「岡崎正義のかわら版」

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寄せられたコメントに関するお話。・・・人は自殺すると、どうなる?

2014年01月20日 14時57分49秒 | 生と死

 こんにちは、スピンクルです。
一月も20日を過ぎました。旧暦のお正月まであと10日。
いよいよ本格的な「飛躍の年」が始まります。

 さて本日は、先日寄せられましたコメントに関連したお話をしたいと思います。
ちなみに、タグ付けされた記事は、「自殺という行為。それは反則技・・・」です。
 
(コメント内容)
「生きている人間が、現世のシステムを肯定するために頭で考えてひねり出した世界観、、
と言う感想を超えません。。

人間の幸せって、こんな人造的な物語に沿わないと達成されないのでしょうか?

生きていて愉快なら生き続ければいいし、不快が余りにも多ければ、その列車から降りても良いと思います。

システムにために生きるのではなく、個々人の幸福の価値観にてらして自然に生きれば良いと思います。」


 タグ付けされている記事からすると、「自殺」に関連したコメントだと思います。
もし、認識違いでしたら、またコメントお待ちしております。

 このコメントの中で、気になる文章が3行目です。
その他のコメントは、もしかしたら私の記事内容全体に対するコメントかもしれません。(笑)
 それであれば、もっとわかりやすく表現するように頑張ります。(笑)

 「生きていて愉快なら生き続ければよい。そうでなければ、列車から降りても良い・・」

 この部分に関する、私の見解を述べさせて頂きます。

 人生において余りにも不快が多ければ、列車から降りる。つまり、自ら命を絶つ。
そうすることによって、楽になるか?

 いいえ、楽にはなりません。むしろ、生きている時よりも苦痛は増していきます。
それはなぜなのか?

 仮に、今自ら命を絶った方がいるとします。とてつもない苦悩を抱え、どうしようもなくて、そのような手段を選んだと思います。
「死んで楽になった方が良い・・・」と思いながら・・・。

 さあ、どれくらい時間が経ったでしょうか。
その人は静かに意識を取り戻します。

 「・・・ん? あれ? おかしい・・。 自殺に失敗したのか・・。 まだ死にきれていない・・。」

 自殺を決断した場所に、まだその人は佇んでいます。 死ぬ前の苦悩も消え去らないまま・・。

 「今度こそ、間違いなく死んでやる!」

 また再び自殺を試みます。 同じ痛みを伴いながら・・。 いやそれ以上かもしれません。 さっき味わった痛みの恐怖がプラスされますから・・。

 それを何度も!何度も! 繰り返します。

 「おかしい! なんで死に切れないんだ! こんなに苦しいのに! はやくこの苦しみから解放されたいのに!!」

 その人は気付かないのです。
自分の肉体が既に「壊れている事」を。 

 「肉体を失えば、苦悩が消えさる」と考えた結果、「自殺」を選択したと思いますが、実はそうではないのです。
その苦悩は、「魂が感じていた苦悩」なのです。

 だから、いくら「自殺」を繰り返そうとも、「苦悩」は消え去ることはありません・

 さらに厄介なことに、一般の方には、もうその方の存在は「認識」出来ません。

 なので、どんなに苦悩していようとも、生きている時みたいに、悩みを聞いてあげたり、慰めたり、励ます事も出来ません。
 その方に残っているのは、「孤独の中で、ただ、生前と変わらぬ、いやそれにも増した苦悩を抱え続ける」のみなのです・・。

 
 皆さん、想像してみて下さい。

貴方が隣の人に話しかけます。しかし、見向きもしないどころか、自分の存在さえも「無視」されています。

あなたはどう感じますか?

「なぜこの人は無視するの!!」と、怒りますか?
それとも、「この人、私の事が嫌いなの?・・・」と、嘆きますか?

 この世に事情があって「魂」で留まり続ける人たちは、そう感じるのです。

 なぜか?
 
 その魂だけの人は、自分の事を「まだ生きている」と勘違いしているのです。
 その理由は、「生きたままの姿」だから。
 自分の目を通したら、そこにはちゃんと「肉体」があるから。
 手の感触も顔も足も、なんら変わらない感覚があるからです。

 ただ違うのが、ドアには「鍵が掛かっている」と思うだけ。
 他の人には無視され続けられるだけ。
 手を挙げてもタクシーが「乗車拒否」していると思うだけ・・。
 犬に吠えられやすくなるだけ・・。
 お腹がすいて、なんとか食堂に入っても、いつまでたっても店員が来ないだけ・・。
 コンビニの弁当が重くて持ち上がらないだけ・・・。

 「なんで寄ってたかってこんなに苦しんでいる私をいじめるの!(泣) こんなことなら、いっそ死んだ方がまし!!」

 もう、そんな「選択」さえ許されません・・・。 すでに「肉体」は無いのですから・・。
 それが、毎日毎日200~300年続くと想像してみて下さい・・。
 「無間地獄」。 そんな言葉がぴったりな状況です。


 「苦しむくらいなら、死んで楽になった方が良い。」

 これは、肉体さえ無くなれば、今の苦しみからも「解放される」という観念から来ています。
 実際には、苦しみから解放されるには、この世で「感覚を味わうツール」、つまり「肉体」が必要になってくるのです。
 その肉体を「失った」わけですから、もうそれ以上「解放」も「緩和」も「解消」も出来ないわけなのです。

 それどころか、「修行」に必要な肉体を「意図的に捨てた」わけですから、
有効期限が来た際の「更新手続き・再発行」と違い、肉体を交付する側も、「審査」が慎重になるわけです。

 本人が「意図的に捨てた重大さ」を認識するまで。
 再び「人間としての修行」が可能かどうかを確認するまで。
 
 そのあいだ、苦悩を抱えたまま数百年待ち続けるわけです。
 誰にも気づかれず、ただ苦しいままで・・。

 
 今一度申し上げます。

 苦しいからと言って、絶対に自ら命を絶ってはいけません。
 決して楽にはなりません。

 消えるのは、「肉体」のみです。

 周りの風景も感覚も見た目も、もちろん「苦しみ」も、何も変わりません!
 ただ、「見えなくなる」だけです。

 周りの友人に家族に、言葉で、行動で、しぐさで、表情で伝える事も、一切できません!
 孤独に打ちひしがれようとも、もだえ苦しもうとも、大声で叫ぼうとも!

 誰にも!
 気付かれません・・・。



 

コメント
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