2016年も残すところあと2週間。
10~11月が遠征に次ぐ遠征だったので、12月はおとなしくしていなければいけない(師走は公私ともに忙しい!)…と自重していたのですが。東京方面から「これまでにない芝居」「これは観ないと損!」というお声がいくつか聞こえてきたので、羽根のように軽い自制心はふわりと吹き飛び、よりにもよって平日マチネの1公演だけ観て帰るという「思いつき」を決行!(そもそも仕事以外で「自制心を発揮する」ことは極稀、皆無に近い…)
と言うわけで、観てまいりました。
★
空想組曲vol.13 変則短篇集「組曲『遭遇』」
作・演出:ほさかよう
http://www.k-kumikyoku.com/information.html
≪出演者≫ 敬称略
小西成弥
久保貫太郎(クロムモリブデン)
鍛治本大樹(演劇集団キャラメルボックス)
岡田あがさ
小野川晶(虚構の劇団)
家納ジュンコ(サモ・アリナンズ)
中田顕史郎
宮下雄也 ※日替りゲスト
★
2年前の冬、キャラメルボックスの『太陽の棘 彼はなぜ彼女を残して旅立ったのだろう』を観てから、いつか足を運びたい!と思っていた『空想組曲』ほさかようさんの作る舞台。私の親しい友人は『空想組曲』のファンで、(よく一緒に観にいく)キャラメルボックスとは全くテイストの違う「観終わった後、心にザラつきが残るような、あの感じが好きだ」と、よく話してくれたものだ。今回は急なこととて誘えず、一人で観ることになったのがちょっと残念だった。
変則短篇集、とタイトルがあって、2時間で15本もの長短織り交ぜた「物語」が上演される。ひとつひとつの「物語」と、その登場人物は、一見何の「つながり」もなさそうで、もどかしいほどに少しずつ、少しずつ、全ての「物語」の全貌・・・というか、相関関係が見えてくる、興味深いシナリオ。
ひとつひとつの「物語」で語られる人間模様を目で観て、耳で聞いて、肌で感じ、時間をかけて咀嚼し、舌の上で味わいを確かめ、ゆっくり飲み込む・・・何と言う密度の濃い舞台!しかも、こういう作品にはうってつけの「怪しさ満載」(失礼w)な会場。
100人も入れるかどうか、の小さな地下密室で、非現実的で浮揚感溢れるシナリオに翻弄されつつ、個性的な役者、触れそうな距離での芝居に酔う、とてつもなく長く感じる2時間。どんな贅沢も、これには敵わない。自分の感覚の中では、3~4時間くらいあの場所にいたような気がする。言葉のとらえかた、セリフの使い方が独特で、一度聞いただけではもったいない気がしたので、帰り際に戯曲を買い求めた。日替わりゲストで違う短編が上演されるので、スケジュールが許すならあと一回、別ゲストで観たかった!(それでも諦めていた作品をこうして東京まで観に行けたのだから、感謝感謝!)
当日の「物語」から、好きな作品をいくつか。
『作家が目指した銀河の果て』
クボカンさんと家納ジュンコさんの二人芝居。クボカンさん演じるSF作家の、心優しさと頼りなさそうなところが何とも魅力的で、その妻を演じる家納さんとのやりとりや会話に笑って、ほっこりと心温まった芝居。他の短篇の持つ「毒」や「闇」、「歪み」とは全く別種の、ちょっとホロッとくる優しい言葉の数々が、疲れた「ココロを揺さぶって」くれた(笑)。
妻の台詞「私の体はもうない。この地上のどこにもない。だけど、私を私として構築していたほとんどすべてのものは、きっとあなたの宇宙の中にあるあなたが夜空を見上げる時、私はきっとあなたといる」才能のかけらもない、と作家は言ったけれど、表現云々ではなくて、そういうふうに人を思える気持ちを、あのタイミングでさらっと見せてくれるから、余計にじんわり暖かい気持ちになった。
最後までひとつひとつの「物語」を紐解いていくと、この夫婦の息子が『未知との遭遇』の主人公の少年で、その姉が『翼をよこせ』の若い女性で、猫を飼っていた『メモリアルブルー』の女の子は少年の幼馴染だったということに気づく。最後のエピソードで、少しだけ救われる思いがするのは、この「物語」を先に観ていたせいに違いない。
『翼をよこせ』
岡田あがささんのパワフルな一人芝居。設定から何から、いろいろツッコミどころが満載過ぎて、それがまた「お芝居」(フィクション)だからこそ、リアルだったらイタ過ぎて目も当てられない主人公のドタバタを存分に笑ってOK!という、スカっと突き抜けた短編。しかし、描写が容赦ないな、ほさかさん(笑)。ツッコミついでに、ラストに現れる若い男(タイキ=鍛治本さん)意図的に?なんだか演出家氏を思わせる扮装で、爆笑してしまった・・・そこ笑うとこじゃない?いやいや、全員爆笑してたから!
