あおぞら文化村便り =フォト俳句 エッセイ 野菜作りと今日の一品 縄文のこと=   

何でもありの文化村から発信します。野菜作りのこと、迷シェフの今日の一品、ネイチャから路地裏まで写真三昧、そしてフォト俳句

No.52 民話の里「遠野」を訪ねて2024.05.09-11

2024-05-25 09:39:01 | 考古学

No.52 民話の里「遠野」を訪ねて2024.05.09-11

遠野(岩手県)を訪ねて 2024-05-10 / ミトノミミズクさんのサイクリングの活動データ | YAMAP / ヤマップ

ここのところ、春野菜の苗を作ったり、ソラマメやジャガイモの手入れをしたりで、遠出もできず家の周りをウロチョロしている日々が続いていました。人間の身体って(自分のことだけかもしれませんが)じっと一か所に留まっていると、モヤモヤやイライラが蓄積されてきて、そのうちに、どこかにぱあーと飛び出したくなる見たいです。そんなわけで、ぱあーと遠野(岩手県)まで車をひたすら走らせ、現地に滞在三日間、清々しい気持ちに浸ってきました。

柳田國男の「遠野物語」の世界です。

物語に登場する、ダンノハナ、デンデラ野、サムトの婆、カッパ渕…

遠景に雪形の残る早池峰山を望みながら、ひたすら、myチャリンコで終日走り捲りました。チャリに取り付けていた走行距離計が作動していなくて、推定ですが30kmくらい、町の中、水が張られた畑の脇道、猿ケ石川や小烏瀬(こがらせ)川の畔など、あらかじめ調べてあったポイントを昼飯もそこそこに訪ね回りました。

 昨年(2023年)の初頭、朝日カルチャ講座で新谷尚紀(たかのり)先生の「遠野物語と柳田國男」を受講して、近々訪ねてみたいと思ってずっと温めていた遠野。

これまで旧石器時代や縄文のいわゆる先史を中心に「ひとり研究会」をやってきましたが、ここにきて、もう35年も前のことになりますが放送大学で学んでいた民俗学、民族学、博物館学など「人間の探求」コースを思い出し、卒論ゼミの故宮田登先生(当時筑波大学教授)との懐かしい思い出もあり、ふたたび蓋を開けたという訳です。

「遠野物語」に登場する館や淵、土地の名前、遠野三山の位置確認、町と里山そして山など、かなり詳細に2満五千分の一の地図上にメモをしておいたので、この自作の“観光”案内図に沿って、20インチの折りたたみチャリを駆使して東奔西走、走り捲りました。写真の撮影枚数は約900枚、こんなにシャッター切れるのもデジタルのおかげです。フィルム時代にこんな撮り方をしていたら、とんでもない金額になってしまいます!

遠野に住んでいる人たちとの会話も楽しかったです。このような会話ができるのも多分チャリを使って、いつでもストップできる、「こんにちは」と気軽に声をかけ、また、かけられる。そんなことが、いとも自然にでてくるからでしょう。

元祖「明けがらす」遠野名産の和菓子。三センチ四方、7㎜程度の厚みのあるお菓子で、米粉とクルミ、外側は求肥が巻いてあり、焦がしのような食べ物です。店舗に入ってしばし和服を召したおかみさんとお話をすることができました。大繁盛していた頃の遠野の町、祭のことや、民話のこと、柳田国男様のこと、そしていまの遠野が抱える悩みなど、まるで井戸端で隣のおばちゃんと話をしている感覚です。

たくさんの収穫があった遠野行でした。

高清水山頂から眼下に望む遠野盆地には、稲作の準備で張られた水がきらきら朝日に輝いていました。

その奥には六角牛(ろっこうし)山、北には霊峰早池峰山。

忘れることのない有意義な三日間を過ごした遠野を後に、帰りはひたすら海道筋の「三陸道」を一気に南下。

仙台東道路を突っ走り常磐道に入り、ああ、戻ってきたなと、何か素晴らしいことを成し遂げたような気持で無事、自宅にたどり着きました。

 

