佐久市 ヤナギダ 趣味の店

長野県佐久市野沢93番地
ヤナギダ☎0267-62-0220

「 男性 」

2020-03-01 17:21:48 | 日記
彼はわたしの人生にとって
大チャンスだった。
わたしにとっては、
父であり、兄であり、家族
全体だった。
/ココ・シャネル

女にとって男というものは、
女よりも力があり頭もよく、
一緒にいると多くを教えて
くれる存在であってほしい。

父親のような存在です。

本を与えてもらったり、いろ
いろな所に連れていかれたり
して見聞を広げる。

このようにして、娘は男性を
尊敬し、新たな父であり兄で
もある男性を求めて、成長し
ていくことになります。

シャネルも当たり前のように、
魅力ある男性たちと人生の時
間を共有しました。

これは単に「恋多き女」という
だけのものではありません。

男性たちから、生きていくのに
必要な教養を得て、社会や世界
全体を学び取っていったのです。

交流のあった男性たちが「学校」
だったと言えましょう。

最近では、顔が整い育ちのよい
男は増えたけれど、さらに頭も
よく、体も丈夫で運動もする、

見聞の広い男となると、そうは
いません。

そんな男たちに育ててもらいた
いと、いつも女は思っています。

でも、「女は退屈、頭のイイ女は
100万に5人」と、シャネル
は同性にも厳しい目を向けてい
ましたから、

女性のほうも、ただキレイで可
愛いだけではない、シャネルの
ような「いい女」でいなくては、
願いは叶わないかもしれません。 


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佐久市野沢93番地十二町
ケヤキの木の真向かい
アーケード十二町側
  ~ヤナギダ~
 ☎0267-62-0220

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幸せは「モノ」から離れると見えてくる

2020-03-01 16:35:45 | 日記
幸せは「モノ」から離れると
見えてくる
/禅語『体露金風』

見栄や欲望にさえとらわれ
なければ、人生は楽しい。

乞食(こつじき)の生活が、ギリ
ギリ最下級の生活をしていながら、
みんな明るく仲がよいことは、
すばらしい。

乞食の生活を送った名僧、桃(とう)水(すい)
(とうすい/1611-1683)は
次の詩を作る。

飢餐喝飲(きさんかついん) 只(た)だ吾れ識(し)るのみ、
世上の是非、総に千(あず)からず

「飢餐」とは、飢えたら食べる。
「渇飲」とは、のどがかわいたら
飲む。

「只だ吾れ識るのみ」、それくら
いのことは、自分で出来る。

乞食の生活のすばらしい点は、
「世上の是非、総に千からず」
世間で、いいだの悪いだの、

何といわれようとも、そんなこ
とに、まったく、こだわらない
ことだ。

かれは、お金はまったく持たず、
自然を友に、詩を読み、天和三
年九月十九日、座禅を組んだまま、
悠然と遷化(せんげ)した。

「体露金風」禅語で、「体露」とは、
生まれたままの裸。「金風」とは、
気持ちのよい風。

世間にうずまく、見栄や欲望を捨て
て、生まれたままの赤ん坊のような
赤裸々な気もちで生きれば、
人生は楽しい・・・の意味だ。



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「初心」

2020-03-01 12:09:25 | 日記
ぜひ初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。
世阿弥/能楽師1363-1443

「秘すれば花」でも有名な、
能楽のスーパープロデュー
が遺した言葉。

日本人なら誰でも一度は耳に
したことがあるだろう。
しかし、「最初の志を忘れて
はいけない」という人生訓
的な捉え方は間違い。

ここでいう「初心」とは、
人生において直面する新しい
局面をいかに乗り越えていく
かという意味であり、

その上で、人生において
三つの「初心」に出会うと
世阿弥は言っているのだ。

何となく「ああ、トシとった
な」と感じてしまった瞬間も
また「初心」である。

そこから「老い」との初対決
が始まる。 

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「一杯のお茶を味わう」

2020-03-01 09:54:58 | 日記
【気軽に「極楽」に行ける方法】
あの人とは、どうにも価値観が
合わない。それだけで、その人
に会いたくなくなる。

他人の価値観と、自分の価値観
を、口をとんがらせて激論して
も、得るものはひとつもない。

それなのに、どうして、価値観
などという実態のない化けもの
を、気にするのか。

「喫茶法」。禅語で「お茶を飲ん
でいらっしゃい」という意味。

人生にとって、人の価値観とか
主義の主張は、争いのもとにな
るだけだ。

わたしたちが、もっと気にかけ、
大事に思わなくてはいけないの
は、お茶を飲んだり、コーヒー
を飲んで、「ああ、おいしい」と、

その美味がわかるときなのだ、

体いっぱいで「おいしい」と
味わったとき、一切の悩みが
吹き飛んでしまうという点に、
禅の抜苦の工夫がある。

「おいしい」とほほえむ一瞬が、
楽しい極楽である。 


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「この男のためなら命を捨ててもいい」

2020-03-01 09:44:32 | 日記
人の心は、自分の心の投影と
して、己が心の鏡に映る。

人は、自分の心にないものを
感じることはできない。自ら
の内に善なるものがない者は
人の善を感じられず、

偉大さを持たない者は他の
偉大さに無感動であり、神
を持たない者は神を信じるこ
とはできない」。

こんなことを、どなかたに
伺ったことがありますか?

