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≪死すべき定めならば…≫
第二幕、ラストシーン。場面はモーツァルトの家。
病み衰えた彼が、最後の力を振り絞って「レクイエム」の作曲を続けている。妻コンスタンツェはそんな夫に休んでいてくれと願うが、彼は「邪魔をするな」とばかりにその手を押しとどめる。
「ラクリモーザ…そう…涙だ…」
かつての力も伸びやかさも失った、だが限りなく透明な声で、アッキー・ヴォルフは最初の数小節を歌う。「ラ…ファ…レレ…わかるか?…書き留めてくれ」熱に浮かされたように呟く、その「鬼気迫る様子」に台本作家のシュテファニーが必死でペンを走らせる。
「クレッシェンド…コーラス半音、それから全音…その先は…」
がくりと床に倒れ込むモーツァルトを、コンスタンツェとシュテファニーが慌てて助け起こす。再び昏睡状態に陥るモーツァルト。もう、長くはない…シュテファニーが立ち去り際、名残惜しく彼の手を握り、そしてそれをそっとコンスタンツェの手に重ね合わせて、哀しげに頷くシーンで私たちは「天才音楽家」の余命を悟る。
病にうなされ、苦しげに喘ぐ姿にあの夏の太陽のような輝きはない。第一幕、第二幕を通してキラキラとした黄金色のオーラを放ち続けた、あのアッキー・ヴォルフの変わり果てた、痛々しい姿を見つめるのが辛くてたまらない。
舞台の高みから歌姫カヴァリエリ(北原瑠美)が、その美しいソプラノのソロで「ラクリモーザ」を歌う。
全てを見守るように、全てを突き放すように。
その音色は、人の営みを超越したところに響き渡る。
卓絶した才能を神より与えられながら、世に容れられず、
志半ばで命尽きようとしている者がいる。
そしてもうひとり――
同じく衆に優れた才能と感性を持ちながらも、
「神に愛されたもの」についに及ばず、それ故に深く傷ついた者がいた。
同じ時代に、同じように音楽の世界に生きながら、
あまりにも違うものを見ていたモーツァルトとサリエリ。
すれ違い続ける…と言うよりも、交わることを拒絶した二人は、
最後に至ってようやく「ひとりの音楽家として」、互いに向き合うことになる。
『ロックオペラ モーツァルト』最終章。
* * *
≪今更何をと言われても≫
人目を忍んで?そっとモーツァルト家を訪れるサリエリ。コンスタンツェ=嫁に見とがめられるまで誰も止められなかったのか、邪魔者をシュクセイしてきたのかは不明だが、何でか部屋…というか病室まで入って来ちゃうのかなー、遠慮しろよ…と、ツッコんではいけない。というか、感動的なんだが、同時に「ツッコみどころ」も満載だ。ここは真面目なシーンなのに…(涙目)。
まあいい。今更だ。 ←コラ
藍版のアッキー・サリエリはこのシーンで「今にも泣きだしそうな表情」をしているのだが、赤版の山本サリエリは(先程までの感情の乱高下を経て)それまでとは異なる「どこか憑き物が落ちたような」不可思議な顔をして佇んでいる。
嫁「何をしに来たの!誰が入ってきていいと言ったんですか!帰って下さい!」
由香たん@ハゲタカみたいなこと言ってますが、この嫁。
やっぱ何か投げるんだろうかw
しかし「まだ若かった」鷲津とは違って「帰れ!」と言われても「すびばせんでしたぁぁぁ!」と土下座なんかするわけない。
完全スルーである。流石はサリエリ様。のちの鬼の副長・土方歳三である…(←もういいってw) ※いや多分見たいものしか見えてないなw
サリエリ「ご主人が病気だと聞いて…何かお力になれないかと…」
今 更 言 う か ア ン タ が !
この「ソーゼツに場の空気を読まない」発言に凍りつく劇場+嫁!!!ヴォルフといい勝負…というかサリエリからそんな台詞が出るようじゃモーツァルトの死はマジ近い…と確信する観客がここに1名。
嫁はもちろん激怒して追い出そうとするが、アッキー・ヴォルフも天才である。全く動じていない。弱々しい微笑みすら浮かべて、彼は訪問者に向かって片手をゆっくりと上げる。
「やあ…サリエリ、あんたか。…元気だったかい?」
お 前 は 他 人 の 心 配 を し て い る 場 合 か !