#遠野 #柳田国男 #明けがらす #早池峰山 #民話 #かっぱ #おしらさま

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No.42 オジロワシと縄文人  2023.12.10

2023-12-14 17:08:33 | 考古学

No.42 オジロワシと縄文人  2023.12.10

山梨県立考古博物館では、シリーズものの講義として「館長講座」を年に4回開催しています。今年の第3回講義が12月9日にありました。オンラインで受講できるので甲府市の現地まで出向くこともなく、自宅の勉強机に座りPCを開きます。PCの音声は少し小さいので、ブルーツース機能を使って単体のスピーカーに接続して聞きます。さらに臨場感をもたせるために画面を大きくして見たいので、PCとTVをコード接続して画像転送します。講義資料はあらかじめ送付されたメールの添付資料をプリントアウトして手元に用意しておきます。そしてゆったり気分で、脇にコーヒーカップを置いて90分の講義を楽しんでいます。

 今回のテーマは、「金正遺跡と石棒儀礼」 

金正遺跡(きんせいいせき)は北杜市にある国指定の縄文後期(4,400年前~)から晩期(3,000年前~2,700年)にかけての、特に祭祀を行った遺跡として高い価値をもっています。

配石遺構と言われる石を用いた石棺墓や住居群、石棒(男性器を表現した遺物)、大量のイノシシの殺戮(供犠)があったことを思わせる骨の出土など、縄文時代の儀式を探るうえで貴重な遺物が見つかっています。

講義資料の中に、興味ある部分がありました。供犠に使われたと思われるトリです。出土場所はなんと私の住んでいる水戸市の隣り町、ひたちなか市の「三反田しい(虫辺に見るという字)塚貝塚」

オジロワシの全身骨格を実測した図です。

講義終了後、ひょっとしたらということで、「ひたちなか市埋蔵文化財調査センター」にオジロワシの遺物の情報を聴くべく電話したところ、なんとケースに入って展示されているとのこと。

 さっそく翌日(10日の日曜日)出向きました。自宅からはおおむね15キロメートル、車で30分程度の距離です。

ありました、ありました。靴を脱いでスリッパに履き替え通路をまっすぐ進んだその先にガラスのケースに入った「オジロワシ」の骨格が! 感激です。

 このオジロワシ、住居址の人骨と近い距離に埋葬された形で発掘されたようです。ただし大きな特徴として頭部がありません。

このことは、金正遺跡や千葉県茂原市の下太田貝塚などの「イノシシ」の供犠に見られる頭部を切り取っているのと共通点があります。

 ここ三反田しい塚貝塚でも、供犠としてトリが供されたことが想定されます。

11時過ぎに当調査センターを訪れたのですが、他に来訪者は私ひとり。そのため学芸員の女性の方から様々なお話、情報をたくさん得ることができました。さらにはオジロワシが発掘されたときの報告書のコピーもいただくことができました。ありがとうございました。

 この調査センターは、「虎塚古墳」の壁画が見つかったことでも重要な場所で、さらには今年「十五郎穴(じゅうごろうあな)横穴群」が国指定の史跡になることが決まりました。

前方後円墳の虎塚古墳の内部石室には、色鮮やかな彩色が施されています。

また、7世紀初めの古墳時代末期に作られた十五郎穴横穴群の一つ一つの穴は、身分の高い人の墓です。墓からは正倉院宝物にある太刀と同形のものなどが出土しているとのことです。

 調査センターや十五郎穴の周りは、畑あり藪あり、のどかな風景です。すぐ近くには北関東自動車道路が海側に見えます。

 東側およそ1キロメートル先は、広大な太平洋。遺跡の有るところは標高差20メートル程度の台地上です。周囲の一段低いところには谷地が広がっています。貝輪などの装飾品も多数出土していて、豊かな縄文の生活が垣間見えます。

