徒然草庵 (別館)

人、木石にあらねば時にとりて物に感ずる事無きに非ず。
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Records of L'Opera Rock Mozart (2)

2013年11月24日 | 舞台
【アーカイブ】

Records of L'Opera Rock Mozart ②


≪ストーリー≫ (公式HPより抜粋)
どこにでもいる若者、その一喜一憂の姿。
しかし類い希な才能を背負った彼の運命。
そして、そのすべてを羨んだ、もう一人の男。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
その35年の短い人生は、音楽史に燦然と輝く天才の伝説でありながら、若者であれば誰もが共感する挑戦の連続だった。

モーツァルトが生きた時代、一流の音楽と言えばそれは宮廷の音楽を指した。父親も宮廷楽士であったことからモーツァルトも幼い頃から宮廷に出入りし、その才能は誰もが認めていた。しかしモーツァルトは宮廷のしきたりに縛られず、自分の魂が欲する音楽、広く大衆が聴き、楽しむ音楽を創作する道に突き進む。そんな型破りな行動も、ずば抜けた天分故に宮廷からも支持される。時に下世話と思われる題材をオペラに仕立てるが、それすら高い評価を受けるのだ。

しかしそんな名声を疎ましく思うひとりの男がいた。
ウィーンの宮廷楽長、アントニオ・サリエリ。

しかし皮肉にも、サリエリ自身が高い素養を持つ音楽家であったために、彼は誰よりも早くモーツァルトの無二の才能に気づく。それは「この世のものとは思えない」魅力と独創性に満ちていたのだ。音楽家として宮廷で絶対的な地位を築こうとするサリエリにとってモーツァルトは羨望を超え、邪魔な存在になりつつあった――。

2013年2月(こっちの体力も財力も)根こそぎ奪っていった『ロックオペラ モーツァルト』総括その2。
コチラはルージュ版(以下赤版)についての記録。

少しでも「好み」を知っている人なら、何故私が先にインディゴ版(以下藍版)そして中川サリエリをメインにした記事を書いたか不思議に思ったかもしれない。こいつならまずルージュから、山本サリエリとモーツァルトについて書くに違いない、それが普通の感覚だ。

弁解すると、書かなかった…のではない。
書けなかった、のだ。

そのくらい、ただただ、素晴らしかった。

"Records of L'Opera Rock Mozart: Part 2" 「ルージュバージョン」…山本サリエリ/中川モーツァルトの光と影を追った7日間。

そもそもこの公演を知ったのが昨年秋の「tick, tick,… Boom!」(@東池袋あうるすぽっと)で配布されたフライヤーだった。モーツァルトとサリエリ。天才と秀才(凡人ではない)の相克。常識と非常識。男と男の戦い、嫉妬と野望…どれも大好物だ。しかも主役を同じ役者が交互に演じ分けるという。

私「どちらかひとつ観に行く公演を選べと言われたら、議論の余地なくルージュの山本サリエリでしょう?むしろ彼にはああいう役こそ相応しい…」
友人「モーツァルトうんぬんより、山本さんがあのサリエリをどうお芝居するか見てみたい」

まさに全く同じ思いで、プレビュー公演の2月10日…ルージュ初日の幕は上がった――。


*       *       *


≪第一幕≫
モーツァルトの協奏交響曲K364の第二楽章、もの悲しい弦の音色がホールの暗闇に響き渡る。この公演は生のバンドと弦楽器4名の演奏がつくのだ。もちろんキャストには本職のソプラノ歌手もいる。ミュージカルではない、オペラ的要素とロックバンドのエネルギーを融合させたものを「ロックオペラ」と呼ぶのだそうだ。

私のいる3階席の高みをさらに超えた場所から、ふわっと仄白いピンライトが上手に落ち…気が付くと「彼がそこにいた」――慌てて双眼鏡を構え直す。「そこからか!」こちらの五感に、限界まで感情を抑えた声音、それ以上に何かを語る「圧倒的な強い眼差し」が飛び込んできた。

「聴こえてくる…またあの音楽だ。目を閉じれば幻のように現れ、この耳にこびりついて離れない…!」


がつーん。


… 負 け た 。

違う。私に最初から勝機など無かったのだ!!!
悔しいけれども、こっちの心の準備ってもんを軽々と破壊してくれたな。

またしてもヤラレタよ…アントニオ・サリエリ。
いや… 山 本 耕 史 !(爆)

どのくらい衝撃だったかというと、舞台に下りたままの薄い紗の幕の後ろで、表にいるサリエリへ影のようにセリフを投げかけていた「中川モーツァルト」の存在に「全く気付いていなかった」くらいだ。いかに心奪われたか、読者諸賢にはお察しいただけるものと思う。(苦笑)← 舞台メイクと衣装の写真はパンフにも事前の宣伝にも一切載っていなかったので、完全に不意を突かれた感が。