↑泣いていいのかツッコんでいいのか、嫁も観客も困ってるぞ。
で、サリエリ先生…お力になれないかって言うなら、この前のレクイエム依頼料の残り半分100ダカットを持参でもすれば良かろう。ん?…一応アレはサリエリではなかったことになっている…のか?鶴見さんによると、あのシーンは「人影」としか役名が書いていないそうなので、サリエリ先生による犯行wではないのかもしれない。
いかん。感動的なラストシーンなのに自虐的に、
いや半ば自滅的にツッコミをしてしまう自分がイヤすぎる。
もっと気味が悪いのが、この場面の山本サリエリ@赤版が、どこかに精神が乖離しているような、感情のない台詞を淡々と喋っているということだ。
藍版の中川サリエリは正直な話「泣いて『死ぬな、生きろ、モーツァルト!』と縋り付くんじゃないか?!」というオーラwを(台詞はなくとも)全身で「これでもか~!」と放っていたけれども、山本サリエリには一切「悲壮感」がない…いわゆる「棒読み」なのだ。
むしろ、そっちのほうが怖い。
先程までの感情の爆発を経て…どのような心持ちで、彼は此処に足を運んだのだろうか?
* * *
モーツァルト「…サリエリ。どうやら僕にはあの曲を仕上げるのは無理なようだ…あの、僕のためのレクイエム…」
サリエリ(遮るように)「モーツァルト。すぐに元気になるさ」(棒読)
モーツァルト「いや、ならないよ…死が…そこまでもう、近づいてきている…」
↑それってサリエリ先生のことですか。
(ああ、ツッコミしたらダメ~!と思いながら観て涙目になってる自分w)
「もし自分が死んだら、あのレクイエムを完成させてほしい。楽譜もスケッチもすべてある。だから…頼んだよ」
モーツァルトは苦しい息の下からコンスタンツェに告げる。…さあ、行って。サリエリと話がしたいんだ、と。
これほどに弱々しく懇願するヴォルフを見たことがなかった。そして…それこそが彼の死期を私たちに告げていた。
一部始終を聞きながら、サリエリはデスクに近づく。その眼はモーツァルトではなく、食い入るようにテーブルの上に置かれた楽譜を見つめている。五線譜に並ぶ旋律を追う。しかしあの眼差し…かつて蛇のような嫉妬と懊悩を秘めていた眼は、今、何の感情も映さない。
彼は魅せられたようにその紙片を取り上げ、そっと丸めた――。
此処からの二人の会話は短いが、解釈が幾通りにも分かれるところだ。
私はただ、覚えている限りで二人の言葉を書き留めておきたい。
モーツァルト「サリエリ…あんたには分かっていたんだろう?この時が来ることを…」
サリエリ「全ては…いつか…終わるものだ…」
モーツァルト「そう……(ふっと息をついて)だけど知っていたかい?旅の終わりは、本当は…始まりに過ぎないんだ…」
「予想外の別れの言葉」に立ちすくむ、山本サリエリ。
この時初めて、彼の無表情と棒読みの台詞こそが、目の前の喪失に対する哀しみの全てだった、と私は悟った。
悲哀の表現は、涙や慟哭だけじゃない。
魂を引き裂かれるような心の痛みと届かぬ想いを、こんなやり方でしか表現できないサリエリが…見ていて哀しかった。
モーツァルトは震える足元を確かめながらベッドから降り、2…3歩、歩み出す。
かすかな揺らぎと透明感に満ちたメロディーが、最後の唇から流れ出す…背後でピアノがその歌声を導いていく。
「死を怖れ 無駄に過ごす 人生に意味など無い…」
別の声がふわり、と重なった。
それまでとは違う、しなやかな強さを保ちながらも違う次元の優しさを持った歌声。
「涙も苦しみもいつか消える 残るのは思い出だけ…」
消え行きそうなハイトーンと、深い中低音。
全く違う個性を持つふたつの声は、お互いをいたわるように絡み合い、響き合い、劇場を春風のようにやわらかく包んだ。
「昨日の自分悔やむより 怖れず今日という日を生きよう 最後まで…」
