日常にサスペンスという彩りを

火曜サスペンスごっこにまつわるあれやこれや

愛は墓場まで持っていけないから今惜しみ無く愛してよ

2020-07-20 00:00:05 | 日記
火曜サスペンスごっこをライフワークとしてから恋をしていた期間もありました。

出会いはごく普通の居酒屋での飲み会、初めて見たときから好きになったという私の圧倒的一目惚れでした。人に興味のないスタンスの相手にいかに私が彼のことを好きか手をかえ品をかえアプローチをしました。好きなものはとことん好きという性格なので1度好きになると燃え上がって大変なのです。
熱心なアプローチを受け入れてもらったのはしばらくしてからでした。きっと根負けしたのでしょう笑。あまりにも好きと言いまくったので好という言葉の価値が挨拶程度までに下がった頃の話です。


火曜サスペンスごっこをしている、ということは一切知らないはずです。こういう趣味があるんだ、とは言いずらかったですし理解してもらえるとは思っていなかったからです。手の内は全て見せないくらいの距離感がちょうどいいのかもしれません。
遠距離恋愛だったので会いに行くという名目で私の知らない土地へ行くのはとても楽しかったです。特に海のあるところに行けるのは非常に良かったです。旅とロケハンとデートを兼ねて胸と荷物はいつもパンパンでした。

あるとき2人で出掛けることになり、海辺のホテルを勝手に予約し夕方現地集合にしたことがありました。
彼は午前中仕事、私はラブホで撮影。午後1番で先にチェックインをして海辺で撮影、三脚を片付けて体についた砂を流し素知らぬ顔で合流したのはいい思い出です。謎の背徳感(?)みたいのも合わさってスリリングでした。
カメラはもともと景色やポートレイトを撮るためのものだったので火サスを撮ったカメラで海の写真を撮ったりしていかにもカメラ好きな女子、を演出していました。

「そんなに写真が好きならInstagramとかやればいいんじゃないの?」

そう聞かれたときはドキッとしましたね。顔面蒼白でした。もしかしてお前さん私の死んだふりしかしてないアカウント知ってる…?なんて冷や汗をかきました。
「そういうのあんまりよくわからないからやらないな~」と嘘をつきました。とっさに出た嘘としては上等だったと思います。Instagramについての話はそれ以降出てこなかったので多分バレてはいなかった…はずです。


楽しい恋の時間というのは永遠には続かず別れることになりました。遠距離恋愛というものを続ける気力体力が燃え尽きたのです。お互いの歯車が合わなくなっただけのことで感情的なものではないのがまた寂しくもありました。

そのときふと思ったのが
愛は墓場まで持っていけないから今惜しみ無く愛してよ
という言葉でした。
早速火サスのタイトルにもしています。
故人の墓参りをするときいつも手向ける花を「なぜ生前もっと花をプレゼントできなかったのか、今こんなに花を手向けたってあなたはもういないじゃないか」と思うのです。
季節の花を色とりどり鮮やかに供えるのにはいつまでたっても慣れず、墓の中の人にはなにも持たせてやれないし言葉も届かないという無念さは拭えません。

いつだって死や別れは隣り合わせなのですが、いつもいてくれる存在には大切にする気持ちとか愛とか感謝の表現を怠けてしまいます。完全に甘えですね。日々の繰り返しで慣れてなあなあになってしまうのですが今日と同じ明日が来るとは限らないのです。

愛情表現が苦手な人だったのでよけいそう思ってしまったのかもしれません。愛してよ、という言葉は1度も口にせず終わりましたがきっと私はいつもそう思っていたのでしょうね。分かりにくい愛情表現をひとつずつ受けとって分かっていたはずですが寂しさというのは人をちょっと攻撃的にするのかもしれません。


別れることになった日もきちんと火サスをアッていました。

ダイナミックな火サスです。私の心のようでした。走り去った車、途切れた足跡、もう戻れない日々。
この日は火サスがあってよかったと思いました。

コメントを下さるかた、いいねを下さるかた、そしてこんなに力強く火サスをしている自分自身に励まされました。
恋人はいなくなったけど私にはまだ火サスがあるという強みがあったのです。その後マニアフェスタなど忙しなく火サスに特化してくよくよしている暇は本当はあったけどなかったようなものになりました。失恋のダメージが火サスで緩和される日が来るなんてね。

夢中になれるものというのは結果自分を救うようです。いつかどこかで彼が私のInstagramのアカウントを発見したら、「元気でやってんだな」くらいに思ってもらえればうれしいです。新しい彼氏も作らず(できない)元気でやってますので。でもなんつーことやってんだって問い詰めないでね、これが私が胸を張っていうライフワークですので。