禁制!)北花園さな競馬ブログ

競馬日記です!!難易度高いかも知れません!

こう言う話し!(人生他人に委ねてちゃダメだ!)

2018-12-26 17:32:50 | livelove日記
5年くらい前に母親が死んでしまうのである。ふと、今頃になって’もう一度会いたいなぁ!’とか、思うようになるのだが、一般に言えば人間の生と死、こんなのを感じて人間は喜びと悲しみ、こんなのを知り、もっと成長を果たすと言うかもだが、わたしは”JRA競馬研究家”と言う一職業のものとして、こう感じるところもある。それは、人生が母親の死と言うもので図ると言う一人生ではなく、’自分の生きる!’これに対する人生(生と死、喜び悲しみとか)、これが自分の人生だ!と言う事である。

質問があったとして、

質問:さなちゃん、人生に目的があるの?

と言われた時、わたしは、

さな:ないよ!競馬をやっているだけ!

と、答える。その人は物書きとかそう言った仕事で、”目標”と言うのがあって、わたしにそう尋ねるのだろうが、わたしはそれに対し’ないよ’と、こう答える。その人は、不思議に感ずるが、

さな:お月様やお太陽さまが、ただあるのみ!これを貫いているじゃん!わたしも同様に、ただ競馬をやっているだけ!こうあるねっ!もしかすると、JRA競馬家って言う職業は、そう言う職業なのかもねっ!

JRA競馬研究家って職業は、満天の星空や宇宙を彷彿させる職業である!やってみれ!と言っても、手が出せないだろうが、人生酸いも甘いも知り尽くした!と言う言葉は、わたしにとっては、余り意味を為さない言葉、わたしは’ただ競馬をやっているだけ!(ただの競馬家)’これを貫くのである!

母親が死ぬのである。(もう一度)会いたいと思うのである。しかし、恐らく人生ってのはそうではない!人の生と死これを見てわたしは自分にあった喜びと悲しみ、これを一つ受け持つが、こちら側、わたしは’自分と言う名の人生’これが、一番大事と思うのである!人生山あり谷あり!ってのは、他人と共有する人生(結婚とか)で図っているのではない。結婚は(女性にとっては特に)人生の一番の大山だが、この山を登っている時も、人生と言うのは自分との戦い!これが、全てである!

わたしは、結婚を今人生で経験しなくとも、結婚と言う大山が、どこでも良い一つの山を登る時の苦しさ、あれなのだと知っているが、自分と言う物差しのその自己の成長を図る、’頑張る!’と言う一最小単位から見れば、わたしが生きるとはその最小単位’頑張る!’と言うものの積み重ね、これで成就するものと知っているのである。いつでも頑張るのだ!そうすればいつかその頑張りが、ちょ~う特大の頑張りとなって返って来る。今わたしはそのちょ~う特大の頑張った成果を’宇宙’と言う物差しで見て感じるが、、、

天下を取りたい!の話し!!

2018-12-26 17:32:20 | livelove日記
世の中には、女子と男子がいて分け合うが、あなた(わたし)がもし天下を取りたい!こう願ったときどうすれば良いか?



性別的には、女性なら女性、男性なら男性、ここを相手に自己を表現するのはまあ容易いと言える。問題は、その逆女性が男性、男性が女性、それぞれに対し自己を表現する!と言うのが実は、難しいのである。もし、あなたが天下を取りたいと願うなら、要はこの辺を上手く攻め切らないと、天下取り!と言う大自分には、なれないことだろう・・。



例えば、どの世界でも良い。自分に職があってその職に自分は、命懸け!精進あるのみ!のものがいる。天下を取るので、世間にいる女性と男性のどちらの視線も集めねば天下など取れないわけだが、役者をやるものがいるとして、女性ならどちらかと言うと、同性となる女性受けを狙う方が、自分の性をそのまま出していれば良いから、同性受けはやれば出来る!と言えるのである!まあ逆の男性受け、これを狙っても良いが、ここで重要なのは、男性受けを狙ったとして、その時同時に女性からの支持も得られているか?と言う事なのである。女性が男性受けを狙い、返って女性からの支持は得られなかった!と言うのでは、話しにならない。あちらを立てればこちらが立たず!では、いけないので、どうするか考えものなのである。



男性がいるのである。漫才をしているとして、一発ギャグ等で、お客を笑わせるのだが、わたしにはこの時多かれ女性は、こう思っているのである!笑ってはくれていても、内心は

’今の(笑いはしたが)なんだろう?’

男性が考える一発ギャグは、同じ男性には比較的好評なはずである!笑ってくれても、意図する中身まで知って笑っているはずである。よって、これは良い。志村けんさんのギャグで、’あいーん!’と言うのがあるが、面白く女性も支持しているように見受けられるのだが、もっと大きな視野で見て(全女性が見て)、女性が志村さんの’あいーん’を見たとき、ちょっとわからない!っとする女性もいるのではないか?いやいや、昔テレビを見ていてお笑い系のテレビも見ていたが、志村さんの’あいーん’が、”なにをやっているのだろう?”と言う空気となって返って来ているのをわたしは見ているのである!あの空気を作っているのは、男性ではなく、(OL等の)女性であろう!

