下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です
気配を感じるだけでおぞましいゴキブリの存在。でも、生まれ育った環境が違えば、まったく恐れを抱かず、中には食べてしまう人も……。いったい、人はなぜ彼らの存在を気味悪く思うのか? 精神科医の和田秀樹氏による新書『ストレスの9割は「脳の錯覚」』より一部抜粋・再構成してお届けします。
ストレスの9割は、「脳の錯覚」――。そう聞いて「そのとおり!」と、すぐに納得できる人は少ないかもしれません。
「だってストレスの原因はちゃんと現実にそこにあるし、そのせいで実際に私は今、苦しんでいるんだから!」
パワハラ上司に、やってもやっても終わらない仕事に、家事をしてくれない夫に、迷惑なご近所さんに、いつまでも終わらないコロナに……。原因は、「外」にあるじゃないか、と。そう思いますよね?
ゴキブリへの恐怖感は「刷り込み」にすぎない
でもちょっと、聞いてください。いきなりこんな話で申し訳ないですが、私はゴキブリが大嫌いです。家にゴキブリが出たら、大声を上げてビビって逃げ回ります。私は、虫が少ない都市部で生まれ育ったので、滅多にゴキブリを見る機会がなく、いまだに「ゴキブリは恐ろしいもの」なのです。
ところが私の妻は、生まれ育った環境のせいか、虫なんてまるで平気。「あら、こんなの、なにが怖いの?」と、えいっ!と叩き殺してしまいます。我が家のゴキブリを退治するのは、いつも妻の役目になっています。
こんな風に、同じ物事に対して、ものすごくストレスに感じる人がいる一方で、全然平気な人もいます。
じつはゴキブリは、日本人の私たちがイメージするよりずっと清潔な生き物で、伝染病を媒介することはまずありませんし、世界にはこれを食用にする文化も知られています。百年ほど前までは、世界各地で食べられていたとか。
この話を聞いて「気持ち悪いなあ……」と思ったあなたも、私と同じ「ゴキブリは恐ろしいもの」という「刷り込み」がなされています。
同じように、ある上司に対して、あなたが「いつもカリカリして、そばにいるだけで嫌だ!」と思ったとしても、ほかの同僚は「いつも情熱的な、尊敬できる上司だなあ」と感じているかもしれません。
テレビの天気予報で、明日は大雨だと知って、「うわあ、憂鬱だなあ……」と思う人がいる一方で、「雨の日って落ち着くから好き」という人もいます。
仕事のことで怒られて、「あんな言い方ないだろう」とムカムカする人や「自分なんてダメだ……」と落ち込む人がいる一方で、「たしかに非があったな。反省して次につなげよう」と前向きにとらえる人もいます。
友達にメールしたのに返事が来なくて、「私、嫌われてるのかな……」と悩む人もいれば、「きっと仕事で忙しいんだな」と気楽に返事を待てる人もいます。
とらえ方次第で、ある原因がストレスになることもあれば、ストレスにならないこともある。その物事のとらえ方は、あなたがこれまで生きてきたなかで、どこかで形成された「刷り込み」によるものなのです。これは、「考え方のクセ」とか「思い込み」とか「思考グセ」と言い換えてもいいかもしれません。
そして、あなたのストレスを大きくしてしまうような「刷り込み」のことを、ここでは「脳の錯覚」ということにします。「脳の錯覚」を正していけば、あなたがストレスに感じることはどんどんと減っていき、生まれ変わったようにラクに生きることができるのです。
現代は、さまざまな情報にあふれています。「ネットでこんな怖い情報、流れてた……」と、不安な気持ちに支配されてしまうこともあります。「将来どうなってしまうんだろう……」と悲観しすぎていたら、ちょっと立ち止まって、「脳の錯覚のせいかもしれない」と考えてみましょう。
なぜ初等教育で「刷り込み」がなされるのか?