気が付くと、山本サリエリが歌い続ける中川モーツァルトの傍に引き寄せられるように立っていた。手を差し伸べるようにあたたかく確かな歌声と、天使の透明感を備えたファルセットのハーモニーが螺旋を描いてホールの遥かな高みにまで響いていく。
「明日が…もう来ないなら 笑い飛ばそう 何もかも……」
舞台正面をそれぞれに見つめて歌っていた二人が、歌声の途切れた瞬間、初めてお互いを見つめ合う。
一瞬「声にならない、溢れる想い」が、ふたつの眼差しに交錯する。
サリエリは優しく歌いかける。また逢おう、と。
そしてモーツァルトも微笑みとともに応える。また逢おう…と。
「その時わかる 全ての意味が…」
初めて「ひとりの人間として真正面から向き合う」二人の絶唱が重なり、そこへ加わるソプラノの調べが「時が来た」と告げていく。天からの呼び声のように…。
言葉はない。サリエリは万感の思いを込めて、すれ違う肩にそっと手を置く。
モーツァルトはその手を見つめ、一瞬目を閉じると、歩き出す。
自分を待つ「今はこの世にいない、愛する人たち」の中へと。
別れを告げるように、肩に置かれた手。
あの一瞬で、おそらくサリエリとモーツァルトの間では「全ての意味が分かった」のだと思う。
脚本の云々やキャラクター造形を越えて、分かり合える何かがあったに違いない。
それが「報われぬ想い」でろうが「恋する乙女」の願いであろうが、この期に及んではどうでもいい。 ←
藍版の東京最終公演千秋楽で、モーツァルト(山本ver.)は初めて置かれた手に自分のそれを重ねた。
ほんの僅か、彼は微笑んだような気がした――「サリエリ、おつかれさま。そして、ありがとう」とでも言いたげに。
「惹かれあい、傷つけあった」――それぞれが音楽に惹かれ、さらなる高みを目指して持てる才能の全てを燃やした時、その炎がお互いを傷つけもしただろうし、自らの身を焼きもしただろう。
夢に届く前に人生の舞台を降りざるを得なかった男と、
永遠に届かない想いを抱いたまま、生き続けなければならない男。
高くしつらえた舞台セットの中央で、笑顔で両親に抱きとめられるモーツァルト。眩しい純白の光に包まれたまま両手を広げる。今こそ本当の自由を手に入れた…とでも言うように。
オールキャストによる圧倒的な合唱が響き渡る中、舞台上手に立ち尽くすサリエリは、ひとり手にした楽譜を見つめている。
再び彼が顔を上げた時、そこにはもはや嫉妬も羨望も、懊悩もなかった。澄みきった美しい眼差しだった。
天上に導かれるモーツァルトの背中を見届けると、彼もまた真っ直ぐに遥かな虚空を見つめる。その瞳には「魂の救済を得た人間」だけが持つ、安らかな表情と一筋の光を湛えて。
楽譜をそっと胸に抱きしめる。その指が、少しだけ震えた。
「お前のいないこの世で、俺は生き続ける」←サリエリというより、ちょっとキヨモリ。
魂を燃やした誰かの一生は、容易くは滅ばない。
音楽と舞台の素晴らしさを信じる人々の心の中に、「彼ら」はきっと生き続ける。
『ロックオペラ モーツァルト』ルージュバージョン
インディゴバージョンの挑戦があったからこそ、このルージュバージョンの輝きが生まれた。
山本サリエリがいてこそ、あの中川モーツァルトがあった。
そして、中川モーツァルトなくして、山本サリエリもまた、なかった。
* * *
夢のような10日間、
すべてのキャストとスタッフに心からの感謝と愛を込めて。
ありがとうございました。 m(_ _)m
あと勝手なこといっぱい書いてゴメンナサイwww
≪了≫
≪死すべき定めならば…≫
第二幕、ラストシーン。場面はモーツァルトの家。
病み衰えた彼が、最後の力を振り絞って「レクイエム」の作曲を続けている。妻コンスタンツェはそんな夫に休んでいてくれと願うが、彼は「邪魔をするな」とばかりにその手を押しとどめる。
