Archaic Smile

私的な備忘録です。

2010/06/27

2012-06-10 02:40:16 | Weblog
中国と所得倍増計画(資本主義と社会主義)その2


傑作(0)2010/6/27(日) 午後 4:54無題その他経済 Yahoo!ブックマークに登録


どんな理想的な組織・国家であろうと、出来た当初は、理想に燃えて目標も

はっきりしているが、時間の経過とともに目標は達成され、残されたシステム

は、毒を撒き散らす。


一方、ぼくらが、小さな政府を欲する態度は、正に市場という名の変化の風

(競争であったり外部環境の厳しい変化であったり)を組織が受容し、自ずと

改善という名の変化や再構築を絶えず促すことが、本質的な社会の持続性の源泉

であることを直感的に知っているからであろう。(事業仕訳けも、今はよいが、

民主党が、もし安定政権となって時を経れば、間違いなく腐敗し、機能しなくなる。)


個が属する組織の利害を強く意識し、組織を通じて更にその外側にある外部環境の

変化を正しく理解し、絶えず全体最適化を求め、個が各々持ち場(←常にその持ち場も

必要であるかを自問自答し)を守りしっかり機能する姿勢こそが重要なんだろう。


日本人が大好きな「明治維新」とかも、賢い英雄のお陰で、黒船という外部環境の

変化に対して、自らを破壊し尽くさずに(身内で大して殺しあわずに、完全リセット

せずに)国を再構築したモデルとしては、理想形なのかもしれない。


ソ連の内部は腐敗にまみれ、理想の計画経済は崩壊したかもしれないが、例えば国家

という単位で、アメリカという名の競争相手・外部環境に接していた宇宙・防衛分野に

おけるソビエトは、きわめて高いパフォーマンスを発揮し続けていたことは、見落と

しては、ならない。



競争と協力と外部環境のバランスで合理的な組織の在り方について思いを巡らして

みたが、一定の権利がその構成員に保障され、協力的な態度でもって競争(組織間、

外部競争)や厳しい外部環境に立ち向かう目標を共有させる仕組みがあれば、いわ

ゆる日本的経営という名の会社主義は、腐敗を呼ばない一つのシステムであったと

言えたのかもしれない。


民間企業は、経営判断を誤ったり、組織が腐敗したり、時代遅れになったり、機能

しなければ、死が訪れる(倒産する)ことを知っている。


一方、倒産することがない役所や公益法人のサービスは、ほっといたらどんどん

劣化する理由についても、だれしも十分理解している。



株主には嫌われるが、ROEは低いかもしれないが、IFRSには馴染まないが、欧米

の経営指標からすれば、評価は低いかもしれないが、かつての日本型企業文化は、総中流

社会を生み出す基盤となり、雇用、社会的安定等の観点からは、国益にかなっていたのか

もしれない。



ジャパンアズナンバーワンは、バブルを生んだ原因ではないのに、日本を除く、更に過激な

カジノ経済が、当時隆盛を極めていたので、日本的経営という名の組織内協力というスタイ

ルが完全否定され、すべて個人の組織内競争(組織の新陳代謝を加速させ、タイムリーな

全体最適化を生みだすのか?)にゆだねること、イコール、組織としてのパフォーマンスが

高いというような錯覚に、日本人は洗脳させられてしまったのかもしれない。

固定費削減の為に、リストラを進める大義名分を企業が必要としていたのは、否めないが

個人評価のウェイトを、急激に高くする人事を敷いた結果、個人は、苦労の末獲得した業務

ノウハウや、人脈(販路)の情報について、必要以上に情報を開示することを控え、組織

全体がギスギスし、全体最適化について考える人材は、皆無となり、会社としてのパフォー

マンスが、かえって落ちてしまう事例はごろごろあったように思う。

ノウハウに対する秘密主義がきわまり、成果に対してのみ評価が、個人に集中しすぎると

その個人が、コンプライアンスを踏み越えて成果を出していることにすら気づかないような

現象も起きるのであろう。最近の大企業業の社長更迭(F士通)や役員逮捕(○ーソン)も、

そのような文脈で生じているように思う。



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