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文益煥詩碑、建立

2008年11月23日 | 管理人のつぶやき

さる11日、詩人であり牧師である文氏の詩碑が、母校のハンシン大学キャンパスに建立された。当初、韓国最北端のトラ山駅に予定していたが当局から拒否されるなど受難の末に実った。
詩人は1989年、民間人としては初めて北へ。金日成と2度会談した。
三千里の事務所には、文氏の肖像写真、婦人の朴容吉女子との合作の詩が額縁に収まっている。(いつか紹介します)

12月1日が迫ってきている。北が陸路通過規制(遮断)を始めると通告した期限だ。白楽天6.15実現共同議長はじめ、多くの人たちが政府に対応を求めているが、北の強硬姿勢をなじるばかり…。
詩人が生きていたら、この状況をどう見るであろうか…。右翼の凶弾に倒れた金九は、どのような想いで天空から見下ろしているであろうか…。




戯言ではない
       
    文益煥(訳 南 、校閲 磯貝)


私は今年の内に平壌に行くつもりだ
きっと行ってしまうだろう
これは、戯言ではない、冗談でもない
これは、真実だ

あいつは詩人ではないと詰られるのが怖くて
途方もない風呂敷を広げているのだろう、と
言われそうだ

どういたしまして
私は
この 1989年を越す前に本当に行くと
行くことに決心したのだ
千里の道も一歩からの諺のように
牡丹峰に上がって大同江の流れに
水浴びする様を思い浮かべてみよう

通りをぶらつきながら行き交う人の手を握り
その手の温もりで、積もった懐かしさをはらそう
凍りついた心も溶かしてしまうのだ
私は彼らを傀儡と呼ばない
人民だと呼ぶつもりもない

トンム(友逹)という良いウリマルがある
トンムと呼びながら十歳、二十歳の時に
帰るのだ

あ、どんなに素晴らしいことか
あの時は、日本帝国主義のくびきから脱しようと
2千万が一つになった
一心、そうその一心で
わが先祖たちは唐の百万大軍を撃退したではないか

その一心で
7千万同胞が一つであることを確認するのだ
交わす眼差し、息づかいから…
その日は互いに抱きあい平壌通りでもつれあうのだ
40数年互いににらみあい
恥ずかしくも互いに殺しあい
傀儡だ、走狗だと仇敵になり対立した
あの思想、理念、制度等の厳かな飾りものを
粉砕してしまいながら

目出度いことを言っているぜ
お前を平壌へなんかに易々と行かせるものか
国家保安法が生きているうちは



歴史を生き抜くとは
夜を昼、昼を夜に
空を地、地を空に覆すことだ
裸足で岩を蹴飛ばし崩すことだ

その中に埋もれることだと
魂だけは自由の旗として雄々しく
ひるがえることだと
壁を門とみて突き進むことだと
この地で歴史を生き抜くとは
全身で分断を拒否することだと
休戦線はないと叫ぶことだと
ソウル駅や釜山, 光州駅に行って
平壌行きの切符を出せと
主張することだと

こいつ気が狂ったんじゃないのか

そう、私は頭がおかしくなった、それも相当に
気が狂わずして歴史を生き抜くことが出来るのだろうか

気の確かな方々よ
平壌行きの切符を売らなければ
私は歩いてでも行くから

臨津江を泳いででも行くから
そうして銃に打たれ死んだとしても
それは仕方のないこと
雲のように風のように魂となって行くのだ