徒然草庵 (別館)

人、木石にあらねば時にとりて物に感ずる事無きに非ず。
旅・舞台・ドラマ・映画・コンサート等の記録と感想がメインです。

Records of L'Opera Rock Mozart (3)

2013年11月24日 | 舞台
【アーカイブ】

第一幕を語るうえで、実は山本サリエリの出番は少ない。
とはいえ、前半のサリエリは台詞がない分、佇む姿や視線で観客に何かを訴えなくてはいけない役回りだ。そして「目で語る」芝居をこれでもかと堪能させてくれたのも、やはり赤版の山本サリエリだった。
藍版でももちろん、「動的な」モーツァルトがふと静止した瞬間に見せる表情、立ち尽くすときの眼差しは強く惹きつけられるものがあった。だが懊悩や苦悶こそ、サリエリ芝居の真骨頂で、こういう「暗い部分」を見るのが好きでたまらない私にはwちゃんとまとめて語っておかねばならないシーンがある。
第二幕へ向かう前に、劇評にも「視線ひとつで舞台を変える」と書かれた、山本サリエリのあの印象的な眼差しについて。


≪山本サリエリの眼差しと、秘められた激情≫
第一幕ではほぼナレーションに徹し、モーツァルトを取り巻く出来事と時の流れを俯瞰するサリエリ。台詞はないが、その美しい立ち姿を堪能できる。ただ、時に彼の視線がこちらを直視する瞬間、「見ている側」と「見られている側」が逆転し、彼の冷たい双眸に心臓を鷲掴みされるような錯覚すら覚える。

実際、舞台上の山本サリエリは「どこか浮遊した自我」をもう一つ備えていて、自分の芝居、舞台全体、それを見る観客、さらにはそれら全体を観ている「中の人」の存在を感じさせるシーンがいくつもあった。
劇は進行しているのに、余裕の薄い笑みすら浮かべて、あの目でジーッと観客を見るのだ。相手と視線が合ったとしても、絶対に外さない。むしろ「私を見ているね?」と、数秒間だが試すような鋭い眼差しを向けてくる。舞台で進行している芝居と一線を画した「語り部」「影」として佇んでいるからこそできる振る舞い。間近な席で見ているさなかに運悪く?捕まると、一瞬我を忘れる。だがこちらもあの支配力に負けたくない。視線を逸らさないよう、グッと全身に力を入れて「睨み返す」勢いが面白かったのだろうか。彼がごく薄く、目許や唇の端で微笑むのを、何度も見た。


ロックオン。

( ̄∀ ̄)9m…さすが山本サリエリ。前世は悪左府さまである。(爆)

第一幕、「語り部」山本サリエリが「神の申し子」のように煌めく中川モーツァルトを見て自分の感情を吐露するのはごくわずかだ。冒頭の「サリエリの頭の中に生き続けるモーツァルトの幻影と音楽」、そしてアロイジアに夢中になっているモーツァルトの浮かれぶりを冷ややかに見つめるシーン。暗転した舞台の中央に立ち、吐き捨てるように呟く。
「運命は残酷だ…私にはそこそこの才能と平凡なメロディーしか与えてくれなかった神が、この男には惜しげもなく音楽のひらめきを投げ与えたのだ…」
静まり返る空間。重低音のピアノの音、山本サリエリの抑えた声音は次第に怒りとも、羨望とも、嫉妬ともつかぬ狂おしげな響きを帯びて大きくなる。
「何故だ…何故…私が何週間も苦しみながら作り上げた音楽よりも、この男が浮かれ気分で作った鼻歌のほうが美しいんだ…!」


一瞬「ハナウタ…ぷっw」と吹き出しそうになるのだが、サリエリ閣下は大真面目である。彼の懊悩を大真面目に聞かねばならないところなので、絶対に!絶対に!!笑ってはいけない。←ここで笑ったらシュクセイ! そんなこっちの身悶えを知る由もなくw山本サリエリの呪詛、もとい独白は続く。

