あおぞら文化村便り =フォト俳句 エッセイ 野菜作りと今日の一品 縄文のこと=   

何でもありの文化村から発信します。野菜作りのこと、迷シェフの今日の一品、ネイチャから路地裏まで写真三昧、そしてフォト俳句

No.45 雪の奥日光を歩く

2024-02-06 11:16:33 | 

No.45 雪の奥日光を歩く

2024年1月31日、今季初の雪のエリアに踏み込みました。夜明け前に車を繰り出して奥日光へ。8時頃に戦場ヶ原着、シラカバなどの木々に付いた霧氷がひときわ輝いていました。

「冬の山に来たなあ」と、実感新たにしました。

9時過ぎ、湯ノ湖湖畔の駐車場に車を入れ、朝もやに包まれた湯ノ湖の光景を撮影すべくいそいそと準備をして湖畔に立ちました。ビンビンと肌を刺すような寒さですが、静寂の湖畔は清々しい空気に満たされていました。そのあと、自分にとって大事な撮影ポイントである源泉にむかいました。大地からふつふつと湧き出る源泉、立ち込める硫黄の臭い、不安を掻き立てる硫黄の黄色い色や何かの成分が変化した緑色、熱湯に浸って変色した葉っぱ。じっと眺めていると地球の奥底を覗いているようで不思議な感覚に陥ります。湯の湖畔を含めかれこれ2時間ほど撮影に夢中になっていました。

今日の目的のもう一つ、金精ルートのスノーシューを予定していたのですが、変更して光徳牧場に向かい、光徳沼付近に撮影ポイントを移しました。牧場付近は全面雪面なので、ここでスノーシューに履き替え、歩き始めました。平日ということもあってか、訪れる人も少なく、広い牧場や光徳沼付近は、まさに独り占め。最高の気分です。沼のほとりには腰を下ろすのにちょうどいい形の太い木の枝が横たわっていて、ここに来たときの定席にしています。

コンビニで仕入れた昆布と明太子のおにぎりを頬張りました。旨かったことは言うまでもありません。

少し離れたところに目を移すと、川に向かって大人のサルがゆっくりと歩いていました。少し間をおいて子ザルがちょこちょこと、あとから付いて出てきました。私がいることに気が付いてはいるようでしたが、無視されました。

今日の行動範囲は狭かったためか、時間を気にすることもなくゆっくりと撮影することができ、冬の陽ざしに照らし出されたササや、風が作った雪の紋様を眺め、頭上のミズナラの木々を仰いだり、姿は見えない冬鳥がのびのびと囀る声に耳を傾けたり、心底楽しむことができました。

自分ひとり、この幸せな空間に身を置いていると、ときどき頭に浮かんでくることがあります。

「この日常はいつまで続くのだろうか」 

国内外ともに自然環境や民族間の問題、格差社会、政治、経済などなど様々な分野で不安要素が増大する今日、そのことが頭の中をよぎります。私には終焉に向かって疾走しているようにも見えます。

人類史始まって以来、常にさらなる欲求を追及して成し遂げてきた人間。いまや生き物の世界の頂点に君臨するホモ・サピエンス。さて、その行きつく先は.....

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No.44 冬枯れの吾国山 2024.01.10

2024-01-12 06:24:03 | 

 

 笠間市郊外、石岡市に抜けるヘアピンカーブの坂道を快調に車を走らせていくと、道祖神峠に程なく到着。水戸市内の自宅を出てから1時間。他に一台の車が駐車していた。おそらく登山に来たのだろう。

 吾国山は初めての山だが、事前に所要時間など下調べをしておいたので、道々、植物観察などしながら、のんびりの山行となった。洗心館キャンプ場の管理棟を通過すると、飼い犬にぎゃんぎゃん吠えられた。警戒されたのか、それともあまり来る人もいないようなので、うれしくて歓迎されたのか。

 頂上までのルートはきれいに整備されていてほとんど直登。といってもそれほど傾斜はきつくなく、だが、頂上直下付近は落葉に覆われていて、グリップが不安定で踏ん張りがきかない。

 山頂からの眺めは、「ほう、なかなかいいじゃない」 ということで、北方向に開けていて眼下には水戸線沿線の福原駅辺りの街並みと北関東自動車道路。その奥に仏頂山と高峰の稜線が横たわっている。風もそれほどなくて穏やかだ。コンビニで買ってきたサンドイッチの袋を破り、家から持ってきたあったかい、いや熱い紅茶をカップに注いだ。スズメくらいの丸っぽい小鳥が数羽、大きなツツジの木の枝の間をぴっぴぴっぴ飛び交っていた。

