小惑星イトカワからサンプルを持って帰ってきたはやぶさの展示があるとのことで、友人と見に行ってきました。
はやぶさ本体は大気圏突入の際に燃え尽きてしまっているのでありませんが、サンプルを入れて地上に到達したカプセルのレプリカ(といってもプロトタイプなので、実際のものと同じもの)や、パラシュート(これは本物)などが展示されていました。
三重県の四日市市科学館でしたので、さほど混雑しておらず、余裕を持って見ることができました。
地球外の固体に着陸して、サンプルを持ち帰ったのは世界初だそうですが、パネル展示を熟読すると、本当に満身創痍であったようです。
宇宙空間というのは、それだけで過酷なもので、ほとんどトラブルとの戦いであったようです。某アニメの技術責任者の名セリフ「こんなこともあろうかと」装備しておいた別回路が、実は致命的なトラブル復旧に役に立った話など、興味深いものでした。
↑
パネルには本当に「こんなこともあろうかと」という言葉が書いてありました。
本来なら「あらゆる事態を想定して、予備の回路を……」といったような言い回しになるのでしょうが、科学者というのは、得てしてユーモアに富んでいるものです。
余談ではありますが、よく科学というのは神を否定するもの云々という話を聞きますが、科学論文などを読んでみると、彼らは常々神を賛美し、そしてユーモアに富んでいるのがよくわかります。
私は論文そのものを読むだけの能力はありませんが、日本語に翻訳され、さらに要約されたものを読んでもそれが書かれているということは、いかに多くの表現で書かれているかが想像されます。
日経サイエンスあたりが私には関の山ですが…………。
さて、はやぶさを見て思ったのですが、単なる無機的な機械が旅をしたように見えますが、実はそうではないようです。
地球に帰ってきたとき、最後のミッションで、はやぶさから見た地球を撮影したのですが、ほとんど真っ黒で撮れなかった写真が、最後の一枚を撮影してデータを送信している時、送信の最中に通信が途絶して写真の下部が欠けていた最後の1枚の写真が、ぎりぎりで地球の姿を捉えており、画像そのものが「途中で切れて」いる画像でした。
その地球の画像は本当に感動的で、具体的な人格を持った「何か」が最後の力を振り絞って撮った、鬼気迫る雰囲気が伝わってくるようでした。
はやぶさはその数十分後、サンプルの入ったカプセルを切り離して、大気圏に突入、地上までの間に燃え尽きました。
その輝きは満月ほどで、地上ではその光で影ができるほどであったそうです。
単なる機械が動いたのではない。それは、例えばプロジェクトに関わったたくさんの人のことかもしれませんが、その「機械」自体がすでに無機物でなく、生き生きとしたモノであったことが、なんか嬉しく思いました。
ほんの少しだけ、前述の科学者のように、科学でない何かを感じられたような気がしました。
金型、金属加工について何でもお問い合わせ下さい。
有限会社木村製作所
http://www7b.biglobe.ne.jp/~meister-kimura/
はやぶさ本体は大気圏突入の際に燃え尽きてしまっているのでありませんが、サンプルを入れて地上に到達したカプセルのレプリカ(といってもプロトタイプなので、実際のものと同じもの)や、パラシュート(これは本物)などが展示されていました。
三重県の四日市市科学館でしたので、さほど混雑しておらず、余裕を持って見ることができました。
地球外の固体に着陸して、サンプルを持ち帰ったのは世界初だそうですが、パネル展示を熟読すると、本当に満身創痍であったようです。
宇宙空間というのは、それだけで過酷なもので、ほとんどトラブルとの戦いであったようです。某アニメの技術責任者の名セリフ「こんなこともあろうかと」装備しておいた別回路が、実は致命的なトラブル復旧に役に立った話など、興味深いものでした。
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パネルには本当に「こんなこともあろうかと」という言葉が書いてありました。
本来なら「あらゆる事態を想定して、予備の回路を……」といったような言い回しになるのでしょうが、科学者というのは、得てしてユーモアに富んでいるものです。
余談ではありますが、よく科学というのは神を否定するもの云々という話を聞きますが、科学論文などを読んでみると、彼らは常々神を賛美し、そしてユーモアに富んでいるのがよくわかります。
私は論文そのものを読むだけの能力はありませんが、日本語に翻訳され、さらに要約されたものを読んでもそれが書かれているということは、いかに多くの表現で書かれているかが想像されます。
日経サイエンスあたりが私には関の山ですが…………。
さて、はやぶさを見て思ったのですが、単なる無機的な機械が旅をしたように見えますが、実はそうではないようです。
地球に帰ってきたとき、最後のミッションで、はやぶさから見た地球を撮影したのですが、ほとんど真っ黒で撮れなかった写真が、最後の一枚を撮影してデータを送信している時、送信の最中に通信が途絶して写真の下部が欠けていた最後の1枚の写真が、ぎりぎりで地球の姿を捉えており、画像そのものが「途中で切れて」いる画像でした。
その地球の画像は本当に感動的で、具体的な人格を持った「何か」が最後の力を振り絞って撮った、鬼気迫る雰囲気が伝わってくるようでした。
はやぶさはその数十分後、サンプルの入ったカプセルを切り離して、大気圏に突入、地上までの間に燃え尽きました。
その輝きは満月ほどで、地上ではその光で影ができるほどであったそうです。
単なる機械が動いたのではない。それは、例えばプロジェクトに関わったたくさんの人のことかもしれませんが、その「機械」自体がすでに無機物でなく、生き生きとしたモノであったことが、なんか嬉しく思いました。
ほんの少しだけ、前述の科学者のように、科学でない何かを感じられたような気がしました。
金型、金属加工について何でもお問い合わせ下さい。
有限会社木村製作所
http://www7b.biglobe.ne.jp/~meister-kimura/