Une petite esquisse

日々の雑事の中で考えたこと、感じたことを徒然に書き綴ります。

村上春樹「ラオスにいったい何があるのですか?」を読み解く <連続シリーズ>(5)

2019年07月29日 | 社会学/社会批評
検証:ハノイで出会ったベトナム人(5)

「そのときヴェトナムの人に『どうしてまたラオスなんかに行くんですか?』と不審そうな顔で質問された。
その言外には『ヴェトナムにないいったい何がラオスにあるというんですか?』というニュアンスが読み取れた。」
(文藝春秋刊、単行本P151)


ハノイの街角

 はたして初対面の外国人が「ラオスへ行く」と言ったら、「どうしてラオスなんかに行くのですか?」とネガティブな質問をするだろうか? 
3歳の子どもならともかく、大人なら内心、ラオスへ行くことが「詰まらない」と思っていても、
「Oh,Wanderful,nice nice Good trip!」と愛想を述べるのが普通ではないか。
 第一次インドシナ戦争(フランスからの独立戦争)、そして第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)を共に戦った友好国ラオスに対して、
一般のベトナム人がこのような発言をするとは俄かに信じがたい。
唯一、考えられるのがサイゴン陥落の折、ベトナムから逃げ出したボートピープルの出戻りベトナム人ぐらいであろう。
 ラオス通の日本人の多くが、本当にこのようなベトナム人が存在したのか疑問に思うと述べている。
架空の第三者を登場させ、その人物に「噓八百」を述べさせるのは詐話師の常套手段である。
村上春樹はハノイで出会ったベトナム人とは何語で意思疎通を図ったのか?村上がベトナム語が流暢だとは思えない。
英語で対話をしたとすれば、ベトナム英語は早口で抑揚がなく聞き取りが非常に難しい。
ひょっとしたら、そのベトナム人は「Laos is wonderful country、and it is a country full of charm.
Please enjoy the journey enought.」と言ったのを聞き間違えたのではないか?とも考えられる。


ベトナム人は花を愛する


ロンビエン橋近くの、古びた建物

村上春樹「ラオスにいったい何があるのですか?」を読み解く <連続シリーズ>(4)

2019年07月29日 | 社会学/社会批評
検証:モーニングマーケット(朝市)(4)



モーニングマーケットの雰囲気





「でも朝になって、河沿いにある大きな朝市(京都でいえば錦小路、地元の人々で賑わっている)
をぶらぶら歩いて・・・」(文藝春秋刊、単行本 P160)
 
メコン川沿いに朝市は存在しない、メコン川沿いのスリニャウオンサー通リ(Souliyavongsa.Rd.)を内側に曲がり約20m、
私の歩数で80歩、モーニングマーケット通り(Morninng market.Rd)で朝市は開催されている。
 村上春樹は京都の錦小路と例えているが、共通点が見いだせない、むしろ雰囲気的には飛騨高山の朝市の方が類似点があると思うが、
庶民の台所と言うべき所で、観光客と地元の人々で賑わっている。
村上春樹さん~ルアンパバーンの朝市と錦小路に、どんな共通点があるのか教えてください。
 ルアンパバーンの「朝市」の大きい、小さいはともかく、地理的条件はきっちり調査された上で記述すべきであろう。
「よく見ていないものは書けない」の文章作法の通り、見ていないが故に、正確な記述がなされていない。
たった、このワンセンテンスで村上春樹の観察力が疑われる。