「出会いたくはなかった…この男に。出来ることなら知りたくはなかった、この男の音楽など…」
注:まだ(一幕では)出会ってませんがw

ロングジャケットの裾を苛立たしげに翻し(ここ見どころ!)、足音も荒く立ち去る姿はまさに思い描いた「サリエリのイメージ」そのもの。その声、苦しげに引き寄せられた眉、凍りつく表情、震える指先、口惜しげに握られる拳。全ては極上の美酒のように私を酔わせた。


*       *       *


続いてサリエリが「出現」するのは、パリの街に客死した母・アンナマリアに取りすがって号泣するアッキー・ヴォルフの、地に崩れ落ちた姿の背後である。
黒一色の葬送者の列が、アンナマリアを運び去っていく。流れるのは「フリーメーソンの葬送音楽 K.477 葬列」呼吸すら憚られる緊張感、打ちのめされたモーツァルトの横で『運命』(「神とは違う、善悪を超越した得体のしれない絶大なる抽象概念」を表した姿。鶴見辰吾が「悪魔的な」恐るべきメイクと衣装で演じる。しかし一人称は「吾輩」ではない、念のためw)が無表情に佇む。
そして会葬者に交じる、金属製の仮面を付けた、漆黒のロングコートにナポレオン風の帽子を目深くかぶった長身の男。最初は「それとわからない」装いにもかかわらず、不吉な空気を全身から発し、観る者の注意を引きつける。
鈍く光る仮面に静かに手をやる。その手すら黒い革手袋に包まれて見えない。薄明かりの中、浮かび上がる青白い顔が、涙にくれるモーツァルトを冷ややかに見下ろしている。
「これで分かっただろう…」と男の影は告げる。「たとえどれだけ神に愛されようとも、人生は挫折の連続、絶望の連続だ!」突き放すように言うと、今度はそっとモーツァルトの傍らに膝をつく。この優雅な挙措も、熱を帯びた台詞と冷たい動きのギャップも、まさに山本サリエリの真骨頂!

「さあ…帰るんだ、モーツァルト。父親の待つ故郷ザルツブルグに…全てを諦めて」

そうすれば、私とお前は出会うこともない。
傷つけあうこともない――それでいいんだ。

「帰れ、モーツァルト…」

再び仮面をつけ立ち上がる山本サリエリ。「この世のものではないような」その姿は長く尾を引く雷鳴とともに舞台下手の闇へと消え、独り取り残される、うずくまった小さな背中だけが言いようのない悲しみを漂わせて、間違いなく前半のハイライト・シーンになっていた。

――がっ!

ホントに帰っちゃっていいの?
ホントに出会わなくていいの?
ホントに傷つけあっちゃわないほうがいいの?

と、ツッコミたくなる違和感満載だったのが、同じセリフを口にする藍版のアッキー・サリエリだったw
こう…早く会いたくってたまらない感がね…どう見てもアッキーの場合…ダダ漏れ(爆)←

そのあたりが、芝居として山本サリエリに軍配を上げたい一因かな?w


*       *       *


≪第二幕≫

驚きと感動冷めやらぬまま、20分間の休憩はあっという間に過ぎた。
いよいよ第二幕。一幕のラストから3年が経過し、モーツァルトはザルツブルグで父レオポルドの跡を継ぎ宮廷音楽家としての生活を送っている――それは彼にとって「自由を奪われ、籠に囚われた状態」でしかなったのだが。

宮廷音楽家ということでアッキー・ヴォルフの衣装はヤンキーなファー&鋲使いの派手でセクシーなものから、赤みを帯びた葡萄色のベルベットと暗紫色のレース、ひだ使いの華やかなジャケットコートに変わる(パンツと上げ底ブーツは同じw)これがまたキラキラとしたアッキーの雰囲気に良く似合っている。

でも、相変わらずヤンキーな中身は変わってないwさすがに「父親につかみ掛かる」ようなことは無くなったが…この中川晃教という存在の醸し出す「ヤンキーっぽさ」(中の人は素直で可愛らしいところもある好青年)が、これまた「ロックなモーツァルト」に欠かせない絶妙のスパイスになっている。本人は「この作品のモーツァルトは、以前演じたウィーン版『モーツァルト!』とは全く別物」と語っている。それを引いても素晴らしい「ハマりっぷり」だ。