このほかにも脳の錯覚の原因ともなる、さまざまな「刷り込み」について、見ていきましょう。この社会には、都合のいいもの、都合の悪いものを含めて、さまざまな刷り込みがなされています。
まず、私たちにもっとも影響を及ぼす刷り込みといえば、「学校教育」です。『すべての教育は「洗脳」である』という本を書いたのは、ホリエモンこと堀江貴文さんです(光文社新書)。
洗脳という強烈な言葉が適切かどうかはともかくとして、学校教育の目的のひとつが、刷り込みであることは確かです。
「チャイムがなったら席につく」「授業中はおしゃべりしてはいけない」「信号が赤になったら、止まらなければならない」
初等教育ではこういったことが、刷り込まれていきます。国語では「山、川、海」といった漢字を覚え、算数では「1+1=2」という式を覚えます。
ではなぜ、初等教育において、こういった刷り込みが必要なのでしょう。それは、人と人とが意思疎通をするさいには、「共通言語」が必要であり、社会で生きていくために「ルールを覚えること」が必要になるからです。
たとえば同じ文化圏に、出会ったときの挨拶を「こんにちは」という人と、「ハロー」と言う人と、「ニーハオ」と言う人が混在していたら、コミュニケーションがとりにくい。
日本人にとって、信号の「進め」は「青」ですが、アメリカでは「グリーン」です。日本人なら、ニワトリの鳴き声は「コケコッコー」ですが、アメリカでは「クックドゥードゥルドゥー」です。
例えば、アメリカ人が「クックドゥードゥルドゥーと聞こえた」と話せば、それを聞いたアメリカ人は「ニワトリの鳴き声のことだな」とすぐわかります。
言語も、社会ルールも、教育によって「刷り込む」ことで、人は違和感なく安全に、社会生活を送ることができるようになるのです。
「刷り込み=悪いもの」でもない
学校教育の刷り込みの多くは、「悪いもの」ではありません。たとえば、算数で、「1+1は2である」と習います。天才発明家エジソンは、「粘土1つと粘土1つをくっつけたら、大きい粘土1つになるじゃないか。なんで2なんだ」と文句をつけたらしいですが、ふつうの子どもは、「1+1=2」を批判したり、疑うことはありません。
先生は、子どもたちに「1+1は2です」とまず覚えさせる。そうしないことには、次のステップへと授業が進められません。言語もそうです。「これは『葉っぱ』です」「『本』とはこういうものです」と、子どもたちに覚えさせる。
「先生の言ったことを信じて、素直に覚えなさい」。これが義務教育、初等中等教育の本質です。そして、先生の言うこと(=刷り込み)に疑いを持たない子どもほど評価されるのが、義務教育とも言えます。
義務教育までは、それでもいいのです。
ところが、大学、大学院といった高等教育の役割は、刷り込み中心だった初等中等教育とは正反対であるべきです。つまり今度は、それまで習ってきた刷り込みを疑い、自分なりに仮説を立て、新しい価値観を生み出す力をはぐくむ。これまでの知識を「疑う力」を身につけるのが、高等教育の役割だと、私は思うのです。
少なくとも欧米では、そういう高等教育をしています。欧米の人と話すと、「いや、そうとは限らない」「例外もあるはずだ」「オレの意見はこうだ」とイチャモンばかりつけられるので少々閉口することもあるのですが、相手と積極的に議論することにより、その話はとても深まります。
欧米人のこういった姿勢こそ「疑う力」であり、批判精神です。なにを批判するかと言えば、常識といわれるものを、彼らは疑っていくのです。そして、彼らなりの仮説を立てる。
彼らはこういう「思考トレーニング」の技術を身につけています。ところが、日本人はどうかというと、大学や大学院まで、「刷り込み教育」が延々と続いているように思います。
何が問題かって? そういう人が社会に出ると、組織や権力者や偉い人の言うことをそうののまま鵜呑みにし、どんなことがあってもそれを疑わない、「イエスマン」になってしまうからです。
医者の世界では、大学で医学部面接試験が導入されるようになって、優秀な人を採るというよりも、「教授の手足となって働けそうな人」を採る傾向があります。イエスマンが大好きで、上が言ったことを疑ったり、それに逆らったりするなんて、もってのほか。
じつのところ、日本でいま行われている医療の多くは、信用できるエビデンス(科学的根拠)に基づいたものというより、「偉い教授がそう言っているから」「大学病院の方針だから」に基づく医療がまん延しています。
古い医療常識が跋扈し、その「刷り込み」を疑う習慣がない。すると、どんなことが起こるのでしょうか。日本人の健康が危ぶまれるかもしれない、そんな例を紹介します。
行きすぎた「コレステロール」嫌い
長らく解かれていない刷り込みの1つに「コレステロール値は低いほうがいい」があります。日本では、検査データのコレステロール値を「目の敵」のように減らそうとします。しかし私はこれを疑っています。
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アメリカ人は心筋梗塞で死ぬ人が、日本人に比べて圧倒的に多いので、たしかにコレステロール値が高すぎる人は、減らす努力をしたほうがいいと思います。アメリカではがんで亡くなる人の1.7倍の人が、心筋梗塞で亡くなっているからです。
ところが、日本人は心筋梗塞で亡くなる人は、がんの10分の1程度。コレステロールを減らすように努めると、体の免疫機能が落ちて、むしろ、がんが発症しやすくなってしまうのです。実際、コレステロール値が低い人ほど、がんになりやすいというデータもあるのです。
日本では、がんでの死亡率がいちばん高いのですから、コレステロール値を減らすことばかりを目標のようにいうのは考えものでしょう。しかも、コレステロール値を減らすという対策は、男性ホルモンも同時に減らしてしまいます。これは中高年以降の男性の意欲低下につながり、要介護状態を誘発しかねません。
和田 秀樹 : 精神科医
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