たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 山辺皇女18

2019-07-13 14:03:10 | 日記
薬師に相談し、まずは泥でぬれた身体は冷えて流行病の原因となることであったので温かい湯を用意し泥を落とした。

そうでもないものも身体の冷えは良くないということで屋根のある回廊を解放し一晩中篝火を焚き、粥や干し肉、怪我人には大津さまと同じ薬湯を飲ませ手当をした。

女官らも侍女らも喜んで手伝ってくれた。

朝になると元気な者たちは舎人やこの邸の男手と一緒に田畑、家の修繕に出かけ夕方はこの邸の回廊で眠るということを続けていた。

不幸中の幸いで今年の収穫は終えていて良かったと声が聞かれた。誰も飢えることがないのはしあわせだと。

私は一度も飢えるということを心配したことがない。

乳飲児が泣くと代わる代りにあやし、体力を失った母親から乳が出ないと、代わりに乳が余った別の母親が飲ませていた。

皆は助け合い素晴らしいと思った。精一杯生きている、それぞれ置かれた場所で。

そして自分を恥ずかしく思った。

私はたまたま父が天智天皇という家に生まれた。

そして、壬申の大乱で悲しみもあったけれどあまり苦労もなく大津さまの妃になった。

私はたまたまという幸運に胡座をかいて過ごしていたのではなかったのかと恥ずかしくなったの。

自分の能力や生きていくことの本当の逞しさも何があるというのかしら。

着飾って、大津さまの愛を乞うだけではなかったかしら。

伊勢にいる大伯さまのようにお勤めをし、国家の安全を祈り捧げているわけでもない。

大津さまが教えてくださったわ。

「姉上は寒い朝でも川に入り禊をなされる。そうでないと穢れを払えず皇祖神に拝み奉ることは出来ないそうだ。そんな姉上を本当に誇らしく思う。」と。

私に出来ることはないかしら。

薬師が「山辺皇女さま、本日も薬湯をお配りしてもよろしいでしょうか。」と聞いてきた。

「お願いいたします。薬師殿、私にも薬師殿のお手伝いをさせてくださいませぬか。」

薬師は驚いた顔をし「山辺皇女さまにそのようなことは…」と言われたが

「何かせずにはおれないのです。私は何の苦労もなく、ただ生きていることが。ただ自分のために生きていることが恥ずかしいのです。」と私は薬師に訴えたの。