たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 山辺皇女22

2019-07-31 05:45:01 | 日記
災害からの国難から皆が立ち直り、租、庸、調、田を減じるなど朝廷からの施しともいえる政策のお陰で
人心も落ち着いて普段と変わらない安穏とした生活が戻ってきた。

この政策に真正面から取り組まれたのは大津さま。

しかし、藤原の不比等が後ろにいると噂される草壁皇子が真っ向から反対されたとのこと…

最善の道を思案された大津さまに比べ暗愚なこと。

せめて、民らが食、住が安定して、民らの活気がないことにこの国が、皇位というものが全くのお飾りになるのがわからないなんて…草壁さまは本当に御不幸としか言えないわ。

不比等も本当にわからなかったのかしら。暗いわ…あまりにも。

大津さまの政敵と警戒していたのは、私の近江朝での不比等の父、鎌足に寄せる祖父天智天皇の絶大な信頼を不比等ももっているからと信じていたから。

あまりに大津さまが明るく、不比等など怖くないと安心していた当時が悔やまれる…ことになるなど…

もう少し警戒を続けておくべきだったと後悔しているわ…今となっては。

人心も落ち着いたということで伊勢神宮の修復に出向くようにと大津さまは勅命を受け伊勢に旅立ちられることになった。

「大津さま、お気をつけて。」と私が言うと、大津さまは人目もはばからず抱きしめて「修復次第帰る…許しておくれ。」と仰言ったわ…

やはり、姉上さま、大伯さまにお会い出来ることが大津さまにとって幸せであり、お喜びなのね…

寂しさよりも大津さまのことを私は私のためにも理解出来ていないことに気づいたの。

大津さまは、母上、大田皇女を早くに亡くされ、大伯さまに慰められ、支え合い生きてこられた。

寂しさ、悲しさを一緒に理解してくれたのは姉上さまの大伯さまだけだったのかもしれない。

道作殿、川嶋の兄上もいたけれど、特別な思いで一緒に寂しさを分かり合えたのは大伯さまだけ…

特別な御姉弟なのだわ…この御二人に特別な感情があって当たり前のこと…

そう思うと私は「大津さま。姉上さまも御心細くあられたかもしれませぬ。どうぞお支えしてあげてください。姉上さまをお慰めしてさしあげてください。社殿の修復がお済みになられてもどうか、姉上さまのお気持ちを一番にお考えくださいますように。」と大津さまに申し上げると…

少し大津さまは驚いておられたけれど直ぐに「山辺も無事に我を待っていておくれ。ここで。」と仰言ったわ。

「大津さまもどうかご無事で…私は必ずここにおりますから。」と申し上げると、わかったと仰言ったふうに頷きになられ馬上の人となられ伊勢へ旅立たれたわ。