本能の命ずるまま動く、不良少年のようなそれでいて純粋な振る舞い、
神から与えられたきらめく音楽の才能、
女の子にすぐ声かけていそうな憎めないプレイボーイぶり、
反抗心と紙一重のチャレンジャー。

その魅力は第二幕開始直後に再び炸裂する。ザルツブルグの支配者・コロレド大司教との対立、音楽家としての独立を決意する時、中川モーツァルトは全身で叫ぶ。

「自由だ――いいか、ボクは自由だ!自由なんだ――――――!!!」

直後に始まる『Place, je passe 夢を支配するもの』に「3年間抑えに抑えた」彼の奔騰する全エネルギーが叩き付けられる。


誰に何を言われたって構わない 自分だけ信じて生きよう
くだらない奴らが邪魔をするのなら 黙らせてやる もう迷わない
繋がれた鎖を断ち切ろう!

道を開けろ 僕が此処にいるから 今誓う 自由のために
道を開けろ 何も怖れはしない 夢求めあの空に飛び立とう! 

夢を支配するものならば今 手にできる この世界を
道を開けろ 僕が此処にいるから 今誓う 全てを手に入れると!


すごい、すごいよ!アッキー・ヴォルフ!!!20人近いダンサーを従えて、舞台狭しと走り、歌い、踊り、飛び跳ねる姿は完全にロック・スター!こっちも思わず立ち上がり一緒に歌い出したくなるような躍動感!まさに「時は来た!」の興奮!高音のシャウト、伸びやかな歌声に劇場全体が「心飛び立つような昂揚感」に巻き込まれる!

ホントにすごい舞台だ…!
もっと観たい、毎日でも観たい!←すでに中毒。まだサリエリ歌ってないのにw

歓声と興奮の冷めやらぬ舞台をよそに、ナレーションが響く。そう…あの男だ。山本サリエリ。

「ついにモーツァルトは動き出した…コロレドのもとを去って音楽家として独立…そして劇作家ゴットリープ・シュテファニーと手を組んで、長い間の夢だった『ドイツ語オペラ』の作曲に取り掛かったのだ…」

「運命は変えられない。こうして私とこの男は間もなく出会うことになる…ここウィーン、ヨーゼフ2世の宮廷で…」

冷ややかな声音に、苛立ちを押し殺した表情。言葉とは裏腹に、敵を待ち焦がれるような昂揚した目をした中川サリエリとは、ここでも対照的。
藍版を見ていると、思わず「アッキー・サリエリ、めっちゃ楽しみにしてるやろ…会うのw」とツッコミせざるを得ないシーンで、それはそれで面白かったのだが、本来舞台はチャチャ入れながら見るもんじゃないのだよww


*       *       *


≪ウィーンでの邂逅≫
いよいよいよ~♪サリエリがちゃんと台詞言って芝居に絡む(ほとんどここまで一人芝居状態だったのでw)!待ち焦がれた~この瞬間~♪である(歌違うw)…そして「隠れドS、内面ドM」風味満載なサリエリ閣下の悪だくみのお相手は、宮廷歌劇場の支配人・ローゼンベルグ伯爵(演:湯澤幸一郎)。これがまた素晴らしいキャストで、歌わないがそれ以上にビジュアルもお芝居も面白すぎて、毎回出てくるのが楽しみになってしまったキャラクターだった。

「オペラはイタリア語でなければ」「ドイツ語のオペラなんてありえない」という当時のウィーン、いや音楽界の常識を既存既定のものとして体現するサリエリとローゼンベルグの二人。
男性的ながらも非常に美しい黒衣の山本サリエリと並ぶと、白塗り・ピエロ的な誇張メイクに盛り上げた赤い鬘、白いレース襟と赤いコートジャケット、赤いハーフ丈のパンツといったローゼンベルグの出で立ちは、観ているだけでも楽しい。それ以上に中の人がカウンターテナーとしての声質と技量を持ち合わせていることもあり、まさに多彩な七色の声の芝居が彼一人によって展開される。
シリアスなサリエリと並んでコメディ的なキャラクターがより光り、個性的なキャラばかりのこの芝居で間違いなく「ナンバー1の名脇役」であったと思う。赤版では二人とも長身なので、さらに舞台映えするビジュアルを作り上げていた。(←アッキーが悪いとは言わないが、サリエリが小さいとやはり色々と無理が…ゴメンよアッキー…w)

