三蟠軽便鉄道の三蟠駅舎も手がけた福島の江川三郎八
福島県と岡山県にしか見られない江川三郎八の作品
しかも国の重要文化財級の建造物が福島と岡山にだけ残されているのか、不思議です。
岡山には江川三郎八研究会が、江川三郎八の偉業を後世に伝えようと活発に活動されています。
江川三郎八研究会のリーフレットから、その概要を見てみましょう。
江川三郎八について
会津藩士江川家の三男として生まれ、長兄は戊辰戦争で亡くなりました。
13歳で遠縁の大工棟梁へと弟子入りし,堂宮大工の技術を習得
明治20年に福島県に採用され、建築技師として活躍、そして岡山県からの招聘で
明治35年岡山県へ移住し、岡山県でも様々な建築を手がけました。
県会議事堂や郡役所、警察署など官公庁をはじめ、
学校・神社・病院、洋式橋など幅広い分野に及びます。
岡山県庁退職後も各方面からの委嘱を受け、
金光教本部の造営、天満屋などの商業建築や個人住宅の設計にも携わったといわれます。
(江川三郎八研究会の資料参照)
なぜ福島と岡山なのでしょうか。
そこで、歴代岡山県知事(官選)一覧を調べてみると
第4代岡山県知事 吉原三郎(よしはらさぶろう)
《自明治33年1月19日~至明治35年2月10日》、
第5代岡山県知事 檜垣直右《(ひがきなおすけ)
《自明治35年2月10日~至明治39年7月28日》
共に福島県から移住して岡山県知事を務めた方です。
江川三郎八が岡山県からの招聘を受けたのは、まさに第5代岡山県知事 檜垣直右の時代
であり、県知事が江川三郎八の建築技量を高く評価したということでうなずけます。
ここにも又、岡山県と福島県の古くからの不思議なご縁を感じざるを得ません。
三蟠軽便鉄道は沼尻鉄道との犬島が取り持つご縁で、廃線後、蒸気機関車一両が
福島へ転籍したご縁を思うとき、いままた新たに不思議なご縁が確認できました。
三蟠鉄道廃線後ばかりではなく、開業当時にも三蟠駅舎の設計に江川三郎八が
関わっていたことが分かったのは、まさにびっくりぎょうてんです。
なお、江川三郎八の建築様式の特徴のひとつとして「トラス構造」があります。
三蟠軽便鉄道開通当時の三蟠駅駅舎にも、その特徴が鮮明に残されています。
福島県と岡山県に建築された江川式建物の位置
福島県と岡山県に現存する主な江川式建築
旧 旭東小学校附属幼稚園舎(1908)
福島県師範学校
福島大林署カ (1901、のち福島市役所)
岡山警察署