つまり、女性なら男性、男性なら女性、この組み合わせで、考える支持と言うのは、取ろうとするのは難しい!と言う事である。



まあ言うと、ここでは将軍家康が1600年ごろ天下を取って幕府を開く!と言う例がある通り、天下を取る!と言う事柄はあるのである。簡単なのは、女性なら女性、男性なら男性の支持である。しかし、難しいのは、女性が男性の支持を、男性が女性の支持を、と言う事なので、どちらか一方の支持を得た時、もう片方になる性別の支持をどう得るか?ちょ~う思案のしどころである!もう一度、お笑い系の話しを例に出すが、その場の空気を見るのである!大抵お客は、笑っているのである。好評のようなのである!しかし、”わからない!”と言う空気があるのも確かである!女性のお笑い芸人さんが、芸をするとき、”どうもわからないなぁ~!”と思っているのは、あれは男性なのである!かつみさゆりさんの、さゆりさんが出すギャグ’(髪飾りを上に引っ張って)ぼよよーん’とするギャグは、わたしは好きで面白いと思うが、’あれが何だろう?’とか’何をやっているのだろう?’と、思う空気を作っているのは、あれは大抵男子なのである・・・。



どの世界でも良い。天下を取るにはもう一つ大事な要素があるが、ここでは書かないことにして、要するに、どの分野でも大きな仕事をしたなぁ~と思っていても、どうも片側に知らんぷり!とする空気が残っているのは、同性ではない、異性が放っている空気なのである。同性ではない、異性の心を掴むのは容易ではない!

さてさて、どこにでも野心はあるので天下取りの想いを持つものもいるかもしれないが、ここではその’どうすれば?’と言う問いに答え、わたしなりに解説を加えるのである!どの分野でも感じる違和感と言う空気は、自分とは逆の異性が放つのである!

仏教(密教)にある『曼荼羅』の話し!とさなちゃん生きる道標!

2018-12-26 17:31:45 | livelove日記
仏教の中に、密教と言うのがある。(⇔顕教)顕教が、広くお釈迦さまが民衆に教えを施す!と言うことの他に、それとは特別の密教と言うのがあって、師匠から弟子へ厳格なルールの下、教えが施されると言う。秘密の教えと言う事だが、よく密教の教えの世界観を絵にして見せているものがある。わたしがここで言う『曼荼羅』と言うものである。その『曼荼羅』にも、2つの曼荼羅があって、



:胎蔵界曼荼羅(悟りの世界の胎蔵界)

:金剛界曼荼羅(知恵の世界の金剛界)



である。

仏教ってのは、そもそも人間がその存在あるものとして生きるにおいて、苦しみとなる病気や老い、死などに対し、そこから脱しようとする試み、これが釈迦によって伝えれて仏教となって伝えられているものである。そこに、顕教に対し密教と言う教えがあり、その密教の教えを図示しているのが、わたしが言う『曼荼羅』である。(空海を開祖とする真言宗(東密)、そして最澄が開祖の天台宗(台密)がある)

何を言っているのだろうか?(調べると大体分かるが)

胎蔵界曼荼羅は、悟りの世界を表していると言う。対し、金剛界曼荼羅は、知恵の世界を表しているとし、この2つは互いに揃い合い、重なり合うことで一つの答えが出ると言うことになっていると言う。読んで字のごとく、胎蔵界曼荼羅は、母親(女性)の体内(子宮)のこと、金剛界曼荼羅は、知恵がダイヤモンドのように固い!と言う事を言うそうで、実際わたしは仏教のことは歴史的にしか殆ど知らず、このように密教にある教え(や曼荼羅)を見ると、わたしが当ブログや旧ブログで披露していた、人間が生きるに当たって根幹と為すべきだ!としている、



1、「性」

2、「音楽(学問)」

これと、一致するのである。(無論、胎蔵界曼荼羅がわたしが言う「性」で、金剛界曼荼羅がわたしが言う「音楽(学問)」と言う事だ!)



仏教(密教)は、人間が仏となる一定の行程を言っていると思われがちだが、そこには人間が生きるに当たり、その指南書とも言える胎蔵界曼荼羅(=性)と、金剛界曼荼羅(=音楽(学問))の2つが描かれる。

日本が、523年だったかに向こう大陸から仏教を呼び寄せるには理由があったはずである。卑弥呼が一地方の女帝となって君臨する倭の国と、日本の朝廷と言う中心舞台ここに、天皇を立て呼び集める中央国家、これを為すため日本は仏教を入れるのだが、これがわたしには、上の密教の教え、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅に表される。



卑弥呼=神道

天皇(朝廷)=仏教



こうなって、日本は2つの道標を用意、一つの国家の中に2つの国家(観)を有する稀な国家となるのである。

人が生きる術は、密教の2つの曼荼羅が言うように、

1、胎蔵界(悟り)

