「人間には、命を懸けなければならない時がある」
ー国際派日本人養成講座ー より
福島第一原発の大惨事を食い止めた男たち
京免 史朗
■1.自分と一緒に「死んでくれる」人間の顔を思い浮かべていた
福島第一原発所長・吉田昌郎の様子に「異変」が起きたことを、その背後に座っていた企画広報グループの猪狩典子は見逃さなかった。
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あの時、もう最後だと思いました。それまで席に座っていた吉田さんが突然、立ち上がったかと思うと、机の下にそのまま「胡座」をかくように座ったんです。吉田さんは、しばらく頭を下にして、目をつむっていました。私は、ああ、(プラントが)もうダメなんだ、と思いました。[1,p251]
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震災発生から4日目の3月14日夜、不眠不休のまま吉田は緊急時対策室で指揮をとっていた。1号機に続いて3号機で水素爆発が起こり、その影響で2号機の冷却機能が失われ、核燃料の格納容器の圧力が高まり、その爆発という最悪の事態がいつ起きても不思議ではなかった。吉田はそれに備えて、協力企業の人たちを待避させたばかりだった。吉田は後に、こう語っている。
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私はあの時、自分と一緒に「死んでくれる」人間の顔を思い浮かべていたんです。
その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。・・・あとはもう神様、仏様に任せるしかねぇというのがあってね。
何人を残して、どうしようかというのを、その時に考えましたよね。ひとりひとりの顔を思い浮かべてね。[1,p254]
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■2.日本は「三分割」されていたかもしれません
格納容器が爆発するとどうなるか、吉田はこう考えていた。
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格納容器が爆発すると、放射能が飛散し、放射線レベルが近づけないものになってしまうんです。ほかの原子炉の冷却も、当然、継続できなくなりますから、全部でどれだけの炉心が溶けるかという最大を考えれば、第一と第二で計十基の原子炉がやられますから、単純に考えても、「チェルノブイリx10」という数字が出ます。[1,p356]
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斑目春樹・原子力安全委員会長(当時)は、これを聞いて、こう語った。
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私は最悪の場合は、吉田さんの言う想定よりも、もっと大きくなった可能性があると思います。近くに別の原子力発電所がありますからね。福島第一が制御できなくなれば、福島第二だけでなく、茨城の東海第二発電所もアウトになったでしょう。
そうなれば、日本は「三分割」されていたかもしれません。汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道や西日本の3つです。日本はあの時、三つに分かれるぎりぎりの状態だったかもしれないと、私は思っています。[1,p256]
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■3.やらなければならないことが、頭の中で回転し始めた
地震発生から1時間ほどして、「非常用電源がオフ! 停まりましたぁ!」という声が響いた時が、吉田が最初に最悪の事態を想定した瞬間だった。
「どういうことだ!」と吉田は反射的に叫んだ。「わかりません」「なぜなんだ? すぐ確認しろ!」「はいっ」
地震のあと起動して今まで動いていた非常用電源が停まったという。やがて、次々と情報が入り始めた。10数メートルもの津波で非常用電源装置がやられ、中央制御室が真っ暗になり、すべての計器が動かなくなってしまった、、、
「そうか、、、(全電源喪失で)最悪の事態が来るかもしれない」と吉田は考えた。チェルノブイリ状態になるかもしれないと思いながらも、やらなければならないことが頭の中で回転し始めた。
原子炉を電気で冷やすことができなければ、水で冷やすしかない。水なら海にいくらでもある。その水をプラントに入れるには、消防車しかない。多くの専門家が驚くのは、この段階で吉田が、消防車の手配まで行わせていたことだ。