直後「怒りの日 Requiem - Dies Irae」の合唱の怒涛とともに、観る側の意識は一気に1772年へ…真紅に彩られたザルツブルグの宮廷へと没入していった。


*       *       *

ここで山本サリエリの立ち位置および衣装の解説を少し。『ロックオペラ モーツァルト』はその題名の通り、あくまでもモーツァルトの物語であり、サリエリはその「語り部」として観客を劇中の世界にいざなう。時に背景を解説し人間関係を紐解いて見せながら、自分もまた芝居の中に登場する、といった複雑な役どころ。モーツァルトと他の登場人物が話をしているシーンで、まったく表情を変えずに舞台の端に佇み、影のように見守る存在でもある。

ただ面白いのは、独り観客に向かって語り続ける彼の言葉が次第に激し、嫉妬とも羨望ともつかぬドス黒い感情をあらわにする場面が何度かあること。モーツァルトとの直接の絡みが意外に少なく、また宮廷で他人と交わる際に彼自身が「個人として」語る場面はないせいか、彼の内面はひたすら独白と歌でのみ説明されていく。(この歌がまたどれも秀逸!)

衣装はブラックベルベットとシルク、ダークシルバーのラメ生地を基調にしたロングジャケットに長い丈のパンツ。これもデザインコンセプトは(モーツァルトの「光」に対する)「影」。首元まで隙無くボタンを止めたハイカラーの黒いイン(チラっと白いシャツの襟が覗くのがイイ)、ジャケットと同色のベスト、そして最も印象の強い膝丈に届くロングジャケット。これは後ろ寄りのウエスト脇にプリーツが入っていて、サリエリが勢いよく身を翻すと見事に裾が広がり、美しい三角形のシルエットを描き出す。これが見られるのは全2幕通してほんの数回しかないので、絶対に見逃せないポイント。ちなみに銀色に光るラメのジャケットは、照明がオフの場所に佇む時でさえ微かに彼のシルエットを輝かせているので、間近か双眼鏡でじっくり見るのも楽しい。

余談だが他のキャストの衣装も象徴的なカラーが効果的に配されている。例えばモーツァルト家は全員紫。ザルツブルグ宮廷は真紅。ウェーバー家は基本がオレンジ~イエローだが、娘のアロイジアは鮮やかなブルー、コンスタンツェは愛らしいピンク。ウィーンの宮廷に代表される貴族社会はパステルカラーやイエロー、ゴールドをピンポイントに配したオフホワイト~クリーム色。これは「マリア・テレジア・イエロー」のシェーンブルン宮殿の外壁の色ともとてもよく似ている。台本作家二人は裏方という仕事のせいか?地味なグレー基調の衣装に、後ろ髪を結ぶリボンが揃ってグリーン系である。そしてモーツァルトと対立する存在の一人である王立劇場総責任者・ローゼンベルグ伯爵は、強烈なパーソナリティーと特殊メイク、紅色の衣装で、ザルツブルグと同じデザインのルーツを思わせる。

宝塚歌劇所属デザイナーによる、現代のエッセンスを加えてアレンジした宮廷風の華麗な衣装もさりながら、それをいかに優雅に着こなしてその場に立つか、というのも重要である。
そして赤版の山本サリエリは、こちらの期待と予想をはるかに上回る「完璧さ」…扮装やメイクが似合うだけではない。当時の貴族の鬘をアレンジした、艶やかな長い黒髪のウィッグは演技に応じて感情の乱れそのままに肩や頬に落ちかかり、何より宝塚の男役を思わせる暗紫色のアイシャドウとくっきりとした濃いアイラインで強調された、あの恐ろしいほどの冷ややかな眼差し――第一幕、セリフの少ないサリエリが「目で己が感情を語る」瞬間こそ、舞台上も観客もすべての空気を彼の立ち位置へと奪い去る、圧倒的な支配感を体現していた。

そう!「眼で語る」人を3階の天井桟敷から見るのは大変なのだよ!
勘弁してくれよw ←それでも何とか初見で全体像は把握した。

「妖艶優美」という言葉をこのサリエリには捧げたい。音楽家として成功したプライド、自信、何もかもが充溢している、きわめて男性的なキャラクターでありながら、非常に美しい。この傲慢なまでに冷徹な眼差しの男が、どのように天才モーツァルトに嫉妬し懊悩し激しい対抗心を燃やすのか――最後まで見届けてみたいじゃないか!?とあちこち触れ回りたいほど(笑)すっかりヤられてしまったのだった。


だが。かくも筆を尽くして賛美してみるところに…簡潔明瞭な一言が。
「あのサリエリって『パタリロ!』のバンコランに似てるよねーwww」
がくぅ~orz


*       *       *


閑話休題w
さて物語の(一方の)主役たる「中川モーツァルト」ともこの日は初対面だった。藍版総括では「恋する乙女」などとニワカ劇評家wに結論付けられてしまって、大変気の毒なwアッキーこと中川晃教。この人のことは名前はもちろん、舞台やミュージカルに多く出ている(舞台版『銀河英雄伝説』でオリヴィエ・ポプランを演じているのは彼だ!)というのも知ってはいた。そしてウィーン版「モーツァルト!」初演で素晴らしい評価を受けていたのも。

…がっ!第一幕冒頭、ザルツブルグ宮廷に娼婦たちを引き連れて文字通り「乱入」してくる若きヴォルフガング少年は、これまた衝撃的だった!

