世の中と言うは、ガリ勉(ガリ仕事)君の頭の中ではできていない・・。当然、見れば分かるこんな簡単な問いがあり、当然お空に輝くお月様、そこいら中を巡って鳥の声があったり、また田舎の娘っ子っが、田んぼ脇で佇みお友達のおんなのこと遊んでいたり、、こんな日常の当たり前の景色っが、この大宇宙やら、傍らの台地地球であったりするのに、当然僕としては、
さな:世は、ガリ勉・ガリ仕事で為っていない!
と言う言い草で、向こう宇宙とやらが、”ビッグバン!”と言うこれは!、ガリ系の頭の中が欲する馬鹿な物言いを入い寄こす時、僕が、
さな:世が、ガリ勉・ガリ仕事でできていない!っと、こう僕が申しているのに、お前のガリ系の頭の中にある”ビッグバン!”なる物言いっは、通用しない!って、入っているだろう!この!
ガリ系の頭では世は当然為らない。ガリ系の頭でないから、常識ガリ系の理屈は通用せず、ガリ系で為っていない世の理屈っが通り罷ることになる(当たり前だのクラッカー、!
少し先に進み、僕は用の
おたかの橋
このお橋のいっ子向こうのお橋、ここでまあここに来るまでに見ているさつきの木、これを思い返し、この橋下から為っているさつきの木の実、これを見つけ、僕はあろうか、一つ手に取って口に入れてみる。まあ、さつきの木の実っは、普段の木の実、(まあ普通の木の実)であるから、ちょと皮を剥いて食べる中の実は、まあよくあるヤシの実やココナッツ等のあの単なる木の実、これであり、僕はその向こうのおはしキャッサバの木の実を食べるように、口に入れて食べてみる。それは、まあ普段に遊んでいるものならば、普通は手に取り口に運ぶ普通の常識的なお人、これであれば常識的な行動で、僕は意図気にせず、ふんわり系のその中身白色の実を食べてみた!まあ、よくある木の実の中で、苦いけれどほんのり甘い木の実で、僕は半分齧って、お休みは当たり前のいつもに戻るかのひと時を持った。隣のあみっ子も同じ木の実を食べて、僕らは帰路に付く。
まあ、女子に限る話しではないけれど、人なるお土の上にありお土のお上で遊びなすらなければ、人と言うは生きれないわけだ。こんな当たり前の人としての常識を逸し、人ざらぬ舐めた非常識を掲げている奴ってのはいるわけだ!帰り際、僕は家の近くの遠くやって来る信濃川と言う大きな川を後ろに、この世界を形作った偉大なお人を感じ取る。全く人と言う道(常識)を踏み外し、それでのうのう石潰しのごとく生き果てる乞食ものは、こんな馬鹿でかい世の中と言うを始めて知るわけだ!
ただただ三国当たりからのおなご風だけに止まらず、遥か彼方永遠の後ろ向こうからの光風を僕は、行き進む!
ではでは、!凡人が言うような行き当たりばったりの世は丸で嘘っぱちな覚悟を決めて!(自分のみ!を主張する輩の言い分で世界は、為っていないではないか!よく見てない馬鹿は去れ!
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