あおぞら文化村便り =フォト俳句 エッセイ 野菜作りと今日の一品 縄文のこと=   

何でもありの文化村から発信します。野菜作りのこと、迷シェフの今日の一品、ネイチャから路地裏まで写真三昧、そしてフォト俳句

No.35 今年も ノン・ブラック展 開催します 2023.07.10

2023-07-20 19:10:38 | 展示会

 

No.35 今年も ノン・ブラック展 開催します 2023.07.10

 

先週来の猛暑も今日は、少しは緩和、日中なんとかエアコンなしで部屋にいることができました。それでも30度、ですが北からの風が部屋をすり抜けていくので、とても爽やかな感じでした。

実は、今日のような夏が自分は一番好きなのです。こんな爽やかな風に当たると、はるか昔となってしまった中学生か高校生の頃の自分を思い出すのです。二階の風通しの良い廊下で勉強していた中学生時代、高校時代では、当時卓球部だった私は、夏休み、一人練習でほとんどだれも来ていない学校で、卓球台を出して、対面に台の半分を立てかけて、繰り返し繰り返し、打つ、あるいはサービスをする、汗を拭きつつ黙々とやっていました。その甲斐があってか、当時は市の代表になるまでには確か7回勝ち抜かねばならないほどの卓球ブームでしたが、県大会に出場することができました。またある時は、生物クラブで網を持って学校の近隣の林や田んぼをうろつきまわっていたことも、またまたある時は2泊3日の裏磐梯キャンプと登山、みんなみんな、ひた向きだったころの夏の思い出です。

 

なんちゃって、昔を思い出すことができる余裕ができたのも、何のことはない、7月26日(水)から始まる、我が所属する「ノン・ブラック美術集団」の展示会に出す作品作りが完了し、ほっとしたからです。この展示会、歴史は長く1969年創設で、今年で第63回を迎えます。メンバー構成が、茨城県も日立市、ひたちなか市、常陸太田市、東海村、水戸市という極めてローカルな美術集団で、近年メンバー数が減少気味ではありますが、それでも油彩、水彩、工芸、写真のそれぞれの部門あわせて約40人ほどで構成しています。まあ、とにかくみんな、好き勝手に作品作りをやっています。いや失礼、個性豊かな作品作りでした! 

 

以下の日程でやっていますので、大きな展示会場で避暑地に行くつもりで、のんびり過ごすのもエアコン代節約に貢献できると思います。

会期 2023年7月26日(水)~7月31日(月)

9:30-17:00

会場 ザ・ヒロサワ・シティ会館(旧名称 茨城県民文化センター)

      茨城県水戸市千波町東久保697 029-241-1166

入場無料 ただし駐車場料金が若干かかると思います。

 

 

 

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No.34 シカ管理専門員と歩く 奥日光 2023.06.10

2023-07-02 22:29:26 | 

No.34 シカ管理専門員と歩く 奥日光 2023.06.10

 

 普段、一般の人が立ち入ることのできないエリアを含む「シカ侵入防止柵」に沿って歩いてきました。奥日光ビジターセンターのイベントです。

「どうするシカ問題」という何やら難しそうなタイトル。にもかかわらず、総勢12人、内専門員が4人なのでほぼマンツーマンに近い密度の濃い観察会となりました。

 

 今までごく当たり前に自然と接触してきた私たち、山に入れば「自然っていいね」 とか 「うわーきれいっ」 とか 「素敵!」とか、自分にとって居心地のいい場所に身を置き、安らぎや癒しや思考など、非日常的なかけがえのない時を享受してきました。

 今回の観察会は、そこから一歩踏み込んで 「この自然大丈夫?」 「いつまでこの景色見られるの?」 「この先どうなってくの?」 という視点で足元を見つめてみようという試みでした。

 ビジターセンターが主催するイベントには、これまで随分と参加して楽しい時を過ごしてきました。その中にあって今回の “シカ柵問題イベント” は、従来とはかなり違った雰囲気を同行したメンバーから感じ取りました。それは、専門員との質疑応答、参加者同士の会話の内容、どれも専門性の高い内容を含んでいて、しかも活発に行われていたことです。

 自然環境に対する意識が、徐々に一般の人たちにも高い関心をもって受け止められるようになったのだなと、あらためて思いました。

 

 さて、肝心のシカ問題ですが、これはこのブログで紹介できるような簡単な内容ではありません。たくさんの論文が全国の関係部署や大学の研究として公開されています。

とはいえ、奥日光におけるシカ問題、そのアウトラインだけでも押さえておくために、以下、自分なりに箇条書きにして整理しました。(主に「奥日光のシカにまつわる話」ビジターセンター資料より)

 

①奥日光のシカの動き

冬:限られた餌を求めて、比較的雪の少ない足尾や男体山、女峰山,太郎山な どの南面に。

夏:温暖化の影響もあり、生息域は尾瀬からさらには新潟県内にまで。

春~初夏、秋:奥日光はもちろん、生息域は栃木、群馬の両圏域にまたがって。

②いつ頃から増えた?