 下りは早い。植物観察はおしまいにしてぐんぐん下った。頂上直下のやや急斜面を降り切ったあたりから右側の木立の中に入り、踏み後のあるジグザグの小路を下った。山に分け入った気分になった。休憩なしの往復タイムは、せいぜい80~90分くらいだろう。気分転換の軽いハイキングにはちょうど良いコースだと思う。

 帰途、後々、登るであろう仏頂山の登山口を確認すべく「リョウ厳寺」に向かった。この寺は国指定の重要文化財がふたつもある鎌倉時代からの古刹。重厚な佇まいだ。ヒメハルゼミの生息地としても貴重なエリアになっている。時期的には7月ごろであればセミの合唱が聞けると思う。寺に向かう登り階段の手前左側に登山道入り口の標識があるのを確認して帰途についた。

 今日は一日、楽しいのんびり山行だった。

 

 

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No.41. 北浦大橋から鹿島へ  2023.11.19

2023-11-20 12:44:18 | 

 

北浦湖畔サイクリング 2023-11-19 / ミトノミミズクさんのサイクリングの活動データ | YAMAP / ヤマップ

今日は家庭菜園の畑仕事を離れて、秋の一日を楽しもうと自転車を繰り出してツーリング。北浦湖畔です。

 ほんとに穏やかな、空も水面も、ゆったりゆったり、“平和な時間、平和なひととき”です。

景色を眺めつつペダルを漕いでいるのですが、走るスピードもゆっくりペースで、先を急ぐわけでもなく、気が向いたら土手にチャリを寝かせ、草むらに腰を下ろして、いつも持参の干しぶどう! 

 湖畔を走っていると、ところどころに深く入り込んだ入り江のようなところがあります。

この部分、敢えて表現するならば、

「人差し指と中指を開き、人差し指の爪から中指の爪を見つめてみると、まあ距離的には近い。ですが、ここは湖面で直接渡れません。そっちの爪先にいくには指の根元まで戻って折り返し」

この距離が、侮れないのです。

この距離をしっかりと押さえておかないと走行距離に大きな誤算を生じる要因になります。

 まあ、それでも、走っていればいずれ目的地には到着するだろうから、亀の歩みでも牛歩でも、しかも天気はいいし、“のんびり行こうぜ”です。

ゴールが近づいてくると、

「次は山かな」

などと、袋田の生瀬富士が頭をよぎります。

いい一日でした!

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No.34 シカ管理専門員と歩く 奥日光 2023.06.10

2023-07-02 22:29:26 | 

No.34 シカ管理専門員と歩く 奥日光 2023.06.10

 

 普段、一般の人が立ち入ることのできないエリアを含む「シカ侵入防止柵」に沿って歩いてきました。奥日光ビジターセンターのイベントです。

「どうするシカ問題」という何やら難しそうなタイトル。にもかかわらず、総勢12人、内専門員が4人なのでほぼマンツーマンに近い密度の濃い観察会となりました。

 

 今までごく当たり前に自然と接触してきた私たち、山に入れば「自然っていいね」 とか 「うわーきれいっ」 とか 「素敵!」とか、自分にとって居心地のいい場所に身を置き、安らぎや癒しや思考など、非日常的なかけがえのない時を享受してきました。

 今回の観察会は、そこから一歩踏み込んで 「この自然大丈夫?」 「いつまでこの景色見られるの?」 「この先どうなってくの?」 という視点で足元を見つめてみようという試みでした。

 ビジターセンターが主催するイベントには、これまで随分と参加して楽しい時を過ごしてきました。その中にあって今回の “シカ柵問題イベント” は、従来とはかなり違った雰囲気を同行したメンバーから感じ取りました。それは、専門員との質疑応答、参加者同士の会話の内容、どれも専門性の高い内容を含んでいて、しかも活発に行われていたことです。

 自然環境に対する意識が、徐々に一般の人たちにも高い関心をもって受け止められるようになったのだなと、あらためて思いました。

 

 さて、肝心のシカ問題ですが、これはこのブログで紹介できるような簡単な内容ではありません。たくさんの論文が全国の関係部署や大学の研究として公開されています。

とはいえ、奥日光におけるシカ問題、そのアウトラインだけでも押さえておくために、以下、自分なりに箇条書きにして整理しました。(主に「奥日光のシカにまつわる話」ビジターセンター資料より)

 

①奥日光のシカの動き

冬:限られた餌を求めて、比較的雪の少ない足尾や男体山、女峰山,太郎山な どの南面に。

夏:温暖化の影響もあり、生息域は尾瀬からさらには新潟県内にまで。

春~初夏、秋:奥日光はもちろん、生息域は栃木、群馬の両圏域にまたがって。

②いつ頃から増えた?