2、金剛界(知恵)

と言う事で、2つあるのである。曼荼羅とは、その図を見れば分かるように、中央にハスの花(極楽浄土に咲く花)を置いて、大日如来を中心にする世界観であり、わたしは”性”と、これを問いている。もう一つ、やはり大日如来を中心に表す世界観があり、わたしは”音楽(学問)”と、自分の知り得ている財産から申すことが出来る。



人間、「性」が大事なのだ!胎蔵界と言うように、おんなのこの子宮つまりエクスタシーに満ちる性生活これが大事。もう一つ、金剛界が言うように、「音楽(学問)*」これが大事なのである!

いやはや、わたしが持つ生きる持論の一つ、

1、性

2、音楽(学問)

と言う持論は、伝来伝わる仏教(密教)とまあ同じことを言っている。まあこれまでにするが、この程は巷にある『曼荼羅』図が気に掛かり、調べると出て来る密教の部分も取り入れて、一記事を書いてみたのである。



*音楽(学問)とは、学問の中でとりわけ音楽が主なっている!とする、学問系の生きる道標

”ある”があると”なし”ってなるの?(新ブログバージョン!)

2018-12-26 17:31:20 | livelove日記
わたしが、昔旧ブログで披露した記事

:あるとなしの話し!

みたいな話しで、あるなしの話しをしたことがあるが、もう一度ここではそ”ある”と”なし”について、個人的に書いてみよう!!

天秤を用いて話したのである。まず、”ある”と言う一事実があるとき、天秤は左に重心が置かれ、左に針が振れることにしよう!即ち、天秤は左下に傾いたのである!そうすると、天秤ってのは、重心が片方にずれると元に戻そうとする力が逆側に働くから、天秤の右に元に戻す力、これが(自然に)働く事になる。左に傾かせた力を”ある!”っと、しているのだから、この力を元に戻そうとする力、右側の力は、左側から見れば”ある!”をなかったことにする”なし!”と言う力に他ならない。わかるだろうか?つまり、世の中ってのはとある力(ここでは”ある”)これが、働くと他方(対局側)に、それに反する力、これが働くのである!!勝手に、定義すると、



::力⇔反力



わたしが、日頃意識もしないが、どうもこれに似た”ある!”と”なし!”を交互に行っている様を見ているものが、素朴な疑問として、

:さなちゃは、あるがあるとなしってなるの?

と、問いて来るので、わたしが返す刀で、上のように切り返すのである。上の説明で、確かに”ある”があると”なし”ってなるので、その子も同様、不思議な世間あるいはお話しで、キツネにつままれるのである。



わたしが尽力する競馬にも応用できるので、覚えておいて損はないと思うが、、

ある物体が光の速度に近づくと、時間が遅くなるって本当!!?

2018-12-26 17:29:49 | livelove日記
相変わらずYOUTUBEで、ビデオを見ているとこんなキーワード(大体、宇宙が始まって100億年だ!みたいなビデオを見ていると)

キーワード:光の速度に近づくと時間が遅くなる!!

みたいなキーワードに出会い、わたしもその手の話しは好きであるのでちょっと考えてみるのである。定義としては、



定義:光速度は不変(絶対)

近づく物体は、当然光速度以外のもの



とする。

僕は、この問いが高校の時に習う数学の微分だったかの考え方では?っと勘繰ったが、調べると微分を習う時の”極限”と言う考え方であった。では、ここではその微分学の”極限”と言う考え方を用い、光速度をc、近づく物体をαとすると、



α→c



と、書くことが出来ると思うので、

また、”極限”の記号limと言う記号を使用すると、



lim

α→c



みたいな感じに記号が定義されると思うので、光速度cに、近づいて行く物体αと言う感じで考えるのである。すると、わたしは(正確には)こうなると思うのだがなぁ~!(光速度は絶対なので)



lim

α→c

α=-----

   c



う~ん、ちょっと分かりずらいが光速度をある数字例えばここでは「1」に置き換えて考えると、上の式からは、



lim

α→1

α=------

1



となり、必ず「1」にはならない数(字)これに当て嵌まると思う。

ここでは、ある物体αが光速に近づくにつれ(と言うものの仮定の考え方)、時間の進み方が遅くなる!と言う問いなので、やはり、光速度cが、分母にあって分子が、上のように表現されていれば、分母c(1)には、いつまでもなれないαの値を取る!っとなる。つまり、最初はちょっと早めに近づくことは出来ても近づくにつれ、数字が極限化!ミニマム数字の繰り返しになって行くこの問いは、’時間は遅くなる!’と言う答えに一致するものである。(う~ん、式がもうちょっと上手く書ければなぁ~!)

ではでは、やはり物体αが光速に近づくとその時間はどんどん遅くなる!と言う問い(及び答え)は当たっている!っとして、閉じようと思う!

さようなら~!