 日溜まりのベンチに腰を下ろし、ここに来る途中で買ったサンドイッチを頬張りながら、遺跡を独り占めしている今の自分。「幸せだなあ」と加山雄三よろしく鼻の下をこすりながら大空を仰いでいました。

 

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No.40 見てきました「星降る中部高地の縄文世界」特別展

2023-09-06 16:46:31 | 考古学

No.40  見てきました「星降る中部高地の縄文世界」特別展

山梨県立考古博物館で開催された「黒曜石ネットワークによる物流と人流」というサブタイトルの特別展、見てきました。

8月27日(日)、今年の猛暑のさ中、それも全国トップレベルの高温記録を出している甲府市へ。

現地に早朝に着くべく夜間走行、日中の暑さを避ける意味でも正解でした。

車のリア部分はいつでも横になれるようにしつらえているので、PAに入るたびにちょこちょこごろ寝。

自称、マイカーを「動くバンガロー」と呼んでいます!

何なら超軽量山岳用テント一式積載しているので、野っ原でもあればいつでも10分程度設営完了。今回はその必要はなかったですが。

水戸→常磐道→つくばJCT→圏央道→八王子JCT→中央道→上野原IC  ここで高速道路とお別れして、甲州街道国道20号を走ることにしました。一度この街道を走ってみたかったのです。

高速を降りる直前の上野原PAで2時間弱の仮眠、空が薄明るくなってきた午前4時30分頃に一般道路に出ました。6時頃に勝沼にある釈迦堂縄文遺跡博物館の駐車場に車を入れ、30分程度休憩して甲府市郊外の山梨県立考古博物館には7時30分頃無事到着しました。

9時開館なので、それまでの間、少しウロチョロし、また仮眠をして時を過ごしました。

 

展示室に入ると、いきなり黒曜石がドーンと目に飛び込んできました。黒光りして迫力満点。

展示の仕方も分かり安く、サブタイトルにもあるように物流・人流を主体に縄文人の当時の地域間を交流する姿が目に映るように理解でき、なかなかの展示だなあと感心しました。

 

昼 

さて何を食おうか そうそう その前にいつも愛飲しているワインのサドヤを覗いてみよう それと武田神社だな

というわけで、市内に向けて車を走らせました。

が、

サドヤさんではあいにく車を止める場所が満車で外観だけ見て素通りです。

では、武田神社へ

ところが、さすが観光スポット、この暑いのに大勢の人、駐車場もかなり離れたところまでいかねばならず、まあ、鳥居と雰囲気だけ見たからいいや

さて飯か、午後1時だ

といって市街地に戻るのももどかしく、結局のところ、国道沿いにあった名前忘れましたが「ラーメン屋」に。

外の気温、半端じゃない、10m歩くのもしんどいほど!

 

早々に帰途に着きました。

のんびり走行

甲府→国道411号大菩薩ライン・青梅街道→奥多摩湖→青梅IC→圏央道→つくばJCT→常磐道→水戸IC

午後7時 無事帰着と相成りました。往復約550キロメートル!

 

一体全体、縄文の勉強にいったのか、それともまるでドライブだったのか、とにかくその晩は熟睡・爆睡でした。

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No.11 秋田・青森 縄文遺構探訪のはずが?! 

2016-12-20 12:27:34 | 考古学
No.11 秋田・青森 縄文遺構探訪のはずが?! 

あわただしくJAL便の予約をとったのは11月末。マイルの有効期限が一部期限切れになる直前でした。12月13日(火)羽田7:10発、8:20秋田空港、15分後のリムジンバスで秋田駅着9:50。いよいよ2泊3日電車の旅の始まり、奥羽本線~五能線:秋田⇒弘前⇒五所川原⇒深浦⇒能代⇒秋田の巡回。
 
 鷹ノ巣駅下車:最初の訪問地は縄文遺跡のある伊勢堂岱(いせどうたい)資料館
駅からタクシー利用 資料館に行く旅行者には特別割引あり大助かり。この遺跡付近では、今年、熊の出没が大変でストーンサークルのある広場には見学者を入れなかったとのこと。新聞やテレビなどで報道された人を食った熊もこの近く鹿角市。

