永青文庫で「春画展」を観る!
「春画展」公式サイト http://www.eiseibunko.com/shunga/
「永青文庫」公式サイト http://www.eiseibunko.com/
「芸術」ということらしい。
都電荒川線「早稲田駅」が近い。
【永青文庫 入り口】 胸突坂を登ると、永青文庫がある。
【2時過ぎころから混雑しました】
パンフレット 【拡大します】
【胸突坂】・・・この坂を登ると「永青文庫」がある。
目白通りから、椿山荘と和敬塾の間を神田川に向かって下る急な坂です。
神田川にかかる駒塚橋から見ると、左手の水神社の白い鳥井と、右手の関口芭蕉庵の塀に挟まれた細い道が、生い茂る木々の間を上っていくのが見えます。
途中にちょっとした休憩スペースがあったり、坂を上る途中に永青文庫や蕉雨園があったりと、変化と風情に富む飽きない景色を持った坂道です。
細川家と永青文庫 http://www.eiseibunko.com/history.html
永青文庫は、今は遠き武蔵野の面影を止める目白台の一画に、江戸時代から戦後にかけて所在した広大な細川家の屋敷跡の一隅にあります。
細川家は室町幕府三管領の一つとして武門の誉高い家柄で、現在の細川家は藤孝(幽斎)を初代として戦国時代に始まります。
武人藤孝は優れた歌人・国文学者として、また、信長の雑賀征伐に弱冠15歳で初陣し先駆けの功に輝いた忠興(三斎)は千利休の高弟の一人としても名高く、その室・明智光秀の娘玉は波乱の戦国時代を清冽に生きた武将の妻として、キリスト者としてガラシャの洗礼名で知られています。
代々文武両道にすぐれた細川家は、多くの戦功を挙げて、3代忠利のとき肥後熊本五十四万石を与えられ、強力な外様大名として幕末に至りました。