明日(もう今日か…)は、おじいちゃんのお通夜。
超高齢のおじいちゃんだったから、そんなに悲壮感はないものの、やはり人の死というのは、直面したくない。死は、生きる者にとっては、やはり目をそむけたいもの。死という現実から逃避したいし、認めたくないし、受け入れたくない。
幸い、僕の両親はまだ元気に生きてくれている。でも、いつかお別れする日はくる。そんなに遠くもないだろう。親だけじゃない。予想しないときに、予想しない人の死の報告も受けるだろう。いつでも、人間は悲しみと隣り合わせなのだ。ただ、それをうまくごまかして生きているに過ぎない。
他人の死ではなく、自分の死だって、いつかは必ず来る。自分が死んだらどうなるのか。どこにいくのか。どうなってしまうのか。この問いは誰にも答えられない究極の問いだ。この世に生きる者は誰も知らない。「死んだらどうなってしまうのか」。
知らないがゆえに、怖い。
人間にとって一番恐ろしいのは、「分からない」ということだ。分からない、ゆえに恐れるのだ。分かっていれば、怖くはない。分からないからこそ、不安になるし、おびえるし、生きようと欲してしまうのだろう。
自分が死んだら、別に泣いてもらいたいとは思わない。ただ、誰かが自分の意思や精神を受け継いでくれたらいいとは思う。でも、誰にも受け継いでもらえなくもいいかなとも思う・・・
死との対話。
自分的には、まだまだだなぁって思っています。
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