1980年代後半から増えて1990年代以降急速に増加

理由:1984年の大雪で大量のシカが死亡したが、生き残ったシカは、

その後の積雪量の減少などにより、エサも豊富になり、繁殖旺盛、急速に 増加 

③どうして増えた?

・地球温暖化により積雪量が減少したことや、狩猟者の減少。

・シカの高い繁殖力

・なわばりを持たないため、エサを求めてどこへでも進出する

・天敵オオカミの絶滅のため、捕食動物の不在

・緑化事業や植林により、エサとなる植物の増加   などなど

 

④シカが増えすぎるとどうなるの?

・シカの嗜好性植物は減少し、反面、不嗜好性植物は増加。植生の偏りや植物を利用する昆虫にも大きな影響を及ぼす

・樹皮剝ぎによる枯れ死、幼木も食害に遭い育たない

・下層植物が無くなり裸地化が進行、土壌の流出、土砂くずれ などなど

 

 ちなみに 日光白根山といえば あの花 「シラネアオイ」

1科1属1種の日本固有種ですが、シカの採食により消失しているとのことで、

いま、山を歩いていてこの花をみることはほぼ皆無。

秘密の場所で、保護育種されているようです。

 私のお気に入りのハルニレの木も、シカの採食により一定の高さ以上に成長できないという報告もあります。

 奥日光では、シカの忌避植物としてカニコウモリ、ヤブレガサ、シロヨメナなどのキク科植物が挙げられていて、茨城県北で見受けられるヤマタイミンガサもキク科であることから、好んで食べるものではないとの見方もあるようです。ですが、国内の他の地域(丹沢山周辺)では、シカの採食によりヤマタイミンガサが減少して、かわりにオオモミジガサが増大しているとの報告もあり、正確なところ、何が忌避植物で何が嗜好性なのかは、よく分かりません。

 今のところ、シカ害に関してそれほど問題視されていない(と思っていますが)茨城県にあって、いざシカ侵入となったとき、温暖で雪もなく、植生豊かな地域だけに穏やかな気分では居られません。

 移住して定着生活にうってつけの場所 “茨城県” シカにとっても同じこと!

 一方、今は、我が物顔でテリトリーを独り占めしているイノシシにとっては、さて、安泰でいられるかどうか?

 

縄文人とシカ

 縄文人がどのような哺乳類(陸生)を捕っていたかというと、種の数としては70種を超えるそうです。そのうちイノシシとシカ(ニホンジカ、エゾシカ、ニホンカモシカ)がその主体を占めていて、特に東北や北陸などの積雪の多い地帯では、シカの比重が高いとのこと(イノシシは短足なので積雪量の多いところでは生息しにくい)。

 狩猟の方法としては、イノシシもシカも主に弓矢。硬くて弾力のあるカシ材やイヌガヤ、マユミなどを使い、長い弓では150㎝前後,短いもので80㎝位。矢先には黒曜石やサヌカイト、頁岩など鋭利な石鏃を使用。

 北海道キウス遺跡では、エゾシカを捕獲するためのわな猟の一種、誘導柵が発掘されています。 

 捕獲した獲物は、食用とするほか、毛皮は衣服、骨や角は道具類(釣り針、縫い針、鹿角斧、漁で使うヤスなどなど生活実用品、装身具としての髪飾りなどなど)、とにかく多様な使われ方をしていた、無くてはならない必需品。

 縄文時代、量的にはどれほどのシカが生息していたかは分かりませんが、人口密度に比して相当数の頭数が生存していたのではないでしょうか?

 ちなみに縄文中期(おおざっぱに約5,000年前)、人口密度が一番高かったとされている関東では95,400人(2.98人/1平方キロメートル)、東北では46,700人(0.70人/1平方キロメートル)なので、縄文人が生活するには十分な頭数を確保できたのではないでしょうか。

  ま、そんなこんなでいろいろな意味で、今回、様々な問題点を考えさせられた「シカ柵問題」イベントでした。

 これからの自然環境を見つめる、その意味でとても重要な試みのイベントだったと思います。

 またしても長文になってしまいました!  

 今日は日曜、そろそろ日没  

       さあ シャワーを浴びてビールでも... ういっ !