「ラクリモーザ…そう…涙だ…」
かつての力も伸びやかさも失った、だが限りなく透明な声で、アッキー・ヴォルフは最初の数小節を歌う。「ラ…ファ…レレ…わかるか?…書き留めてくれ」熱に浮かされたように呟く、その「鬼気迫る様子」に台本作家のシュテファニーが必死でペンを走らせる。
「クレッシェンド…コーラス半音、それから全音…その先は…」
がくりと床に倒れ込むモーツァルトを、コンスタンツェとシュテファニーが慌てて助け起こす。再び昏睡状態に陥るモーツァルト。もう、長くはない…シュテファニーが立ち去り際、名残惜しく彼の手を握り、そしてそれをそっとコンスタンツェの手に重ね合わせて、哀しげに頷くシーンで私たちは「天才音楽家」の余命を悟る。
病にうなされ、苦しげに喘ぐ姿にあの夏の太陽のような輝きはない。第一幕、第二幕を通してキラキラとした黄金色のオーラを放ち続けた、あのアッキー・ヴォルフの変わり果てた、痛々しい姿を見つめるのが辛くてたまらない。
舞台の高みから歌姫カヴァリエリ(北原瑠美)が、その美しいソプラノのソロで「ラクリモーザ」を歌う。
全てを見守るように、全てを突き放すように。
その音色は、人の営みを超越したところに響き渡る。
卓絶した才能を神より与えられながら、世に容れられず、
志半ばで命尽きようとしている者がいる。
そしてもうひとり――
同じく衆に優れた才能と感性を持ちながらも、
「神に愛されたもの」についに及ばず、それ故に深く傷ついた者がいた。
同じ時代に、同じように音楽の世界に生きながら、
あまりにも違うものを見ていたモーツァルトとサリエリ。
すれ違い続ける…と言うよりも、交わることを拒絶した二人は、
最後に至ってようやく「ひとりの音楽家として」、互いに向き合うことになる。
『ロックオペラ モーツァルト』最終章。
* * *
≪今更何をと言われても≫
人目を忍んで?そっとモーツァルト家を訪れるサリエリ。コンスタンツェ=嫁に見とがめられるまで誰も止められなかったのか、邪魔者をシュクセイしてきたのかは不明だが、何でか部屋…というか病室まで入って来ちゃうのかなー、遠慮しろよ…と、ツッコんではいけない。というか、感動的なんだが、同時に「ツッコみどころ」も満載だ。ここは真面目なシーンなのに…(涙目)。
まあいい。今更だ。 ←コラ
藍版のアッキー・サリエリはこのシーンで「今にも泣きだしそうな表情」をしているのだが、赤版の山本サリエリは(先程までの感情の乱高下を経て)それまでとは異なる「どこか憑き物が落ちたような」不可思議な顔をして佇んでいる。
嫁「何をしに来たの!誰が入ってきていいと言ったんですか!帰って下さい!」
由香たん@ハゲタカみたいなこと言ってますが、この嫁。
やっぱ何か投げるんだろうかw
しかし「まだ若かった」鷲津とは違って「帰れ!」と言われても「すびばせんでしたぁぁぁ!」と土下座なんかするわけない。
完全スルーである。流石はサリエリ様。のちの鬼の副長・土方歳三である…(←もういいってw) ※いや多分見たいものしか見えてないなw
サリエリ「ご主人が病気だと聞いて…何かお力になれないかと…」
今 更 言 う か ア ン タ が !
この「ソーゼツに場の空気を読まない」発言に凍りつく劇場+嫁!!!ヴォルフといい勝負…というかサリエリからそんな台詞が出るようじゃモーツァルトの死はマジ近い…と確信する観客がここに1名。
嫁はもちろん激怒して追い出そうとするが、アッキー・ヴォルフも天才である。全く動じていない。弱々しい微笑みすら浮かべて、彼は訪問者に向かって片手をゆっくりと上げる。
「やあ…サリエリ、あんたか。…元気だったかい?」
お 前 は 他 人 の 心 配 を し て い る 場 合 か !