相手のいたらなさやいやら
しさばかりが目につく人は、
ひょっとしたら自分の心が
そうなのかもしれません。

大切なことは、相手に対する
労りや優しさです。

会社の人間関係にしても、調
子のいいときは、地位や権威
だけでも部下は表面的には動
いてくれます。

ところが、本当に苦しくなった
ときには、その人の徳が試され
ます。

豊臣秀吉は、茶会が好きでした。
大阪城内の山里郭で、そのいつ
もの茶会が催されたときのこと。

茶会は、秀吉が茶を点てそれを
招かれた客が回し飲みして、
ともに茶の味、香りを楽しむと
いう趣向です。

茶会が始まり、秀吉が点てた茶
を入れた茶碗を、それぞれ押し
戴き、そして少しずつ茶をすす
った。

今、大河ドラマでよく観る
大谷吉継は、中年になって伝染
病の重い皮膚病で、

その茶会で次の小西行長に
手渡そうとしたとき、
吉継の鼻水が茶碗の中にぽとり
と落ちてしまった。

諸将たちはみな吉継の病気の
ことを知っていた。そのとき
「いやあ、喉が渇いてたまら
ぬ。大谷殿、その茶碗を私に」

といって、そのまま一気に茶
をすすってしまったのが石田
光成。

(この男のためなら、命を捨て
てもいい・・・)

こののち、秀吉が没して徳川
家康が次第に力をつけ、天下
を狙うようになった。

それを阻止しようとして三成
は西軍を組織した。

軍略に長けた吉継は、その無謀
さを知りつつ三成が指揮する
西軍に与し、そして西軍の中で
最も激しく東軍と戦って、死ん
だ。

「この人のためなら」という徳
がなければ、人は動いてくれま
せん。

自分の中身が、豊潤、清雅でな
く、愛情を持てない人が、人の
信望を得ることはできません。

徳を磨きたいものです。



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「幸福」

2020-03-01 07:54:51 | 日記
言葉を友人に持ちたいと思う
ことがある。

それは、旅路の途中でじぶん
がたった一人だと気がついた
ときにである。

たしかに言葉の肩をたたくこと
はできないし、言葉と握手をす
ることもできない。

だが、言葉にも言いようのない、
旧友のなつかしさがあるもので
ある。

言葉は凶器になることがある。

ジャックナイフのように
ひらめかせて、人の胸の中を
一突きするぐらいは朝めし前
だ。だからネット世界は怖い。

だが、同時に言葉は薬にもな
る。さまざまな心の痛手を癒
すための薬に。

時には、言葉は思い出にすぎ
ない。だが、ときには言葉は
全世界全部の重さと釣合うこ
ともあるだろう

そして、そんな言葉こそが
「名言」ということになる
のである。

だが、本当はいま必要なのは
名言などではない。
むしろ、平凡な一行、一言で
ある。

まさに、ブレヒトの「英雄論」
をなぞれば
名言のない時代は不幸だが、
名言を必要とする時代は、
もっと不幸だ」からである。

そして、今こそ
そんな時代なのである。

・ ・ ・ ・ ・ ・
『あれほど多くの苦しみにさ
いなまれながら、それでもなお
かれの顔が幸福であるように
見えるのはどういうわけだろう』
アルベール・カミュ「手帖」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 言葉を友人に持ちたいと思う
ことがある。

それは、旅路の途中でじぶん
がたった一人だと気がついた
ときにである。

たしかに言葉の肩をたたくこと
はできないし、言葉と握手をす
ることもできない。

だが、言葉にも言いようのない、
旧友のなつかしさがあるもので
ある。

言葉は凶器になることがある。

ジャックナイフのように
ひらめかせて、人の胸の中を
一突きするぐらいは朝めし前
だ。だからネット世界は怖い。

だが、同時に言葉は薬にもな
る。さまざまな心の痛手を癒
すための薬に。

時には、言葉は思い出にすぎ
ない。だが、ときには言葉は
全世界全部の重さと釣合うこ
ともあるだろう

そして、そんな言葉こそが
「名言」ということになる
のである。

だが、本当はいま必要なのは
名言などではない。
むしろ、平凡な一行、一言で
ある。

まさに、ブレヒトの「英雄論」
をなぞれば
名言のない時代は不幸だが、
名言を必要とする時代は、
もっと不幸だ」からである。

そして、今こそ
そんな時代なのである。

・ ・ ・ ・ ・ ・
『あれほど多くの苦しみにさ
いなまれながら、それでもなお
かれの顔が幸福であるように
見えるのはどういうわけだろう』
アルベール・カミュ「手帖」
・    ・ ・ ・ ・ ・ ・

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夕暮れ

2020-03-01 06:48:22 | 日記
あなたの電話を待っていたら
暮れてゆく夕暮れに
ひとりでお母さんを待っている

3つの 女の子のような 
気持ちになった


YouTube
Re...Japanesque / DAISHI DANCE


https://www.youtube.com/watch?v=mC05QxwcdeU

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