 

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No.33 北八ケ岳 苔の森に埋もれて 2023.06.18-19

2023-06-24 06:38:58 | 

No.33 北八ケ岳 苔の森に埋もれて 2023.06.18-19

 これまで何度この森に足を踏み入れたことか。ほかの山塊とは全然違う、特別な雰囲気の漂う森。2,000mを超える高山ではあるのだが、コメツガやトウヒが天空を覆い、岩や木々の樹肌や根元にはコケ類が鬱蒼と密生している。梅雨時の今、ことさらに高い湿度。だが、逃避したくなるような空気感では決してない。しっとりと身体を包むような潤いは、むしろ安らぎすら感じる。そこは樹木と苔と野鳥や小動物たち、そして自分だけの世界。

 山に埋もれている時こそが、もっとも自分らしく居られる時間と思っている自分。

 

 梅雨のさなか、急に思い立ってここまで来たのには実は訳があったのです。

 天気予報をチェックして、この二日間が梅雨の合間の晴れの日と判断し、車を走らせてやってきました。

 その訳とは、

 所属する美術集団「ノン・ブラック」、今年のノン・ブラック展(2023.7.26-31 旧茨城県立文化センター 現在の名称はヒロサワシティ...なんだっけ?)のタイトル提出は6月11日。にもかかわらずその当日まで何を出品するか(写真部門)全然決めていなかったのです。

とにかくタイトルだけ出しておくことにして、「森に入る(もりにいる)」と書いて提出してしまいました。

いざとなれば過去の写真から適当なやつを揃えればいいかななどと、急きょの場合を想定していたものの、やはり新作を出さねばという思いが強く、今回の山行となった次第なのでした。

 

往路は,今さらながら高速道路のメリットに驚きでした。自宅最寄りの水戸ICから、国道299号の麦草峠に登る入口となる長野県佐久穂町まで、なんとすべて高速道路上。一般道路に下りません。標高35mの我が家から目的地の麦草峠標高約2,000mまで約250km、所要4時間半で到着しました。圧巻です。ですが、私的には必ずしも快適というわけではありませんでした。高速道路上では、他車に気を使うばかりで上信越の山並みを眺めたり,沿道の景観を見ることができません。ひたすら前方後方左右とスピードメーターを見つめ、時折休憩するPAでの一時。

無事、駐車場に車を納め、さてこれから二日間はじっくり山中生活を楽しむことに!

 

「青苔荘」

この北八ッにピッタリの名前の山小屋。ここの主は苔の専門家 山浦清さん 70歳代でしょうか「北八ケ岳苔の会」の会長さんです。白駒荘、高見石小屋、麦草ヒュッテとともに定期的に観察会を主催しています。

日曜日の晩ということもあってか宿泊客は私一人、貸し切りです! 壁には、「吉永小百合」 「秋篠宮ご夫妻」 「秩父宮妃殿下」 その他知らないけど有名らしき人の記念写真や色紙が、セピア色になって張られていました。みなさん良い思い出を作られたことでしょう。

 

テント場をチェックしました。

「これならばいけるな」と、納得しました。麦草峠のパーキングから徒歩登り約15分の距離、荷物搬入も問題なし。テントを設営する地面もフラットに整備されているし、底上げされたボードが張られている場所もあり、雨でもこれならば問題なし。水場もトイレも清潔、炊事など火の使用はテント脇でOK.

 

そんなこんな、次回の偵察も兼ねてとにかくゆったりとした二日間を満喫してきました。

 

高貴【後期】な高齢者ではありますが、毎日がサンデー、というわけにはいきません。なにせ家庭菜園をやっていると水やり、草取り、収穫、特にキュウリにあっては、あっという間にお化けになってしまいます。でも遊び時間の捻出のためには少々の労苦は付きもの、3日4日の遠出であれば、まあ、野菜も何とかもってくれるでしょう。

 

そしてもうひとつ、高速道路利用もいいのですが、できることなら一日二日多めに計画を立てて、

京都出身の中古車ではありますが、かわいい我が日産マーチとともに、「走るバンガロウ」 「国道マーチング」 ということで、ちんたら旅もいいのではと思っています。

気が向いた場所で車を止めて、通過する沿道を楽しんだり、いい山があれば地図を広げて名前を探したり、その土地の野菜や果物、味噌など買い込んで...

 

次は、いつ出かけようか、梅雨明け早々にどこか、秋にはやっぱり尾瀬だろうなどと、頭の中はすでにそっちに飛んでいました!!

 

 

 

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