猫山三里

日記。というか自分の記録にもなれば。

カタカムナ

2013-10-06 22:36:48 | 


鷲林寺から甲山の中央地点にある巨石。この岩を動かすと祟ると言われ、県道を整備する際にもそれが考慮され新聞に載ったほどです。

以下の文は2009年1月8日付の神戸新聞の記事からです。

『西宮市の市街地北部を走る県道の真ん中に、「動かすとたたりがある」と地元で言い伝えられる大きな岩がある。工事のために動かそうとした関係者が相次いで亡くなったという噂がその根拠。真相ははっきりしないものの、県道の改修工事を予定する兵庫県西宮土木事務所は「ないがしろにできない」と、岩を避けて整備する異例の対応を決めた。

西宮市鷲林寺町の県道大沢西宮線にある通称「夫婦岩」。高さ約2、5m、幅約5mで真ん中に亀裂があり、二つの岩が寄り添うように並んでいる。

県道はこの岩を挟んで前後で北行き、南行きに分かれている。

地元では古くから「動かそうとすると呪われる」と噂される。「1938年の阪神大水害の復旧工事で国が爆破しようとしたが、工事関係者が急死して中止されたらしい」と地元のお年寄り。ただ、西宮市や道路を管理する県西宮土木事務所にこうした事実を裏付ける記録はない。

交通量が多い割に道路幅が狭く、見通しの悪いカーブとなっていることから、県は夫婦岩の南北約一キロの区間で拡幅工事を計画。夫婦岩を動かさないように道路全体を西側にずらす形で設計した。

夫婦岩の周辺は緑地帯として整備、住民が憩える空間にするという。事業費は約8億円。既に一部で着工しているが、県の財政難で完成は当初予定の2009年度末よりも遅れる見通し。

「これまで事故がなかったのは奇跡的。今回の整備で安全性が高まる」と同事務所。「言い伝えは担当者に引き継がれ、計画段階でも岩を動かそうという声は出なかった」という。「村の宝」と父親から教えられてきたという近くの男性(82)は「地域のシンボルを残せてよかった」と話した』とあります。

そして道路の中央を占拠するこの巨大な岩には様々な言い伝えや噂があります。

実際には一つの岩が縦に裂けた形状と思いますが、大きな岩が二つ寄り添うようにあることから、鷲林寺に参詣する人々から夫婦円満の願いを込めて夫婦岩と呼ばれるようになったらしいです。

しかし道を左右に分けている所から、夫婦岩とは全く逆の意味合いも取れる名前「別れ岩」、また或いは、その形から「二つ岩」、西宮の古い伝承では「紋左衛門岩」とも呼ばれています。

先程の牛女、0時丁度にこの夫婦岩に行くと姿を現し、追いかけてくるという噂もあるみたいですが、こちらは尾びれがついたものだという感じです。

個人的にいえば、夫婦岩のすぐ脇には甲山があり、全景を見ると日本ピラミッドと呼ばれる形状に近く、山中には磐座や巨石が多く点在しています。2 3万年前には甲山を中心に、カタカムナ文化と呼ばれる巨石文明が存在したという説もあり、この夫婦岩も巨石遺構の一つだったのではないかと思います。

しかも面白いのが、甲山の名前の由来は神功皇后が国家鎮護のため、山頂に如意宝珠と武具一式を埋めたという伝説から来ています。武具一式とは何だったんでしょうか?

気になる所ではあります。


三大怪獣

2013-10-06 19:51:38 | 
口裂け女さん、カシマさんと並び個人的気になる都市伝説三大女性の一人、牛面人身の牛女さん。

牛女の伝承は西宮市の甲山近辺に集中していますが、噂の元を辿れば芦屋から西宮市一帯が空襲で壊滅した時に、ある牛の場があって焼失したそうです。

そこには座敷牢があって中には牛頭の娘が閉じ込められていたという噂があり、その焼け跡に牛女が現れたことを地元の新聞が掲載したことが、そもそもの発端になったので、筋道的には西宮市街が発祥であるにも関わらず、牛女伝説は何故に甲山周辺に点在するのか?この疑問をどう解く?

ということで、牛女出没の噂が流れ始めて数十年になるという甲山すぐ近く、六甲山鷲林寺に向かいました。



それまでは静かな寺だった鷲林寺が昭和57年頃から夜中に若者がやって来て肝だめしをし始めたそうで、月日が経つにつれ、その数は増えていき、あまりにもひどい時は警察にお願いしたこともあったそうで、注意した若者に話を聞くと、鷲林寺のことが某週刊誌に掲載されていて、境内にある荒神の祠の回りを3周すると牛女が追いかけて来るという内容だったそうです。





どうやら読者の投稿記事を寺の断りもなく無断で掲載したでたらめな記事を見て噂はどんどん広がっていったようです。

荒神の眷属として祠の両脇に牛を祀ってあり、その牛が牛女だと誰かが言った一言が要因となり(荒神社に牛を祀ってあるのは珍しいことではないのですが)、最終的に週刊誌に掲載されたことで一気に広がってしまったという経緯があったみたいです。

牛女の噂はさらに独り歩きしだし、荒神から本堂下に八大龍王を祀る洞穴へと移行していきますが、この洞穴は戦国時代に織田信長によって焼き打ちされた折の兵火から逃れるために、鷲林寺のお坊さんが有馬まで穴を掘って逃げ延びたといわれるもので、現在は10m程でせき止められています。



何故、この洞穴に牛女が住むと言われだしたのかはわかりませんが、実際は牛女とは何の関係もないわけです。

夜中の肝試し訪問者が、面白半分でその洞穴に入り奇声を発するので入れないように鉄柵を取り付けたそうですが、それがかえって逆効果を招き、「牛女が出れないようにするための鉄柵」となってしまう。今はその鉄柵は見られません。


鷲林寺の住職さんは夜の訪問者に対しての悩みが尽きず睡眠不足の日が続いてノイローゼ状態になったそうです。

そんなある日、「牛女は残念ながら引越しされました」と冗談のつもりで山門入口で看板をだしたところ、夜中の訪問者の数は激減し、静かになったのです。

余談ですが、ある日寺務所に男性が訪ねてきて、牛女はどこに引越ししたのかと問い合わせされて、思わず「東北地方と聞きましたが」と答えそうで、「東北地方か。遠いな。せっかく来たのにな」と言い残して帰っていく姿が印象的だったと住職さんは述べています。ちなみにその男性とは俺ではないのであしからず(笑)。

怪異趣味で寺社を訪れたり、目的はどうあれ、自分もこうやって実践している一人ですから、偉そうなことをいうつもりはないのですが、それ相応のマナーを守ることはやはり必要不可欠ではないでしょうか。

住職さんはいつかこの噂が消滅して一日も早く静かな鷲林寺になることを願っているそうで、どこか後ろめたい思いを持ちつつ、鷲林寺のレポを終わります。

火炎を吐く大鷲を桜の霊木に封じ込め、その木で本尊十一面観音と鷲不動を刻んだことが寺名の由来だということです。