1980年代後半から増えて1990年代以降急速に増加

理由:1984年の大雪で大量のシカが死亡したが、生き残ったシカは、

その後の積雪量の減少などにより、エサも豊富になり、繁殖旺盛、急速に 増加 

③どうして増えた?

・地球温暖化により積雪量が減少したことや、狩猟者の減少。

・シカの高い繁殖力

・なわばりを持たないため、エサを求めてどこへでも進出する

・天敵オオカミの絶滅のため、捕食動物の不在

・緑化事業や植林により、エサとなる植物の増加   などなど

 

④シカが増えすぎるとどうなるの?

・シカの嗜好性植物は減少し、反面、不嗜好性植物は増加。植生の偏りや植物を利用する昆虫にも大きな影響を及ぼす

・樹皮剝ぎによる枯れ死、幼木も食害に遭い育たない

・下層植物が無くなり裸地化が進行、土壌の流出、土砂くずれ などなど

 

 ちなみに 日光白根山といえば あの花 「シラネアオイ」

1科1属1種の日本固有種ですが、シカの採食により消失しているとのことで、

いま、山を歩いていてこの花をみることはほぼ皆無。

秘密の場所で、保護育種されているようです。

 私のお気に入りのハルニレの木も、シカの採食により一定の高さ以上に成長できないという報告もあります。

 奥日光では、シカの忌避植物としてカニコウモリ、ヤブレガサ、シロヨメナなどのキク科植物が挙げられていて、茨城県北で見受けられるヤマタイミンガサもキク科であることから、好んで食べるものではないとの見方もあるようです。ですが、国内の他の地域(丹沢山周辺)では、シカの採食によりヤマタイミンガサが減少して、かわりにオオモミジガサが増大しているとの報告もあり、正確なところ、何が忌避植物で何が嗜好性なのかは、よく分かりません。

 今のところ、シカ害に関してそれほど問題視されていない(と思っていますが)茨城県にあって、いざシカ侵入となったとき、温暖で雪もなく、植生豊かな地域だけに穏やかな気分では居られません。

 移住して定着生活にうってつけの場所 “茨城県” シカにとっても同じこと!

 一方、今は、我が物顔でテリトリーを独り占めしているイノシシにとっては、さて、安泰でいられるかどうか?

 

縄文人とシカ

 縄文人がどのような哺乳類(陸生)を捕っていたかというと、種の数としては70種を超えるそうです。そのうちイノシシとシカ(ニホンジカ、エゾシカ、ニホンカモシカ)がその主体を占めていて、特に東北や北陸などの積雪の多い地帯では、シカの比重が高いとのこと(イノシシは短足なので積雪量の多いところでは生息しにくい)。

 狩猟の方法としては、イノシシもシカも主に弓矢。硬くて弾力のあるカシ材やイヌガヤ、マユミなどを使い、長い弓では150㎝前後,短いもので80㎝位。矢先には黒曜石やサヌカイト、頁岩など鋭利な石鏃を使用。

 北海道キウス遺跡では、エゾシカを捕獲するためのわな猟の一種、誘導柵が発掘されています。 

 捕獲した獲物は、食用とするほか、毛皮は衣服、骨や角は道具類(釣り針、縫い針、鹿角斧、漁で使うヤスなどなど生活実用品、装身具としての髪飾りなどなど)、とにかく多様な使われ方をしていた、無くてはならない必需品。

 縄文時代、量的にはどれほどのシカが生息していたかは分かりませんが、人口密度に比して相当数の頭数が生存していたのではないでしょうか?

 ちなみに縄文中期(おおざっぱに約5,000年前)、人口密度が一番高かったとされている関東では95,400人(2.98人/1平方キロメートル)、東北では46,700人(0.70人/1平方キロメートル)なので、縄文人が生活するには十分な頭数を確保できたのではないでしょうか。

  ま、そんなこんなでいろいろな意味で、今回、様々な問題点を考えさせられた「シカ柵問題」イベントでした。

 これからの自然環境を見つめる、その意味でとても重要な試みのイベントだったと思います。

 またしても長文になってしまいました!  

 今日は日曜、そろそろ日没  

       さあ シャワーを浴びてビールでも... ういっ !

 

コメント (2)
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