↑泣いていいのかツッコんでいいのか、嫁も観客も困ってるぞ。
で、サリエリ先生…お力になれないかって言うなら、この前のレクイエム依頼料の残り半分100ダカットを持参でもすれば良かろう。ん?…一応アレはサリエリではなかったことになっている…のか?鶴見さんによると、あのシーンは「人影」としか役名が書いていないそうなので、サリエリ先生による犯行wではないのかもしれない。
いかん。感動的なラストシーンなのに自虐的に、
いや半ば自滅的にツッコミをしてしまう自分がイヤすぎる。
もっと気味が悪いのが、この場面の山本サリエリ@赤版が、どこかに精神が乖離しているような、感情のない台詞を淡々と喋っているということだ。
藍版の中川サリエリは正直な話「泣いて『死ぬな、生きろ、モーツァルト!』と縋り付くんじゃないか?!」というオーラwを(台詞はなくとも)全身で「これでもか~!」と放っていたけれども、山本サリエリには一切「悲壮感」がない…いわゆる「棒読み」なのだ。
むしろ、そっちのほうが怖い。
先程までの感情の爆発を経て…どのような心持ちで、彼は此処に足を運んだのだろうか?
* * *
モーツァルト「…サリエリ。どうやら僕にはあの曲を仕上げるのは無理なようだ…あの、僕のためのレクイエム…」
サリエリ(遮るように)「モーツァルト。すぐに元気になるさ」(棒読)
モーツァルト「いや、ならないよ…死が…そこまでもう、近づいてきている…」
↑それってサリエリ先生のことですか。
(ああ、ツッコミしたらダメ~!と思いながら観て涙目になってる自分w)
「もし自分が死んだら、あのレクイエムを完成させてほしい。楽譜もスケッチもすべてある。だから…頼んだよ」
モーツァルトは苦しい息の下からコンスタンツェに告げる。…さあ、行って。サリエリと話がしたいんだ、と。
これほどに弱々しく懇願するヴォルフを見たことがなかった。そして…それこそが彼の死期を私たちに告げていた。
一部始終を聞きながら、サリエリはデスクに近づく。その眼はモーツァルトではなく、食い入るようにテーブルの上に置かれた楽譜を見つめている。五線譜に並ぶ旋律を追う。しかしあの眼差し…かつて蛇のような嫉妬と懊悩を秘めていた眼は、今、何の感情も映さない。
彼は魅せられたようにその紙片を取り上げ、そっと丸めた――。
此処からの二人の会話は短いが、解釈が幾通りにも分かれるところだ。
私はただ、覚えている限りで二人の言葉を書き留めておきたい。
モーツァルト「サリエリ…あんたには分かっていたんだろう?この時が来ることを…」
サリエリ「全ては…いつか…終わるものだ…」
モーツァルト「そう……(ふっと息をついて)だけど知っていたかい?旅の終わりは、本当は…始まりに過ぎないんだ…」
「予想外の別れの言葉」に立ちすくむ、山本サリエリ。
この時初めて、彼の無表情と棒読みの台詞こそが、目の前の喪失に対する哀しみの全てだった、と私は悟った。
悲哀の表現は、涙や慟哭だけじゃない。
魂を引き裂かれるような心の痛みと届かぬ想いを、こんなやり方でしか表現できないサリエリが…見ていて哀しかった。
モーツァルトは震える足元を確かめながらベッドから降り、2…3歩、歩み出す。
かすかな揺らぎと透明感に満ちたメロディーが、最後の唇から流れ出す…背後でピアノがその歌声を導いていく。
「死を怖れ 無駄に過ごす 人生に意味など無い…」
別の声がふわり、と重なった。
それまでとは違う、しなやかな強さを保ちながらも違う次元の優しさを持った歌声。
「涙も苦しみもいつか消える 残るのは思い出だけ…」
消え行きそうなハイトーンと、深い中低音。
全く違う個性を持つふたつの声は、お互いをいたわるように絡み合い、響き合い、劇場を春風のようにやわらかく包んだ。