ナンセンスさでは日替わりゲスト宮下さんとかじもんの『フィギュアの星』もひどかった(笑・ホメてます)この2つはイロモノ双璧。
『僕と君との二人芝居』
とにかく前評判の高かった作品。二人芝居という名のついた鍛治本さん一人芝居。あの「ちょっと意表をつく」始まり方、優しいたたずまいと穏やかな語り口が、徐々に変わっていく・・・冷たいまなざしと、衝撃的な問いかけで観客を総毛立たせ、恐怖を上回る引き寄せ力で劇場中の五感を独占するようなクレッシェンドな芝居、素晴らしかった!ほさかさんの脚本も、演出も、かじもんの芝居も、堪能!!!これはやはり、あの密室空間で、あの距離感で、お互いの呼吸音すら聞こえるような間合いを持って観るべき芝居だった。DVDではあの「鷲掴みにされる感覚」は味わえない。私は恐怖よりも興奮と好奇心で、食い入るように舞台を見つめていた。(途中、瞬きを忘れたせいでコンタクトが外れかけたw)今のかじもんにこういうのを演らせるほさかさん、凄い。『嵐になるまで待って』の波多野を見事に演じきったからこそ、アレは成立したのではないか。少なくとも、2年前の『太陽の棘』の彼では、ここまでの凄みを持った芝居になったかどうか、分からない。
最後、ひとつ白状すると、「最後の質問」ではなく「最初の質問」で演者を若干?驚かせてしまった。私はメンタルが強いのではなく、仕事柄、急に何か話を振られても動じないし、「素の人」と「素を演じている人」の区別がついてしまうだけ。ただ、あの舞台で私が「台詞を間違えた」のは、疑いようもない事実だろう。←期待された芝居ができなくてゴメンナサイ!&残酷な目に合いませんように!(苦笑)
『スノーホワイト・ランデヴー』
これは台詞がほとんどない!!ほとんどないのに、ものすごく面白い!!観ている側が脳内フル稼働で補完しているせいかもしれないけれど、私はこの「物語」が大好きだ。特に、ラストで女性が座り込んだままリンゴをかじり続けて、その音だけが暗転する舞台で響いているところ。「夢見てんじゃねえよ」と、現実を笑えないシュールさで突きつけているのに、イヤミを全く感じなかったのは、いっそ感動した。
『未知との遭遇 #3&4』
主人公の「少年」(小西成弥さん)と「宇宙人」(中田顕史郎さん)の対話。序盤の#1&2は、かみ合わなさが多少気になったけれど、ここらへんからようやく観る側の意識が「追いついてくる」感覚に。小西さん演じる「少年」の思考回路も結論も、幼稚と言ってしまえばそれまでだが、「宇宙人」役の中田さんの懐深い受け止め芝居があって、両極端ながらもちゃんとバランスが取れている。(猫殺しの「青年」(かじもん)の「僕のこと刺す?殺して道にばらまく?」は良かったな~)
普段私たちが意識していても、いなくても、こうして「言語化」されると、うわぁ・・・と思う。無遠慮に踏み込んでこられるような居心地の悪さ、目を向けてこなかったことを無理やり引きずり出して目の前にバーンと出されるのは、観る側としては決して気分の良いものではない(不用意に精神世界のドアを叩かれ、開けられる感覚)のだけど、ふと考えた。――― 書く側はドSか?(苦笑)
★
終演後、階段を上がって、あの不思議な異国感のある路地に出た瞬間、思わず空を見上げました。
青さの欠片もない、師走の都会の曇り空。
これが、ほさかさんが願ってた「リアクション」なのか、と後から(公演のチラシにあった挨拶文を読んで)気づきました。
これで今年は日曜の『ゴールデンスランバー』を残して観劇納めとなります。
最後の作品が「空想組曲 組曲『遭遇』」で良かった!無理して東京行って良かった!
