾雨を見事な操縦技術で避け、航空母艦に体当たりし撃沈しようとする恐るべき敵に、水兵たちは、深い畏敬と凍りつくような恐怖とが入り交じった「感動」に似た感情を持つ。命を懸けた死闘が続く。ついに、神風は燃料が尽き、突っ込んでくる。そのとき撃ち落とす。その瞬間、どっと大歓声がわき上がる。その直後、耳が裂けるような轟音を発していた甲板上がシーンとした静寂に覆われる。水兵たちはその素晴らしい敵日本人に、「なぜ落ちたのだ?」「なぜ死んだのだ?」「これだけ見事に闘ったのだから、引き分けにして、基地に帰ってくれればよかったのに!」と言う。アメリカ水兵たちの感情は、愛国心に燃えた一人の勇敢な戦死が、同じ心をもって闘った戦士に感じる真の「人間性」であろう。それは、悲惨な戦争の美化ではなく、激戦の後、生き残った者たちが心の奥深く感じる戦争への虚しさだ。あの静寂は、生きるため、殺さなければならない人間の性への「鎮魂の黙祷」であったのだ。    (『國破れてマッカーサー』西 鋭夫著p24)

 特攻隊を過度に美化しようとは考えていません。若くして死んでいった彼らの真実を正しく観て欲しいのです。もしかすると多くの日本人より、「韓国海軍の若い艇長ら」の方がよく知っていて、特攻隊に身近かもしれませんね。
 テレビである論説者が「歴史は血と同じである」と言っているのを聞きました。まさにその通りであると思いました。そして、過去・現在・未来は、人の中で一体です。人は現在にいるのみではない。過去とは、今現在の文化・秩序・知恵・誇り、空気のように存在する日本という固有の無意識そのものを含んでいる。(それが今どんどん崩壊している。) 過去を失う(ゼロ)ことは、いや否定(マイナス)することは、未来へつながる具体的な人間像を見失うことであると断言します。(極端な例、人は「狼少女」にさえなれるのです。

 筆者は思う。「力強い人間」とは、過去(無意識)・現在(創出)・未来(希望)を、同時に備えている人のことを言うのではないでしょうか。

Q 中国はなぜこんなひどい国になってしまったのか?   Yahoo!知恵袋

2013年07月15日 11時00分14秒 | 色んな情報
Q 中国はなぜこんなひどい国になってしまったのか?   Yahoo!知恵袋

作成者: 京免 史朗さん

kyy070さん

中国はなぜこんなひどい国になってしまったのか?
私は以前は中国は比較的好きでした。
孔子や孟子生み出した国で礼儀と人徳のある国だと思いました。

しかし、ニュースや中国に関連する本を読むたびにショックを受けました。

例えばダム建設のために農民の土地をわずかなお金を与え暴力的に追い出したり、犯罪犯しても公安は賄賂を貰い見逃すなどしたり少数民族も大虐殺してます。チベット族など。
毛沢東はイギリスを追い越すなどと言い大躍進政策で数千万も殺してる。
経済には中国は外資に頼ってる状況でさらに企業独自の技術や独創性がないのでパクリ商品が多い。

孔子や孟子生み出した国がなんでこんな国になってしまったのですか?

※ ベストアンサーに選ばれた回答
slalkesjfさん

中華人民共和国を建国して以来、ずっと「百鬼夜行の国」でしたよ。

支那の歴代王朝と中国は別物です。漢民族は、支那5000年史のうち、2500年以上も被支配者でした。まさに、奴隷民族です。
ちなみに、孔子も劉邦も劉備も人肉を食べていたらしい記録が残っています。

漢民族は人に非ず。

漢民族:支那餓鬼(食人鬼)

これ、世界の常識です。

★中国人の語録
1 毛 沢東(マオ ツォートン)
・我が国は3億人の人民、つまり全人口の半分を失うことも辞さない。人口の半分を失っても中国にとって大きな損失とはならない。人間なら、いくらでも生産できるのだから。
( 資本主義陣営に対する総力戦を鼓舞する講演を行った)
・私を含め、中国人は世界一戦争好きな民族だ。

