「岡崎正義のかわら版」

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私が行動を起こす時。・・・それは、その方の「人生の分岐点だよ!」というお知らせメッセージ

2013年06月03日 16時11分21秒 | あいさつ

 こんにちは。日々楽しく過ごしていますか?

本日は、この前近しい友人から投げかけられた素朴な疑問についてお話したいと思います。

 私はかつて、スピリチュアル体質だと知っているごく親しい友人にはこう発言していました。

「僕は、以前失敗した経験から、こちらからセッションをしようかと呼びかけない。それは、関わることによってその人自身が行うべき「人生の選択」を奪うから。 人は「課題」に直面したら、自ら学び、乗り越え、クリアする。」

「だから、どんなにきつい状況になるのが予測できても、直接関わらない。もし僕が必要なら、接点ができるはずだから」

なので、以前はなるべく必要以上は関わりませんでした。
悪く言えば、「知っていても見ないふり」をしていた状況でした。


しかし、最近は私自身から行動を起こす場合があります。
それを見た前出の友人から以下のような質問がありました。

「前は「自分からは関わらない」と言っていたのに、今は自分から関わっている。矛盾していないか?」
確かに、友人の疑問ももっともです。はた目からは「矛盾」していますから。

では、なぜ今は場合によっては、自分から行動を起こすのか?

それは、「どちらがその人にとって学べるのか、自ら考えて選択してもらう」為です。
これは「顕在意識」ではなく、魂レベルの「無意識下」での話ですが。


例え話で説明しましょう。

私の前にAさんという方がいるとします。
その方は、現在至って健康で、特に悩みもありません。
ですから、「セッション」なんて無縁だと思っています。

しかし、数年後その方は「ある病気」になることが、私が感じたとします。
その時どうするか?

若い頃の私は、その事実をストレートに伝えていました。
「あなたは何年後、〇〇〇という病気になるよ! きついでしょ? だからこうして、ああして・・・・」
聞いた相手は面食らい、驚き、怒り、私がおかしくなったと思い、見事に去っていきました・・。

それを受け止めきれなかった私は失望し、相手に責任転嫁し、体調を崩し、一切口に「スピリチュアル」を語らなくなりました。


それからしばらくして、やっと気づいたのです。

その人の人生は、自ら状況を引き寄せ、選択し、学び、乗り越え魂を「レベルアップ」しているんだと!
なので、他人から見ると、とても過酷そうな人生でも、その人にとっては必要な学びなんだと、思うようになりました。

それからは、相手から申し出がない限り「セッション」は実施しなかったのです。


しかし、最近は私から「セッションしてみる?」と呼びかけたりしているので、友人は矛盾を感じていたと思います。

なぜか?
私が方針転換したのか?

いいえ、違います。
今でも、方針は変わりません。

「本人の人生は、自身で考え、人生の選択をし、歩んで学ぶもの」です。
過酷な人生も、その方の「選択」であり、「学び」ですので、回避させるつもりもありません。

ですから、声をかけるといっても
「数年後に〇〇〇という病気になるから・・」ではなく、
「試しに、セッションしてみる?」なんです。

それは、言い換えれば、
「あなたの人生の分岐点が今だよ! どちらをあなたの魂は選択するの? 過酷なコース?それともゆったりコース?}
という、その方への「お知らせメッセージ」なんです。


そこで、例えに出てきたAさんの「魂」での選択が起こります。

(過酷コース)
「え!?(笑) セッション? いや、私そういうもの興味ないし、健康だし悩みもないし、特に必要ないです。 ありがとうございます」

かくして、数年後Aさんは発病します。 健康が自慢なので、定期検診も受けていませんでした。
長い闘病の末、なんとか克服します。

そこで、Aさんは学びます。
「健康がいかに幸せか」
「支えてくれた家族が、どんなに心強かったか」
「自分と同じ思いを、大事な人にさせたくない」

病気によって、失った部分も大きかったのですが、確実に学び「次の人生」に活かします。


(ゆったりコース)
「え!?(笑) セッション? それって占いみたいなもの? 前世? なんか興味ある! うん!やってみたい」

かくして、Aさんはセッションを受けて、前世を聞きます。

身近な大事な人が病気になり、物凄く過酷な闘病生活をしたこと。
それを、Aさんは献身的に支えたこと。
結局、その人が帰らぬ人となったこと。
それを見て、「どんなに苦しかったか、身を持って体感したい」と思ったこと
それを「自分は乗り越えられるか試したい」と思って、今世に設定して来たこと

セッションを受けたAさんは、体調も悪くなっていないけど、健康診断を受けます。
そして、初期の病気を発見します。

とはいえ、治療は楽なものではありません。
その間、自分が前世で行ったように、家族が支えます。
そのかいもあって、無事「完治」します。

そしてAさんの魂はこう思うのです。
「私は、この病気を乗り越えた」
「この程度で、こんなに苦しいのに、あの人は・・。すごい!」
「多くの人に、この病気について知らせたい」


どちらもAさんにとって「学び」なのですが、一気にこの人生だけで多くを学ぶのか、
必要最低限の学びをして、ゆったり魂の成長をするのかは、Aさんの選択次第なのです。


それを私は邪魔しません。邪魔しようとも思いません。

しかし、私が声を掛ける時、メールをするとき、お電話をするときは、
その人にとって「人生の分岐点」なのです。

それをどちらを選択するかは、その人次第なのです。
あなたの所に、私からアクションはありますか?(笑)





コメント (1)
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