 昼飯は大館駅で下車し比内鶏御膳。駅前では秋田犬(あきたいぬ)の親子のブロンズ像が出迎えてくれました。
そして1泊目はホテルルートイン弘前。大浴場が気持ちいい、思いっきり脚を伸ばして、そして灯りがつき始めた頃、カメラぶら下げ裏通りの探訪へ。
 “遺跡探訪”の筈がいつの間にか“裏通り探訪”に(いつものパターンですが)
“味よし、盛り付けよし、ボリュームよし、酒もよし、そして値段は格安で”が私の店探しの必須条件。高くてうまいは当たり前、不味けりゃ それは ぼったくりなのです。
居酒屋「なごみ」大当たり! なんと、色紙をみたら“香西かおり”“林家木久扇”などなど、恐れ入りました。

翌早朝、五能線木造(きづくり)駅で下車:亀ヶ岡遺跡があるところで遮光器土偶(重文指定)で有名。
時節柄来館者も居ないので、切符切り兼館長さんとたっぷりお話しすることができました。

能代駅:今夜のホテルもルートイン。周囲にはファミマも何も明かりがない!一軒だけ居酒屋が。ここしかない、他に行きようがないのです。ところが、この店、入ってびっくり、座ってびっくり、ボリューム満点見た目も抜群の舟盛り、白子の天ぷら、はたはたの塩焼き、地酒、そして“びっくりぽんぽんぽん”のお値段(超格安!)おにぎり2ケをつけてなんと2,980円(美酒込みで)、参りました!
こうして二泊三日の小旅行は、中身のいっぱい詰まった思い出に残る旅となりました。
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No.9 岩宿遺跡を訪ねて 旧石器時代はここから始まった!

2016-11-06 14:23:32 | 考古学
No.9 岩宿遺跡を訪ねて 旧石器時代はここから始まった!


縄文時代に興味を持ち、これまでいくつかの遺跡や博物館を訪ねたり、高名な研究者の講義を聴いたり、少々お高い書物なども買い集め、ライフワークとして考古学を学んでいます。

今回訪ねたのは、群馬県みどり市にある岩宿遺跡
「日本列島には旧石器時代はない」というそれまでの学説をくつがえしたことで有名です。このことは日本歴史学上の重大な事件でした。

1946年に、在野の研究者でもある行商人の相沢忠洋氏によって発見されました。35,000年前の世界が顔を覗かせました。

秋の一日、水戸線、両毛線とローカル線を乗り継いで、のどかな岩宿駅に。柿の実が青空に映えていました。

岩宿遺跡の発掘には明治大学が深くかかわっており、昭和24年9月、杉原荘介氏をはじめとする同大学考古学研究室の学術調査が行われ,そして,このことが日本における本格的な旧石器文化研究の幕開けとなりました。

岩宿博物館内の資料は撮影禁止のため、数々の旧石器の写真は今年3月に訪れた駿河台にある明治大学博物館で撮影したものです。明治大学博物館では、重要文化財として展示されている旧石器資料も多数展示されていました。

2015年に朝日カルチャ新宿において、5回シリーズ(1回あたり2時間)で、明治大学名誉教授の安蒜政雄先生による講義を受けました。その時の資料を携えながらケースのなかの,黒曜石を削って作ったナイフ形石器,これはもう完全に刃物です。頁岩、安山岩の石器も多数出土しています。

縄文時代もそうですが、どんな生活をしていたのだろうとか、何を食べていたのだろうとか、何を考えていたのだろうとか、このような遺物を通して想像の世界が広がります。

さて、次はどこに行こうか?
極寒の冬には、彼らはどこに住んで寒さをしのぎ、何を保存して食べていたのだろう、野兎を追っていたか? 旧石器時代の地層から何かの骨でも出てこないか?

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