芝居って本当にいろんな可能性がある、と思わせてくれた、あの顔ぶれ、あの劇場。
あの空間を共に呼吸できて、大変幸せでした。ありがとうございます。
10~11月が遠征に次ぐ遠征だったので、12月はおとなしくしていなければいけない(師走は公私ともに忙しい!)…と自重していたのですが。東京方面から「これまでにない芝居」「これは観ないと損!」というお声がいくつか聞こえてきたので、羽根のように軽い自制心はふわりと吹き飛び、よりにもよって平日マチネの1公演だけ観て帰るという「思いつき」を決行!(そもそも仕事以外で「自制心を発揮する」ことは極稀、皆無に近い…)
と言うわけで、観てまいりました。
★
空想組曲vol.13 変則短篇集「組曲『遭遇』」
作・演出:ほさかよう
http://www.k-kumikyoku.com/information.html
≪出演者≫ 敬称略
小西成弥
久保貫太郎(クロムモリブデン)
鍛治本大樹(演劇集団キャラメルボックス)
岡田あがさ
小野川晶(虚構の劇団)
家納ジュンコ(サモ・アリナンズ)
中田顕史郎
宮下雄也 ※日替りゲスト
★
2年前の冬、キャラメルボックスの『太陽の棘 彼はなぜ彼女を残して旅立ったのだろう』を観てから、いつか足を運びたい!と思っていた『空想組曲』ほさかようさんの作る舞台。私の親しい友人は『空想組曲』のファンで、(よく一緒に観にいく)キャラメルボックスとは全くテイストの違う「観終わった後、心にザラつきが残るような、あの感じが好きだ」と、よく話してくれたものだ。今回は急なこととて誘えず、一人で観ることになったのがちょっと残念だった。
変則短篇集、とタイトルがあって、2時間で15本もの長短織り交ぜた「物語」が上演される。ひとつひとつの「物語」と、その登場人物は、一見何の「つながり」もなさそうで、もどかしいほどに少しずつ、少しずつ、全ての「物語」の全貌・・・というか、相関関係が見えてくる、興味深いシナリオ。
ひとつひとつの「物語」で語られる人間模様を目で観て、耳で聞いて、肌で感じ、時間をかけて咀嚼し、舌の上で味わいを確かめ、ゆっくり飲み込む・・・何と言う密度の濃い舞台!しかも、こういう作品にはうってつけの「怪しさ満載」(失礼w)な会場。
100人も入れるかどうか、の小さな地下密室で、非現実的で浮揚感溢れるシナリオに翻弄されつつ、個性的な役者、触れそうな距離での芝居に酔う、とてつもなく長く感じる2時間。どんな贅沢も、これには敵わない。自分の感覚の中では、3~4時間くらいあの場所にいたような気がする。言葉のとらえかた、セリフの使い方が独特で、一度聞いただけではもったいない気がしたので、帰り際に戯曲を買い求めた。日替わりゲストで違う短編が上演されるので、スケジュールが許すならあと一回、別ゲストで観たかった!(それでも諦めていた作品をこうして東京まで観に行けたのだから、感謝感謝!)
当日の「物語」から、好きな作品をいくつか。
『作家が目指した銀河の果て』
クボカンさんと家納ジュンコさんの二人芝居。クボカンさん演じるSF作家の、心優しさと頼りなさそうなところが何とも魅力的で、その妻を演じる家納さんとのやりとりや会話に笑って、ほっこりと心温まった芝居。他の短篇の持つ「毒」や「闇」、「歪み」とは全く別種の、ちょっとホロッとくる優しい言葉の数々が、疲れた「ココロを揺さぶって」くれた(笑)。
妻の台詞「私の体はもうない。この地上のどこにもない。だけど、私を私として構築していたほとんどすべてのものは、きっとあなたの宇宙の中にあるあなたが夜空を見上げる時、私はきっとあなたといる」才能のかけらもない、と作家は言ったけれど、表現云々ではなくて、そういうふうに人を思える気持ちを、あのタイミングでさらっと見せてくれるから、余計にじんわり暖かい気持ちになった。
最後までひとつひとつの「物語」を紐解いていくと、この夫婦の息子が『未知との遭遇』の主人公の少年で、その姉が『翼をよこせ』の若い女性で、猫を飼っていた『メモリアルブルー』の女の子は少年の幼馴染だったということに気づく。最後のエピソードで、少しだけ救われる思いがするのは、この「物語」を先に観ていたせいに違いない。
『翼をよこせ』
岡田あがささんのパワフルな一人芝居。設定から何から、いろいろツッコミどころが満載過ぎて、それがまた「お芝居」(フィクション)だからこそ、リアルだったらイタ過ぎて目も当てられない主人公のドタバタを存分に笑ってOK!という、スカっと突き抜けた短編。しかし、描写が容赦ないな、ほさかさん(笑)。ツッコミついでに、ラストに現れる若い男(タイキ=鍛治本さん)意図的に?なんだか演出家氏を思わせる扮装で、爆笑してしまった・・・そこ笑うとこじゃない?いやいや、全員爆笑してたから!
