先月10月22日 静岡県三島市の「山中城跡」に行って来た
山中城は北条氏(鎌倉幕府の執権を担った北条氏とは別の家系)により
豊臣秀吉による小田原城攻めに対する西の備えの支城として
箱根外輪山の西側斜面標高580mに建築された
その範囲は東西1・7㎞ 南北2.6㎞
しかし 曲輪(くるわ)や堀等の増築 整備途中の1590年3月29日(天正18年)
豊臣秀吉の約70,000人の大軍が押し寄せ山中城を包囲
これに対し 北条氏の兵はわずか約4,000人
その差は約17倍
たった半日で山中城は落城してしまった
山中城の特徴は地形を活かした山城で
障壁として「畝堀(うねぼり)」と「障子堀(しょうじぼり)」が有名
「畝堀」は堀の中に一列に畝を残すようになっているが
「障子堀」は畝が網目状になっている
敵が攻め込む為には畝の上を一列になって進むしか無く
守衛側はその手前を重点的に守れば良いという効率的な防御策
結果的には負けてしまったが こうした策の効果は有ったはず筈だ
「障子堀」はその見た目がワッフルに似てるって ほんとだ
当時はローム層(赤土)がそのまま露出し
滑りやすく 堀底の深さは今より深く
落ちたら脱出不可能な蟻地獄
現在は風化を防ぐ為に芝が張られたり等
三島市が管理整備してくれているので
こうして遠い戦国時代の儚さと
知恵と技術と多くの人たちの頑張りの跡を垣間見ることが出来た
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