3台あった福島第一原発の消防車のうちの2台は津波にやられ、稼働可能だったのは、たまたま高台にあった一台だけだった。それが分かった5時過ぎには、吉田の依頼が自衛隊に伝えられ、福島第一原発に消防車が向かうことになる。自衛隊の消防車が事故の拡大をぎりぎりで止める事になるとは、この時点では誰も予想していなかった。
長年、原発の補修や運営に携わってきた現場のプロだけが持ちうる直感的判断だったのだろう。
■4.人力でバルブを開け、水の通り道を確保する
消防車で水を運んだとしても、それで原子炉を冷やすには、水の通り道を確保する必要がある。格納容器の外側を覆っている厚さ2メートルほどの遮蔽コンクリートがあり、それを突き抜けて入る配管が何本か通っている。消防車のポンプから、この配管に水を入れれば良い。
しかし、その配管にはいくつかのバルブがあって、その一つでも閉まっていると、冷却水が通らない。電源さえあれば、中央制御室ですべてのバルブの状態を見ることができるし、開閉操作もスイッチ一つでできる。
しかし、非常用電源すら落ちた状態では、各バルブがどうなっているのか、まったく分からず、また開けるにしても、プラントの中に入り込んで、人力で開けなくてはならない。
吉田からの指示を待たずして、制御室のメンバーはプラントの図面を見ながら、どこにどのバルブがあり、冷却水を通すためには、どのバルブを開けるべきか、との検討を進めていた。これも吉田と同様、現場に精通したプロたちの判断であった。
津波後、数時間の間に放射線量が上がり始めていたので若手を外し、ベテランたちが原子炉建屋に入り込んた。重い防護服を着て、階段やはしごを上り下りし、直径60センチもあるハンドルを回して、バルブを開ける。放射能が急上昇したり、大きな余震があったら逃げ場のない危険な作業であった。
最後のバルブを開けた時には、午後8時頃になっていた。放射線量はますます上がり、午後11時には原子炉建屋に入れるレベルではなくなっていた。
このタイミングを逃していたら、バルブを開けることはできず、冷却水の通り道を確保できず、炉心溶融がすぐに始まっていただろう。この作業に取り組んだ一人は後にこう語っている。
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危険は感じていましたが、やはり誰かがやらないといけなかったわけです。われわれ運転手には、やるべき使命があるんで、これは当然のことだったと思います。
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■5.最初の水が原子炉に注入された
「水を注入する方法は、全部現場で考えました」と吉田は語る。海水を入れるには、海面と建屋のレベルが10メートルも違うので、この高さまで持ち上げるポンプがない。では、どうするか。
考え抜くうちに、3号機にある「逆洗弁ピット」という巨大なプールに、たまたま押し寄せた海水がたまっていたので、それをまず入れようということになった。
しかし、逆洗弁ピットに近づくには、津波で散乱したおびただしい瓦礫やゴミを取り除かねばならない。またテロ対策のための厳重な柵を壊さなければならない。
暗闇の中、重機を動かして、消防車の動く道を作るという作業が猛然と行われた。これらの作業によって、最初の水が原子炉に注入されたのは、翌3月12日明け方の4時頃だった。津波から12時間が経過していた。吉田はこう語る。
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海水注入なんて、誰でもすぐにできると思っているかもしれませんが、そんなことはないんですよ。それを簡単にできるかのようにおっしゃる方もいますが、そういう話を聞くと、憤りを感じますね。
現場が、どんな気持ちで水を見つけ、そして進路を確保してやっているのか、そういうことをまったくわからないまま、想像もしないまま、話していますからね、頭で考えるよりも、時間はいくらでもかかるわけです。[1,p101]
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■6.「まず総理だけが降りますから、すぐには降りないで下さい」
ようやく水の注入が始まった頃、「菅首相が来ます」という耳を疑うようなニュースが入ってきた。最悪の事態を防ぐために、現場で不眠不休の対応を続ける吉田に、ヘリコプターをどこに留めるか、そこから首相らをどう運ぶのか、ただでさえ足りない防護マスクをどうするのか、など、余計な時間を使わせた。
