時代小説「お幸と辰二郎」第4章・・・「沈む太陽」
それから晴れて夫婦となったお幸と辰二郎でしたが、時が経っても、相変わらず毎日賑やかな一家のようで・・・。
「おい!お幸! おいらの足袋はどこでぃ!」
「フフ♪ その、肩にぶら下げているのは、なんですか・・?笑」
「お、おう・・、誰だ!ここに掛けやがったのは!!」
「何言ってんだい!! このバカ息子が!! ちっとは父親らしくならないもんかねぇ・・。先が思いやられるよ・・」
「何を~!! 口が減らないババアだな! そろそろ棺桶で寝た方が良いんじゃねえのかぁ!!?」
「はいはい♪ そろそろ出ないと遅れますよ♪」
お幸に促され、しぶしぶ仕事に出掛ける辰二郎。
「んにゃろぅ・・。 お~い♪ 父ちゃん行ってくるぞ♪ すっ飛んで帰ぇって来るから待ってろよ♪♪」
口の悪い辰二郎でしたが、生まれて間もない長男には猫撫で声のようで・・・。
お幸と抱っこされた長男に見送られ、元気に出掛けた辰二郎なのでした。
そんな日常が繰り返され、お幸のお腹には2人目の赤ん坊が入っていたある日の事です。
「お幸ちゃん、ちょっと寄り合いに顔出してくるから、あとで裏の洗い物取り込んどいてくれないかい」
「はい♪ おっかさん。ゆっくりしてきてくださいね♪」
「そうもいかないよ♪ あのバカが帰ってくるまでに戻らないと、何言われるかわかったもんじゃないよ!」
そう言うとお吉は、近くの茶屋での寄り合いに出掛けて行ったのです。
それから2時間ほど経った頃でしょうか。 血相変えて家に飛び込んでくる男性の姿がありました。
「お、お、おい! お幸ちゃん!! お幸ちゃん!! てーへんだ!! お、お吉さんが!!」
裏で洗い物を取り込んでいたお幸は、その声に慌てて土間に姿を現しました。
「おっかさんがどうしたの!!?」
「た、た、倒れちまって! ピクリとも・・! 動かねぇんだ・・!!」
「!!! 巳之吉!! ここを動くんじゃないよ!!」
長男にそう言うと、お幸は身重の身体を庇いながら、必死に茶屋へと急いでおりました。
茶屋へ到着すると、お幸は奥へ飛び込み、お吉の姿を探しました。
「おっかさん! おっかさん!!」
すると、お吉の姿は、奥の座敷にありました。
「おっかさん!!!」 駆け寄るお幸。
その声が届いたのか、わずかに動くお吉。
「おう!! お吉さんが目を覚ましたぞ!!}
寄り合いで集まっていた一同も、一斉に声を上げました。
「おっかさん!しっかりして!!」
「・・あ・・、お幸ちゃんかい・・・。どうやら・・、お釈迦様が・・、お迎えに・・、来たようだよ・・・・」
「なに言ってるの!! すぐに戻るって!言ってたじゃない!!泣」
お幸はしっかりとお吉の身体を抱きしめながら、泣き叫んでおりました。
「自分の身体はね・・・、自分が・・、一番・・、分かるからねぇ・・・。こりゃ・・・、どうにもならないよ・・・」
「そんなこと言わないで!! 今からまだこのお腹のややこも産まれてくるんですよ!!泣」
「・・会いたかったねぇ・・・、その子にも・・・」
「いやぁ!! しっかりして!! 死なないで!!!」
その時、物凄い勢いで茶屋に飛び込んでくる姿がありました。
「ハァ、ハァ、ハァ!! おい!! どこだ!! ババァ!!」
裾もはだけ、渾身の力で街を駆け抜けてきたであろう辰二郎でした。
「・・なんだよ・・、お前は・・。いっつも・・、バカでかい・・、声だねぇ・・・」
今にも消え入りそうな声で、お吉が辰二郎に対して答えておりました。
「おい!ババァ!! 大袈裟に寝っ転がっているんじゃねぇ!! 早~く帰ぇるぞ!!」
姿を見つけた辰二郎が、涙を浮かべながら、お吉に向かって怒鳴っておりました。
「笑・・、上に・・行く時ぐらい・・、静かに出来んもんかねぇ・・・」
「何言ってやがんだ!! ババァがいねえと、お、お幸が寂しがるだろ!!」
「・・もう・・、大丈夫だよ・・・。お前の・・お望み通り・・、棺桶に入ろうってんだよ・・・笑」
「な、な、な、何勝手な事言ってんだ!! 棺桶に入れるのはな!! お、お、俺がじじいになってから・・・」
うろたえる辰二郎を優しいまなざしで見たあと、お吉はゆっくりとお幸に顔を向けながら、震える手で、お幸の手を握りしめました。
「お幸ちゃん・・・」
「おっかさん! なんですか!!?」
お幸もしっかりとお吉を見つめ、その手を握り返しました。
「・・この・・、バカ息子を頼んだよ・・・。口は悪いけどね・・・、根は・・正直な・・子だからね・・・・」
そう言うと、お幸の手を握りしめていたお吉の手が、ゆっくりと力を失い、お幸の手のひらから、パタンと畳の上へ倒れていきました。
「おっかさん・・? おっかさん? !!! おっかさん!!!!!!泣」
ゆすっても動かないお吉の身体に、お幸は気が狂ったように泣き叫び、すがりついておりました。
そのそばで、仁王立ちで呆然とし、一点を見つめながら、絞り出すような、か細い声で辰二郎が呟いておりました。
「・・おい・・、ババァ・・。なに寝たふりしてやがんだぃ・・・、早~く帰ぇるぞ・・・」
・・・・・・・
「ババァ・・笑、何いつまで・・、寝っ転がっているんでぃ・・、聞えねえのかい・・、早~く・・・」
「辰さん!!! もう・・・良いの・・。行ったのよ・・・。おっかさんは・・・泣」
お幸はお吉の身体を抱きしめながら、うろたえる辰二郎に言葉を掛けました。
すると辰二郎は、よろよろと足を進め、お吉の亡骸のそばに、膝から崩れ落ちるように座り込みました。
「・・・、おぃ・・、おぃババァ・・、バ・、おっ母・・、おっ母! おっ母!! おっ母!!!!」
今まで我慢していたであろう感情を、ありったけの叫び声を挙げ、辰二郎は動かなくなったお吉にすがり付き、吐き出しておりました。
その悲痛な声は、夕焼けに染まる綺麗な街並みとは裏腹に、いつまでも茶屋に響いておりました。
泣きました・・・!