「昨日の自分悔やむより 怖れず今日という日を生きよう 最後まで…」
気が付くと、山本サリエリが歌い続ける中川モーツァルトの傍に引き寄せられるように立っていた。手を差し伸べるようにあたたかく確かな歌声と、天使の透明感を備えたファルセットのハーモニーが螺旋を描いてホールの遥かな高みにまで響いていく。
「明日が…もう来ないなら 笑い飛ばそう 何もかも……」
舞台正面をそれぞれに見つめて歌っていた二人が、歌声の途切れた瞬間、初めてお互いを見つめ合う。
一瞬「声にならない、溢れる想い」が、ふたつの眼差しに交錯する。
サリエリは優しく歌いかける。また逢おう、と。
そしてモーツァルトも微笑みとともに応える。また逢おう…と。
「その時わかる 全ての意味が…」
初めて「ひとりの人間として真正面から向き合う」二人の絶唱が重なり、そこへ加わるソプラノの調べが「時が来た」と告げていく。天からの呼び声のように…。
言葉はない。サリエリは万感の思いを込めて、すれ違う肩にそっと手を置く。
モーツァルトはその手を見つめ、一瞬目を閉じると、歩き出す。
自分を待つ「今はこの世にいない、愛する人たち」の中へと。
別れを告げるように、肩に置かれた手。
あの一瞬で、おそらくサリエリとモーツァルトの間では「全ての意味が分かった」のだと思う。
脚本の云々やキャラクター造形を越えて、分かり合える何かがあったに違いない。
それが「報われぬ想い」でろうが「恋する乙女」の願いであろうが、この期に及んではどうでもいい。 ←
藍版の東京最終公演千秋楽で、モーツァルト(山本ver.)は初めて置かれた手に自分のそれを重ねた。
ほんの僅か、彼は微笑んだような気がした――「サリエリ、おつかれさま。そして、ありがとう」とでも言いたげに。
「惹かれあい、傷つけあった」――それぞれが音楽に惹かれ、さらなる高みを目指して持てる才能の全てを燃やした時、その炎がお互いを傷つけもしただろうし、自らの身を焼きもしただろう。
夢に届く前に人生の舞台を降りざるを得なかった男と、
永遠に届かない想いを抱いたまま、生き続けなければならない男。
高くしつらえた舞台セットの中央で、笑顔で両親に抱きとめられるモーツァルト。眩しい純白の光に包まれたまま両手を広げる。今こそ本当の自由を手に入れた…とでも言うように。
オールキャストによる圧倒的な合唱が響き渡る中、舞台上手に立ち尽くすサリエリは、ひとり手にした楽譜を見つめている。
再び彼が顔を上げた時、そこにはもはや嫉妬も羨望も、懊悩もなかった。澄みきった美しい眼差しだった。
天上に導かれるモーツァルトの背中を見届けると、彼もまた真っ直ぐに遥かな虚空を見つめる。その瞳には「魂の救済を得た人間」だけが持つ、安らかな表情と一筋の光を湛えて。
楽譜をそっと胸に抱きしめる。その指が、少しだけ震えた。
「お前のいないこの世で、俺は生き続ける」←サリエリというより、ちょっとキヨモリ。
魂を燃やした誰かの一生は、容易くは滅ばない。
音楽と舞台の素晴らしさを信じる人々の心の中に、「彼ら」はきっと生き続ける。
『ロックオペラ モーツァルト』ルージュバージョン
インディゴバージョンの挑戦があったからこそ、このルージュバージョンの輝きが生まれた。
山本サリエリがいてこそ、あの中川モーツァルトがあった。
そして、中川モーツァルトなくして、山本サリエリもまた、なかった。
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夢のような10日間、
すべてのキャストとスタッフに心からの感謝と愛を込めて。
ありがとうございました。 m(_ _)m
あと勝手なこといっぱい書いてゴメンナサイwww
≪了≫