2 蒋 介石
・南京には大虐殺などありはしない。何応欽将軍も軍事報告の中で、ちゃんとそのことを記録しているはずです。私も当時 大虐殺などという報告を耳にしたことはない。松井閣下は冤罪で処刑されたのです。

3 魯迅
・中国人は人を人と見ない。
・中国人は奴隷になりたがる。
・私は中国人を見るとき、その人の考えや行動を、人間として最低なものとして考える。そうすれば、まず間違えない。

4 林語堂
・中華民族は根本的には「敗類」だ。

5 石 平 ← 帰化日本人
・「中国人は多すぎる。自分以外の人間は死ねばいい。」と思っているところがある。中国人には、人が死ぬのを楽しむところがある。

※ その他の答


ytadanukiさん の言っている
>>孔子孟子は、そのひどい国を嘆いていた人であって…
は正しいですね。
実際 孔子は徳のある人だったのかも知れませんが、
彼は生涯の殆どを冷遇されすごしています。

あえて そういう時代(儒教の時代)があったとするなら、前漢ぐらいではないでしょうか?
秦が弾圧した儒教を復活させたのも前漢です。

唐は仏教ですしね…。


つまり中国にとっては儒教などそういうものです。

古来からの思想として陰陽二元論、五行が強いわけで、
宗教でいうならば、つまり道教が強く、
三国志の時代の黄巾の乱も道教です。

あと日本人は孔子 孔子と言いますが、
日本がもっとも影響を受けたのは「唐」の時代です。

なので、
文化としては中国の影響が大きかったのですが、
思想的には仏教の影響を強くうけています。

また私たちが漢詩というのは実際には「唐詩」が主です。
李白や杜甫はその時代です。


江戸時代以降に儒教の研究がすすんで、
それを取り入れてきたわけで、
日本における儒教とは江戸からがメインとなります。
(それまでももちろん知られてはいました)

ちなみに中国では儒学といいます。

日本と中国韓国の儒教の視点はかなり異なってます。
日本はモラル的なものとして取り入れましたが、
中国は政治色(権威主義)としての利用が強いです。
(内容は同じだけと利用の仕方が違ったという意味です)

わかりやすいのは、日本から見て韓国の儒教です。
日本を弟分だと言うのもそういった儒教における
権威主義から来てます。

それは、
孟子の「事大」からくる、事大主義から来ています。
中国を兄貴分と捉えるのも、
「事大」における都合の良い解釈から来ています。


中国は他民族に征服されてきた歴史で、
日本が言う中華文化はその総称といえるものでしょう。
だから漢族が作り上げたというより、
歴史がそれを昇華させたともいえます。

しかし、モンゴルによって圧倒的に文化の下地を破壊されます。
なので、中華文明の収束地点となるのがその時期です。

それ以降は内乱や他民族との干渉が強いままで、
最後帝国である清国も満州族でした。

ちなみにチャイナ服といわれる服装、あれ満州族の服装です。
…悲しいですね。


中国はこんなに酷い国になったのか?という問いに対しては、

魯迅の「阿Q伝」
孫文の「この国の民は砂のようだ…」
からわかるように、
大衆の下地として元々素養はなかったのです。

漢字という文化も一部の知識階級のものでした。
識字率もずーっと低かったんです。

中国はすばらしい、中華は偉大だは日本人の幻想です。

なので個別で
孔子というすばらしい人がいた。
杜甫、李白などすばらしい詩人がいた。
という表現が適切かもしれません。


※コメント
・マコト
同感です。支那の歴史を学べば学ぶ程、日本とは異質であるとわかります。穴掘って、捕虜を埋める…なんて話は日常茶飯事です。


Toyoyuki Nishizaka     私も質問者に近い思いが有りました。
この場で更に支那人を理解できた気がします。

たかし   中国人は四本脚は机以外は何でも食べるとよく言われるものだが、二本脚も食べるらしい。中国人が作ったアニメに親を食べる話が出てきたのを見たとき、やっぱり本当だったのかとぞっとした。胎児をも食べている。笑いながら食べている写真を見て、こいつら人間じゃないと思った。同じアジアだけど、中国人は欧米人よりも理解できなくて当然だ。

よしひと     良い中国人ははるか昔に追われて、日本に渡ってきたのではないでしょうか?