「何なんだ!この存在感!」

マンハイムの酒場で「イタリア語でないとオペラじゃない」「ドイツ語のオペラなんてありえない」(このセリフはモーツァルトに劇中ずっとついて回ることになる)と野次られ、ヴォルフガングの瞳にカッと炎が走る瞬間。


常識なんて、ぶち壊せばいい!
縛られるのはゴメンさ アハハハハ! (Le Trublion トラブルメーカー)


このヴォルフ、とにかくカッコからして凄い。パープルとグレーのファーをあしらったヤンキーっぽいw襟のついたジャケット(レザーリボンにランダムな鋲を打ち込んであり、動くたびにキラキラと光る)シースルーで胸元を大きく開けたラウンドネックのシャツ、そして細身のパンツにごっつい編み上げブーツ(しかも8センチ近い上底!女性キャストとの釣り合いを考えてのアレンジだったろうが、重かったに違いない)。

何だこれは?ウェスト・サイド・ストーリー?いや、あの金色に近いウェーブのかかった髪、醸し出す雰囲気、酒場のテーブルに飛び乗り、ライブ会場のように自在に歌い踊るあの姿は、まるで若き日のマイケル・ジャクソン?!
違う、これはモーツァルトだ。現代にモーツァルトが「生き返った」のか?!


何を恐れてしがみついている?
決められたことを信じているだけ、そんな人生で満足するのか? (Le Trublion トラブルメーカー)


高らかに叫ぶ「反逆の歌」…私は言葉もなく、唖然として舞台を見つめていた。
何というキラキラ感。何という圧倒的な歌声。パンチの効いた中音域から超高音のファルセットまで難なく歌いこなすアッキー・ヴォルフはまさに「アマデウス」降臨…としか思えないほどに劇場中の観客の心を攫う、素晴らしいステージングだった。


これはすごい舞台になる。
これはもっとすごいものに進化する。


先ほどの山本サリエリへの賞賛の念とも相まって「B席でもチケット買わなきゃ!」と熱狂スイッチがONになってしまったのだったw


*       *       *


第一幕はほとんどがモーツァルトの物語を追う。マンハイムでのウェーバー一家、特にアロイジアとコンスタンツェ、二人の娘との出会いと別れ、パリでの挫折、母の死…場面は暗転なしに次々と切り替わり、非常に疾走感がある。これはフィルの「暗転によって観客が『ふっ』と一息入れてしまう、その気持ちの中断がイヤなんだ。だから場面や音楽が途切れないようにあえてストーリーを作った」という演出意図そのままに、文字通り息をもつかせぬ「モーツァルトの前半生ダイジェスト」になっていた。

ちなみに女性陣ではアロイジア役のAKANE LIVのハマリっぷりが素晴らしい。元宝塚で、立ち姿も綺麗で、歌も素晴らしく上手い!秋元コンスタンツェもかなり頑張っていたけれど、何せヴォルフの姉ナンネール役の菊池美香、歌姫カヴァリエリ役の北原瑠美(二期会員のソプラノ歌手)とも、揃って上手さのレベルが違いすぎて…何という贅沢な空間かと。

母の死、恋人アロイジアとの別れを経て、孤独と絶望、挫折を歌う中川モーツァルト。「薔薇の香りに包まれて」ではこれまでの弾けるような若いエネルギーが一気に負の感情を溢れさせる、まさに号泣する魂が歌になったシーン。


一人眠る夜はざわめきに満ちて 歌声は聞こえない
哀しみがこの胸突き刺して叫ぶ 

今はただ目を閉じて 忘れよう何もかも 
恋しい夜は一人薔薇の花を抱いて… (Je dors sur des roses ~薔薇の香りに包まれて~)


前半がピアノと弦の伴奏のみで、クリアに澄んだ囁くような歌声で哀しみを切々と訴える姿は胸に迫る。打って変わって後半では肺の底からシャウトするような素晴らしい「絶唱」に変わり、ここで「内面の苦悩」を視覚化する影のような男性ダンサー2名と絡みながら立ち尽くす姿は、第二部への期待をいやがおうにも掻き立てた。

え…?サリエリについての言及がない?
彼のメインは第二幕なのだよ。おとなしく待っておるがよい。


*       *       *


後半、に、つづく~。(ちびまるこちゃんのナレーション調)