オペラ「後宮からの逃走K.384」をきっかけにして、ついに出会うモーツァルトとサリエリ。いわばフリーランスの音楽家、礼儀も口の利き方もなっていない「やんちゃ坊主」そのままのアッキー・ヴォルフは(衣装が多少華やかになったところで)傍若無人な振る舞いには全くブレがない。
リハーサル室で恋人を追い掛け回し、平気で演奏家や歌手を待たせ、揚句には仕上がり具合を見に来たローゼンベルグ伯爵に「(楽譜に)音が多いだって?あんた、ヴァァァァァッカじゃないのぉ?!」などと迷台詞を吐き、怒り心頭に達した伯爵がブチ切れて帰ってしまうw(ここは間違いなくアッキー・ヴォルフのベスト見どころのひとつ!)
もう、ローゼンベルグもヴォルフも文字通り「やりたい放題」なのが可笑しくて、また似合い過ぎていて観る側は笑いをこらえるのが大変であるwいや遠慮なく笑ってしまうのだが、本当に何度見てもこのシーンは面白すぎるのだ!

さて、山本サリエリはその一部始終をじっと観察している…その瞳には珍しく楽しげな色さえ浮かべて。目の前の一幕喜劇の作者に拍手すると、彼はモーツァルトを優雅に挑発する。

「はっははは…ブラヴォー、モーツァルト。上手くあの伯爵を追い払ったものだね、お見事だ」

一瞬「意味が分からない」キョトン…とした表情の中川モーツァルト。
山本サリエリは余裕の笑みを浮かべたまま続ける。

「もちろん、もし君の音楽が……君の言うほど立派なものだとしたら、だがね」


キタ━━━(゜∀゜)━━━!!!


うおおおおおおおおおおおお!!! ←落ち着けと言っても無駄w
この言い回し!この持って回った感!この上から目線!ワタクシ…席で悶絶w(ゴロゴロゴロ…とはしてない。観劇中の迷惑行為はやめようw)

だがしかし。ヴォルフも負けてはいないw

「ちょっと待って!アンタ、音楽家だよな?だったらこれ見てて。ボクには必要ないから!」

ポンと手渡された楽譜を無言で見下ろす山本サリエリ。
相手にはお構いなしに「さあ!リハーサル始めるよっ!」とタクトを振り始めるアッキー・ヴォルフ。何故か…背筋がゾクリとした。


何かが、来る。
この次に何かが…起きる!


高い舞台セットの上から(北原瑠美演じる)歌姫カタリナ・カヴァリエリの「悲しみのアリア ~後宮からの逃走 アリア10~」が響き渡る。アッキーが「どんなシーンでもこの人が歌えば劇場が一瞬でオペラハウスに変わる」と絶賛した本格ソプラノだ。その美しくも悲痛な調べ…しかし、私の視線は山本サリエリの表情から離れなくなっていた。

無造作に手にした楽譜の表紙を開く。そこに書かれた音符たちは、彼の脳内で瞬時に旋律となって流れ始めたはずだ。一枚、また一枚…とページをめくる。目は楽譜に落としたままだ。落ちかかる長い前髪に表情は暗く沈み、私からは窺い知れない。
だがページをめくる指の動きが次第に早くなり、もどかしく最終頁を乱暴に繰ると表紙を閉じ、彼は顔だけを…眼差しだけをこちらに向けた。