暗に安倍総理暗殺を匂わせました。

2013年07月14日 20時07分26秒 | 色んな情報
暗に安倍総理暗殺を匂わせました。
京免 史朗
さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」より

「伊藤博文を殺せなかった安重根が義士とは韓国らしい」

朴槿恵大統領が訪中時に習近平国家主席に「安重根の石碑建設」を要請したことに対し、安倍首相は「伊藤博文は日本人が尊敬する偉大な人物。韓国と日本はその点を互いに尊重すべきだ」と発言しました。
また、韓国の反日団体・活貧団は「極右が主流の安倍政府が独島上陸など予想のできない危険な行動と威嚇的挑発を止めない場合、第2の安重根義士の出現をむかえるだろう」と暗に安倍総理暗殺を匂わせました。

歴史が消された国は悲劇であります。
朝鮮独立の志士といえばまずは金玉均の名前が上がります。彼こそは清国支配下の朝鮮から脱して独立しようとしたのです。そのモデルは日本の明治維新でした。
1884年、清仏戦争で宗主国の清国がフランスに敗れると、金玉均は日本の支持を得てクーデターを起こし、新政権を立てました。早速、新政権は清国への朝貢を廃止し、困窮する財政を立て直すべく財政改革を打ち出し、治安の維持などを発表しました。

しかし、150人の日本軍に対して1300人の清国軍が攻撃してきました。この戦闘で戦死した日本人は1名だけであり、清国側は53名の戦死者を出しました。多勢の清国軍により日本公使館は焼き払われ、日本婦人の多くが惨殺されました。
これにより日本中が怒り、清国とも戦争を辞さず、との声が上がりましたが、伊藤博文は「今の日本にはその力はない。今日本と清国が戦えば利するのはロシアである」として戦争を回避しました。

これにより金玉均らは日本に亡命しました。朝鮮政府は身柄引き渡しを要求してきましたが、日本政府は拒否しました。しかし、金玉均は同士の裏切りに遭い、上海に連れ出されて殺されました。その死体は清国軍艦で朝鮮に運ばれ、頭、手、足をバラバラにされ朝鮮各地にさらされたのです。父は死刑、母は自殺、弟は獄死し、一家は全滅しました。金玉均の遺髪を日本人が持ち帰り、彼の葬儀は浅草本願寺で盛大に営まれました。

こうしてみても朝鮮の真の義士は金玉均であります。当時、清国やロシアの侵略から朝鮮を守ろうとして志半ばにして倒れた金玉均。しかし、今の韓国では彼がいかに愛国者であったかを語られることはないのです。なぜなら彼を殺したのが朝鮮人だからです。日本人に殺された、日本人を殺した、ということしか彼らの注目はないのです。
伊藤博文を暗殺したといわれる安重根は義士として讃えられています。しかも、日本の教科書には写真入りで登場しています。

安重根は本当に伊藤博文を殺したのか。
伊藤博文はロシア帝国蔵相のココフチェーフとハルピンで会談し日露同盟を結ぶことを考えていました。アメリカと国際金融資本にとってはこの同盟を抹消すべく安重根を利用したのです。
伊藤博文の体内の弾丸には安重根のブローニング拳銃の弾丸はなかったのです。伊藤を殺した弾丸は上部から撃ったフランス騎兵銃の3発でした。

このように安重根は暗殺に利用されたピエロだったのです。このピエロを義士とする韓国こそピエロであるのです。ピエロの石碑の建設を要請したり、第2のピエロの出現と脅したつもりで言ったり、歴史を失った韓国は反日こそが正しい歴史であると思い込んでいるのです。