ナンセンスさでは日替わりゲスト宮下さんとかじもんの『フィギュアの星』もひどかった(笑・ホメてます)この2つはイロモノ双璧。
『僕と君との二人芝居』
とにかく前評判の高かった作品。二人芝居という名のついた鍛治本さん一人芝居。あの「ちょっと意表をつく」始まり方、優しいたたずまいと穏やかな語り口が、徐々に変わっていく・・・冷たいまなざしと、衝撃的な問いかけで観客を総毛立たせ、恐怖を上回る引き寄せ力で劇場中の五感を独占するようなクレッシェンドな芝居、素晴らしかった!ほさかさんの脚本も、演出も、かじもんの芝居も、堪能!!!これはやはり、あの密室空間で、あの距離感で、お互いの呼吸音すら聞こえるような間合いを持って観るべき芝居だった。DVDではあの「鷲掴みにされる感覚」は味わえない。私は恐怖よりも興奮と好奇心で、食い入るように舞台を見つめていた。(途中、瞬きを忘れたせいでコンタクトが外れかけたw)今のかじもんにこういうのを演らせるほさかさん、凄い。『嵐になるまで待って』の波多野を見事に演じきったからこそ、アレは成立したのではないか。少なくとも、2年前の『太陽の棘』の彼では、ここまでの凄みを持った芝居になったかどうか、分からない。
最後、ひとつ白状すると、「最後の質問」ではなく「最初の質問」で演者を若干?驚かせてしまった。私はメンタルが強いのではなく、仕事柄、急に何か話を振られても動じないし、「素の人」と「素を演じている人」の区別がついてしまうだけ。ただ、あの舞台で私が「台詞を間違えた」のは、疑いようもない事実だろう。←期待された芝居ができなくてゴメンナサイ!&残酷な目に合いませんように!(苦笑)
『スノーホワイト・ランデヴー』
これは台詞がほとんどない!!ほとんどないのに、ものすごく面白い!!観ている側が脳内フル稼働で補完しているせいかもしれないけれど、私はこの「物語」が大好きだ。特に、ラストで女性が座り込んだままリンゴをかじり続けて、その音だけが暗転する舞台で響いているところ。「夢見てんじゃねえよ」と、現実を笑えないシュールさで突きつけているのに、イヤミを全く感じなかったのは、いっそ感動した。
『未知との遭遇 #3&4』
主人公の「少年」(小西成弥さん)と「宇宙人」(中田顕史郎さん)の対話。序盤の#1&2は、かみ合わなさが多少気になったけれど、ここらへんからようやく観る側の意識が「追いついてくる」感覚に。小西さん演じる「少年」の思考回路も結論も、幼稚と言ってしまえばそれまでだが、「宇宙人」役の中田さんの懐深い受け止め芝居があって、両極端ながらもちゃんとバランスが取れている。(猫殺しの「青年」(かじもん)の「僕のこと刺す?殺して道にばらまく?」は良かったな~)
普段私たちが意識していても、いなくても、こうして「言語化」されると、うわぁ・・・と思う。無遠慮に踏み込んでこられるような居心地の悪さ、目を向けてこなかったことを無理やり引きずり出して目の前にバーンと出されるのは、観る側としては決して気分の良いものではない(不用意に精神世界のドアを叩かれ、開けられる感覚)のだけど、ふと考えた。――― 書く側はドSか?(苦笑)
★
終演後、階段を上がって、あの不思議な異国感のある路地に出た瞬間、思わず空を見上げました。
青さの欠片もない、師走の都会の曇り空。
これが、ほさかさんが願ってた「リアクション」なのか、と後から(公演のチラシにあった挨拶文を読んで)気づきました。
これで今年は日曜の『ゴールデンスランバー』を残して観劇納めとなります。
最後の作品が「空想組曲 組曲『遭遇』」で良かった!無理して東京行って良かった!
芝居って本当にいろんな可能性がある、と思わせてくれた、あの顔ぶれ、あの劇場。
あの空間を共に呼吸できて、大変幸せでした。ありがとうございます。