菅によると、東電本社側が説明できない点があるので、直接現地に来たという。しかし、ヘリが着陸した時に、他の乗員がまず降りようとすると、写真撮影のために「まず総理だけが降りますから、すぐには降りないで下さい」と待たされた事が、菅の魂胆を明らかにしている。
建物に入る際に、係員が汚染をチェックしようとすると、「なんで俺がここに来たと思っているんだ! こんなことやっている時間なんかないんだ!」とフロア中に響く声で怒鳴りつけた。自分が来たという証拠写真を撮る時間はあるが、建屋内で奮闘している人々を放射能から守るための汚染チェックをする時間はないということである。
周囲を怒鳴り散らしていた菅も、吉田の的確な説明に気押しされてか、少し落ち着いきを取り戻したようだった。しかし、この間に貴重な吉田の時間が20分も費やされた。怒鳴り散らすだけの菅首相が多少落ち着きを取り戻した事以外に、この訪問の具体的な成果は見当たらない。
■7.「官邸が、グジグジ言ってんだよ!」
官邸からの過剰介入はこれに留まらなかった。1号機の爆発の後、放射線量増加の危険を冒して、本格的な海水注入を始めた直後、吉田の前に置いてある固定電話が鳴った。
「おまえ、海水注入はどうした?」 官邸に詰めている東電の武黒一郎フェローである。後輩の吉田とは「おまえ」と呼ぶ間柄であった。「やっていますよ」と吉田が平然と答えると、「えっ、本当か。それ、まずい。とにかく止めろ」と命令する。
「なんでですか。入れ始めたのに、止められませんよ」と言う吉田は、武黒の次の言葉に驚いた。
「おまえ、うるせえ。官邸が、グジグジ言ってんだよ!」
「なに言っているんですか!」とすさまじいやりとりになった。
菅は、海水注入によって再臨界などいろいろな可能性があるので、よく検討せよ、という指示を出した、と後に国会で答弁している。一国の総理が、原子炉の専門家でもないのに、こういう技術的な問題まで口を挟んでくる異常さが本人には分からないようだ。
なんで「素人」の理不尽な要求が、現場の最前線で戦っている自分のところに飛んでくるのか。吉田は、腹立たしくてならなかった。原子炉を冷やすには、水を使うしかない。限られた淡水がなくなったら、海水を使うしかない。それがなぜ分からないのか。
その直後、本店から吉田に海水注入中止命令が下った。本店が官邸の意向に従ってしまったようだ。しかし、吉田は先回りして手を打っていた。
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本店から海水注入の中止の命令が来るかもしれない。その時は、本店に(テレビ会議で)聞こえるように海水注入の中止命令を俺が出す。しかし、それを聞き入れる必要はないからな。おまえたちは、そのまま海水注入を続けろ。[1,p221]
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吉田は原子炉という正面の敵とともに、後ろから足を引っ張る官邸とも戦わねばならなかった。
■8.「人間には、命を懸けなければならない時がある」
吉田の「独断」によって海水注入は続けられ、さらに応援に駆けつけた陸上自衛隊中央即応集団や東京消防庁スーパーレスキュー隊が、消防車やヘリから決死の放水を行った[a]。こうした人々の執念に負けたかのように、暴走しかけた原子炉も徐々に熱を失っていった。
吉田がサラリーマンのように本店の海水注入中止命令に素直に従っていたら、どうなっていたか。「チェルノブイリx10」が起こって、我が国は東北・関東が死の国となって「三分割」されていたかもしれない。吉田昌郎所長と所員たち、自衛隊諸士、消防員たちのまさに命懸けの行動によって、そのような事態はギリギリのところで避けることができた。
[1]の著者・門田隆将氏は、吉田所長をはじめとして、実に90名以上の人々の話を聞きながら、この見事なドキュメンタリーをまとめた。氏はあとがきにこう記す。
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私は、このノンフックションを執筆しながら、「人間には、命を懸けなければならない時がある」ということを痛切に感じた。
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吉田昌郎氏はその年の末に食道ガンが発見され、その後、入退院を繰り返し、この7月9日に亡くなった。原発事故の際の極度のストレスが原因ではないか、と言われている。
ご冥福をお祈りするとともに、吉田昌郎氏とその仲間たちが命を懸けて我々を守ってくれた恩にどう応えるべきか、我々はそれを考えなければならない。
(文責:伊勢雅臣)