その瞬間…恐怖のような感覚が全身を走った。
あれほど美しかった山本サリエリの顔立ちが、その蛇のような「眼」だけで、見事に妖しく醜い感情で彩られていたからだ。

楽譜を閉じても、耳には歌姫のアリアが容赦なく襲いかかる。
先ほどまでの優雅な余裕は消え去り、立ち尽くすその姿。
何という昏い、何という絶望感を湛えた眼だろうか。
自らも非凡な才を持つゆえに「そこに書かれたもの」が何を意味していたのか…彼には解ってしまったのだ。

一瞬の視線だけで、観客を深淵に引きずり込む。この次に歌われる曲は…そう、サリエリの衝撃と絶望を形にした「Le bien qui fait mal 痛みこそ真実」ソプラノのアリアは次第に超高音の絶唱に変わり、その声に背中を突き飛ばされたようにフラッとサリエリがよろめき、姿勢を崩す。踏みとどまった彼の喉から、絞り出すような歌声が漏れた。


まるでこの胸をナイフで抉るような 痛みが身体中を熱く震えさせる
何処から来るのか この喉の渇き 目が眩むような光を浴びて…!

痛みだけが俺を責め立てる… 本当の俺に…!(Le bien qui fait mal 痛みこそ真実)


全身からサリエリの狂気がほとばしる。髪が乱れ、足がもつれる。時に震えを帯びた低音、時に絶叫のような高音を織り交ぜて歌う姿は悲愴でもあり、狂ったような目で周囲を見回して逃げ出そうとする表情は冷汗にまみれ、そこへ「苦悩」の男性ダンサーが妖しく絡み、彼の胸に取り落とした楽譜を「これが現実だ」と突きつける。
中の人に関しては歌唱力は昨年の主演舞台で分かっていたから、今更「俳優なのに歌が異常に上手い」などとは書くまい。とはいえ…これは…これは…。


何という 色 っ ぽ い サリエリだッ!!! ←そこか!w


ええ、すいません。完全にKO状態。色っぽいともいうが、もっと直接的に言うなら「エロい」wあんなサリエリ見せられちゃ、こっちもどうにかなっちゃいますよw 何なんだ、あれは。何なんだ、あの色気ダダ漏れなサリエリは。何なんだ、あの中の人は!!!


お前は…誰なんだぁ―っ!(←作品違う)


ぜいぜいぜい…
↑落ち着け自分。まあ座れ。そして頭をドライアイスにでも突っ込め。(爆)

そしてお気づきの方も多いだろう。山本サリエリ、普段の台詞では一人称は「私」だが、歌う時だけ「俺」になる。このあたりがまた激しく萌えるポイントなのだ!!!こんなにツボってしまっていいのか。山本耕史ありがとう!!!(←分かったからもう黙れw)

歌い終わったサリエリが、激情のまま呆然と立ち尽くしている(ついでにこっちも魂抜かれて放心状態、目はハートマークw)。そこへモーツァルトが「どう?マエストロ。やっぱり音が多過ぎたかい?」と無邪気で傲慢な自信を覗かせて尋ねる。

げっ!空気読め、ヴォルフ!
そんなこと今のサリエリに言ったら刺されるぞ!w

観客の想いを映したように、1、2、3……ほんの数秒の間、舞台で時間が止まった。そして次の瞬間、触れれば発火するような熱気を纏っていた山本サリエリは「すうっ」と元の冷ややかな表情に戻ったのだ。片頬には笑みさえ浮かべて、楽譜をアッキー・ヴォルフに返す。

それがまさにこのシーン。「モーツァルト…私からの忠告はひとつだけだ」十分に抑制のきいた大人の声。先ほどまでの嵐の余韻など微塵もない。「このまま進めたまえ。全ては上手く行くだろう…」パッと顔を輝かせるモーツァルト。サリエリはそんな彼を余裕の視線で見つめてから「微笑を浮かべたまま」背を向けた。そしてゆっくりと歩き出す。背筋にイヤな感覚が這い寄る…まただ。

1、2、3……4歩目。

柔らかな微笑が一瞬でかき消え、恐ろしいほどの無表情がそこにはあった。そして彼の姿が下手に去っても、劇場中が彼の抱える深淵に捕らわれたままなのを、私は感じた。